第143話 ゆうしゃたちのじじょう 前編
おお、ゆうしゃよ。よくぞきた。
――う、こ、ここは一体?
放課後の誰もいない教室で足元から目も眩む程の光が溢れ気づいてみれば石造りの広間に寝そべっていた。
目の前には幾人もの所謂ところのローブのような服を着た人が成功だ成功だと声を荒げている。一人その光景に呆然としていたのだがそんな僕の前へ何人かが集まってきた。
特に目を引いたのは紫色のドレスを身にまとったまさにお嬢様然とした女性。少女というには少しトウが立っている気がする。周りには護衛らしき騎士が彼女を守るように立っていた。
騎士! 騎士だよ。その姿を見てここが元々いた日本ではなく異世界なのだと実感させる。ということは僕は召喚されし勇者かなにかなのか!
オタクだった僕の両親はいつか異世界へと旅立つであろう僕のためにこんな名前にしたと言っていた。それがまさか現実のものとなるなんて。正直、そんな馬鹿なことなどあるものかと思っていた。クラスの連中にからかわれ後ろ指を指されることなんて数える気にもならないほど日常茶飯事だった。
それでもあの両親を見て育った僕だけにライトノベルやゲームを好みオタクと呼んで差し支えないと思う。
そんなものだから元の世界への愛着など全く無い。むしろどんなチートを授かりこれからどんな冒険が待っているのだろうとワクワクしてさえいる。
「我々の呼びかけに答えていただいて感謝していますわ、勇者様」
女性がにっこりと微笑みながら優雅に礼をする。うわぁ、まさに貴族としての礼儀作法。一連の動作が流れるように舞い思わず見惚れそうになるほどだ。
「私は宰相が娘でキリシアと申します。此度は勇者様の案内役を仰せつかりました。よろしくお願い致しますね。ところでその足元の動物は勇者様のペットかなにかでしょうか?」
おっといけないいけない。つい見とれてしまっていた。僕はペットなんて飼っていないんだけどもな。足元を見やれば小型の犬が欠伸をしていた。小さい柴犬? 豆柴っていうのかな? 詳しくないから良く判らない。
僕がそれを見て首を傾げていたことから何か納得したような彼女はなにやら隣の騎士に一言二言言いつけると僕の手をとり見つめてくる。えええ、令嬢ってそんなに気軽に触れていいものなの? 今までまったく女っ気がなかった僕にとってはそれだけで心拍数が跳ね上がる事態だよ。ここまで近づけばキリシアさんから女性特有と思われる甘い匂いが鼻腔をくすぐる。ちょっと勝気が強そうな印象を受ける顔立ちだけれどその笑顔は僕のハートを一気に打ち抜いていた。
「勇者様、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「ぼ、ぼきゅは茂世本 在主と言います」
噛んだ! 大事な最初の挨拶で噛んじゃった。ううう、穴があったら入りたいよ。
湯気が出そうなほど真っ赤になっているのが分かる。
「ふふふ、そんな緊張しなくてもいいのですよ。むしろモヨモトアルス様をこちらの都合でおよび立てしてしまった事を申し訳なく思っております」
「アルスのほうが名前になります、キリシアさん」
「そうなのですか。アルス様。今、この国は非常に不安定な状態で魔王を失った西の魔族たちがいつ攻めてくるともしれないのです」
あれ? すでに魔王死んじゃってるの?
