第182話 棄てるもの、摑むもの
刀を上段に構えるノブサダだがふと奴の様子がおかしいことに気付く。
「ひ、ひひいひ。俺は……俺は普人族をやめるぞ、のぶさだぁぁぁぁぁぁ!」
ノブサダが刀を振り下ろす前に懐に隠し持っていたであろう小瓶の中身を飲み干すアーサー。それに嫌な予感を感じ一気に刃は脳天目掛けて振り下ろされた……筈だった。刃の狙いはずれアーサーの肩口から胃の辺りまで切り裂きそのまま止まる。引き抜こうにも何かが掴んでいるかのようにガッチリと食い込んでいた。
そのまま立ち上がり虚ろな眼差しを向けながらぐるりと首を回す。ノブサダは刀を引き抜くべく更に力を込めるのだが一向に抜ける気配がない。まるで万力に締め付けられたかのようである。そうこうしている内に鈍い炸裂音のようなものとともにノブサダの体が後方へと吹き飛ばされた。先ほどまでの瀕死具合が嘘のように一蹴りでそのざまである。
「はあああああああ。いーい気分だぁ。最高にハイってやつなんだろうなぁ、げぎゃははははは」
傷口はシュウシュウと音と煙を上げながら修復されていく。隙間からずるりと染み出てくる黄色いものに悪寒が走るノブサダ。嫌なものを思い出しつつ奴が言い放った普人族をやめるという言葉が嘘ではないことを彼の目は認識していた。
名前:アーサー 性別:男 年齢:0 種族:人造魔族
クラス:凶戦士Lv1 状態:高揚
称号:【人を辞めし者】
【スキル】
両手斧Lv6 片手斧Lv6 片手剣Lv3 身体強化Lv6 魔力強化Lv3 頑強Lv6 生活魔法
狂ったような笑い声を上げていたアーサーからピタリとそれが止まる。焦点の合った双眸はギロリとノブサダの姿を捉えていた。落とした片手斧を拾い上げ体に突き刺さっていた刀をおもむろに引き抜く。ノブサダが使用していた刀は入手したばかりの星犬だったのだがアーサーは刀身を維持しつつなんでもないように手に持っていた。よほど強化されているのだと理解する。月猫を嫁たちに装備してもらい色々と試したことがあるのだが一番魔力のあるセフィでさえ維持するのに滝のような汗を流しつつ苦しんだのだ。それを平然と持つのだから少なくとも常人の何倍もの魔力を保有していると考えられた。
ずるりと引き抜かれた刀身からはぽたりぽたりと緑色の液体が滴っている。もはや血液と言うよりは体液と言ったほうがしっくりくるのかもしれない。既に普人族どころか人間を辞めた証拠となりうるだろう。
「ふうう、今ならお前らが束になってこようとも捻り潰せる気がするぜ。はああああ、こんなにいーい気分になれるんだったらもっと早くに使うんだったと後悔しているよ」
それが大言壮語ではないことがなんとなくだが直感で感じていたノブサダはすぐさま大声で叫ぶ。
「ローヴェルさん! すぐにこの場からエト様を連れて下がれ! フミルヌ! 皆を下がらせろ! こいつに敵も味方もない。エト様を護衛しつつ少しでもここから離れるんだ!」
「なっ!? それは「畏まりました!」えっ」
自分も戦うと思っていたのだろうかローヴェルは一瞬判断に詰まるのだが重ねるようにフミルヌから了承の声が上がり追うように下がり始めた。すでに反乱した傭兵団は捕縛されるか戦闘不能になっていたためフミルヌの先導により速やかに移動を開始している。
その場に残っているのはノブサダ、エレノア、ティーナ、ラクシャ、そしてアーサーである。アーサーから後方へ下がる一団を守るように立ち塞がる一同。ノブサダはすかさずフルプロテクションとフルブーストを全員にかけ万全を期そうとする。
「どうした? こないならこっちから行くぜ?」
ノブサダが魔法を発動するより早くアーサーが動き出す。ゆらりと前に体が傾いたと思えば凄まじい勢いでティーナの目の前に現れた。軽く薙いだように片手斧を振るったのだがティーナの体は10メートルほど後方へと飛ばされる。辛うじて盾で受け止めていたのだがべこりとへこみ持っていた左手もビリビリと痺れて思わず取り落としかけていた。
アーサーが斧を振るった瞬間に合わせてエレノアも動いていた。薄っすらと輝く闘気を纏いながら必殺の拳をわき腹めがけて繰り出す。
ゴキン
肘を下げガードしただけでそれを防ぐアーサー。常人ならば吹き飛ばされて内臓破裂していてもおかしくない一撃である。それを多少よろける程度でしかと防ぎきるのだから異常ともいえる耐久度だと言えよう。
「はっ、あの戦姫の一撃がこれくらいか。今なら戦拳でも叩き潰せるかぁ?」
余裕でそう言い放つアーサーに別な影が背面から襲い掛かった。上の両手に片手斧を下の両手に片手剣を持つラクシャが一斉に振るった。ぐるんと体を回転させその勢いだけでエレノアを弾いただけでなく片手斧でラクシャの攻撃をただの一閃で弾いた。
