王位継承式の日
約七日ぶりのドレス。それがやけに軽く感じた。
私は王城の扉を開けて、王の間に入る。部屋は七日前よりも人が多くなっていた。その中でお父さまは王座の椅子に座っている。
「帰ったか」
重々しい声を空間に響かせて、ただ一言そうはなった。
「はい」
私はいささか緊張しつつ、ラインハルトと、目を回して手を震わせるリルとイリーナと共にお父さまの元まで歩みを進めた。
そして近づいて気付く。まなざしは、七日前に比べ随分と柔らかくなった、そう感じた。
「ただいま任務を遂行し帰還しました」
私はそう報告してから、魔剣を渡す。
「……どうやらこの剣も役に立ったようだな」
「はい。おおいに」
お父さまに剣が渡った瞬間、手を滑らしたように零し、地面にそれを落とす。
「っ……お」
「何をしてるんですか、お父さま」
「もう」と剣拾って再び渡そうとすれば、
「そこに立てかけておいてくれ」
と手に取ろうともせず、王座の横を指す。どうしたのかと思いつつも言う通りにして、再びお父さまと正対した時。
「お父……さま?」
「ぜえ……ぜえ……」と、先ほどまで不通にしていたお父さまの息が一気に荒くなる。
もう耐えきれないといった様子で、その姿を見た白衣を着た人間が、
「ローガン!」
とその名を呼んだ。しかし、お父さまは右手を前に差し出しその動きを制する。直後、うつむいてゆっくりと首を振る。その姿を見た白衣の老人はぴたりと足を止め、しかし近づくべきではないのかと一歩を踏みだしまた止め、葛藤した様子を見せる。
──何が……具合がわるいの……?
そこで私は思い出す。
「一週間前も咳を……」
お父さまはそんな私の言葉にすら微笑んだ。しかし、稲妻が走ったように身体がピクリと震えると、胸に手を当て、更に身体を倒す。
「はあ……はあ…………。──ふう」
荒い息を無理やりに落ち着けた様子のお父さま。目はうつろだ。一週間前は父の突き放すような物言いに、咳のことなど何一つとして気に留めていなかった。
「アリス」
そんなお父さまは力ない手招きで私を呼ぶ。
私はそんなお父さまの手の届く位置まで歩みを進めると、私の手を取られ、ぐいと引かれたことで膝から崩れて抱き寄せられた。そして耳元で、
「すまなかった」
ただそう一言呟いた。不思議に思いながらも、いきなりどうしたのかとも聞くことはできない。
「ううん。気にしないで、お父さま」
「ふはは……ありがとう。さすが俺の娘だ、優しい奴だ」
咳が激しくなる。僅かに喉を鳴らして呻ると、抱き合うほど近くにいる私ですらぎりぎり聞き取れるほど小さな声量で、
「もう限界が──」
──限界?
そう思った瞬間、私はお父さまの手に肩を掴まれ引き剥がせられると、顔を突き合わせる。
お父さまは懐から一つの懐中時計を取り出す。それにはリューズベルク国の紋章である五つの剣が円形に並ぶレリーフが彫られている、王を示す一つの印だ。
それを額に当てたお父さまは短時間だけ祈りをささげ、それを私の胸に突き当てた。
「結末なんて……聞かなくても分かる。だからこれを、お前にこれをやろう」
うつろな目。文脈の壊された唐突な文字の羅列。
「これは──」
「継ぐなら……継げばいい。継ぎたくないなら継がなくてもいい。お前のしたいことをすればいい」
「お父さま、何を言って──」
「あとは頼むぞ、アリス」
肩を掴む力は緩んだ。
それが意味しているものは単純だ。
「…………」
――止めてよ……。
重い身体。音のない人間。
――止めてよ!
喉の奥が締め付けられる。自然と、視界は歪んできた。呼吸すらも覚束ない。
胸が苦しい。
王の間は、私と、私に凭れるお父さまを見てざわめきが高まる。
――ダメ。お父さまは泣いたりしない。
私は、お父さまが手に握ったままの懐中時計を手にする。
そして思い出す、この激動の一週間でお父さまが見せた様子を。だからふと私の未来を思って選択肢を見た。
・王位継承
・王位非継承
──一択じゃなくなって……。
私はふと考えた。お前のしたいことをすればいいという言葉の意味を。そして一つの選択肢を足した。
◎南大陸単独進撃
おもわず奥歯を噛んで、ギリッと軋ませた。
──なんで、なんで足せるように……。
今ならわかる。なぜお父さまが私に対して任務を課したかが。なぜ突き放すような物言いをしたのかが。そして、なぜ神威を発動させなかったのかが。
「選べるわけ──」
◎王国騎士隊入隊
◎北大陸へ出立
いくらでも選択肢が増やせるのだ。いくらでも。つまり選ばせてくれている、私の未来を。
「選べるわけ…………ないでしょ? ――お父さま」
──ほかの選択肢なんて…………。
私は泣きながら一つの未来を選択する。
もう眼にはたった一つしか映っていない。
・王位継承
それ以外に道はない。お父さまの願いでもあり、私の夢でもあった。
──最後には頼まれたんだ、私が。
私は涙を袖で拭って、一度顔を思いきり叩いた。顔は赤いだろう、痛いからよくわかる。
その痛みの中、この王の間にいる人間すべてに私の存在を知らしめるべく振り返る。
「私はいまから、この瞬間からこの国の王になる!」
威勢のいい啖呵。
「そして、私が目指すことは一つ。未来安寧の為の行動」
皆が首を傾げた。
──これはいままで、マリアとお父さまと私、そして師匠グラディス四人だけの秘密。
それは過去のもの。そして、死ぬ直前にお父さまから託された遺言。
「二年後。南大陸への魔獣殲滅作戦を打って出る」
一瞬で王の間は静まり返った。誰もが私の言っている意味が分からなかったのだ。
しかし私の脳内には鮮明に映し出されている。
三年前、戦線で起きた、大陸最強が死したという『物語』を作り出した一つの事件の瞬間を。魔獣に生きたまま捉えられたグラディスが言った言葉。
『五年後だ! いいか。五年後に、世界を救いに南へ来い!』
南に連れていかれた、死んでなどいない英雄の最後の言葉だ。
父が病に気付いてから、私にすべてを託すために、学府へ行かせた。一人である私に仲間を作り、敵との戦い方を思い出させ、騎士隊からの信頼を得るために。
王の間はどよめきたつ。開かれる口からはあらゆる罵詈雑言が巻き散らかされる。しかし、それを止めた一人の声。
「僕は、ついていく!」
ラインハルトは、そう短い演説をした。
それに続いて、
「わ、私も行きます! アリスさまと戦ったんです。お互い守るって決めたんです!」
「じゃあわたしも行くよ! 私いないと寂しいでしょ?」
胸に手を当て身を乗り出すイリーナと、ふふんと鼻を鳴らしながら言ったリル。
私は胸が熱くなった。再び涙であふれそうになるがそれをどうにかこらえ、続ける。
「ここにいるすべての人々に、全ての国の代表者に約束するわ」
「私が、魔獣との戦いを終わらせる」
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