6日目(2)
「泉――ですか?」
「すっずしい~」
私たちは街の大通りでおやつと飲み物を買って、街から少し外れた森へと出向いた。
「しかし……かなり…………」
ラインハルトは言い含む。その目の前の光景に対して気を使った彼らを見て私は、
「別に気にすることは無いわよ? 錆びれてるもの」
そう言って場の空気をもとにただす。
訪れた場所はお世辞にも綺麗とは言えない。イリーナが発した通り、泉という表現は正しい。しかしその水量は柄杓で掬ってはひっくり返す程度しかない。その泉の周囲には草が生い茂り、苔生した世界が広がる。しかしそこには人工物があった形跡があり、原生というべきか、退廃というべきか、廃れてしまったという表現も仕方なく思える。
「ここで初めて敵を倒したの、私が。すごい昔だけどね」
「どれくらい?」
「う~ん……もう十年前だから――五歳?」
「五歳で敵を倒したの!?」
「騎士隊が倒し損ねた、ボロボロの敵だったのよ。それに止めを刺しただけ。そして、そのとき私は、私の師匠と出会った――だから大事な場所なの」
「アリスさまの師匠といえば――」
「そうよ。あの物語の、この国の英雄。私が殺した大陸一」
「…………」
私は自ら空気を悪くしていく。
「でも、皆にはここを知っておいてほしいの。私は卒業して国王になる。そしたら世界が変わってしまうから」
「――何か企んでいるんですか……?」
イリーナは訝しみ、不安げな表情を浮かべる。
「みんなが幸せになる計画――でも今はまだ教えられない」
「国王にならないと?」
「そうよ」
その一言で、自然と鋭くなっていた眼差しを柔和なものと変えて続ける。
「皆には、私が国王になった後も一緒に戦ってほしいの」
「いいよ?」
――即答……。
「……ありがとう」
「アリスは悪い人じゃないよ。時々周りが見えなくなるけど」
「そう……ですね。私もそう思います」
――言葉を飲み込んで……。
おそらく、私が国王になった暁には休みという休みはほとんどとれないだろう。取れたとしても、王城まで戻ってくることは少ないかもしれない。
だから、事情が離せなくとも、私の目的の全ての源である師匠との出会いの地に皆を連れてきたかった。
私がラインハルトを見れば、
「…………」
と無言のままで、こちらに話しかけてくる様子もない。だが、私は私で彼に用事がある。だから泉からの帰り道、
「ラインハルト。夜、少しだけ時間をくれない?」
そう声を掛けてからリルとイリーナの背中を追った。
「来てくれてありがとうラインハルト」
私は少し広いところで話をしたかった。
いや、しなければならなかった。
私たちは広大な学府敷地内の端、ここであれば多少音を立てようとも、それを聞き付けられることは無いだろうとアリーナへ来た。先日の騒ぎで倒れたパンデモニウムは、しっかりとアリーナの一部を破壊していたために、そこからアリーナ内部へ侵入することはいとも容易いことだった。
私たちはアリーナの中心で、少し離れて会話をする。
「王女さま直々の召喚命令ともなれば参上しないわけには行かないでしょう?」
ふふんと鼻を鳴らすラインハルト。
私はその姿と態度を見て、少々気色ばむ。
「随分楽しそうね」
だから思わず煽り文句を言った。するとラインハルトは、より深度を高めて笑った。
「当たり前ですよ、アリス。この数日間、必要なことを除いて、アリスから声をかけてくることなんて滅多になかったですからね。僕にどんな話があるのか、そう気にするのは当たり前ではないですか?」
「それもそうね。私はまだあなたのこと、信じていないもの」
「酷いですねえ。ちゃんと王子らしくしていたつもりなんですけどね」
「王子らしかったわ。私を一人にさせまいと戦場に残ったり、自身を盾にして攻撃を受けたり…………ね」
「そうでしょう?」
「でも人間じゃ無かったわ」
私は鮮烈なイメージを植え付けられた初対面の時を脳裏に思い浮かべた。言葉で焚きつけられた感情の中で発した一閃。軽々と弾き飛ばした瞬間だ。
「あなたは何か隠してる。私に……ううん、マリアにもバレないように何かを」
「やっぱりアレはダメでしたか?」
