6日目(1)
六日目
トーナメントの敗北に悪夢を見、キャンプ地での生活を余儀なくされ、徹夜でのモンスター討伐をした挙句、軽い仮眠をとって掃討戦を行った私のこの五日の内の眠りは最悪だった。だから、久しぶりに学府寮のベッドで眠りにつくことができた私は深い眠りについていた。
とはいえ朝は早い。
「今日も卒業するために必要な任務が与えられるに違いない、何せたった七日間しかないのだから」
と高を括って、魔石で作られた目覚まし装置を枕もとに置いていたのだ。私はその目覚まし装置が「ルルルルル」と穏やかに揺らぐ音を立てたことで意識が起き上がる。
──うぅ…………起きないと。
微かな意識の中で私はそう思った。そして、もぞもぞと布団のなかで蠢きながら、枕もとの目覚まし装置を止めるべく手を布団から出したその時。
「ルルルルル──」
──……止まった?
私は疑問に思ったが、触れてもいないのに確かに目覚まし装置が停止した。その疑問の為に一気に眠気が覚めた私は、目を開ける前に考えた。しかし、一つの結論が出るよりも早く私の耳元で、
「んん……」
と、呻いたような、それでいてどこか艶のある喉から漏れるような声が聞こえてきた。と同時に私の耳に「ふぅ」と生暖かな風が吹きかけられた。
当然、私は跳び起きる。
布団を蹴飛ばしてから身体を起こし、その声と温風を発した主を見た。朝起きたばかりで焦点の合わない視界が、時間の経過とともにゆっくりと鮮明になっていき、遂に見えた世界に映り込んだ一人の生き物。
「ま、マリアっ!?」
私は目を見開いて、明瞭な意識にもかかわらず再びピントが合わなくなった世界を望んでから、マリアを起こそうとする。しかし当の本人は、布団をはぎ取ったことで四月頭の朝というまだ肌寒い風を全身に浴びて、身体を縮こませてから、数秒前に聞いた覚えのある「んん……」といううめき声のフルバージョンを聞かせてくれた。
そんな事お構いなしに私は、
「なんでマリアが私の布団で寝てるの?」
と強めの一撃を肩に入れた。
するとマリアは、私が蹴って足元にぐしゃりとまとまった布団を手に取り、身体にかけなおすと、
「アリス。学府長命令ですよ、もう少し寝なさい」
「どういうことですか」
──何言ってるのこの人。
マリアは寝ぼけ眼でこちらを見て、ベッドをぽんぽんと叩きながら促して──強制してくるのだ。
「休むことだって大事なことですよ? なんて言ったって明日は卒業試験です。必要な三つの要件は達成してくれたのですから、私からこれ以上要求することは無いですもん」
マリアは諭すように穏やかに言う。
「アリス……あなたはここ数日頑張りすぎですよ。あなたがなぜそこまでして国王にこだわるのかも知っています。でも──いいえ、ならなおさら自身の身体を大事にしないといけません。ここ最近の疲れが明日出てしまったらどうするんですか?」
私はマリアの言葉に深い慈しみの心を感じ、心が揺れ動かされそうになる。
「それに、ここ最近私も働き詰めだったので眠いですし」
「そっちが本音ですか、マリア」
──というかいつから寝てたのよ、この学府長は。
私は一瞬その気になったが、逆に一瞬で冷めたので、起きてから、
「いいから寝なさい、アリス。言ったでしょう? 学府長命令です!」
と半ば強引に腕を引いて寝かせにかかってきたので、ベッドに倒れ込みつつ選択肢を見てみた。何かし忘れていることは無いのかと。
・寝る。
しかし、何もなかった。
選択肢を追加しようとしてみれば、
◎剣を磨く。
◎お風呂に入る。
と、無限に追加できそうだった。なので私は必然的に、
──今日はほんとに何もないんだ……。
そう理解し、加えてマリアが放つ「寝ろ寝ろ」というオーラに中てられて、おとなしく寝ておいた。
二時間後。
「ズッ……」と眠りの根を引き抜かれたように、すっきりと目が覚めた。
シングルベッドを半々の片割れで身を細めて寝ていた私は横を見て、マリアの寝顔を確認してから、息をひそめてマリアを超えて床に立つ。
私はマリアが風邪をひかないようにと布団をかけた。すると呻きながら頭の先まで布団をかぶってしまったので、物音を立てないようにとクローゼットを空けて、静かに制服に身を包む。この格好がとても落ち着く。というよりは着るものがこの他にないだけでもある。
任務も言い渡されず、休めといわれてもすることが何かパッと思いつくわけでもない。
だからとりあえず魔剣を手にして磨き始める。
昨日一日使いに使い、既に手になじんだこの魔剣。昨日も寝ぼけながらに剣の油分をぬぐいはしたが、納得のいくメンテナンスはできていないのだ。
魔剣を手に入れたことは念願。部屋の中ながら掲げた剣が、窓から射しこむ柔らかな白い光を反射する様子をねっとりと嘗め回して見る顔は、緩みに緩んだことだろう。
そんなとき。
「アーリスっさまっ!」
と、「バンッ」と勢いよく扉が開かれる。
──ん!?
