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あくたう

作者: 乃村千
掲載日:2017/06/20

 僕は『あくたう』である。俗に言う嫌われ者である。蜚蠊ごきぶりと大して価値も変わらない、無用な生き物である。


 如何いかなる生き物でさえも毎日呼吸をしてのびのびと生きている。しかし、僕のような『あくたう』にはその権利さえ与えられないのである。これは僕が自覚したことではなく、僕の周りの人間の共通意識に基づくものである。


 だからと言って僕はいじめを受けているわけではない。ただ、僕の存在が不快なようなだけである。それだけであって、迫害されるようなことはない。


 僕が笑えば不快な顔をするし、僕が悲しめばそれに興味をも示さない。それが僕の周りの人間である。決して手を出すような人々ではない。


 ではなぜ僕のような『あくたう』はそういった善良な市民に対して不快感を与えてしまうのだろうか。それについて、僕は深く思慮したことはない。目の前の憂鬱ゆううつたる憂鬱ゆううつが、垣間見られるような気がしたからである。『軽蔑』と言う名の壊せぬ壁が、ふと浮かび上がって来たからである。


 では軽蔑される人間が『あくたう』と呼ばれるのかと問われれば、そうではない。一般に軽蔑される人間の中にも、夢や希望を持ち、未来へ突き進む有志もいる。つまり『あくたう』とは、すなわち無気力人間のことを指す。先への目標も持たず、ただ代謝たいしゃしているだけの、植物にも似つかぬ、糞のような虫のことである。


 『あくたう』の要素は何もこの二つだけではない。僕の知る『あくたう』の中には、もっと不快で気分の悪い虫もいる。それが所謂いわゆる臆病者と呼ばれる類の人々である。


 彼らは強い者からの圧力に耐え切れない。常に顔に微笑を浮かべ、愛想笑いを心がけている。そして彼らの心底には憎悪が満ちている。強い者への直接の悪意と、強い者に反抗できない自身の軟弱さに対しての怒りである。


 このように、この世に点在する『あくたう』にはろくな動物がいない。そして『あくたう』の何が一番厄介かと言うと、それは彼らが『あくたう』であるという自覚があることである。彼らは自身が不快な動物だと知りつつ、矯正することができない。その方法さえも知らないのである。


 この様に、『あくたう』は客観的な視点から見てみれば彼らほど可哀想な生物はいないということが理解できる。しかしながら、あなた方の神経、つまりは主観的な視点から見た場合、それは可也かなりの不快感として刻まれるだろう。


 彼らが最後どうなるか。それは単純に自滅することによって自らを終わらせる場合が多い。彼らはつまらない遺書を書き残し、そしてまた誰かに迷惑をかけながら、盛大に、あるいはひっそりと一人死んでいくのである。


 そんな度胸もない『あくたう』は、精神病になるか、ありもしない幻想に傾倒するのである。


 僕らの社会には数多くの『あくたう』が潜んでいる。それは決して認められるべき存在ではないが、見逃せない問題であるということは否定できないであろう。


 そして、自身が『あくたう』だと自覚のある諸君には、是非共未来に対して目標を見つけて欲しい。それは綺麗事に聞こえるかもしれないが、これが唯一の解決策である。畢竟ひっきょう、我々人間などというものは継ぎ接ぎの生き物であるから、精神を、つまりはセンチメンタルを維持するために理由が必要となる。


 『人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦ばか々々しい。重大に扱わなければ危険である。』

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