犠牲の果てに得るものは
初めに襲ったのは衝撃だった。
ガン!! と、土下座させられるような格好でクロアは地面に額を打ち付ける。彼は広大な広間の中心部にひざまずかされていた。
場所は四天室。
見上げれば四人の偉大な天使たちが椅子に座っており、それぞれが玉座に座る王のような貫禄を持つ。クロアは二人の兵士たちの手で床に押し付けられるような格好で拘束されていて、とてもじゃないが身動きは取れない。
もちろん、兵士二人程度ならば元帥のクロアの手には及ばない。
だが、見上げればそこに最強の天使が四人揃っている。勝ち目はない。うまくいけば四大天使でもクロアならば倒せるが、その四人の天使の内―――不気味に笑っている男にだけは勝算がなかった。
「クロア、荒々しい拘束でごめんね? 僕としても胸が痛いよ」
大天使ミカエル。
ただ一人、恐らくは四大天使の中でも最強だろう勝てなかった宿敵だ。奴とは正面からやりあっても、心の底から勝てる自信はない。
故に、今は現状を確認する。
少し離れたところでは、自分と同じように乱暴なやり方で兵士二人に拘束されているサタンがいた。彼女は泣きながらクロアの元へ行こうとするが、もちろん、子供の力が屈強な天使二人に通じるはずがない。
「……ミカエル、テメェ。そこのガキになにかしてみろ。俺は今ここでテメェ以外の奴らを道連れに死ぬぞ」
「おお怖い。『実際にやった』君が言うと、冗談に聞こえないんだよね」
「黙れ。要件はなんだ」
自分を見下ろす四大天使の中には、見知った顔もあった。アルファンク・ウリエル。長い白金の髪とメルヘンチックなドレスが特徴的な、綺麗な女天使だ。彼女は申し訳なさそうに小さく頭を下げてくる。どうやら、現在の『サタンの回収』に対しては反対派なようだった。
どうする。
このまま、もしもサタンに何かあったら……。
「ねぇクロア、『邪鬼魔躙』という伝説を知っているかい?」
不安が募っていくクロアに、因縁の深い相手のミカエルが言った。
伝説、その言葉には心あたりがない。
「昔の話でね、天使とは対になるまったく別の生物。『天が体を与え地が命をさずけた』という最強最悪の存在のことだよ。一説によれば、『邪鬼魔躙』は天界を滅ぼすこともできる力を秘めているらしい」
「カッコイーねぇオイ。めちゃくちゃカッケー童心に帰れるような話じゃねえか。で? その最強最悪の天使を滅ぼすかもしれない存在ってのが―――」
「そう。そこのサタンくんかもしれないんだ」
「ハッ。くだらねえ」
鼻で笑ったクロアは、馬鹿にするような笑顔を浮かべる。
「ようは、ガキ一人に偉大な四大天使様が動いた理由は、俺ら天使がガキ一人にボコボコにされそうで怖いって話なんだろ。情けねえなーオイ、あんたらそれでもカリスマエンジェルなんですか? アイドルがビビってステージから逃げてどうするよ、このクソ共が」
「貴様!! 立場をわきまえろ!!」
ズン!! と、脇腹に衝撃が走った。クロアを拘束している天使の一人が、四大天使を前に無礼すぎる彼に堪忍袋の尾が切れてしまったのだ。
靴底が脇腹に埋まる。
何度も何度も蹴り潰されて、ついに血を吐きだしたクロア。四大天使の前に手も足も出ない彼の姿は、一方的に暴力を振るわれるサウンドバックのようだった。
「クロア!! や、やだ!! やめろお前らッ!!」
「大人しくしろ!! もとはといえば貴様が全ての元凶だろうが、この化物が!!」
「っぐ!?」
無理やり床に押し付けられて、クロアの元へ駆け寄ることも許されないサタン。彼女は必死になって起き上がろうとするが、やはり身動きは取れないままだった。
「さてと。それじゃあ、俺が直々に検査してやる。喜べよォ、クロア元帥」
立ち上がったのはラファエルだった。
彼は近くの部下から一本の刀を受け取った。一瞬で顔から血の気が引いたクロアは、吠えるように怒声を上げる。
「っ!! テメェ、何をする気だ!! ただの検査って言ってただろうが!!」
「はは、バーカ。だから検査するんだろう? もともとは、サタンが『邪鬼魔躙』としての力を発動した場合、即刻殺す予定だった。けどまぁ、それじゃどう考えても遅い。既に被害が出てから対処するより、さっさと『予防』しておくのが一番だと僕が提案したんだ。そうした結果、四大天使の内、俺とミカエルが『予防』に賛成。四大天使の半数が賛成した提案は可決されるのだから、これは間違っていない行為だよ」
「予防……だと……?」
「そうさ、クロア。ただの予防。検査とは彼女を傷つけることで『彼女は危機的状況に陥り、「邪鬼魔躙」としての力を発動させてしまうのか』を調べるための検査。メインは予防だ」
ニヤリと口元を歪めて。
床に押し付けられるように拘束されているサタンの前に立ち、刀の先を彼女の顔に突きつけて。
「殺しはしない。ただ、いつでも殺せるように手足をちょっと落とすだけだ」
頭に血が逆流する。
思わず手当たりしだいに命を刈り取ろうとしたクロアだが、怒りを制御して冷静に対応することを心がけた。
「それが、予防だってのか……? あらかじめ弱らせておいて、いざサタンが暴走した時に、すぐにサタンを殺せるようにするわけってか?」
「そうとも。だからさ、そのために君を連れてきたんだ。俺がうっかりこの娘を殺さないよう、危なくなったら止めて欲しい。だからしっかり、この子が死なないレベルで傷つく様を見届けてくれよ」
「―――っ」
クロアはこの時、知った。
サタンを手負いの状態にする真の理由は、ザンラード・ラファエルという男の提案らしい。
ならば、もしや。
(こいつ、まさか……!! 単純な俺に対する憎しみから、こんな馬鹿げてることを!?)
