3日目(2)
──う、上?
私自身が斬ったテントの天井から、私に対して高速に飛び掛かってくる生き物の赤い目と目が合う。右前足を大きく後ろへ引き込んでいるループスだ。このループスがその腕を私に当て、爪で掻っ切ろうとする瞬間など容易に想像できてしまう。とっさに剣をループスの口から引き抜こうとするが、
「抜け……ない!」
──この距離じゃラインハルトの助けも期待できない!
私は舌打ちした。そして選択肢を作る。
・二本目の剣を取る。
・剣から手を離し、距離を取る。
・ループスの下に潜り込み、剣で攻撃を防ぐ。
──三つ目だ!
私には二本の剣を操る自信も、況してやこの状況下で剣を手放して、縦横無尽に、高速に動き回るループスから逃げきれる自信もない。
脳内で選択肢を選ぶ。飛び掛かるループスから逃げるべく、いや攻撃をするべく、膝を崩して巨なる体を持つループスの顎の下へもぐりこむ。
そして、頭上で水平に構えたような防御の姿勢へと持ち込んだ。
「っ……ああ!」
そのまま力尽くでループスの頭を突き上げた。
──空中で勢いは変えられないでしょ!
そんな思いをもって。
目論見通り、飛び掛かってきたループスの爪は勢いを殺すこと叶わず、剣を噛むループスの頭へと直撃する。その瞬間、
「キャンッ!」
という比較的かわいらしい声がして、私の頭上のループスは簡単に剣を離した。一方もう一体のループスは地面をゴロゴロと転がり、ランタンの炎が燃え広がった資材の中を通過してラインハルトの足元へ滑り込んだ。
「消えるんだ、ループス」
ラインハルトは、漆黒の体毛が燃えて熱に苦しむループスに対し一つ剣線を閃かせ、首をはねて飛ばした。
それにつられ私も残るループスに剣を向ける。
爪による攻撃を受けて、目から口の端まで一筋に大きな切創を作り上げたループスは、どくどくと緑色の血液を垂れ流している。そしてその傷でこれ以上戦闘状態を継続することは不可能だと判断したのだろう、頭の向きを百八十度回転させて、今にも背中を向けて逃げ出そうとする。
「逃がさない!」
──今逃がせば、また誰かが襲われる!
私は低い姿勢で身体をひねる。前のめりになって、右手で握った剣を左半身の向こう側に置く無理やりな体勢。
「っ!」
引き延ばした右肩の反動である筋収縮を使って、瞬きをするよりも高速な一撃をループスの背中に叩き込んだ。
尻尾は断たれ、臀部から背中に対して致命傷となることは間違いない、「バックリ」という擬音が最適な傷を与えて、即座に絶命させた。
「ふう…………はあ…………。──っ……焦った」
心から漏れた。
「そうだ、リル、イリーナ! 大丈夫!?」
私は思い出したように声を上げて、二人の安否を確認する。すると、ラインハルトの背後からひょっこりと顔を出し、
「もっちろん大丈夫だよ! アリスが守ってくれたもんねっ!」
「は、はい! あ、それとラインハルトさんも」
と、元気な声を聴かせてくれた。
「僕は何もしてませんよ」
そうラインハルトは謙遜する。
私たちはこの騒動で完全に目が覚め、目的である魔石集めのためにキャンプを発った。
魔石集めは意外に地味だ。
魔獣を狩っては、身体の中心に存在する魔石を取る。ただその工程の繰り返し。
時折、狩猟対象をゴブリンやワイルドボアからオークなどの上位種へ変更すると、戦闘の緊張度が一段階も二段階も上がり、パーティーとしての成長には大きく寄与してくれる。しかし、魔獣の種によって異なる魔石の位置を探るために、身体を掻っ割かなくてはいけないから、新たな敵と接敵し、討伐するたびにスプラッターなシーンをこの手で作り上げなくてはならず、それが唯一の気重な点だった。
結局目がさえて朝早くにキャンプを発ってから、お昼を回って数時間が経った。しかしまだまだ日は高い位置に陣取っている。
私たちは森の中。地面はぬかるみ、蔦が絡んで日は暗い世界だ。魔獣が奇襲をするには最適な地形。その中で一つのエリアだけ眩しい日が射し込んでいた。
「何でしょうか、あの隊列」
「隊列?」
イリーナは空を見上げて言った。その視線の流れをおって、私も空を見上げる。
「あれは…………飛行、種?」
「アリス。遠近感狂っていますが、相当大きい気がしますよ、あの飛行種」
はるか上空、大きさにして一センチほどにしか見えない何かが飛んでいる。だがそれは明らかに雲よりも高い位置を飛ぶなにかだ。そして、その集団の先頭個体だけ色が異なる。
「よく気づいたねイリーナ! あんなちっちゃいのに!」
「あ、うん。南の村に住んでると、勝手に魔力に身体が反応しちゃうんです。それがいいのか悪いのかは分からないですけど……」
「待ってリル、イリーナ。それより不味いですよ、あの方角は」
──方角?
