3日目(4)
身体を緊張させ、身構える。どの角度から来ようと剣の閃を与えようと、剣先が地面につくほど下ろした構えで、魔獣が襲い来る瞬間を待ちわびた。
そして、私の視界の中で、あるリザードマンの足がいささか筋肉の張りを帯びたと感じた瞬間、陽の光は網膜へは一切届かなくなった。たった一メートルの魔獣が、地面からも、跳躍して空からも爪を立てて襲い、壁のような面的攻撃を仕掛けてきたのだ。
──っ…………これは、不味い!
瞬時に察した。
隣で私同様に剣を構えるラインハルトの表情を目視すれば、口を半ばに開け、動揺している様子は容易に見て取れた。
この表情を見れば分かる。
──私の背後も、敵が壁になってるいるのね。
つまり、もう既に、逃げ道は絶たれたのだ。
逆にここまでの時間、よくたった二人しかいない状況で戦い続けることが出来たと思うしかないのかもしれない。
私がそう絶望して、構えを僅かに上ずらせた時。
「ズシュッ…………ズシュズシュッ」
と、鈍い音を立てると同時、視界に鈍い色の緑を映してからリザードマンの数体が消えて光が射し込む。
その光景は時の流れが変化したようにスローだった。
リザードマンの充血した目。その眼球に映る私の顔。その目に刺さった見覚えのある矢。その矢に射抜かれたリザードマンはゆっくりと顔の形を変えて、スローな世界の中でも高速に飛ばされていく。
それは私たちにとって十分な穴となる。
「ラインハルト!」
「ッ──!」
私はもう感覚の乏しい手で剣をリザードマンに突き立て、手のひらで押して無理矢理に傷をおわせた。
と同時に、周囲の至る所で響き渡る剣戟の音。それは要請した応援の騎士隊がリザードマンと交戦した証拠。加えて、
「ズドオオォン」
という、こちらも聞き馴染みのある猛音が響き、地面をも揺らす衝撃は私の感覚器官を奮い立たせる。
「助けに来たよ、二人ともっ!」
「ま、間に合いましたか!?」
そこにリルとイリーナの明るい声が響いた。そちらを見れば、ニッコリと微笑んだ顔と、大粒の汗を垂らし、息をあげて苦しそうな顔のふたつがあった。
「ありがとう、リル、イリーナ。ちゃんと間に合って──」
私は疲れがどっと、一気に出たのかふらりとよろけてしまう。しかし、私とともに限界を迎えているはずのラインハルトに支えられ、倒れることは回避した。
「っ、ごめんなさい、ラインハルト」
「大丈夫ですよ」
ラインハルトも緊張の糸が切れた様な、ほっとした表情だ。まだリザードマンとの戦いは終わっていないとはいえ、援軍が駆けつけてくれたことは心強い。
ラインハルトは、私が足で地面を掴む補助をしてからイリーナの元へ近づき、ただ一言、
「ありがとう、イリーナ」
そう言葉をかけた。
私はイリーナに支えられ後方まで下がる。そこで戦場を俯瞰して見ると、今まで聞く暇もなかった、リザードマンの悲鳴が聞こえてきた。声量は小さいが、喉を音で切るような高音を発しているのだ。
また、気付けば、応援に来ていた騎士隊の人数は数え切れないほどになっている。おおよそで言えば百人前後。
それほどの兵力を持ってしても、騎士隊がリザードマンを滅するまでには、時間にして三十分も要してしまった。
思いのほか拮抗させられた結果に兵は精神を消耗させられ、地面に伏せるものも多くいる。その重々しい空気を突き破ったのは、
「ッああぁあぁ! なんなんだこのリザードマンの大群はァ!」
という、最後のリザードマンを打破した騎士隊長だった。
騎士隊長は答えを所望している様子だったので、私は軽くなった足取りで騎士隊長の元へ近づき、
「お久しぶりです、ルイン騎士隊長。飛行種です。墜落して死した飛行種から、湧き出てきたのです、そのリザードマンが」
そう答えた。すると騎士隊長は私の声を覚えていたのか、私が声をかけるや否や振り向き、
「アリスさま!」
そう発して、片膝をつき頭を下げた格好をする。
──これも久々に見たわね。
「ル、ルイン、頭を上げて?」
そう言っても聞くことは無く、むしろ疲労で横たえていた騎士までもが、私を向いて、ルイン同様の忠誠の格好を取った。
「みんな疲れてるんだから、そんなことは止めて!」
そう発した私の言葉に、ルインはゆっくりと立ち上がったが、それよりも気になるのは、
