食えない二人で喰えない話をしましょう
「お姉さん」
ポン、と後ろから軽く背中を叩かれる。
私のことを『お姉さん』なんて呼ぶのは、この病院で一人だけなので直ぐに誰か分かった。
振り返れば案の定予想していた子が立っていて、ニコニコと笑顔を浮かべて私を見ている。
キラキラと粒子を飛ばしている銀髪の隙間から覗く、乳白色の硬そうな角。
真っ赤な目で私を見て「何してるの?」と問いかける。
彼はこの奇病患者病棟に入院している男の子だ。
「院長探してるんだけど」
どこに行ったのかしら、と溜息を吐きながら白衣のポケットに手を入れれば、彼は緩く頷く。
それから「あの人なら、この時間は研究室にこもるから出て来ないよ」と一言。
聞いてないんだけど、そんなこと。
奇病患者ばかりを集めた奇病患者病棟。
ここに配属されることになった私――美命だけれど、元々奇病専攻で勉強してきた訳じゃないから、毎日大変だ。
更には奇病にしか興味のない気狂い病院長は、自分勝手過ぎて付いていけない。
この野郎、なんて思いながら二度目の溜息を吐けば、目の前の彼はクスクスと笑って「じゃあ、暇なんだ」と言う。
いやいや、暇ではないよ、と私。
だが彼は私の話なんて聞く気がないとでも言うように、白衣に入れていた手を掴み引っ張る。
「オレの部屋でお喋りしよーよ」
***
一応勤務中なんだけど、と思いながらも私は彼の――アレンくんの病室でパイプ椅子に座っていた。
アレンくんの病室は109号室で、この病院には4と9の病室しか存在しない。
普通の病院ならば忌数となっている4と9の病室はないだろうけれど、この病院は別。
何故ならば奇病患者病棟なのだから。
「お姉さん、結婚とかしてるの?」
「してないけど……」
「もったいないなぁ。遊び放題の時期じゃないですか。彼氏は?」
ずっと笑顔を浮かべているアレンくんは、ベッドの上で胡座をかきながら私にあれこれ質問する。
しかもその中のほとんどがプライベート。
終いには「院長とかどう?」なんて言い出す。
絶対にないから、と否定する私を見てアレンくんは声を上げて笑った。
アレンくんは無邪気だ。
無邪気に見せるようにちゃんと笑える子だ。
ここの入院患者は聡い人ばかり。
そして達観して諦めた人しかいないのだ。
「ねぇ、お姉さんは何で看護師になろうと思ったの?」
ぐんっ、と顔を近づけて問いかけるアレンくん。
その顔にはしっかりと笑顔が浮かべられていて、早く早くと急かすように体が左右に揺れていた。
それに対しては私は「何でだと思う?」と答えにならない言葉を吐き出す。
そうすればアレンくんは笑顔を消して、一瞬だけ真顔になる。
きっと気にしてなかったら見逃す変化。
だけどその一瞬が終われば、拗ねたように年相応に唇を尖らせて不満を顕にする。
「でも嫌でしょう?奇病患者しかいない、隔離病院に移されるなんて」
奇病の人間しかいない、働いてる人だって奇病大好きな人か同じく奇病持ち。
その中でも私はどちらでもない看護師。
普通に見たら可哀想と同情される身分だろう。
だけどそれを言ったらアレンくん達も同じだと、私は思う。
勿論そんなことを言えるわけもなく、視線を宙に投げて適切な言葉を探す。
アレンくんは体を左右に揺らして、銀の粒子をまき散らしながら私の答えを待っていた。
「アレンくんは嫌?この病院」
「……ここにいたがるのはあの人くらいじゃない?」
目を細めて答えるアレンくん。
あの人とは当然病院長を指している。
好きで奇病になったんじゃない、好きでこんなところにいるんじゃない。
つまり彼はそう言いたいのだろう。
「偽善だよね。人の命を助けたいから医者になるとか。偽善で欺瞞に満ちてる」
アレンくんの言葉を聞いて漏れるのは苦笑。
驚くことはない。
初めて会った時にもアレンくんは、笑顔だったのに一瞬だけ真顔になって私を見ていたのだから。
笑いながら相手の奥底を見抜こうとするような目をしていたなぁ。
人は生まれながらにして善人か悪人か。
本質的なことは分かりはしないのに、アレンくんはきっと悪人だと思っているんだろう。
透き通るような銀髪を掻き上げるアレンくん。
指先に当たる角の感触に顔をしかめていた。
「人を救うことで自分が救われる、なんて話はよくあるから。医者はその代表例よ。他人様の命を預かってるだけあって、その分の責任も重いけれど」
アレンくんの綺麗な銀髪に手を伸ばす。
私の重そうな黒髪とは違って、軽くて綺麗に光るこの髪が羨ましかったりする。
サラサラとした指通りを感じながら、彼の頭を撫でれば少しだけ彼の眉が歪む。
「全部を他人にあげられる人間なんて、いるわけないんだから」
さらり、と髪の毛を梳けばアレンくんと目が合う。
血を吸ったような赤い目は、子供の割にギラギラしていて気圧されそうになる。
お姉さんも?と問いかけるアレンくんに対して、私は首を軽く傾けた。
「お姉さんもオレに全部くれないの?」と甘えるような、ほんの少し鼻にかかった声で問いかける。
私は傾けた首を戻して、顎を引くように頷く。
今にも舌打ちが聞こえてきそうな勢いで、顔を歪めるアレンくんに笑みが溢れた。
達観してるように見えても子供か。
「アレンくんが全部くれるならあげる」
「……ちぇっ」
その顔から完全に笑顔が消えて、子供らしい顔になった瞬間に撫でていた手を止める。
病室に備え付けられている時計を見ればもういい時間になっていて、そろそろ病院長も一段落していて欲しい時間。
パイプ椅子から立ち上がり、アレンくんに「そろそろ行くわね」と言えば小さく頷く。
またね、と手を振って扉を閉めた時に「喰えないなぁ」なんて声が聞こえたけれど、気のせいだと思うことにしよう。