7日目(1)
七日目
看板は禍々しい。
『立ち入り禁止』
ただそう一言記してある看板は朽ちた様子を強めているが、赤という自然には数少ない目を引く色を下地にしたそれは、まさしく死線を可視化している、そんな存在だ。
──はあ。
それを見れば、思わずため息の一つでも吐きたくなる。
その死線は第一防衛線。つまり、居住区と戦闘区の境目だ、ここを踏み越えてしまえばこの命を失うかもしれない。三年以上前には何度も何度も見て、そしてなんの躊躇もなく一歩で跨いできた線であっても──いや、その経験があるからこそ躊躇い、緊張しているのか。
「やっほ~い!」
と溌剌に超えていく人間もいるのだから。私はそんなリルを見て羨んだ。
「リルは怖くないんですか?」
「今はね! でもどうせ敵を前にしたら怖くなっちゃうんだから、今から怖がってても仕方なくない?」
リルはイリーナの質問に対して、「えっへへ~」と真っ白で、一切の裏表がない笑顔を浮かべて答えた。続けて、その笑顔は私までをも飲み込み、
「だから、アリスも今からそんな怖い顔してたってしょうがないでしょ! もう!」
そう片頬だけぷっくりと膨らませて、私の腕を、死線を超えた先から引いた。その不意で、瞬間的に強く働いた力から、私は「あっ」としおらしい声を発するだけしかできないままに一歩を踏み出した。
それがどこかうれしくもある。そのくせ、何処か気恥ずかしくもある。
どうして私たちが全隊の先頭に立っているのか、それは全くもって不明であるが、四人でやりとりをする光景を後方から覗かれているようなのだ。
私はそんな気を紛らわせるべく、リルとイリーナの手を引いて、早足に目的地へ向かおうとする。敵がいるのは目の前の渓谷を進んだ先、そこが私たちの最終決戦の場。
しかし次の瞬間、やはり先ほど超えた死線は、ただ勝手気ままに引かれたものなどではないのだと実感した。
「ズゥ…………ゥゥゥゥゥウウウウウ」
「何!? なんでいきなり揺れ出したの!?」
──地震?
嫌な予感が、身体から噴き出す冷や汗と共に湧き上がる。
そして直感的に、強く浴びた空震が襲った方向を見る。そこでは雨が降っていた。
ただし岩。
「逃げろオオォオォッ!」
後方からの叫び声。
刹那、着弾しだす砕けた岩々。
「二人とも下がって」
私はあわてて腕を伸ばして二人を制止する。そして私たちに向かって落ちてきた歪な岩石に魔剣を一振り。岩は刃角の分だけ開いて割れて、二つに斬って事なきを得る。そして、次々と連続して面的に襲い来るそれらの一つに剣を一閃、閃かせようとしたとき、私の両サイドを、風を巻き起こしつつ走る一人と、空気を圧縮しながら飛翔する物体が同時に通過していった。
「大丈夫だよ、アリス! 私たちだって戦えるから──っ!」
「そうですよ! 私たちだって、この数日のうちにメキメキ腕を上げたんですから!」
そう言って二人は私の標的を奪い、粉々に砕いて地面と同化させた。さらには、
「ですが、数が数ですからね──」
ラインハルトは私の背後から「ザッ、ザッ」と足音をたてながら、「シャリンッ」と金属の擦過音をさせ、剣を大仰に抜きつつ歩き進める。
「──ッ」
そして私の横に並び立った瞬間、そう息を瞬間的に吐いて混濁させ、巨なる氷を剣の先に出現させるや否や、縦方向前方九十度の岩石をすべて破壊する威力をもって振り下ろした。
そのまま地面に触れた氷の剣は、新たに渓谷を作り出す勢いで地面に傷をつける。
「これでいいでしょう?」
「さすがです、ラインハルトさま!」
二人は最前でハイタッチをする。仕事を奪われた私はその姿を後方から眺めるしかなく、そして、双弓ハリオンを持ったまま私の背中に跳びついてきたリルに驚かされて「うわっ」と声にする。
「なんでそんな感慨にふけってるのさ!」
「うん…………」
私はリルの顔を見て言った。
「いつの間にかちゃんとパーティーになってるなあって思っただけ」
「いいこという」
リルは「にしし」と笑ってから二人の元へ駆けて行った。しかし、実際そう思わせるほどに、三人の行動がそれぞれ独立しているが、互いを念頭に置いた動きをしているのだ。
図らずとも、能力も心情も上書きされ続け、四人が中心に存在するパーティーになっていたのだ。
──なんかこの一週間ですごい年を取った気分。
感慨にふけってしまうほどに。
だから私も三人の会話に混ざろうと前を向いた時。
その割れた景色の中、ひと際大きな塊が見えた。どの岩石よりも早く、どの岩石よりも巨大。それはもはや隕石の如く印象を与えられた。
「っ──」
そう奥歯を噛んで足を止めた私を見た三人も私の視線を追いかけてその漆黒の物体を見た。
「あれが、敵…………」
リルとイリーナの手は拒絶反応しているように震えていた。それを見て私の右手まで震えようとした感覚をミリ秒以下で察知し、とっさに剣を握って耐える。
目の前の敵、その名は《グリフォン》。
背中から生える黒々とした翼は骨張り、はばたく度に羽が抜ける。そんな象徴を持つグリフォンの体は、想像の遥か上を行くまさにキメラと言った様子。鷲の上半身と獅子の下半身を持っているのだ。鋭く全てを抉りとる爪と、尖り全てを貫通するくちばしを持ったグリフォンは、それ以外に攻撃の手段を必要としないだろう。なにせ、それは既に緑色の液体でまみれているから。