「うわっ、すごい……ほんとに王女さまっぽい……」
「ですね……こんな人と小隊を組んでるなんて信じられません……」
そんな、驚きを超えて、一歩引いた声を発したリルとイリーナの方だ。
ルインは既に軽く憔悴した私に、本題を投げかける。
「しかし、ひ……飛行種から湧いて出てきたというのは一体……?」
「ええ。隊列を組んで飛行していた魔獣がいたので撃ち落としてもらったんです。その飛行種は落下した衝撃で命を絶ったみたいだったんですが、その死体からわらわらと──」
返答しようとした私の言葉をかっさらっていったのは、まさに話の根幹でもあった飛行種に乗って、
「でっか~い!」
と発したリル。そして、リルが両手で掲げて示したもの。
「本当に大きい魔石ですね! こんなのを体内に持っている魔獣がいるだなんて……」
「騎士隊長さん! これ、もらってっちゃダメですか?」
「ん? ああ。いいだろう。そもそもそこにいる魔獣…………それが飛竜種か? それを退治したのはお前達なんだから──」
「それよ!」
──なんで、なんで私は大事なことを忘れてたの……!
「ラインハルト! リル、イリーナ! 今すぐリューズベルクに戻らないと!」
「リューズベルク?」
「飛行種は……あの飛行種はやっぱりリューズベルクに行ったのよ! 対空設備を無効化するため──いえ、対空設備による攻撃を受けて飛行種が死んだとしても、死体から百体を超える魔獣を生み出すことでリューズベルクを陥落させるために!」
「な──あの飛行種、まだ相当の数で隊列を──」
「十一はいるよ! 元々十二体の隊列だったんだから!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ君たち! 何の話をして──」
「こっちで何か巨なる魔獣が動いていたのは、リューズベルク国の要である王城を攻め落とすための陽動…………いまここで私たちが戦ったリザードマン千体以上がリューズベルクに向かっている、私はそう言ったんです」
「何を言ってるんだ……そんな魔獣がいるわけ──」
「私は! ……私はこの目で見ましたよ!」
イリーナの訴え。
「この目で…………、リルが墜落させた飛行種の体からリザードマンが突き破って出てきて、飛行種の体を貪り食べる光景を……!」
「うそ……だろ?」
「いまここには何部隊が?」
「あ、えぇ……あそこのキャンプは大きいからな、騒ぎを見て駆けつけて来たのは二大隊くらいか?」
「二大隊……百人、越えてますよね?」
騎士隊長は無言で、小刻みに揺れながら頷く。ガクガクと緊張で首は震えてしまっているのだ。
「百体以上のリザードマン相手に二大隊も掛けてるの!? こっちに戦力割かれてるから、王城にそんなに戦力残ってないんじゃないの!?」
「そうだよ、リル。だから、これから王城は大変なことになる」
「戻ろうアリス、モタモタしてる時間はない」
「ええ。早く戻らないと、リューズベルクは国ごと滅びるわ」
私は再び騎士隊長と正対して、
「騎士隊長、ここの戦力も今すぐ王城に向かわせてください。それと、他のキャンプにも連絡してできるだけ多くの隊を。最小限の人員だけ残して」
「ッ……ああ! 今すぐに向かわせる!」
私はラインハルト、リル、イリーナそれぞれとアイコンタクトを取ってから駆け出した。
私は腰に下げた剣を握る。
元々準備もなくここまで来たのだ、何かを持って帰る必要も無い。この剣だけ持っていれば。
学府からキャンプ地までは十時間の道のり。それでも休みもろくに取らず、ついた頃には足がガクガクと震えるほど急いで来た。
だが、キャンプ地から王城までの道のりでかかった時間は二時間短縮して八時間。足元の悪い道を走って帰ってきたのだ。
息が上がるという次元では収まらない苦しさに苛まれているのは必然だ。
しかし、それはひとつの光景で簡単に吹き飛ぶ。
「王城が……」
「ッ…………これは──」
夜十二時。
日はどっぷりと空という海に浸かり、完全に溺れてしまった頃。
普段ならば暗がりに包まれて眠っている街は、現在、その様相を百八十度転換させ、橙の炎と黒の煙がもうもうと上り立つ世界を生み出していた。
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