戴冠式の日
御都合主義選択論
どうやら私には胎内記憶というものがあるらしい。産まれる前やお腹にいた時の記憶のことを言うが、私はその時のことを仔細に覚えている。
私がまだお母さまのお腹に宿る前のこと。
灰色が占拠する空間の中で、何者かが、まだ身体もなくぼんやりとした意識の私に三組の家族を示し、どの家庭に生まれるかを選ばせた。それらの家庭はどれも悲惨。天上から見下ろすようにして眺めた選択肢はこうだ。
・アクロイド家
・サンドフォード家
・ナイトリー家
名前だけ見れば耳心地の良いものだが、実情は全く違う。安酒におぼれ、暴力に走る男。しかしその男に陶酔する女の依存性夫婦。子供に投資するだけの巨なる金を手にしたから一人目の子供を壊してしまった富裕家庭。逆に、金がないから買われ、ぞんざいで未来のない奴隷。
私はその三組のどれをも拒んだ。そして、無意識のうちに一つ選択肢を加えたのだ。
◎リューズベルク国王家──
私は迷うことなくその家庭──もとい、国王家を選んだ。
王女──アリス・リューズベルクとして誕生してから十五年を経過してから初めて迎えた春。
「ん…………っぅう…………!」
私は昼花火に起こされて、ベッドの中で背伸びをした。しかし、布団から出た腕と鼻先に冷気が触れ、思わず身体をぶるぶるっと二度ほど震わせてから、再び毛布を頭のてっぺんまでかぶり直す。顔に触れるウールがとても柔らかく心地がいいのだ。
しかし、意地で自らその布団から抜け出した。
「ふう……」
一つだけ息を深くして肺に空気を満たしてから、時計を凝視して時刻と日付を確認する。
「ようやく…………やっとだ、待ちに待ったこの日がきた」
緊張から無意識に生唾をのんで、喉を「キュッ」と鳴らした。口端は自然とほころぶほど待ちわびた日だ。
今日は四月一日。現在、朝六時を一分ちょっと過ぎた頃。
そして今日は、私の王位継承の日でもある。
お父さまの背中を追い続けてきた私にとってその座位はとてつもなく神々しく、手を伸ばすに伸ばせないものだった。その座位にようやく私が辿り着くことができたのだから。
だから今日は特別早く起きた。というより起こされた。残念ながらこの時期は五穀豊穣を願う祈年祭に当たる、春祭りと重なって忙しいということもあって、形式ばった事務的な点は済ませてしまい、あとあと国民へのお披露目を行う算段らしい。
なので、私はこの時刻に起こされた。眠くてしかたないと愚痴をこぼしたい。
私は、ドレスへ着替える前に顔を洗う。冷たい水に「ひゃう」っと声を上げて、身震いをした。その五秒後。スタスタと、毛足の長いカーペットに足音を吸われた一人の人物がこちらへと近づいてくる気配がする。そして、ノックがされ扉が開くと、
「おはようございます、アリス王女。お早いですね、まだ寝ていると思って駆けつけたのですが……」
そう声がかかった。その声の主は、黒く裾の長いヴィクトリアンメイド服を身にまとった長髪の女性。
「相変わらずオリヴィアは心配性なんだから。今日くらいは私もしっかり自力で起きるわ」
いつもはお父さまについて回って戦場にいることも多いが、そうでないときは基本ここで目を覚ます。だから、規則にうるさいオリヴィアとの熾烈な争いを繰り広げなくてはならないのだ。今日も悠々と寝ていたら、「案の定、か」などと思われてしまう。
「それはよかったです。今日は戴冠式ですから、それ相応の準備をしないと、人前には出られませんからね」
「人前って言ってもお父さまがいる程度では?」
「あの人が娘の晴れ舞台でそんなことするわけないじゃないですか」
──……。
「そのために私たちも念入りに準備をしておりましたからご安心ください。早速食事とドレスを運ばせていただきますね」
そう言ってから、複数人で配膳車やらドレスのかかったラックを運び入れる。
私は先に準備の済んだ食事をはじめていると、オリヴィアが訪ねてくる。
「アリス様、本日の衣装はいかがしますか? 数着用意させていただきましたが、準備のために少々お時間を取りますゆえ──」
そう言われたので、私は遠くから色味とデザインを見てそれらを吟味する。
そこには、普段防具ばかりを吟味している私には難しいものがずらりと並んで、頭の中を困惑させる。
・つゆ草色、淡みどり色のAラインドレス
・深紅に白の花が咲いたスレンダードレス
・濃青のアンピールドレス
私は悩んだ。どれも豪華絢爛で煌びやかな印象を植え付けられ、人前で身につけるには気が引ける。
だから、私はここでも『選択肢を増やす力』を使い自分が理想とするドレスを求める。
◎純白かつフリルの少ない、春らしく桃色の花がしとやかにあしらわれているロングドレス
注文が多いと言われそうだが、私は頭の中で、追加した選択肢を選んでから、オリヴィアに口でその旨を告げる。すると決まって言われる、
「それは、厳しいかも知れません」
