第193話 グラマダ防衛戦⑤
横たわる冒険者はすでに身動き一つ取れない。ただ僅かに痙攣した後に事切れた。その濁った瞳は見開かれ己にトドメをさした魔物を恨めしげに見つめている。
ぐしゃり
そんなことはお構いなしに魔物の進撃は止まらない。積み重ねられた屍を踏み潰し喰らい犯しながらグラマダへと迫りくる。人の力では逆らえぬ大波の如く。されどそれに逆らい抗おうとするのが人の業であり本能である。
後退し陣形を替え急ごしらえの第三壕で魔物の進行を辛うじて凌いでいた。
うず高く詰まれた土嚢を挟んで矢と魔法が飛び交う。一斉掃射で数を減らした後は近接武器を携えた者達が一斉に切り込んでいった。開戦初期と変わらぬ構図だが彼等の武器には血糊がべったりつき鎧には所々傷が刻まれている。幾人も命を落とし今まだ負った怪我で倒れこんでいるものも多数に及ぶ。
何より前線の支柱であったマトゥダ、テムロ師弟が南北の門へと迎撃にでたことは体力的にも精神的にも負担を大きくさせている。それでも彼らでなければ少人数であちらの戦線を維持することは現時点のグラマダの面子では不可能だろう。
前線に身を置くフツノとカグラも例に漏れずかなり疲弊していた。
肩で息をしつつも薙いだ槍がオークの首を切り刎ねる。首は高く跳ね上がりその場に残った胴体からは血飛沫が噴水のように溢れあがった。だがドウと倒れこむ体を踏み潰すように次々魔物はやってくる。返す刃でゴブリングラップラーを脳天から両断し次いでゴブリンナイトの鎧の隙間をついて目を突き抜いた。
「ハッハッハッ。これは……ちと辛いかのぉ」
どっくんどっくんと鼓動の音が激しくなっている。腕の力の消耗を抑えるため重い金棒はマジックポーチへしまって槍を使ってはいるが絶えず動いているためいかに鬼人族の体力とはいえ損耗は激しい。
カグラ同様、周囲の冒険者も疲弊具合はかなり厳しい。怪我で戦線を離脱したもの、思うように魔力が回復できず戦線に戻ることができぬもの、様々な事情から予備戦力も全て投入されていた。裏方の治療する皆の損耗も激しく戦線に復帰できる数は明らかに減少している。
武器を壊されたものは戦えなくなったものたちの遺した武器を手に取り歯を食いしばって戦線を支えた。フツノたちのように結界術を使えるものは門の前にて結界を張り続け魔物たちの侵入、潜入を拒んでいる。
「ファイアウォール! くうっ、あかん。眩暈が……」
残り少ないマナポーションだが一気に飲み干しその場にへたり込んだ。迎撃に出れるものの数が減っていたため急遽フツノの魔法で隙間を埋めねばならなくなり残り少ない魔力は枯渇寸前である。
「お嬢さん、交代だ。休んでくれ」
オルディス神殿の神官がへたり込んだフツノにそう声を掛ける。言葉少なくふらつく足取りで門の内側へと下がった。丁度そこにはカグラの姿もありフツノ同様に随分と草臥れているようだ。鎧の各所には返り血が付着していて激しい戦いを切り抜けてきたのが窺える。
「……ん? おお、フツノも休憩か」
「せや。終わりが見えへんてこんなにきついんやね……」
リポビタマDXを飲み干しながらそう呟くフツノ。いつもなら明るいムードメーカーである彼女だが今この場ではその表情も暗い。二人とも俯きながらだが体力、魔力を戻すべく体を休める。
「それでも……やらねばなるまい。妾たちはまだ交代で休める分ましであろう。ミタマのほうがどうなっているか分からぬでな。それにほれ、主殿の帰る場所を守らんといかんじゃろ?」
「せやね。ノブ君が帰ってきて悲しい顔させるんは妻としてあかんもんな。ミタマもきっと頑張ってるはずやしうちもしっかりせな!」
それから二人身を寄せ合いながら僅かばかりの仮眠をとる。剣戟の音や炸裂音が響く中だが疲れきっているため目を閉じればすぐに眠気が襲ってきたのだ。
「……ふっ」
シュドン
放たれた矢が吸い込まれるようにレッドヘルムベアーの右目へと突き刺さる。
グオアアアアアアアア
片目を潰された巨体は怒り心頭のまま矢が放たれたであろう方向へ向き直る。だがそこに人影は既にない。その直後レッドヘルムベアーの背中を駆け上がるものがいた。
「……武技『鋼氣刀雷』」
電撃を纏った魔霊銀の短刀がスウッと抵抗無くその延髄へと突き立てばレッドヘルムベアーの体が激しく痙攣し始めた。口から泡を吹き顔ががくがくと震えて残った左目はぐるんと白目を剥く。そしてそのままズズンと大きな音を立てて倒れこんだ。
「……ハァハァ。これで二十五匹。他のみんなは……」
