第175話 武闘祭本戦決勝①
「これで条約は締結ということですな。いやぁ、此度は助かりました。貴国からの提案のおかげで国民が飢えずに済みます」
「なに、こちらにも十分に益のある話です。皇帝陛下に宜しくお伝えください」
身なりの良い高官とディレンが堅い握手を交わす。部下の政務官たちも互いに手を握り合っていた。武闘祭の祭りの影では国と国での駆け引きが行われていたのだ。今ここではタイクーン公国とオロシナ帝国の間で1年間の不可侵条約が結ばれた。食料と鉱物資源を扱う大々的な取引の見返りとしてではあるが。
オロシナ帝国は北方に位置するため食料自給率が高くない。それに加えてアレンティア王国と小競り合いが勃発し非常にキナ臭い状態が続いていた。ちなみにヒノト皇国との間には神割の断崖と呼ばれる断崖絶壁が広がっており国交そのものがないのである。
よって交易を積極的に行えるのはタイクーン公国だけとなるのだが公国の生産力だけで賄える量ではなかった。そこでディレンは南のオルタナ連邦国から大規模な輸入を敢行する。すでに前情報として豊作による供給過多で値崩れが起きていることを知っていたのだ。そして南から玉突きで順々に輸送を行っていく指示を出した。諜報部の情報が確かならば既にかの帝国では収穫を待たずに飢えるものたちが出始めているようであるからだ。どうせ送るのならば効率よく最善の結果を出すのがディレンのやり方である。最も件の皇帝がそれらを構うか否かは知らないが。
そして取引で得た鉱物資源はアレンティア王国へと輸出する。かの王国には鉱物資源に乏しく輸入に頼っていた。それも現在では北との関係悪化により輸入が大幅に制限されている。やっていることは横流しだが公国からの輸入品という名目であればあちらでは問題なく扱えるのだ。中間マージンを得ると共にこちらでも先達て不可侵の条約が結ばれている。
「閣下、これで行軍に差し支えが無くなりましたな」
「うむ、北南東と国境に程近い貴族たちは我がほうについているものたちだ。此度の件で旨みを与えた分はしっかりと働いてもらわねばな。取り込みのほうはどうなっている?」
「はっ、新たに伯爵家二家がこちらに靡いています。両家とも子息はこちらの学園に通っていたため教育のほうはしっかりと受けていました。もし……の場合ですが代替わりが発生することがあっても大丈夫でしょう」
「よかろう。それの判断は貴公に任せる。それとルウム侯爵の与力になにかあったらしいが聞いているか?」
「エアーズ男爵家で当主が乱心し代替わりがあったようです。なんでも溺愛していた三男が不慮の事故で帰らぬ人になったとか。その為か半月ほど前に隠居、現在は長男がその座についており近々報告にこちらへ来るようですね」
ノブサダが手を下したバカボンボンの親である。まさか自分の行動が引き金となって貴族の当主代替が起こるとは予想もしなかったであろう。
「そうか。確かそれなりに士官学校をそれなりの成績で卒業した青年だったな。指揮能力に優れていたことを記憶している。もし来たらアガトーに引き合わせてみるか」
「それはよろしいかと。アガトー将軍の方も近衛連隊の編成がひと段落すんだようですし時間もとれることでしょう」
近衛連隊。ディレン直属の親衛部隊で騎士とはまた違う独立した組織である。貴族、平民身分を問わず総合的な能力のみならず一芸に秀でたものなどを集めた普人族のみで編成されており有事の際にはディレンの手足となって動くであろう。彼らには特に選民思想を教え込まれており亜人やそれらに組するものに対して一切の容赦なく鉄槌を下す。ある意味、ディレンの妄執が形になったものだとも言える。
また編成されたものの多くに亜人との確執を持ったものが多い。故郷を食い詰めた亜人の盗賊団に襲われたもの、親を魔王軍との戦で失ったもの、逞しい亜人に恋人を寝取られたもの、入れ込んだ亜人の遊女に振られた挙句殺害し投獄されていたもの、前半は兎も角後半のもの達は勝手極まりないが人の欲望に比例して憎しみなどの感情は膨れ上がるものである。それらを原動力として訓練の他に全員がレベルメタフィンを投与されたのちにダンジョンでの討伐を実施したことでこの部隊は大きく力をつけていた。今では手段を選ばなければ騎士団をも上回る戦力であろう。
「閣下、件の傭兵団へ潜ませてある連絡員より情報が届いてあります。かの令嬢の動きは先達ての通り決勝戦後、すぐに出立する模様です。ルートも特に変更なく街道沿いをひた走るようですね。また勝ち上がっていた冒険者のほうも毒の影響で起き上がれないようで外へ出てはいないようです」
政務官の一人が上がってきていた報告書をディレンへと提出する。それを受け取ったディレンは満足気に頷いた。そのまま顔を上げるとお抱えの部下である政務官たちを鼓舞するように宣言した。
「よろしい。そちらは予定通りだ。良いか諸君。このまま行けば勇者の優勝は間違いない。公王様の洗礼の式典が済み次第、彼奴を旗印としてグラマダへと出兵する。無論、名目は救援だがな。いいか、かの都市に残された兵力は少ないであろう。敢えて言おうカスであると! だがそれに油断することなく準備を怠るな」
「「「「「はっ」」」」」
太陽が真上に差し掛かった頃、闘技場の中は最高の熱気に溢れていた。
