7日目(3)
「ガォオオォオオォッ!」
猛るグリフォン。
羽を大きくはためかせ空へ浮き上がったグリフォンは、鷲のようなすべてを切り裂く鋭い爪を開き、こちらへと加速し始めた。
「だから、アリス君も最大の一撃を見せてくれ」
ラインハルトは、私の方を振り向く。そして、
「僕も見たことのない、全てを超越した思いを」
彼が空を漂わせた視線は、今まで見た視線の中で最も柔らかく、それでいて裏表のないものだった。
だから私は無言でうなずく。
そして差し迫った恐怖に対抗する、最後の瞬間が来た。
人間の力など到底及ぶことの無いグリフォンに対して、ラインハルトは剣を逆手に持ち、切っ先をだらりと地面に向かって垂らす。
そして、魔剣の柄頭に手をかざすと、それは自ら意志を持って鼓動を打つように、白い光を波立たせはじめた。徐々に徐々に光は増す。際限なく、空に輝く永遠の恒星の如く。
「ガォオオォオオォッ!」
そうとしか発せないグリフォンの鋭利な攻撃が、ラインハルトを正面から襲った時。
「ツヴェルフ」
呟きと同時、彼の身体は急速に動き出す。
──速い……!
剣をくるんと回して順手に持ち替えた瞬間、剣はまるで、十二本に分裂したかのような光の残像を残す。だがそれはあくまでも残像だ。世界に残る光の筋は、一点に集中してグリフォンに向かう。
「――突き、技……」
──いや、そうじゃない…………あれは、何処かで見たことがある。
世界を銀一色に塗り替える魔法はグリフォンの腕に命中する。
──この光景も……どこかで。
瞬間、閃光が収束を見せたかと思えば、新たに目くらましの魔法が放たれたように強烈な閃きが、私もリルもイリーナも、騎士隊もグリフォンも全てをも包み込んだ。
視界が完全に奪われた中で、光に先んじて得た感覚は音。
「ガウゥゥッ!」
そんな叫びだ。
私の目は暗順応を強いられた中で、ようやく機能が戻り見えたもの。
「やった……!」
「アリスさま、これならいけるかもしれません!」
そんな二人の喜びは当然だ。
グリフォンの魔剣に負けない硬度を持つ爪は折れ、魔獣特有の、緑色の禍々しい血液を垂れ流し始めたのだ。
「後は頼みましたよ」
そうラインハルトは発したにもかかわらず予定外だったのは、グリフォンの喉奥に僅かに光が瞬いたこと。それを見てすぐさま四人の笑顔は消えた。
その光景の中で私よりも早く行動したのは、
「イリーナ!」
「はいっ!」
と、二人の中で話を完結させた二人の会話。直後、足を引きずりながら私の両脇から抜き去っていく。
グリフォンの喉の光は明らかに火球、それは一目で判明する。そして、その火球は即時的に発された。
その二つの状況が交錯すれば、容易に結末は想像できる。
──なんで二人とも! 魔力なんてもう……。
「任せてください、アリスさま」
「代わりに絶対決めてよね!」
イリーナの巨大な剣を盾にして、火球と正面から衝突した。一方は砕け、一方は霧散。生身の人間二人は、地面に叩きつけられて身体だけでなく意識まで吹き飛ばされてしまっている。
私は唇の端を噛んだ。
そして、改めて手に握る剣を見た。初めて握るお父さまの魔剣。
いくつもの戦場で魔物を倒し、国民に騎士隊に私、そして何より、お父さま自身の命を救い続けてきた魔剣なのだ。私には何もかもが重すぎる一振。
金色に煌めいている表面に映る私の眼、それは、真っ直ぐな自分の視線を網膜で捉えている。曖昧さなどない、純粋なものだ。
そして、剣の角度を九十度変えれば、刃の向こう側に見えてくるグリフォンという強大で、人の命を貪り食う大きな鷲獅子。
ラインハルトの一撃で、グリフォンの動きを刹那遅らせることに成功し、確実に速度を緩めさせた。爪は折れ、攻撃をするには不十分なものとなる。
そして、リルとイリーナの決死の守りで、アクスが完全な状態で発動できる、私はそう確信した。
「ありがとう」
私は剣に魔力を纏わせる。
それは、風邪に揺れるほど繊細な蒼き炎へと変わる。そして、剣に魔力を集中させると、さしたる時間もかからずに炎の質は硬く、鋭く、それでいて全てを焼き尽くす業火へと変貌を遂げる。
魔剣を構えた。
──あなたの技で、あなたを助ける第一歩を踏み出します。グラディス。
《アクス》。それが、私の脳裏に初めて焼き付いて離れない技だったのだ。
両の腕での攻撃が難化したグリフォンは私を丸のみにする気か、先の折れたくちばしで攻撃をする。それが敵にとっても最後の攻撃だとわかりきっているかのように、全身を加速させながら。
左手を前に、その腕と平行な剣の切っ先はグリフォンのくちばしの先を捉えている。
遠近感がくるうほど巨なる躯体を有するその敵との距離はゆうに百メートルは超えている。しかしグリフォンの巨体との接触までにかかった時間は僅か五秒。
「っ──!」
衝突寸前、剣は青き炎と共にグリフォンに向かって閃く。一線に、敵の傷へと。
そして響く一つの接触の音。
「キイイィィィン」
「ぐああぁあぁ」
その刹那、前に突き出したはずの腕は、関節が押され潰されるかのような痛みが走る。
しかし、そこで止まってはいられない。敵が引き起こす天地震動の中、地面に足という軸を突き刺しているのだ。逃げる気も、逃げられもしない。
痛みに耐えるという間隔もなく、左手はグリフォンのくちばしの先に触れた。瞬間、左手にも同様の痛みが突き抜ける。
──この痛みをすべて!