しかしこの『力』は、現実に不可能なことは選択肢に現れず、追加することも出来ないというのが絶対条件だ。もし私が戴冠式や春祭に似つかわしくない、ビビッドカラーで肩丸出しという奇抜な服を選んでいればそれは不可能かもしれない。だが、私が求めるものがあるとすれば選択肢に追加されるのだから、間違いはない。
──この反応も、もう慣れた。
オリヴィアに関しては物心ついた頃から認識しているメイドの一人であるから、大事な場面を除いて、あえてこの『力』を使用しないようにしてきた。バレでもしたら大惨事だ。それもあってかこの『力』を使って、まるで予知のような事象を見せると呆けてしまい、内心焦る。
「大丈夫ですよオリヴィア。ドレスメーカーのクラリスなら、きっと私の気持ちを汲んで用意してくれているはずです」
「…………かしこまりました」
──その間はなに。
やはり勘が鋭いのか。
私はこの『力』に『神託』と名付けた。これはもはや神の領域であり、神からの私に対して授けられた力なのだ意味を込めてつけたのだ。
食事は、ドライフルーツの優しい甘みのあるバンとよばれる丸パンとインゲンマメを甘辛いソースで調理したベイクドビーンズ、そして緑の鮮やかなアスパラガスのスープだ。それは至っていつも通りの朝食ではあるが、この起きたばかりの朝早い時間では入るものも入らない。しかし、
──式典中にお腹がなって欲しくないなあ。
としきりに気にかかり、無理矢理にでもお腹を満たした。今も自身の剣術を高めるべく昼間は修行に勤しんでいるが、それは一人。師匠の元で剣術を学んでいた三年前を思えば、食べる量はほんのわずかで、よくその時はあれほど食べていたと感心するほど。
数分後に戻ってきたオリヴィアは、一着のドレスを抱えていた。
「お持ちしました」
「ありがとう、オリヴィア。あったでしょう?」
「ええ、ありました。秘蔵の逸品だって言っていましたよ?」
──なんだろう、ドレスなのに秘蔵の逸品て。
私は彼女の言葉に気がかかりながらも、簡単にお礼を告げ、着付けへと向かう。それほど堅苦しいものでは無いから着付けをしてもらう必要も無いのだが、いつも仕事だからの一点張りなので諦めた。
「それにしても、よくクラリスがこのドレスを作ったと分かりましたね」
「彼女はいつも季節柄に合わせたものを作ってくれますからね。私の趣向も昔から変わってないですし。オリヴィアもよく分かってるでしょう?」
「付き合いは長いですから」
──やっぱり探ってきた。
と、オリヴィアの追求をひらりとかわして──かわせているのかは定かでないが──ドレスを身にまとった。
クラリスが作ったドレスは、淡い桃色の花びらが右肩口から天の川のように広がるドレスだ。強い色を好まないわたしの好みの真ん中を射抜いていて、自然と気持ちは高ぶる。そんな高揚感を打ち消したのは、一定のトーンから変わらないオリヴィアの声だ。
「それでは参りましょうか、国王も首を長くしておられることでしょう」
***
コツコツと音を立てて、大理石の廊下を歩いていく。とはいえ、もう既にここは廊下には見えないほどの広さを持つ。軍隊一つを軽々と並べられるほどだ。室内にも関わらず、柱頭に細密で煌びやかな装飾が施されたコリント式の石柱が並び、その奥に真紅の扉がひとつ、大きく威圧しながら存在する。
当然私が目指すのはその扉だ。
私はひとつの緊張もなく扉を開けた。
扉の奥はまたさらに広い。王城街にある民家ならば二つは丸々入るだろうほどのひろさと高さを持つ王の間。その半ばから五ステップの階段があり、奥が一段高くなっている。そこに置かれた王座。
「おはようアリス、朝早くから悪いな。ここ数日は忙しくて、この時間しか予定があかなかったんだ」
その王座に座るお父さま。
お父さまは忙しいのか体調悪そうに「ゴホゴホッ」と空がった咳を何度も混ぜながら、私に対して言葉を投げた。
王の間には、お父さま以外にも十名以上の名前も知らない人がずらりと並んでいる。誰もかれもが着飾って、やはり春祭りの招待客といったところだろか。
そんな彼らの視線が気になりつつ、私は返答する。
「気にしないでください。戦い以外で忙しいのはいいことですからね」
「ありがとうアリス、恩に着るよ。それではさっそく本題に入ろうか」
そうお父さまが声にした瞬間、「おお」とざわめくような歓声が上がり、それらの声はどよめき程度のものではあったが、
「俺達もこのときを待ちわびていた!」
「見目麗しい女王による新たな時代の始まりだ……!」
というものが私の耳には内容がはっきりと聞こえてきた。
その中で、喉を気にするように摩るお父さまを見て私だけは渋面を浮かべるが、その顔に気付いたのか、平然を装って柔和な笑みを浮かべたお父さまを見て、私も人前だということを思い出し、最大限のよそ行きの笑顔を浮かべておく。しかし、
「そう、皆が期待している通り、王位継承についての話だ」
との言葉で、私がなぜここにいるのかを思い出して自然と顔が明るんだ。そんな私を見て縦に数度首を振るお父さまは声を発する。
「ややこしいものは放っておいて、サクッと結論から述べようか」
──結論?