マトゥダに率いられた少数精鋭の面々は門の前へと攻め寄ってきていた魔物を既に蹴散らし一部を残し散開して各自殲滅任務を遂行していた。マッスルブラザーズは鉄壁の堅牢さを誇るがカロリー消費が高く遊撃には向かないため門の前で迎撃を担当している。
正面の群れから離れてきた個体は多くクセの強い魔物ばかりが揃っていた。どれもこれも街の中に入れてしまえばかなりの被害が出るであろう。
ミタマはその索敵能力と単機での戦闘力の高さを買われて各所を駆け回る遊撃の任に就いていた。元々フツノと二人での活動だったため体力と魔力のペース配分が巧く個人としての戦闘継続能力は和泉守の中でも一二を争うだろう。だが予想以上に個体能力が高い魔物が徘徊していることから短時間で仕留めるには武技など大技を使わざるをえない状況だった。それ故に消耗が激しい。ポーションなどを飲みつつ回復はするものの蓄積される疲労は消えることなく体に圧し掛かる。
(……周囲に敵影無し。ん、少しだけ体を休め……はっ!?)
背筋に走る嫌な予感。直感の示すままにミタマは文字通り転がりながら身をかわす。先ほどまでいた草むらに粘着性のある液体がべちゃっと振りまかれていた。それが放たれたであろう先に目線を向ければ群青色の肌をした大きな目玉のトカゲらしき魔物が見える。2メートルはあろうその体は徐々に周囲に同化して姿を消した。
(……あの形と液体。スーズィから聞いたことがある。確かスティッキーカメレオンだったはず。あれを街に行かせたら手のつけようが無くなっちゃうよね。ここで仕留めなきゃ……)
そう考えつつ重さの残る体を動かし周囲を警戒する。
姿の見えぬ魔物をいかにして屠るか。ミタマの中で様々なシミュレートが行われていた。手持ちの武器は現在装備している短刀二本、弓と矢が三十九本、閃光魂石が一つ、後はポーション類があるだけだ。マナポーションは持ってきた分はすでに使いきってしまっていた。
閃光魂石はカイルも使用した目くらましの魔道具で魂石を加工し光の魔力を込めいざ使うときに叩きつけることでその魔力が暴走し瞬間的な閃光を発する代物である。いざという時の為のまさに虎の子であった。
最も有効的だと思われたのは範囲攻撃にて周囲を丸ごと攻撃すればいいのだが生憎ミタマが使用できる武技やウェポンスキル、魔法などの中でそれに該当するものは一つしかなくそれを使うには魔力が今の状態では足りなかった。万全の状態でも一発放てば即魔力切れを起こすなんとも燃費の悪いものである。
それに頼ることができない以上あるものでやり繰りするしかない。スーズィから聞いていた特性を記憶から掘り起こし短刀を腰のホルダーへと仕舞い弓を構えた。先ほどまでいた位置、それと直感で危険そうな方向を割り出しそこへ向かって弓を引き絞る。
「……ウェポンスキル『ハウリングアロー』!」
ヒィィィィィィィィィン
弓から放たれた矢は耳を劈くような音を発しながら一直線に進んでいく。続けざまにミタマは矢をつがえ方向をずらしながら同様のウェポンスキルを放っていく。
三本目に放った矢が通り過ぎた後、生い茂る草が歪み群青色の巨体が僅かにその姿を現した。ハウリングアロー。それは素早い獲物などに対し有効な音を纏った矢である。高周波を放ち獲物の脇を通り過ぎただけで平衡感覚を狂わせ飛行する魔物などはバランスを崩して落下する場合もあった。今回の場合、魔物の表皮に刺激を与えてやれば一時的に景色と同化することを阻害できると聞いていたからの作戦である。
四本目のために準備していた矢をスティッキーカメレオンへと狙いを定め一気に引き絞り……解き放った。
ザシュッ
矢は狙い通り一直線に魔物の体を捉え右の肩口に突き刺さる。悶絶しピギィィィィと鳴き声を上げるスティッキーカメレオン。今が好機と弓をポーチへと収めて短刀を抜き放ちながら駆け出した。
ピギョアアアアア
長い舌を器用に使いミタマの体を捕らえようと応戦するがそこは俊敏な獣人の脚力にかなうものではなかった。如何に疲れているとはいえまだ動ける。そう思いつつ一撃で命を刈り取るべく舌の動きに合わせて一気に跳躍した。
スコン
舌の先が戻るよりも早くミタマの持つ魔霊銀の短刀がスティッキーカメレオンの眉間へと突き刺さった。刃が脳へと達したためかズズンとその場に伏した魔物。これでようやく一息つける、そう思った時だった。
べしゃり
倒したカメレオンの死体を巻き込みつつ不快な液体がミタマの体へと降り注いだ。
(まだいた!?)
