Who wanted such a world? ⑤
《十二天使》 核テロの顛末
後にロシアのキリスト教系新興宗教の教祖が新聞社相手に用いた《величественны 12》(=Majestic Twelve)の名で呼ばれる事となる12発の超小型核爆弾による世界同時テロは、第四次印パ戦争以来燻り続けていた争いの火種を後に第三次世界大戦と呼ばれる煉獄へと燃え上がらせたのである。
真っ先に核テロに反応したのはイスラエルであった。
民族の悲願であった”約束の地”を第一次、第四次の中東戦争で脅かされた経験を持つイスラエルは、核テロにより国家首脳部の安否所在不明のまま、事前計画に基づいて報復プログラムを躊躇なく実行に移す。それは核テロより僅か7分後の出来事であり、イスラエルが秘匿していた核出力500kt規模(注1)の熱核弾頭搭載ミサイル70-80発がイスラム教を国教とする中東諸国(注2)へと次々に発射された。
これに対し、標的とされたイスラム国家には核テロにより混乱中の国も含まれており、有効なミサイル防衛を展開できぬまま、大都市及び軍集結地を次々に熱と爆風と放射線によって廃墟へと変えられ、国家機能と継戦能力を1日して奪われたのである。戦後の研究により、このイスラエルの報復攻撃により発生した人的被害は8月1日だけで死者3750万人、負傷者1億超(注3)と推測されている。
一方、核テロの翌日、2093年8月2日。極東地域では、中華人民国南京軍区・瀋陽軍区・済南軍区による大規模軍事行動が再開された。核テロにより官僚機構不在、政治空白が生じた日本への本土侵攻作戦である。沖縄県知事は地方自治体として独断で『無防備都市宣言』を宣言(注4)、自衛軍及び在日米軍は沖縄諸島より強制退去させられるという大混乱の中、8月4日には沖縄本島に中華人民軍が無血進駐。
8月10日、中華人民国軍の大部隊が四国・九州地方へと次々に揚陸し、本州に向けての侵攻を開始。
同日、『在日米軍の全力はグアムへと再集結すべし』とのアメリカ大統領令が発令。以後、自衛軍並びに元在日米軍義勇兵は、民間人を巻き込みながらの絶望的な遅滞防衛戦を展開する(注5)。
9月中には、首都東京が陥落。日本国は中央政府不在のため降伏も出来ぬまま、圧倒的な物量と補給能力の差から自衛軍と民間人は北へ北へと追い詰められていき、北海道での自衛軍による組織だった最後の戦闘が行われた12月20日を以て、中華人民国瀋陽軍区より”日本自治区の併合”が一方的に宣言された。
これにより、東アジア動乱と呼ばれた一連の戦争は終結する。
中華人民軍 死者負傷者 90万超
日本国自衛軍・民間人 死者負傷者6500万超(注6)
《カリフ イブラーヒーム》 中東地域の終焉
中東諸国がイスラエルの報復攻撃を受ける中、国家再建途中にあり脅威判定が極めて低かったため熱核攻撃を免れたイスラム国家――シリア――で政治的な動きがあった。
2093年9月2日、シリア大統領に暫定就任したイブラーヒームは、かろうじて機能していた衛星テレビ網を通じてイスラム世界の人々に、自身のイスラム指導者への就任とイスラエル及びドイツ・フランスへの報復の必要性とクルアーンにある外なる聖戦を訴えた。
その演説内容は非常に重大なものであったにも関わらず、シリア大統領は手慣れた様子で繰り返し演説を発信し続けた。
カリフ就任の是非は問われること無く、イスラエル憎しの一念で残存兵やイスラム過激派民兵は部隊単位で続々とシリアへと集結、また運良くイスラエルからの核攻撃より生き延びたムスリム達は町工場で複製されたカラシニコフ片手に義勇兵として聖戦に駆けつけた。そこに国籍や宗派といったしがらみは無く、復讐心に駆られた戦意旺盛な300万人に近い軍人・民兵・義勇兵の混成軍が2093年9月下旬よりイスラエルへの侵攻を開始した――第五次中東戦争である。