「っああぁあぁ!」
左手に与えられた衝撃は右足の軸によってベクトルが反転し、私の軋む右腕を通って剣に伝えられる。それは紛うことなき師の技の写し。
一撃目の反作用で僅かに浮いた剣先は、私の叫びと同時に一回りも二回りも大きくなって私までもを飲み込もうとする炎とともに、グリフォンのくちばしへ刺さる。
「ガアアァアァン」
まるで鐘を鳴らしたかのような音だ。しかしそれはどこか軽薄で、音が逃げ出しているような響きでもある。
そのまま捻り差し出した腕は、真っ二つに割れたグリフォンのくちばしに吸い込まれていく。
──やっ……。
そして、制御の利かなくなった感情と比例して、魔剣の先からあふれ出る炎も制御を失い、それは一撃で天すらも二つに斬れるほど大きな剣身となる。
声はない。
だが音はある。
「ズッ」
ただそう短く発して、グリフォンの身体は真っ二つに分かつ。炎によって表面は焼かれ、血液は流れず、焦げて、元の黒の身体と同化すらしているほど。
私はその瞬間不意に涙が流れた。どのような感情なのか、自身ですら把握できないほど不思議な現象。
その潤って混濁する視界の中でも、確かに見えた。魔剣の魔力はたった一撃で零。その代わりに得た、グリフォンが正中線の左右でゆっくりとずれて落ちていく光景。
「「「うおおおおお!」」」
騎士隊が発した声。
勝った、そう確信した。
同時に、私は踏ん張った足に力が入らず、そのまま前のめりになって倒れる。地面との間に割って入り、身体を支えてくれる人間もいない。それほどに全力で、まさしく死闘だった。
倒れていく際私の身体越しに見えた三人の仲間の顔は、皆が苦痛でゆがめながらも口角がぐいと引き上げられている。リルとイリーナは手を取って喜び、ラインハルトは強く握った拳を眺めている。そして、そのさらに奥。沸き立つ歓声を背に浴びる、私の成長を知る数少ない人間の一人は、いつものように首を僅かに右に傾げ、ただ微笑んでいるのみだ。
いささか幸せな時を味わって草の味を知る。
うつぶせで額を地面に当てるような格好であっても、第一歩を踏み出した喜びからもだえるように身体がうねった。そして目を強く結んで、先ほどとは異なる理由から唇を噛む。
私にはようやく未来に手を伸ばせたのだ。だから、その形を想像して口は感情を漏らした。
「長かったあぁ……!」
第一王立学府。アリーナは壊れていようが酷使されるらしい。
「リル・ハミング、イリーナ・エリュシー」
「「はい」」
アリーナの中心で、私たちが特例入学者の中で唯一帰還したと耳にした多くの学生や、先ほどまで戦線を共にした騎士隊等々、多くの人間に囲まれている。
「ラインハルト・アーク──」
「はい」
そんな中で私たちはマリア学府長に名前を呼ばれて彼女の前に立つとぎゅうっと強く抱きしめられて、順々に卒業の証である魔剣の小刀を渡される。
「そして…………アリス・リューズベルク」
「──はい」
帰還前に受けた治療のおかげで真っ白な包帯まみれになった私は、鼻で息を抜いてからおとなしい返事をした。そして彼女の前に立つ。
当然のこととばかり腕を広げるマリア。私もこんな大勢の前でそれは気が引けるとためらいを見せていると、彼女は「はあぁ!」と大袈裟に声を出してから私に飛びついた。そして、
「よく頑張りました」
そう耳元でささやかれた。背中をさすり、そこに身体があることを確かめるように。
「でも──」
マリアは一歩引いて私に小刀を渡す。
小刀を受け取ろうとそれに手を触れると、彼女は私の手を包み込んでから、続ける。
「──まだこれから、アリスにとっては」
「はい」
私は迷うことなく答えた。
「この後すぐ、お父さまの所に行こうと思っています。お父さまが今座るところよりも高みを目指さなくてはいけないので」
「ふふふ……たかいなあ、その高みは。二年で行けるのかしら?」
「もし私一人しかいなくなっても、絶対に──」
「──誰が一人なのよ、アリス!」
「そうです! その高みは知りませんが、私たちはもう一心同体ですからね! そうですよね、ラインハルトさん?」
「……ええ。そもそも僕はアリスの婚約者ですからね。認めてもらうまで──」
ラインハルトは一度首を振って言い直す。
「認めてもらった先もずっと傍で支えますよ」
「だって、アリス! ひゅ~ひゅ~!」
「もう……」
こういう時のリルが一番生き生きしている。
「でも今は無理。……少なくともあと二年、二年は夢ごとにうつつを抜かしてる暇はないの」
「その二年というのは何なんです?」
私はここで事実を知らせるべきか否か少し思案した。
「なら、このあと私と一緒に来て」
「それは、まさか──」
「そう。あの……」
私は王城を振り返る。
「この国の全てを司るあの場所に」
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