私は時刻と太陽の位置を確認する。
──もう夕方。太陽は……あっちにあるんだから、飛行種が飛ぶ先は…………。
「北だ」
「ええ。正確に王城の方を向いていますよ」
──なんで、大型の飛行種がリューズベルクに? 今は沿岸に動きが見られたって。
「リル、今すぐあの飛行種撃ち落として!」
「え、え? 撃ち落とすの!? あの高さの飛行種を!?」
「早く! ラインハルトとイリーナは私と一緒に来て!」
私は急激に足を巻く速度を加速させた。獣道すらない森の中を、草を踏み、根を踏み、掠れた葉音を発する木々の隙間から飛行種の様子を確認しつつ進んでいく。
「どうしたの、アリス!」
私はイリーナの疑問に、背後にちらりと視線を送って言葉を返す。
「多分、沿岸部の魔獣侵攻は陽動。いや、もちろん本隊の可能性もあるけど、それでも何か別作戦が裏で動いてるのは間違いない!」
「それがあの飛行種なんですか?」
「飛行種くらいいつだって飛んでくることくらいあるでしょう?」
「私はここ最近リューズベルクに篭ってたから分かるの。直近三年は、飛行種なんて一匹すら来なかった!」
「一匹も!?」
私は昔を思い出して告げる。
「五年くらい前、魔獣が空撃の効果を知って、リューズベルクの街を攻撃してきたことがあったの。当然街は相当の被害を受けた、だって、空を飛んだまま石ころひとつ落としただけでも相当の被害が出るんだもの」
「だから、軍部は対空設備をかなり増強した。物理弾も魔法弾も。水晶のテストやったでしょ? あんな風に魔力を変換してね。その設備のおかげで、降ってくるものと言えば攻撃して墜落してきた魔獣の身体くらいになった。だから、魔獣は効果の低下からそもそも攻撃なんてしてこなくなった」
「それなのに、今になってリューズベルクに向かうのはおかしい……って?」
「そうよ」
「え……でも、魔獣がそんなに頭を捻った作戦を──」
「バカにしたらダメ、イリーナ。無知と頭が悪いのは別物だからね」
──リル、早く……! 逃げられたらリューズベルクはただじゃ済まない。
私は足を止めた。葉が開けて夕日が地面を照らしている地点で、手で目元に影を作ってから空を見る。
──来た!
リルが持つ双弓ハリオンから放たれた矢は一線に、重力に逆らって昇っていく。魔法も一切含まない、物理的な矢だ。しかし、相当高度を取って飛空する飛行種に対しては、十分な攻撃能力を持ったまま到達する。
それは、十数体で隊列を組む最後尾の一体のみに直撃した。
「おお!」「すごいよリル」「…………」
裏を返せば最後尾の一体にしか直撃を与えられなかった。攻撃を免れた他の飛行種は目もくれず、リューズベルクの要ともいうべき王城がある方角へと飛行を続ける。
一方、攻撃を受けた飛行種は反時計回りにくるくると回転しながら、風に翼を打ちつけようともせずに落下してくる。その様子を見て、
「行こうアリス。敵の正体をこの目で見ないと」
「あれほど大きな体をもつ魔獣なら、きっと魔石も大きくて、グレードも高いかもしれません!」
ラインハルトは冷静に、イリーナはふんすふんすと興奮気味に言った。その様子を見て、目は鋭くとも頬を吊り上げてにこやかな表情を浮かべると、
「…………そうだね。行こうか」
と、提案を了承した。
──街の対空装備は現役。そもそも街には防衛には十分な部隊がいるはず。
きっと大丈夫だろうと自身に言い聞かせて、再び走り出す。
Twitter : @square_la