「想定より早いお出ましですね……」
「そうね……。まあこれだけの大隊が一方向から向かっていれば魔剣の数も半端なものでは無いもの、魔石を持つ魔獣は魔力には敏感なんじゃない?」
「じゃあ私のせい……?」
「まあ、飛行種五体分の魔石全部飲み込んでった大剣だもんねー!」
ラインハルトと私は無意識に鼻で笑った。そして私はイリーナに言う。
「むしろイリーナのおかげで助かったわ。だって、私たちが長い距離を歩かずとも、勝手に向こうから対象が来てくれたんだもの」
「でも、それでは騎士隊の援護が受けられ──」
「大丈夫」
私は三人それぞれと視線を重ねる。声を上げるほど不安な目、やってやるぞと興奮気味の目、逆に落ち着き払った目。それら三者三様の眼差しを受け止めた。そしてグリフォンに向き直って私は言う。
「私たちだけで倒すんだから」
──倒さなくては、未来はない。
右手に握り、だらりと力を抜いて持つ剣は、敵を欲して煌めいて見えた。
私はゆっくりと歩みを進める。そして、指先が地面に触れるたびに足を巻く速度を上げ、剣を下段に構えて敵に一歩踏み込んだ。
「ガオオォオォッ!」
グリフォンは私に対して咆哮する。同時に鋭いくちばしでついばもうと顔をこちらに接近させる。
「はぁぁあああっ!」
だから私も叫びを発し、下段から一太刀、人間の認識能力すら上回る速度で振り上げた。
刹那。
「ッ──ドオオォオォ」
と轟音とともにくちばしと魔剣は衝突。いくつもの膨らみをもって天へと上るような火柱が上がった。そして、僅かに煤けたくちばしの先。そこに向かって後方から一本の矢が放たれる。
それは間違いなくリルが放った爆発する矢。それは煙を伴い、グリフォンの視界を瞬間的に奪った直後、
「──ッ!」
イリーナとラインハルトは、それぞれの剣に氷と棘を纏わせて剣を振るった。
強撃の挟撃。逃げる暇も隙も、方法すら与えないままに私たちのコンビネーションによる四撃がグリフォンのくちばしを僅かに欠いた。その攻勢度合いに、後方に陣取る騎士隊からも感嘆の声が上がり、当の本人は、
「アアァウウァ」
と鳥らしからぬ、いかにも魔獣然とした、人間には到底理解しようもない音を発して、前足を浮かせた。そしてグリフォンは、巨体をよろよろと前後左右に揺らめかせながら一歩、また一歩と下がっていく。
「行ける──」
私はその欠けたくちばしと、消極的に振舞う姿を見て、確かな手ごたえを感じた。それはどうやら私だけではないようで、先ほどまでの幾ばくか弱弱しさを覚えた視線は、たった一振り柄で、
「やろう、アリス」
そうも言いたげな決心して表面に浮き上がった勇敢さが存在した。
私はその心の元、魔剣を握り直し、四人での追撃を決行した。
グリフォンはそう容易く討伐できる対象ではなかった、そう実感したのは戦闘が始まってから二十分後のことである。
「ガオオォオォッ!」
グリフォンは痛むくちばしでの捕食攻撃を止め、鋭利な爪で人間に穴を開けるための攻撃をはじめた。
しかしやはり、私たちの何倍もある巨体では繊細さや速度はあらず、避けることそのものに対して苦労はない。しかしそれは必然的に、私たちの移動距離を伸ばすことにも繋がる。その上硬質な鱗のような皮膚に阻まれて、魔力を持ってしても一人がツンツンと剣を振るう程度では傷もつけることも難しい。
だから、魔力が過剰に放出されていた。少しでも多く、少しでも強い技をと求めた結果だ。
私は先程よりも出力をあげた攻撃をしようと、剣先に炎を集中させて、細胞全てを吹き飛ばす思いで突き、捻り、グリフォンの右前脚に大穴を穿とうとした。しかし。
「──え?」
腕を前に伸ばして、剣先がグリフォンに触れる寸前のことだ。
──なんで魔法が消えて……。
火は潰える。「プス~ッ」と空気が抜けるように炎は萎み、剣先からは白い煙が上がるのみ。それ以降いくら力を込めようが復活しない炎。その上、
「うぉ…………」
目の前の光景全てが二十センチほど上昇した。
──っ…………もう身体も……。
ひざが落ち込んだのだ。
私はとっさに剣を地面に刺し、どうにか立った状態を維持する。だが、敵はそう易々とこの状況を見逃してはくれなかった。
「アリスさま、避けて!」
──……よけて?
私はイリーナの声を聞いて、ただ上を向いた。
そこにあったものは、先刻私が傷をつけたもの。やはりこれほど近々の距離で目にすれば、黄土にも近いくちばしの上に黒の粒子がうっすらと堆積している様子が見て取れる。
この状況はたった一言で端的に表せる。
「──まずい」
今まさに口が開き、私を頭から丸々飲み込もうとしているグリフォンが目の前にいるのだ。喉奥は暗い。しかし濃い赤の色をした口内が薄らと見えて恐怖が湧く。
今の私には足に力を入れて逃げる気力も、剣に力を込めて戦う気力も、ましてやそれを許す体力も無い。
「アリスさま!」
頭を包む暗闇は、そんな叫びとともに変化した。
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