新しい名前
今回の話は、2人の牢獄での交流がメインです。刺客として活動していた主人公には名前がありません。そこで、黒川くんが名付け親となります。
どんな名前かはお楽しみに。
あれから一日三回くらいの頻度で、黒川くんは私が捕まっている牢へとやってきた。今ついている役職やこの国について、私の持つ情報と引き換えに話せる範囲でいろいろ教えてもらった。
黒川くん曰く、今の王様はとても優秀ないい人らしい。この人になってから、国の経済や政治など多方面において安定したそうだ。城勤めの人に対しては、ちゃんと仕事をしていれば昇格もあり、人を見る目があるらしく、黒川くんもその優秀さが認められて近々昇進するそうだ。彼自身は、今世では貴族という恵まれた親の元に生を受け、学生生活を終えたと同時にエリートコースのレールに乗って、今はこの牢獄のトップを担っている。だからといって、まさかあんな仕事もやらされるとは思わなかったらしく、いろいろ悩んでいるそう。
「それなりに偉い人なのに、私の所にいりびたって大丈夫なの?」
ベッドと机、それに椅子しかない無機質な部屋の中はいささか今の彼には合わない。自分も牢の中に入って私とならんでベッドに腰掛ける牢獄のお偉いさんの様子を見る。だって、明らかに来すぎじゃない。そろそろ怪しまれる気がする。
「その件でしたらご心配なく!今の仕事のメインは牢の見回りと拷問くらいですから。そもそも、治安が安定しているので連れてこられる罪人はせいぜい罰金が払えない詐欺と泥棒、時々殺人犯くらいです。彼らにはかせるべき情報ってあります?ないですよね。」
「確かに。」
犯罪者に聞くべきことといえば、動機くらいだし、大体の人はお金のためと答えるだろう。殺人を犯した人であれば、殺した人が憎かったから、と言う理由が出てくるだろう。もしくは私のように刺客として送られてくるか。その場合はその犯人を影から操っていた黒幕を聞き出す必要があるが、国に関わるようなものではない限り、そこまで精力的に取り調べる必要はないだろう。
「なので、時々いらっしゃって捕まってしまう、先輩のような刺客を相手にするしか仕事はないんです。」
眼を細めながら私を見て、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「さりげなく、けなしたよね?」
「さて、何のことでしょうか。あ、このマカロン、とってもおいしいですよ!はい、あーん。」
目の前に差し出されて、無理矢理口に詰め込まれたマカロンは私の好きな抹茶味だった。とても悔しいけれど、美味しいものには勝てないのが人の性ってものでしょう。
「美味しい!」
黒川くんの言ったとおり、とっても美味しかった。
さりげなく話をそらされたけれど。
「こういうことは婚約者とか彼女にしてあげるべきでしょ。いるんでしょ、彼女の一人や二人。」
次から次へと口に運び込まれるお菓子たちを食べながら、人を馬鹿にしてきた愛すべき後輩の頬をつつく。ぷにぷにしていて、とても柔らかい。
「いませんよ。今はせっかく乗った、この出世街道の道を安定させることが最優先事項ですから。それに、婚約者なんてものがいたら、先輩とこうしてお菓子を食べながらお話しする時間が減ってしまいますよ。それはちょっと、いやかなり寂しいです。」
私にお菓子を餌付けしながら、小さく笑った。
「うれしいことをいってくれるじゃない。今の私を煽ててもあの頃みたいにポケットからはお菓子は出てこないわよ?見ての通り、無一文の囚人だからね。」
「笑えないほど事実に準じたジョークですね。」
確かに全く笑えないジョークだけれど、本当のことなのでしょうがない。
「でも、今度は黒川くんが奢ってくれるんでしょう?前世でいくらくらい貴方に使ったか、思い出しておかないと。」
「まさか、その分を今世で僕から取るんですか。ひどい先輩もいたものですね。」