ザシュッ
弾かれて体勢を整えきれていないところにもう一方の星犬が無慈悲にも振るわれた。
「ぐあああっ」
力任せに振るわれたその一閃は軌跡を描きながらラクシャの二本の右腕を肘の辺りから両断する。鮮血が迸りその場に蹲ってしまう。
「ふん、軽い剣だが切れ味だけなら悪くないか。さぁ魔族なんざさっさと死んじまいな!」
トドメを刺そうと星犬を構えるアーサーだがその面前に分厚い石の壁が競りあがった。その隙に傷ついたラクシャを抱えて後方へと文字通り飛び去るノブサダ。強化魔法をかけている隙にこれほど事が進むとは流石に思っていなかったために出遅れたのだ。ラクシャの体に手作りのハイポーションを浴びせるようにかけ血止めを行いすぐさま前線へと立ち返った。
魔法による強化が施された三人が続けざまにアーサーへと挑みかかる。前かがみに突っ込みつつ倒れこむように切り込むティーナの片手剣に星犬を力任せに叩きつけ地面へとめり込ませた。だがそれも想定内だったのか体を捻り回転する力を利用して真上へと切り上げアーサーの指へと切りつける。ザシュっと血飛沫があがったその先の指は2本ほど切り飛ばされていた。だが、それをたいして気にした様子はない。なぜならシュワシュワと煙が上がりまるでトカゲの尻尾の再生をとんでもなく早くしたように指が生えそろっていく。
百戦錬磨のティーナもこれには唖然とするほかなかった。そのティーナに振り下ろされる片手斧は咄嗟に掲げられた盾で受け止められる。ぎりぎりと押し込まれる盾を支えるがその顔が苦痛に歪む。足元を見てみればその足が徐々に地面へとめり込むほどである。それを支えるティーナへの負担たるや相当のものであろう。
ティーナが足止めしている間にエレノアとノブサダも追撃に移っていた。強化された拳が二つ同時に抉りこまれる。斧を繰り出している左腕に闘気を纏ったエレノアの拳が右の背中に近いわき腹に雷を纏ったノブサダの拳が突き立つのだが身体強化の恩恵だろうかたいして意に介したようではない。ティーナを蹴り飛ばし更には盾を滑るように薙ぎエレノアの体に食い込む片手斧。プロテクションやストーンスキンを突き抜けエレノアの肩口から鮮血が噴出す。
「っこのぉ、何してくれてんだ!」
瞬間転移でエレノアの元へと移動し乱暴だが無理矢理引き寄せそのまま『高機動兵装』を使い後方へと飛び去る。
「逃がすかよぉ!」
人並みはずれた脚力で追いすがるアーサーだったがその目の前に分厚い石壁が瞬時にせり上がって来た。厚さにして50センチメートルはあろうかというそれを蹴り飛ばせば根元からボキリと折れる。だが、二枚、三枚と立て続けに地面より飛び出る石壁。いつしかアーサーの周りは大量の石壁にぐるりと囲まれていた。
アーサーが石壁とじゃれあっている間にエトワール達の下へエレノアを連れて降り立ったノブサダ。エレノアの左腕の骨の半ばまで刃は食い込んでいたようでその傷口は痛々しい。おまけに傷口が紫色に変色している。斧自体の性能かウェポンスキルの効果かは知らないが毒を含む攻撃であったようだ。エレノアの意識が朦朧としているのもそのせいであろう。作り出した真水で傷口を洗い流し即座にキュアポイズンとリジェネーションをかけていく。数分を待たずに完治しふらつきながらも再び戦場に戻ろうとするエレノアをノブサダは押し留めた。
「ごめんね、あいつだけは俺の手で仕留める。俺の大事な人を傷つけた報いはきっちり受けてもらわないとね」
「は、はい」
にこやかに笑ってはいるものの有無を言わせぬ圧力を纏っており他の面々もその尋常でない雰囲気に息が詰まりそうになっていた。当事者のエレノアはその言葉を聞いてぽーっとしているようだが。
一人身構えてアーサーの様子をうかがっているティーナにこの場を下がるように伝えると僅かながら逡巡したあと悔しそうに頷く。
「分かったよ。今のあたいじゃあいつに小さな傷をつけるくらいが関の山だと思う。きっとやれる確信があるんだろうけどもさ、無事に……戻るんだよ」
消え入りそうな声でそう告げれば後方へと駆けていく。
それと同時に石壁がなぎ倒され再びのご対面となった。
「ふーぅ、小細工しやがって。そんなに女が大事かぁ?」
「やかましい! 俺のエレノアに傷をつけやがって! ただで死ねると思うな、この野郎!!」
拳で駄目ならと次元収納から月猫を取り出し魔力を流し引き抜いた。抑えていた魔力を完全に解放し魔力纏も多重に展開する。今のノブサダに自重はない。持てる全ての力を総動員して目の前の人ならざるものを消滅させるつもりであった。