そう発した瞬間不穏な空気を感じ取ったその場の人間の顔色が変わった。
お父さまは体勢を変え、威圧するように肘掛けにずっしりと体重をかける。思い上がる気持ちを、力づくでひねり潰すような重さに襲われているのだ。
そして、眉間にシワを寄せて一言告げられる。
「今のお前に、この王位は継がせない」
「っ──!?」
ふいに喉から音が漏れた。そして、数秒の空白の後に疑問を呈する。
「な、なんで…………」
そして無意識のうちに形にしていた、疑問を呈する三文字の言葉。
「お父さま、理由を──」
しかし、その言葉を遮る怒鳴り声。
「どういうことですか国王!」
「そんな言葉を聞きに来たわけではないぞ!」
「そうだ、既に話は進んで──」
そうお父さまに向かうヤジを一蹴したのは、彼自身が「ドンッ」と地面に突きたてた剣の音だった。
金色に輝く剣と、それを包むレリーフが施された鞘。それはお父さまが愛用し続ける剣だ。どの戦線に行くにも、どの敵と戦うにも、十あれば十で持ちだすほど間違いなく彼の相棒ともいうべき代物。
私は咄嗟に選択肢を確認した。
・王位継承権破棄
──い、一択!?
代々、満十五歳を迎えた王位継承権一位の人間は、次の年度の四月一日、その王位を継ぐというのが慣例だった。だから私は、この日を待ちわびていた。その理由があるから。
そのため私は、やはり選択肢をひとつ増やすべく神託を使役した。
◎王位継承権使役
しかし。
──っ…………ぐ……、やっぱりダメだ。お父さまの『神威』が…………。
『神威』。これも私が勝手に名前をつけただけに過ぎない。しかし厄介で、私を苦しめることになっているものだ。私に神託を使わせないお父さまの意思。神託を知ってか知らずか、お父さまの命令の中には、この力を使役できないものがあるのだ。
「話を続けよう」
お父さまは一言に凄みを含める。それでも未だに止まない「ゴホゴホッ」という咳払い。
彼は一旦ドリンクピッチャーから直接水を飲み、言葉を述べる。
「理由は簡単だ。アリス、お前はまだこの地位につくだけの技量はない、ただそれだけのことさ。この国の王として存在する限り、海の向こうから攻めてくる敵からの防衛は絶対に必要なことだ、王国民を守るためにな。だがお前はそこまでには達していな──」
「な、なんで! お父さまが私の歳で国王になった時、おじいさまの助けをかりつつ国政を行っていたじゃないですか!」
「そうだな。だが、お前はその域には達せない」
言葉尻をかっさらうまでに焦って吐いた私の言葉をするりとかわし、何ら変わらない様子を見せるお父さま。
「今のお前は他人よりは強く、俺よりは弱い。そして、今のお前ではこれからも国民を救えるだけの力を持つことはできない」
「そんなことは無い! お父さまの指導で──」
「たとえ俺がいたとしても、だ!」
もう一度剣を強く叩きつけて、言葉を荒げた。
「だから、王位を継ぐために、俺がお前に…………アリス・リューズベルクにある任務を課すことにした」
私は生唾を飲み、喉を鳴らしてから、文頭の言葉をつまらせつつ、
「に……、任務とは何でしょうか?」
「ああ」
一度かたく口を結んでから、大きく息を吸って。
「一週間で、第一王立学府を卒業しろ」
私でもその名前は聞いたことがある。大陸が、この国が誇る、魔獣対抗に重きを置いた学府。
「あそこを卒業することができれば、お前の力を認めて、王位継承をさせてやる」
「──一週間……」
「第一王立学府は実力主義の学府だ、お前が強ければ何の問題もないんだ。それとも、俺の姿を見てきたにもよらず、甘い考えでただこの地位に立てるとでも思っていた訳では無いだろうな?」
私が王位につきたかった理由は至極簡単で単純なものだ。
──王の持つ権限で、ある人を救い、世界の闘争を私の代で終わらせる。
そのために、私は強くなった自信がある。
一人で強くなり続けてきたという自負がある。
──それなのに……ここで夢が潰える?
そんなこと絶対嫌だ。
「……わかりました」
──だったら卒業してやる。
「絶対に──」
今度は私が険しい顔を浮かべて、しかし、お父さまに固い意志を見せるように口角を上げてから、
「絶対に七日間で卒業して見せます」
私の言葉にお父さまは、軽く咳払いしてから、
「行ってこい。短くて長い七日間、俺はここで待っているよ」
と、満足げに言って二度大きく頷いた。
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