彼は声を上げながら破顔した。前世のころからどれくらい経ったかは分からないけれど、こうして話せばすぐにあの頃のように戻れることがうれしかった。何より、この世界に転生してからひとときも休まる日がなかったのだから当然のように思えるけれど。
「そういえば、今生での名前を伺ってもよろしいでしょうか?もしもの時のために、一応聞いておきたいんです。」
「名前ね。個体識別番号、っていうのはあったけれど名前らしいものはなかったかな。ちょうど1000番だったからみんなにセンちゃんって呼ばれていたけれど。」
名前らしい名前がなかった。
刺客養成施設を卒業すると個体識別番号が与えられ、それぞれ任務に就く。ちなみにこの番号=刺客となった人数である。そのため、私は1000人目の刺客だった。きちんと番号付けされ始めたのが数年前だったから、きっともっといるのだろうけど。
「ならば、僕が僭越ながら、先輩の名付け親になってもいいですか?」
名付け親。
なんて恵まれているんだろう。
「黒川くんが名付け親?」
「はい。先輩にぴったりのお名前があるんです。もちろん、この国になじむ可愛らしい名前ですよ。」
黒川くんはにこにこと笑いながら、楽しそうに言葉を弾ませた。
「それじゃあ、名付けてちょうだい?」
私の言葉を聞くと、満面の笑みを浮かべてうなづいた。黒川くんは指をパチンと鳴らすと、一輪の赤い花が現れた。
「幸運の花言葉を持つガーベラ、僕と貴方の再会の奇跡を祝してその名を贈らせていただきたいです。お気に召しましたか?」
そう言いながら、一輪のガーベラを私に差し出す。
「幸運なんてなんか歯がゆいけれど、とってもいい名前だと思う!ありがとう、黒川くん。」
「いいえ、礼には及びません。気に入っていただけて何よりです。」
ガーベラ。幸運の花言葉を持つその花は一輪でもこの薄暗い牢を明るくさせる。花の魔法はとても不思議なものだ。
黒川くんは意外とロマンチストなのかもしれない、それはそれで彼の魅力となりうるだろう。
「それにしても黒川くんって花言葉を知ってるほどにロマンチストだった?ちょっと意外。」
「そうですか?この世界で先輩に出会うまでは花を愛でることが僕の趣味でしたから。もちろん、今も欠かさず水やりや手入れをしていますよ。」
それから屋敷の庭園で育てている花の名前を次々と挙げていった。黒川くんは薔薇をはじめとして、林檎などの果物もある。と嬉々として話してくれた。
ようやくご自慢の庭園トークが終わり、一息つく。
「それじゃあ、名付け親様のお名前を伺っても?」
「はい、もちろんです!」
深呼吸をして、私の座るベッドの目の前で膝をつく。その姿はこの世界で貴族として生活してきたことを意識せざるを得ないものだった。
「侯爵家跡取り、ヨハン・アルブレヒトと申します。敬愛なるガーベラ様のために今世も貴方の手足となり、精一杯仕えさせていただきます。」
手をとって黒川くん―――もといヨハンは恥ずかしげもなくその甲に口づけを落とす。ちょっと待って、何で手の甲にキスしているの、この子は!
私は唇をわなわなと震わせながら、拳を握る。怒りではない、どこからか湧き上がってくる羞恥で顔が上気しているのが自分でも分かる。前世でもそれなりの経験はした。この子とはそういう関係になってはいないし、そういう目で見たことはなかった。感覚としては実家の猫をかわいがるように接していた。これはただのいたずら。そう、ただの冗談よね。私が変に感じ取っただけだ、そうだね。脳内で複数人の自分が討論を重ねて、結論を出した。
「冗談もほどほどにしないといけないって先輩は思っているよ。」
「そんな虚勢を張らなくても大丈夫ですよ、ガーベラさん?顔が真っ赤ですよ。」
彼は前世よりもタチが悪いかもしれない。
「ガーベラ」という名前になりました。
物語を書くとき、どうしても名前とタイトルをつけることが後回しになってしまいますが、この子の場合は早めに決まっていました。
次の話はすぐ投稿できると思います。読んでいただきありがとうございました。