第194話 グラマダ防衛戦⑥
(……ハァハァハァ。マトゥダさんとの合流地点はまだ先。他の面子も現在地は不明)
攻撃手段を失ったミタマはポーションを口に含みつつ野を駆ける。バランスが取れないため残っていた右足の靴もするりと脱ぎ去り裸足でだ。背後に迫るスティッキーカメレオンの気配を感じながら。神経を研ぎ澄ませ不意に飛んでくる舌や粘着液を寸でのところで横っ飛び、転がり、前のめりに飛び込みながらそれをかわす。さながら野生の猫のようにしなやかに躍動する肉体は疲労を抱えていてもなんとかミタマの思考に応えてくれた。
(……こいつらをグラマダへと引き連れていくわけにはいかない。であれば合流地点を目指すしかないね。運が良ければ誰かに気付いてもらえるはず)
闇雲に攻撃することは選択せずに逃げの一手を選択した。たとえ無様でも生き延び反撃する機会を得る為、今にも倒れ込みそうな体を無理矢理動かす。呼吸をすれど空気が足りぬと催促してくる心臓はドクンドクンと脈打ちはち切れそうなほど苦しい。魔力切れによる倦怠感は未だ治まらず今横になったらすぐにでも気を失いそうだ。
(……くっ、またっ!)
ビチョア
飛来する粘着液を斜めに飛び込み身をかわす。ゴロゴロと転がり受身をとりその勢いを利用してすぐに立ち上がった。
ビチョアア
だが別方向から飛んできた舌がミタマの足を絡め取る。短刀を振りかぶるも予想以上の引き付ける力にバランスを崩して盛大に尻を打ってしまう。咄嗟の判断で短刀を土に突き刺すが刺さった刃が僅かにだが動き始めている。このままでは握力が尽きて手放してしまうかもしれない。何より残ったもう一匹がただで済ませるはずもないだろう。
ミタマは詳しく知らなかったがスティッキーカメレオンの舌は弾力に富んでおりただ切りつけただけでは刃が通らないほどの強度を誇る。さらに大型の個体にもなると大柄の冒険者を一飲みにしてしまうほど大食漢であった。
(……このままじゃやられる。だったら攻めて死中に活を見出す)
視線をスティッキーカメレオンのほうへと向け覚悟を決める。……その時だった。
ぴちょん
乾いた砂地に水が滲み込むようにミタマの体に久しぶりの感覚が甦った。枯渇していた魔力がじわりじわりと回復している。時間をおうごとにその勢いは増しておりミタマにあった倦怠感は既に無くなっていた。
それと同時に彼女は短刀を掴む手を放す。反動もあり勢いよく舌が巻き戻っていった。
ミタマは両手を使い印を刻んでいく。忍術は詠唱の代わりにいくつもの印を組み合わせて術を発動するのだ。そしてミタマの場合、ノブサダと違い忍術のレベルひとつにつきたったひとつの術しか覚えられていない。だがその威力と消費する魔力量は桁違いで一発撃っただけでミタマの現状保有する魔力の殆どが必要であった。
「……火遁・業火圏嵐!!」
ミタマの体を取り囲むようにゴウっと上がった火柱は渦を巻きその範囲を広げ高らかに燃え上がる。当然巻き付いていた舌もただで済むわけも無く消し炭となりボロボロと崩れ落ちていた。
炎の勢いは止まらない。時を追う事にその範囲を広げ続け消え去る頃には半径30メートルほどを焼け野原と化していた。残っていたのは元カメレオンであったもの。黒い消し炭となってその場に残っている。
そして魂石を取り出そうと触れればそれはボロボロと大地へ崩れて落ちた。
少々やりすぎな気もするのだがそれをやった当人はマジックポーチからいそいそと替えの靴を取り出して履き替えすぐに駆け出さんばかりであった。先ほどまでの悲壮感はどこへやら今ではこぼれ出る笑みを押さえきれないようである。
「……またノブに助けられちゃった……」
ノブサダが近くまで来ている。魔力が届くほどの距離にまで。
「……でも、これじゃ駄目。このままじゃまだまだ。ノブの隣に立って歩むならもっと強くならなきゃ」
にんまりと緩んでいた頬を引き締めミタマは合流地点へと駆け出した。
迫りくる魔物たちは最後の壕を踏み越えグラマダの東門へと迫ろうとしていた。
それでも騎士団、衛兵隊、冒険者一丸となって戦線を支えている。門を背後に背水の陣として傷つきながらも戦い抜いていた。
だが既に戦えるものと負傷者の数は逆転しすぐに戦線復帰を望めるものは数少ない。戦えるものたちも大小様々な傷にまみれている。武器も防具も返り血に染まり異臭を放つほどであった。
それでも彼らは退かない。
皆が皆、様々な思いを胸に戦っている。
門のすぐ前で何人もの神官、魔術師たちが杖を掲げ、手を伸ばし結界を維持している。その表情に余裕は無く疲労困憊と魔力不足で一杯一杯であった。それでも脂汗を滲ませながら歯を食いしばり耐えている。そうしている間にも結界へとぶつかって来る魔物がおりいつ破れるとも分からぬ緊張感がかもし出されていた。
