第235話 兄貴と私
「カイル! 小せぇ事でメソメソすんな! 男だったらもっとでっけぇもんになるんだぜ」
俺の記憶の中のギアンの兄貴はどこにでも一人くらいはいるガキ大将そのものだった。グラマダの外れにあった小さな孤児院。そこで俺は兄貴たちと一緒に暮らしていたんだ。
親を失い路上で死ぬだけだった俺を孤児院の院長である爺ちゃん先生は拾い上げてくれた。そこで共に暮らす10人の俺と同じ境遇の皆と一緒に。
俺たちの中で一番の年上がギアンの兄貴だった。腕っ節が強く早く大きくなってこの腕で稼ぐんだってのが口癖だったっけ。爺ちゃん先生を誰よりも尊敬し慕い俺たちの面倒を率先してみてくれた。兄貴にとっては親であり師である。昔、王都の軍で部隊長をしていたという爺ちゃん先生は俺たちの身を守るため護身術を教えてくれた。兄貴はそれを愚直に何度も何度も修練していたな。俺はといえば体術よりも剣術のほうが向いていたようで早々に木剣を振り回していた。
「おい、カイル。今日も外壁抜けて森に行くぞ。木の実だけじゃなくてウサギの一匹でも取れりゃいいんだがな」
「分かった。ふっふっふ、俺の新しい木剣が火を噴くぜ!」
「カイル、馬鹿だなぁ。木剣が火を噴いたら燃えつきちまうだろうが」
兄貴、言葉の綾ってやつだよ……。ちょっとばかり残念なところはあったが皆の事を考え食料を集めたりするのを率先して行う兄貴はとても頼もしかった。
冬のある日。果物や獲物もなくなり備蓄していた食料でなんとかやり過ごすため俺たちは一つの毛布に包まって暖をとる。空腹から胃が痛くなるほどだった。そんな気を紛らわす為に爺ちゃん先生にこんな質問を投げかけたのを覚えている。
「なあなあ、爺ちゃん先生は王都の軍にいたんだろ? なんでここで孤児院やってるの? いや、俺たちはそのおかげで生きているようなもんなんだけど軍を退役したならそれなりにあっちでいい暮らしができるんだろう?」
そんなさかしい俺の質問にもいつもニコニコしながら爺ちゃん先生は答えてくれた。
「ほっほっほ、ワシはな。色々と血生臭いことをやりすぎたんじゃよ。お前らをこうして育てているのはその罪滅ぼしという意味もあるんじゃ。無論、お前らは手はかかるが可愛い孫みたいなもんじゃ。息子すらいないがの。のう、カイルや。お前は真っ直ぐ育て。良いことは率先して取り組み悪いことは取り締まれるくらいの力をつけよ。お前は頭が良いからきっと正しい道を掴み取れるはずじゃ。ワシのようにはなるんじゃぁないぞ」
そう言ってぐりぐりと頭を撫でられた。そんな俺を見て膨れっ面になったのは兄貴だったな。
「ちぇ、カイルばっかりいいな。爺ちゃん先生。俺は? 俺は? さいきょーの冒険者とかになれそうか?」
「う、むぅ。ギアンはのぅ。思い込んだら一直線じゃからの。もう少し落ち着いて考えることを忘れないでおくといいぞえ。ちょっとばかりお馬鹿じゃから深く考えずに行動すると失敗するかもしれんな」
苦虫を噛み潰したような顔になりしょんぼりと項垂れる。そんな兄貴をはっはっはと笑いながら撫でる爺ちゃん先生。
「なに、馬鹿な子供ほど可愛いというしのぅ。ギアンや。一番年上じゃからと日々頑張っておるお前をワシは知っておるよ。愚直じゃがそれを貫き通せる信念がある。それは得がたい資質じゃ」
先ほどまでの落ち込みっぷりはどこへやら満面の笑みを浮かべて爺ちゃん先生に抱きつく兄貴。一番年上だがその実、この中の誰よりも甘えん坊であるのだ。それを皆が知っている。頼れる兄貴であると同時に手のかかる弟のような存在だと。
燃える燃える。業火が全てを飲み込んでいく。焼け出された俺たちは立ちすくんでいた。
兄貴の腕の中には息も絶え絶えな爺ちゃん先生がいる。深々と切り裂かれたその体からは血が止まらず溢れていた。
「爺ちゃん先生! 死ぬな! 逝っちゃ嫌だよ! なあ、目を開けてくれよぉ!!」