改修が済んだ会場の上には不適にニヤつきながら腕を組む少年と時折ふらつきながら立っているノブサダの姿がある。両手棍を支えになんとか立っているその姿をいぶかしむ視線が僅かながら飛び交っていた。対する勇者アルスは片手剣と盾を背負いニヤニヤとその姿を見ている。青を基調とした金属の鎧は全身を包みほどよく使い込まれているのか勇者の体に馴染んでいた。
『さあいよいよこの瞬間がやってきました。今年の最強を決める武闘祭の最終戦です。並み居る強豪を倒しこの舞台まで進んできたのはこの両名! 見たこともない武技を駆使し各国より来た強者を倒して勝ち上がってきたグラマダよりの刺客「ノーーーーヴ」! 対するは圧倒的な力で次々と下して来た異世界より我が国へと降臨せし希望の勇者「アルス・モヨモト」ぉぉぉ!!』
おおおおおおおおおおお
上がる歓声は街中へと響き渡る。間違いなくこの武闘祭で最大の盛り上がりを見せていた。
背から盾と剣を外しその手に持つ姿はそれはもう手馴れておりほんの数ヶ月前から扱い始めたとは到底思えない。それにあわせるかのように構えるノブサダだが今までとは違い安定感にかけていた。
『それではぁぁぁぁぁぁ武闘祭決勝!! レディィィィィィィファイッッッッッッッ!!!』
開始の合図と共に切り込んでいくアルス。下段から跳ね上げられた剣によりあっさりと両手棍を吹き飛ばされてしまう。その切り上げられた右手へ掌底を打ち込むもポスンという擬音が合うほどその威力はなく寸分もたじろぐ事はない。
「はっ、馬鹿にしてんのかぁ!!」
左手に持った盾で胴を水平に薙ぎ払えばノブサダはずざっと後方へ払い飛ばされた。ぐらりと倒れかけるもそのまま前へ進みだす。近づかせまいと突きを繰り出せばぬるりんという表現がしっくりくるうなぎのような動きで間合いの内側へと踏み込んでいた。そのまま左手にポスンと掌底を打ち込んだ。
「うざいんだよ!」
ほとんど隙間のない場所へ火の矢が何本も作り上げられそれがノブサダへと一斉に放たれた。魔力を纏った両手で払い受け流すも払いきれなかったものはその体へとぶち当たる。だが魔力纏で覆われた体を燃え上がらせることはなく服をぶすぶすと焦がすだけに留まっていた。だが、衝撃までは殺しきれなかったのかその場にどうっと倒れこんでしまう。
ふっふっふっふううと息を吐きながらその姿を見下す勇者。そしてそのまま右足でノブサダの頭を踏みつけた。
「これで……終わりか?」
その言葉を覆すようにノブサダが両手で勇者の両足首を掴み引っ張り上げればバランスを大きく崩し倒れこむ。咄嗟のことに受身も取れず後頭部からしたたかに打ち付けられもんどりうっていた。その頭へポスンと掌底が入るがまったくダメージになっていない。うざったそうに盾で振り払えばノブサダの体は後方へ転がっていった。
むくりと起き上がった勇者の額にはビキビキと青筋が浮かんでおりその怒りっぷりが強調されている。
「うざったい!! さっきからふらふらとっ! なんだか知らないがお涙頂戴ってか? そんなに僕は甘かないんだよっ!!」
勇者の周囲を囲むように十本、二十本と火の矢が生成されていく。そしてそれらは収束しどんどんと小さくなっていった。そう、その姿はまるで弾丸のような形状へと変化していく。
「行けっガンフレイム!!」
ガガガガガガガガガガガガガガ
放つ度に増える火の弾丸はノブサダへと容赦なく降り注ぐ。それはストーンスキンと魔力纏を突き抜けるものもあり何箇所も抉れ黒々と焼きついていた。火だけに皮膚は焼け血が溢れ出す事はなかったがその姿はあまりに痛々しい。会場からも「うわぁ」という声が所々で上がっていた。
打ち払う魔獣の手甲も完全に勢いを殺せていないのか削れ抉られ所々に細かな穴が開いていた。手甲の下に潜ませていた投げナイフが形を歪めつつノブサダの体を護っている。
「エレノア殿っ! なぜ試合を止めない!!」
一方的に蹂躙されるその試合運びにおかしいと訝しんだ小さな影がグラマダ勢が静かに見守る観客席へと踊りこむ。
「アジマルドさんですか。お久しぶりですね」
そんなアジマルドを落ち着いたしぐさで出迎えたエレノア。
「明らかにノーヴの動きがおかしい。あなたともあろうお方がなぜ止めないのか!? 一介の冒険者だからどうなってもいいとお考えか!」
その言葉にぴくりと反応を示すも押し黙っているエレノア。それを責める声は別の方向から飛んできた。
「お黙りなさい」
エトワールの一声でアジマルドは押し黙る。他国の貴族ということを除いても凜としたその声は有無を言わせぬ威厳があった。
「私達があの姿を見て何も感じないと本気でお思いですの? ましてや彼はエレノアの夫なのですわ。どんなに止めたくとも彼女はその意思を尊重し耐えているのですよ」
その言葉を受けてはっとなったアジマルドがエレノアをよく見れば握りこまれた手からは血が滲んでいた。我慢のあまり握り締めすぎてのことだろう。アジマルドも乗り込んできたときの勢いは消沈し思わず頭を垂れていた。
「申し訳なかった。無礼なことを言ったことを謝罪する」
「謝罪を受け入れます。そこまであの人を心配してくださってありがとうございます。夫に代わって感謝いたします」
アジマルドはその場で未だ足掻き続けるノブサダの姿を見守ることに決めた。決して目を逸らさぬように。