ドサッ
まだ若い神官が魔力の使いすぎで意識を失い倒れこむ。後方に控える結界術を使えぬものたちが担架を使い運び出していくが交代で戻るものはおらずそのままの人数で維持をせねばならなかった。
「さ、流石にこれは厳しいかね」
「おいおい、この街一番の使い手がそんな弱音を吐いてどうするよ」
アメトリス神殿の神官衣に身を包んだ老人が少しばかりの弱音を吐けば中堅どころと言っていい魔術師のおっさんが嗜める。お互い魔力の残量はそう多くないことは把握しているがそれでも復帰してくるものが居ない以上休むことも倒れることもできなかった。
「そう言われても私も歳だからね。ちょいと体に堪えるよ。ま、そう簡単に諦める気はないけれどもね」
「当然だろう。こいつが終わらんと孫の顔が拝めんだろうさ」
「な、なにぃ!?」
老人の顔が驚愕に歪む。それをおっさんはにまにました顔でちらりと横目に見ていた。
「丁度こいつに召集されてたんで報告は遅れたができたんだってさ。今、妊娠三ヶ月目だそうだ、お義父さん」
「どうしてそんな大事なことを今まで……。ええい、絶対ワザとだね」
老人の悪態も気にせずおっさんは何処吹く風である。それでも次の瞬間、その表情は厳しく現実を見据えたものに変わった。
「だからさ。こんなところで死ぬ訳にゃいかんでしょうや。あんたにゃ孫の名前を名付けて貰わんといけないんだからさ」
「無論だ。孫を抱くまで私は死なんね」
老人は震える足を片手で押さえつつ杖を掲げる。おっさんも両手で持った杖を高く掲げ魔物がぶつかる結界へと魔力を込めた。
ガキンガキンガキン
体長1メートルほどもある巨大な蜂が下腹部から毒針を出し不可視の結界へと打ち付ける。空中に静止しているため目の前でワシワシと六本の足が動いていた。彼らは結界の維持で手一杯なため攻撃にでることができない。目の前をこんなものが延々と飛んでいるのだから心労も溜まるというものである。
そんな彼らの元に走り寄るひとつの影があった。
「もう大丈夫! なぜかって?」
魂石のはめ込まれた両手棍をずどんと地面に突き立て魔力を結界に同調させる。
「そう! うちが来た!!」
数人がかりで捻り出せる量の魔力を一気に放出させながら狐の獣人、フツノはそう言い放った。見る人が見れば所々壊れかけた箇所があった結界は辺り一面上書きされて一新されている。老人もおっさんも唖然とした顔を隠せない。
「同調完了! ついでに修復も済ませたで! おっちゃんら、ここはうちに任せてちっと休んどき」
鼻息荒くテンションも天井しらずなフツノの姿に若干引き気味の一同。ちなみにおっさんら二人以外にも10人ほどがここに詰めていた。先ほどのおっさん達の会話中、『リア充がっ!』と怨嗟の視線を向けていたのが数人いたのは仕方のないことなのである。そう仕方ないのだ。
フツノに促され思わず膝をつきその場にへたり込んでしまう老人。釣られるように数名も気が抜けたのか四つん這いになっている。
「やらせはせえへん、やらせはせえへんよ! うちらの帰る家を魔物なんぞにやらせはせえへん!」
猛るフツノは結界を維持しつつも火の矢を放ち飛び交う巨大蜂を狙う。先ほどまで何の反撃もされていなかったことから無警戒の巨大蜂は避ける間も無く火達磨になっていた。地面に転がるも生きており足を動かしもがいているが慈悲など掛けることは無くフツノの両手棍がめり込みやがてその動きを止める。
フツノが使った分の魔力は使った矢先から瞬時に補充され常に満タン状態を維持されていた。
「皆、もう少し、もう少しだけ耐えてや。希望はあるんよ。そしてそれはすぐ近くまで来てはる! せやからこんなんに負けたらあかん!」
その言葉を真に受けるものはほとんどいなかった。だが自分たちが力尽きる中、懸命に結界を維持するフツノの姿に再び立ち上がるための気力を奮い立たせる。
「こんな若い嬢ちゃんがこうして頑張っているのに俺らがへばっている訳にゃいかんよなあ」
「そうだね。ほんの少し諦めかけた己が恥ずかしいね。目の前の冒険者たちはそれこそ自分の命を矢面に曝して戦っているというのに」
膝が震えているため立てていないが膝立ちででも結界を維持するため両の手を伸ばすおっさんたち。気絶から回復したばかりのものも少ない魔力だが結界の維持調整に一役買いフツノのほうもその分だけ楽になっていた。そんな彼らに見惚れるほどの笑顔を向けフツノは大きく頷いている。
(ノブくん、うちら負けへんよ。絶対にノブくんが来るまで持ちこたえたる。ずっと待ってるから)




