4日目(1)
四日目
崖上。見下ろすは私の国の中心地。
「間に合わなかった……」
「あのリザードマンが千体以上もいるってことですよね、そんなのどうやって──」
私は自失する。今まで暮らしてきた故郷に火が上がっているのだ。もとより大陸最南端、被侵攻可能性の高さは天よりも高い。であるから防衛能力は随一のものだ。それにもかかわらず火が上がる。
「行きましょうアリス。ここで休んでいる暇なんてないでしょう?」
「……そうね」
望むは王城、どうにか火の手が上がっていない領域だ。おそらくは騎士隊のおかげもあって炎上することが防げているのだろう。
そんな光景を横目に道を進む。直線的に進めないこの状況が何とももどかしい。
空を見上げれば、遥か上空では三体の飛行種が旋回する。なかでも、大きさも色も異なる敵は王城の直上を優雅なまでに羽ばたいているのだ。その姿はこの場全てを把握して、強襲した全てのモンスターを統べるようだ。
しかし、敵の正体に気づいて対飛行種戦をそうそうに切り上げたのは良策だ。三体の敵からは未だに手を出してこない、もし奴らまでもがその脅威を現にすれば王城も一瞬で壊滅するかもしれない。
下った速度は過去最高速だった。
「アリス!」
ラインハルトの声。山から降りた私たちは門を潜り、街をぐるりと囲む城壁内へ立ち入る。ようやく街中へ到着した私たちは、扉に限らず壁や窓などから侵入するべく直接破壊を試みているリザードマンを目のあたりにした。
その光景はまさに侵略。私は奥歯が染みた。だから私は、
「……ええ」
と低く重たい声で反応した。
そして誰よりも早く、つま先に込めた最大限の力で石畳の地面を蹴った。こんな時なのにやけに身体が重く、一振が鈍い。
「っ──!」
リザードマンに対して発した一つの閃。地面に対して低く低く寝かせた姿勢で、左下から右上へと抜刀して斬った。
結果、リザードマンの首と血は飛ぶ。勢いよく噴出するそれは数秒の間だけ雨のように降って、レンガ造りで赤みのあった街の色を変えていく。
「これは辛いですね」
「そうだね、この数の敵には骨が折れ──」
「いえ…………これだけ木材に血が染みると、元に戻すには時間がかかるだろうなあ、と…………」
私は剣を振って過剰な粘液を振り落とすと、二人の端的な会話に納得した。
同時に、
──そんなこと思いもしなかった……。
敵を倒すことに全ての集中力を充てて今の瞬間を過ごした。それが別に間違いだとも思いはしないが、王女から国王へとなる私がそれに気づかずにどうするのだという思いは抱かざるを得ない。
三年も狭い範囲でしか行動してこなかった私に比べ、目の前にいる王子はどこへ行っても王子だった。
僅かにくやしさを覚えつつも、四人横並びになって通りに蔓延るリザードマンに対して閃きを与える。
計二十八体。街中を進む私たち四人は、それだけの数の敵を倒してさらに中心部へと進んでいく。
──騎士隊がここまで押し込まれて……。
そう思わせるほど人がいない。
「王城へ行くわ。詳しい状況を知らないと」
「見つけた」
王城へと上がる道。そこがリザードマンと騎士隊との競り合いの場となっていた。
「どうする? この王城地下通路とかあったりしないの?」
「残念だけど」
「そっか、じゃあ突っ切るしかないね」
リルは腕を巻くり、鼻を鳴らして発した強硬策の提案。
「そうね」
「え」
私は提案を快諾すると、あろう事か提案者本人に驚かれた。
「アリスって意外と頭の中、戦う事しか考えてないよね」
「嫌?」
「ふふっ。ぜ~んぜん」
鼻で笑われてしまった。
疲れの色で覆われる顔面に笑みを浮かべ、にししと企みを持った悪さを含ませて視線を合わせた。
「いくよ、ハリオン」
リルは、クロスさせて背負っていた双弓を手にする。そしてその弓を中心で十字に重ね合わせ二本の弦が一点で重なる一つの弓へと変形した。
「アリス。わかってると思うけど、少ししか稼げないからね」
「了解」
私は頷いて、リザードマンの群れへ一直線に向かっていく。その人を食らう傲慢さから、騎士隊に夢中で私の存在に一切気づかない敵へ近づくのは赤子の手をひねるよりも容易だ。
そして、いざリザードマンへ手が届くという瞬間。
「ブンッ」
後方から弓が抜いていったのは目に見えなかった。しかしただ私の髪を貫いて、耳元を通り過ぎたという間隔を辛うじて得た。
その瞬間。
「グウウゥウゥア!」
風穴。細く、針金で柔らかな物体を貫通させたかのように。だがそれは、緻密にリザードマンの頭を穿っている。
呻きだけは何と言っているか聞き取れる。
「っと……!」
そんなリザードマンの頭を踏み抜いて、私はリザードマンの上を超えていく。
──とっ……ど……け!
ぐにゃりと力を失って、まるで首が座っていない赤子のように不安定な頭部を飛び石的に渡り超えるリザードマンの海は、約二十五メートル。
「アリスさま!」
そんな声も聞こえてくる。空の旅はいささか緊張感の高いものだった。
「何故あなたがここに──、今は南方キャンプへ短期遠征に出ているのではないのですか!」
「今帰ってきたんですよ、向こうで敵がここへ向かっている事が確認出来ましたからね。少なくとも今は、二大隊ほどこちらに救援に向かってきています」
「……ッ! 助かった、流石にこの数は捌ききれ──」
「それより! お父さまは……無事ですか?」
「あ、ええ…………」
なにやら、語尾を濁すような、ハッキリとしない言い方だ。
──まさか、何かあって…………。
私は一気に表情を変えたらしい。それに反応して、ゲロルト騎士隊長は必死に腕を横に振って「いやいやいやいや」と否定してから、口篭り気味に言った。
「いや、……実は混乱に乗じて護衛の目をすり抜けてどこかへ消えてしまったみたいで──」
「なっ」
──こんな時にお父さまが自ら姿を消すなんて……。
「きっと何か理由があるとは思っています。ですがやはり…………」
騎士隊長は発しようとした言葉を喉奥で無理矢理に戻した。
「私が……」
私は上下の唇を互いに触れさせて、口をつぐむ。
しかし私だけがこの状況をひっくり返せるという欺瞞をもって発する。
「私が守る、全てを」
「この数ですよ!? アリスさまが昔からお強いということは百も承知です。ですが、いくら何でもこの数は多すぎ──」
「私はこの国の王になる」
私は僅かに首をかしげて微笑んだ。
「王になる前にこの国が滅んでどうするんですか」
その言葉で騎士隊長は、私と対照的に顔色をどんよりと曇らせた。呆れからか動揺からか、はたまた憂慮してくれているのかは分からないが、少なくとも私が無茶な事を言っていることに対してだとはわかる。
だが、どうやらそんな猶予は無いらしい。
「ギャアアァアァ!」
前方から悲鳴が昇り、周囲の視線を一点に集める。もちろん私も首を捻って、その声の原因をうかがう。
視界の中心。
「ガォオオォオオォッ!」
正体を認識したと同時に耳を劈く荒い猛り。その咆哮は確実に周囲の人間の戦意を喪失させる。
「また新手がッ……!」
飛行種のなかでも一体だけ異なっていた橙の躯体を持ち、それらを束ねていたと思われる最大の敵は、上空を旋回していた状況から抜けて地に足をつけた。
──やるしかない。
「ふぅ…………」
息を一つだけ深く吐く。
Twitter : @square_la