「私だって今まで戦ってきた経験値がある。最近は篭っていたから、そのせいで衰えたのかとも思ったわ。でも、そういう領域では無かったもの」
あの一撃はあまりにも高速で、あまりにも重かった。それは私という私自身が一番信頼出来る人間が得た感覚ですら捉えられなかった。しかし、全ての物的証拠が、ラインハルトがそれを放ったという状況を具現化してこの目に映してくれる。まるで、この私の目が全方向から彼を追い続けていたように。
「でも…………助かった、でしょう?」
「ええ。魔獣以上に不気味なものがいなければ素直に喜ぶことも出来ていたわね」
「ははは」
「ねぇ、ラインハルト」
「……なんですか? アリス」
「私ともう一度勝負させて。トーナメント戦の、リベンジを」
私はラインハルトを睨む。
「──私は…………私は大陸で最も強くならなくてはいけないの。そう、ある人と約束をしたから。…………それに、私の師匠を嘲笑うことは、私が許さない」
私は問答無用で剣を抜いた。
「アリスにとってはその人が師匠でも、僕にとってはただの嫌いな人ですよ」
「それに、その人の剣は、もはやあなたにしか残っていないんですよね? 今のままでは、あなたの師匠は、少し剣に腕のたつ人間でしかないのですからね」
ラインハルトはそう言って剣を抜く。月明かりを反射させて煌めく直剣だ。
その剣を見て、私は構える。
一日目、ラインハルトに敗北を喫してからというものその日の夜から毎晩毎晩一人で剣を振るった。三年間、たった一人で、ただただ身体に染み付いた師匠の剣筋を忘れるために剣を暴れさせていた時とは違う。
師匠の剣を思い出すために、師匠の剣をこの身体で発するために、剣を振るったのだ。
「あの時、あなたは言った。『あなたの剣筋は、まだまだ細緻な点が欠けすぎている』って」
「だから私は、本当の師匠の剣を見せてあげるわ」
「そして、その師の剣であなたに一撃を下す」
私はラインハルトが言葉を挟む隙もなく文字を羅列させる。それに対してラインハルトは、
「フッ」
と鼻で笑った。彼は何やら嬉しそうに「ッククク」と不気味な笑いを浮かべる。そして、服の上からでもわかるほど肺を膨らませて、一度だけ大きな呼吸をして言った。
「その師匠はあなたが殺したと――あなたが言っていたじゃないですか」
言い切った瞬間、語気は強まる。それはラインハルトの加速の合図でもあった。
彼の足元の地面に堆積する砂がぐにゃりと歪んだかのように凹みを見せた。その瞬間地に手が届きそうなほどの前傾姿勢を取ってこちらへ加速する。
「ふぅ…………っ」
私は息をする。これからも息をするのだ。
十年間続けてきた息を、三年間やめてしまった息を、剣術という名の息をする。
私の網膜へ映るラインハルトは、その姿勢のまま剣を背側へ振りかぶる。長く、大きく、鞭のように湾曲した片腕で。
一方私は、アクスの構えのまま微動だにしない。数十メートルという二者間の距離が、詰まる瞬間を今か今かと待っている。
破壊されたアリーナの壁面から流れ込む風を筆頭に、周囲の状況は異常な程に詳細に確認出来る。前髪が揺れて生まれる七色のきらめきや、ラインハルトがしならせる剣に時々映り込む私のアクスの構えをする姿。そして、彼が一歩、また一歩とアリーナの地に衝撃を与える度に巻き起こる十センチ程度の砂埃。
そんな世界を見ながら、ラインハルトが私まで残り三歩で到達できる瞬間が訪れた時。
私の身体は重力に呑まれたように五センチ沈む。そして両足に生まれた過剰な屈状態を解消するため、砂の領域を、鉄のように固い地面と化すほど踏み込んだ。
「っ──!」
それは剣を振るうべき時だ。
軸足から力を得て先行する身体、しかし動きを見せない剣。
だが、一歩を踏み込んだ時、胸を張って捻る身体、伴って剣は強制的に前へ出ることになる。
剣は、身体の捻りと腕の振るう速度を合わせ、高速でラインハルトの振るう剣へと衝突するべく、私の手の中で一線に空中を突き進む。
そして。
「ッ…………ィィィン」
二本の剣は接触した。
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