鍵がかかっていたはずなのに入ってきたリルの声に驚かされる。
──というかマリアはどうやって入ってきたの? もし職権乱用していたら後で嫌味に変えないと。
どうせマリアが鍵を閉め忘れたんだろうと決めて、リルに声を掛けようとすると、
「おっりゃああぁあぁ!」
と勢いよくベッドに向かって、私の目の前を通り過ぎていくリル。
そのまま勢いを減少させることなく、むしろ、狭い空間の中で加速してから私がつい先ほどまで眠っていたベッドにダイブした。
「ま~だ寝ってるっのかあぁああぁ!」
「──ぐえ」
マリアから漏れ出た音。ぽこぽこと両手でベッドの布団を叩くリル。
猛烈なダイブから、数秒後。
「もう、リル? アリスさまも疲れてるんですから、そんなことしたら死んじゃいますよ!」
そう言いつつ、リルに遅れて部屋に入ってきたイリーナは笑いながら冗談めかして言った。
だから私は、二人の会話に自然と馴染むトーンで、
「おはようイリーナ」
そう声をかけた。すると、
「あ、おはようございます、アリスさま」
そう普通に目線が合い、普通にあいさつを交わし、私は再び魔剣を磨いて、イリーナも再びリルの方を眺める。
間。
「なんでアリスさまそこで剣なんか磨いてるんですか!」
「あうっ――」
イリーナの慌てた様子で発した高温で、耳は「キ──ンッ」と鳴るほどに劈かれた。
その声にリルも振り返って、私と視線を交錯させる。そして、私がただ一つだけ深く頷いて見せると、首だけがロボットのような機械に挿げ替えられたようにカクカク動きつつ、私から手元の──もとい身体の下の白い布団をかぶった物体を向いた。
「じゃ、じゃあ……この人だれ? さっき「ぐえ」って──」
首をぶんぶんと縦に振り続けているイリーナを横目に、
「…………学府長よ」
その瞬間リルは飛び退いた。まさしく飛び退いた。空に自身の身体を放物線を描いて床に着地、そのまま地面に足も膝も手も頭もつけて、
「すいませんでした学府長おぉおおぉ!」
そう渾身の叫びを発した。
街並みはきれいだ。
「いや、きれいだった……かな」
今はボロボロだ。
それでも生活をするために街はすぐ復興する。商売をしなければ生きられない人間は多くいるのだ、既にいくつかの露店は簡易な建物で品物を売りさばいている。
私たちはマリアの腰が砕けそうになったところで逃げて出てきた。
「昨日の今日ですが、おいしそうなものだらけですね。初日から遅刻してしまいましたから、街の観光は全然できませんでしたからね」
なぜかラインハルトもいた。
「傷がついたのは家の表面だけでよかったわ」
防衛力の賜物といったところだ。
私は街の様子をまじまじとこの目で見て、その被害の状況が浅かったことにホッと胸を撫で下ろしていると、目を少し離したすきに目の前から忽然と消えていたリルがこちらに手を振りつつ叫んでいた。
「ア~リスっ、何か食べようよ! っていうか案内してよ、この街のこと!」
「何言ってるんですか! 一国の王女様ですよ!? というか、いつの間にリルはアリスさまのこと呼び捨てにしてるんですか!」
「え~? ラインハルトだけずるいじゃん!」
超能動的なリルと、振り回されるばかりのイリーナ。二人は言い合いつつじゃれている。私はそんな二人に割って入り、
「まあまあ、案内してあげるから。それに、イリーナもアリスって呼んでいいのよ?」
と告げると、イリーナはその言葉に両手をブルブルと振って顔をそむけた。
「いえいえ滅相もないですよ! 私はアリスさまと呼びますから!」
「それより! 案内してってばあ~!」
リルは私の腕に抱きついて催促してくる。
「それじゃあ、私のとっておきの場所に連れてってあげるわ」
Twitter : @square_la