煤塗れのその顔からはとめどなく涙が溢れており懇願する悲痛な叫びは俺たちの心を抉る。どうしてこうなった。そんな思いが胸を支配する。
俺たちの背後では孤児院に火を放った獣人が取り押さえられていた。片目右足を失っていたその獣人は爺ちゃん先生に妻を返せ娘を返せと罵っている。なんで爺ちゃん先生が……俺たちの家が……。絶望と混乱で頭の中はぐるぐると堂々巡りを繰り返す。
そんな俺たちにもはや視点も定まらない虚ろな目を開け爺ちゃん先生は話す。
「は、はっは、ギアンよ、泣くでない。これはのワシの咎じゃよ」
ガハっと血の塊を吐き出しながら尚も言葉を続ける。ああ、もう、爺ちゃん先生は助かることを諦めている、死を受け入れているんだなとなんでか思った。
「ワシは軍で獣人狩りをする部隊を率いておった。今でも耳にこびり付いておるよ。子供を捕らえその親を従わせるワシに人でなしと獣人たちが怨嗟の声を浴びせるのじゃ。当然じゃのう。ワシはそれが耐え切れなくなって軍を止めここグラマダで隠居することにしたんじゃよ。お前らを育ててきたのも贖罪の意味もある。……ガフッ……ギアン、それに皆も心して聞け。ワシが死んだからと言って獣人を恨んではならぬぞ。どこかで憎しみの輪を断ち切らねばならんのじゃ。ワシが言えた事ではないがの。じゃがお前らの中から復讐しようと思うものが出ようものならワシは……悲しいのぅ」
一筋の涙が爺ちゃん先生の頬を伝う。そんな無念な気持ちで送り出したくはないんだ。俺は咄嗟に声を張り上げていた。
「爺ちゃん先生。俺、衛兵になるよ。こんな悲劇が起きないように。先んじて止められるように。立派な最高の衛兵になってやる。勿論、グラマダに住む皆を守るんだ。一人じゃきっと無理かもしれない。だから偉くなる。偉くなって大勢で皆を守ればいい。な、爺ちゃん先生!」
それに触発されたのか皆が皆、自分がやりたいこと、爺ちゃん先生に少しでも未来が明るくなるんじゃないかってことを語りかけた。話すのをやめたとき本当にこの人が消えてしまいそうな気がしたから。そんな中、ギアンの兄貴だけは口を噤んで一言も発していなかった。
「はっは、っは。ワシの最後は、こんな、良い子たちに、囲まれて、逝ける、んじゃの。これは、幸せ、じゃ……わ……ぃ」
「「「「「爺ちゃん先生ーーー!!!」」」」」
爺ちゃん先生は逝った。逝ってしまった。その顔には絶望の色はなくなり笑顔が浮かんでいたのがせめてもの救いか。俺たち全員、涙が枯れるまで泣いた。声が枯れるまで爺ちゃん先生の名を呼んだ。でも……もう帰ってこない。
それから瓦礫の山となった孤児院だったがそこは建て直され簡素だが今までよりも立派な建物に生まれ変わった。今回の騒ぎを聞きつけた街の偉い人が身銭を切って再建してくれたと新しい院長として派遣されたレベリット神殿の修道士様は言う。後にマトゥダ総隊長がその人だったと知ったんだけどな。
数年の時を経て俺は見習いとして衛兵隊に入隊した。その頃には一緒に居た仲間も何人か孤児院を巣立っている。ギアンの兄貴もそうだった。あれ以来、口数が減り時折塞ぎこむようになった兄貴は突如冒険者になると言い出して孤児院を出て行ったんだ。滅多に顔を出さないが元気でいるようではある。時々兄貴の名前で寄付が投げ込まれているのは知っていたからだ。
衛兵隊として己を鍛え日々の任務に追われているうちにギアンの兄貴の事を思い出すことも減っている。だが時折あまりよくない噂を聞くたびにずっと爺ちゃん先生のことを引きずっているのだろうと若干気落ちすることもあった。それでも犯罪などに手を染めることなく冒険者として活動していると……そう信じていたのに。
「なんで……アンタがここにいるんだよ……ギアンの兄貴……」
ギアンはそれに答えない。ただ何も言わずカイルを見つめていた。