それに対しイスラエルは国防軍兵士60万人を総動員した防衛線を展開するが、その戦いは文字通りの消耗戦の様相を呈する。イスラエルは最大の軍事支援国家であったアメリカからの援助を受けられぬまま(注7)装備・人員を急速に消耗していく中、シリア聖戦軍は自軍の損耗率に全く無関心であるかのように防衛線を突破、イスラエル領内へと次々に殺到しイスラエル国民への報復を開始する。イスラエル軍は熱核兵器と共に長年秘匿していたB・C兵器を躊躇うことなく自国領の聖戦軍とシリア首都イスラマバード等に使用し戦線を一時押し返すが、却ってイスラム世界に憎しみを募らせる結果となり、新たに聖戦へと参加する義勇兵がシリアへと殺到した。2093年12月、イスラエル領内は完膚無なきまでに破壊・略奪しつくされ、執拗な民族浄化が完了した事を受け(注8)、イスラム指導者イブラーヒームはイスラエルへの報復が完了したことを世界に向けて宣言(注9)。
イスラエルは地図からその名称を消し、歴史にのみ名前を残す存在となった。
だが、報復を為したイスラム諸国も核攻撃からの復興は遅々として進んでおらず(注10)、かつてはオイルマネーで潤っていた国々もN・B・C兵器により油田・石油精製施設が汚染されるという惨状(注11)により復興源を完全に絶たれていた。
結局、中東地域は戦前レベルに復興されることが無いままに、汚染された土壌と廃墟と乾燥地帯のみが広がる”人類の生存には適さぬ地”だと世界が認識するに至る。
中東地域は神に見捨てられたのである。
注1:致死的被害半径9km(広島型原爆の致死的被害半径1.9km)。
注2:標的とされた国は、エジプト、リビア、クウェート、イラン、イラク、UAE、サウジアラビア、オマーン、イエメン、チュニジア、ヨルダン、レバノン、トルコ、アフガニスタン、アゼルバイジャンの15カ国。平和条約を締結しているエジプト、ヨルダン、中東戦争不参加国も事前計画の段階より標的とされていた。
注3:たった1日で、第二次世界大戦における犠牲者の半数に匹敵する死者・負傷者が発生した。また負傷者の中には、放射線障害により数日~数ヶ月後に死亡する者が相次いだ。
注4:日本国憲法において、中央政府との合意無しの無防備都市宣言は無効とされていた。
注5:この時期のアメリカ政府が急速に舵を切り始めた”新孤立主義”に基づく政策の一環とされる。日米軍事同盟はこの日を以て実質破棄された。在日米軍軍人の中にはグアムへの撤退を拒み、自衛軍に参加した義勇兵がいたことが記録されている。
注6:高齢化により減少の一途を辿っていた当時の日本の総人口7800万人。死者負傷者合わせて6500万超の人的損害は1600年以上続いた単一民族国家の実質的な終焉を意味していた。
注7:もとよりイスラエル-アメリカ間に軍事同盟は無かったが、日本と同様イスラエルもアメリカに見捨てられた形となり、アメリカに対する世界の信用度は急速に低下した。
注8:2090年代初頭のイスラエル人口は900万人超であった。以後、イスラエルの数少ない国外脱出者は再び”国無き民”として世界中に離散する事となる。
注9:宣言の1ヶ月後にイブラーヒームは急死。検死の結果、全身義体ながらも実年齢は相当高齢であったイブラーヒームの脳は人間のものでなくA.Iであったという質の悪いゴシップがシリアでは一時流布された。また宣言当日、イブラーヒーム最側近であった「ムハンマド」という出自不明の男がサウジアラビアの”預言者のモスク”にて「神はこんな世界を望んでいない」との遺書を書き拳銃自殺を遂げている。
注10:復興の担い手となる成人男性の多くが聖戦に参加したことが主因とされる。また、イスラエルとの戦争により多数の死者・負傷者が発生し、復興をより困難なものにさせた。
注11:以後、中東地域の原油は『汚れた油』として国際競争力を失い、輸出すら行われず自国内で辛うじて使用される状況が続く。油田の多くは核攻撃による油田火災が鎮火できず、2131年現在も業火と黒煙を上げ続けている。