視線をずらせば左右に一匹ずつ首を真横にまわしながらこちらを睨みつけるスティッキーカメレオンの姿があった。同族が殺されたことへの怒りだろうか叫び声も随分と荒々しくなっている。
(最初から潜んでこちらを覗っていた? くっ、足が!)
スティッキーカメレオンの吐き出す粘着液は空気に触れるとわずかな時間の間に硬化してその場に獲物を固定する。今このときも類に漏れずミタマの左足は地面へとへばりつく様に固まってしまっていた。無理矢理持ち上げるにはくっついた地面を抉りとるしかないだろう。
ミタマは左手に持ったノサダを片方のスティッキーカメレオンに向けて投げつける。が、片足が固定されていることから狙いが甘くカメレオンの脇をそれ後方の木へと突き刺さってしまう。
じっくりと品定めをするかのように一頻りミタマを眺めた後、カサカサと草を掻き分けながらゆっくりと近づきそして舌を伸ばす二匹。挟撃される上どこにも逃げ場がないミタマ。
ビチョア
スティッキーカメレオン同士の舌と舌が絡まりあいちょっとした求愛行動にも見えなくもない中、ミタマの姿は掻き消えるようにその場から消え去っていた。
(……ッカハッ。はぁはぁ、間一髪。でも、もう魔力が……)
なけなしの魔力を注ぎ込み忍術の『飛天』を発動することで辛くも距離を取ることができた。だが消耗は激しく魔力は枯渇寸前、粘着液によって固定されていたところを無理矢理移動したことで左足の服は破れ靴もない。靴の中まで液が浸透してきていたのか皮膚も破れてところどころ血に塗れていた。
このままでは危険だと距離を取るべく駆け出すミタマ。だがそれに気付いた二匹のスティッキーカメレオンたちが追いすがる。さきほどまでの緩慢な動きは何処へやらGもかくやという俊敏な動きであった。
(……くっ、気付かれたっ。それでも……絶対に最後まで諦めないっ)
走り続けながらもカメレオンたちは器用に舌を伸ばしてくる。スティッキーカメレオンの舌には粘着液が薄まったものが付着しており獲物に張り付かせた後に引き込み丸呑みにするのが捕獲方法であった。先ほどまでと違い移動してくる分、草むらを掻き分ける跡で動向がつかめているが舌の速度と射程範囲から避けるのが精一杯で距離を取ることは叶わないでいる。
(……当たって!)
転がりながらも弓を引き絞り放つ。矢は僅かにスティッキーカメレオンを掠めたもののそのまま後方へと飛んでいく。
シュフィン、べたっ
「……あっ!?」
撃ち終わりの隙をつかれもう一匹のスティッキーカメレオンの舌が弓へと絡みつく。引き剥がすべく力を込めるもビクともしない舌。そしてミタマはその手を離し靴の残る右足を軸に後方へと飛び去った。一瞬前まで居たそこにはスティッキーカメレオンの舌が空を切る。首をぐるんと曲げるトカゲ特有の動きが『外れた?』と言わんばかりであった。
バキンボリンボキキ
先ほど絡め取った弓を咀嚼しながら飲み込む。木の複合材だが平然と噛み砕き飲み込む様は悪食以外のなにものでもないだろう。
そしてそれはミタマにとって距離を取って戦う術を奪われたこととなる。
「……それでもっ!」
彼女は諦めない。あの時、巨大な蟻の女王に立ち向かうノブサダの姿を見つめながら己の不甲斐なさをこれでもかと思い知った。最後まで足掻いて必ず勝機を手繰り寄せる。そう誓ったミタマの目は屈することなく前を向いていた。
シリアス先輩が張り切っております。たぶん、ノブサダでてきたら泣きながら退場するだろうけど……。うーむ、ボケたくて仕方がない。