僕の出番は残党の掃討になるのかな。まあ、やたら強いであろう魔王に立ち向かわなくていいっていうのは気が楽かもしれない。どんなチートを貰っているか分からないけれど未知数なんですよ、僕は。あ、でも魔法は使ってみたいかな。
「ですのでアルス様には是非とも国の武の象徴として活躍していただきたいのです。いずれは西の領域への討伐隊が編成されることでしょう。それにその他三方では未だ魔王が健在なのです。どうかこの国を守ってはいただけないでしょうか」
うわぁ、複数の魔王がいるタイプですか、この世界。それでも直接面しているのは西だけなのでまだ気が楽なのかな。
「で、ですが僕は非力な学生だったのですけれども。いきなり戦えっていうのは無理じゃないかなーと……」
こういうときはステータスを見れる魔法や道具なんかが出張ってくるんじゃないのかな。
「そうでした。私としたことが勇者様の才能をお調べするのを忘れていましたわ。マーベク、才能の水晶を」
「はっ!」
わかめのようなゆらゆらした髪の騎士が机の上に歪な形をした水晶を置く。おお、ファンタジーっぽい。
「アルス様、こちらの水晶に手を乗せていただけますか?」
促されるまま出っ張った部分へと手を乗せる。その下の角ばったところになにやら文字らしきものが浮かび上がっているようだ。うーん、言葉は翻訳されているけれど文字は読めないみたい。
「まあ! クラスは勿論勇者、そして剣や盾の適性が素晴らしいです。火魔法の才能も非常に優れたものを秘めていらっしゃいますね。加えて神聖魔法の才能もあるようですよ。流石勇者様!」
「そ、そうなんですか、ははは」
自慢じゃないけれどインドア派な僕は剣など振るったことはない。それでも適正があるってことはこれがチートなのかな。もっとすごいものを想像していたんだけれどな。それでもこんな風に喜んでくれるってことは結構いい才能なのかもしれない。
それからキリシアさんに案内され王城の一室にて体を休めていた。明日は世界の常識や魔法を教えてくれる先生と剣術の指導をしてくれる騎士団長が紹介されるらしい。厳しいのはゴメンだけれど才能があるって前もって教えてくれているものをやるわけだからきっとメキメキ上達するんじゃない? 魔法なんかもバンバン使ってみたいし楽しみだなぁ。ふふふふ、今日は寝付けるか分からないよ。
そんなことを考えていたらいつの間にか寝てしまった。考えられないような出来事の応酬で僕は結構疲れていたみたいだ。
◆◆◆
「で、この犬はどうするんだ?」
城の裏手にある森で困ったように首をかしげつつ相方へと訊ねてみる。
「お前、キリシア様の命令聞いてなかったのかよ。我が国の勇者はあの方一人。余計な憂いは断ってしまいなさいって言ってただろう」
相方は心底呆れたようにしかめっ面をしていた。だってあの方はお前にしか指示だしてねぇぞ。どうにも俺は嫌われているみたいだしな。
それにしてもたかだか犬っころのために大の大人が駆り出されたあげく殺してしまえってか。
やれやれ、宰相様も大概だがあのお嬢様もえらい冷酷だな。俺ら末端の騎士なんてあっさり使い捨てにされそうだぜ。そう考えると俺の手の中で丸くなっている犬っころも哀れなもんだ。たまたまなのかあの坊主と一緒に来ちまったせいであっさり殺されるってんだからな。
「さっさと済ませてしまおうぜ」
すらっと腰の剣を抜く相方。前から思ってたけれどお前さんも容赦ないね。
すまんな、犬っころ。これもあんな所に招かれちまったお前さんの運の悪さのせいだと思って諦めてくれや。大人しく逝ってくれ。
そう思い俺も剣を振り上げた瞬間、急な浮遊感に襲われた。あれ? 相方、なんでお前地面に突っ込んでへぶあああ。
頭頂部から大地へと突き刺さっていく感触に意識は飛びそうになる。痛え、いっそ気絶できれば楽なのに。半端に高い自分の耐久力が恨めしい。半ばやけっぱち気味にもがく事を放棄したら何かが頭に響いた。
『兄さん方に恨みはありやせんがあっしもまだ死ぬわけにはいかない身でして。願わくば死んだことにしていただけるとありがたいこってす。しからば御免なすって』
これは幻聴か、はたまたあの犬っころなのか。先ほどまでそこに感じたはずの気配が消えたことからどうやら俺達は見逃されたらしい。何をどうやったのかしらないが簡単にあしらわれたのは確か。なんとか相方を説得して殺ったことにするしかねぇなあ。やれやれ、どうしてこうも面倒な事態ばかりおこるかねぇ。
頭が突き刺さったままそんなことを考える。あ、そろそろ息がやばい。なんとか抜け出さないとな。
おお、きしたちよ。うまってしまうとはなさけない。