「じゃあ」
刀を振り上げる。
息を呑むサタンを無視して、クロアを傷つけることに特化したラファエルは嘲笑する。
「まずは顔だ。その銀の瞳、一つぐらいなくてもいいだろう?」
打つ手などない。しかし、それでもクロアは、無駄だと分かっていても飛び出そうとした。どうせミカエル達四大天使の手で倒される未来なのだろうが、それでも、ここで傍観しているよりは再び反逆してでもサタンを助けようとした。
しかし。
彼が動くよりも前に。
「ま、待って下さい!! ラファエル様!!」
四天室の扉が開き、三人の少女が入出してきた。すぐに四大天使の前で膝をつき、何事かと眉を潜めるラファエルに彼女達は頭を下げる。
北方軍元帥、ファーリス・エルサンガー。
東方軍元帥、アルスメリア・エファー。
南方軍元帥、リリル・シャルーズ。
彼女たちは深く深く頭の位置を下げたまま、リリルが代表して口を開いた。
「ど、どうかお考え直しください!! 突然の乱入、無礼なことは百も承知です!! ですが、どうか彼女を傷つけることだけは……!!」
「ほう。貴様、南方軍元帥のリリル・シャルーズだな―――戦争の道具としか扱われず、戦うこと以外には能がないクソガキが何を吠えている」
「っ」
低い声に身を竦めるリリルだが、それでも臆病な彼女は折れなかった。
「お、お願いします。サタンちゃんの代わりに、私を傷つけてもらっても構いません。皮を剥ごうと、骨を折ろうと、存分に罰を与えてくださって結構です!! ですからッ!! どうか、どうかサタンちゃんだけは、見逃して……ください……!!」
歯はカチカチと音を漏らす。
言っていることに心の整理などついておらず、しかしそれでも、自分の未来を捨ててでも離してはいけないもののために。
彼女は、リリル・シャルーズは立ち向かう。
「そうか。ふむ……ならば、そうだこうしよう」
顎に手を当ててニヤニヤと考え込む素振りをし、演技がかった口調でラファエルは言った。
「ならば、貴様がサタンとかいう小娘を切ればいいだろう」
リリルの傍によったラファエルが、そっと彼女の肩に手を置く。まるで蝕んでいくような冷たさが皮膚を刺激し、気づいた時にはリリルの手に一本の刀が手渡されていた。
ラファエルの言いたいことは簡単だ。
そんなにサタンの命が心配ならば―――お前が手加減をして切ってやれということだろう。
「さぁ切れ。私がやるより、サタンとかいう小娘の友人のリリル元帥がやった方が安心できる。そうだろう、クロア元帥?」
「……ゲスが」
「おや、私がやってもいいんだぞ。まぁもちろん、サタンくんの友達でも何でもない私は、うっかりと彼女の首を落とすこともありえるが」
八方塞がりだ。
瞳を不規則に揺らして、焦点のあっていない目で持っている刀を認識するリリル。幼い彼女の手にはあまるほどの長刀だが、それでも、元帥の地位に君臨するリリルにとっては軽いおもちゃのようなもの。
つまり、自分が斬るしかない。
初めての友達を、この手で、殺さないように殺すしかない。
「……ぁ」
意味もない声を漏らして、拘束されているサタンを見下ろす。どうすればいい。自分は彼女を助けるためにここへ来たのに、結果、彼女を下手をしたら殺してしまうかもしれない立場にいる。
どうする。
いや、どうしてどうすればどうなるのだ。ここまで事態に踏み込んでしまった以上、もはや逃げることはできない。大天使ラファエルの言いつけ通り、立場的にもここは刀を振り下ろすしか道がない。いや、そもそも、『ずっと上からの命令に従ってきた道具』に過ぎないリリルは、大天使からの命令に逆らえない無意識の屈服をしている。
道具は持ち主に逆らえない。
逆らったら、もう、きっとリリルは見捨てられるから。
だけど、
(や、やだ……サタンちゃんも、傷つけたくない。こ、こんなのおかしいって分かってるのに、逆らうのが、こ、怖い……!!)
何をすれば道は切り開ける。
何をしたら、何がどうなって変わってくれるのだ。
(さ、サタンちゃんを、斬る……? む、無理だよ。無理に決まってる、サタンちゃんを斬ったら、たとえ殺さなくても、それでも斬ったなら……もう……)
友達を斬殺しかけたら。
彼女を助けるためとはいえ、友達に苦痛と絶望を与えてしまったら。
それはもう。
きっと、その時点で、リリルとサタンをつなぐ『何か』が壊れてしまう気がする。
その『何か』とは、とてももろくて。
その『何か』とは、とても温かくて。
その『何か』とは、とても……。
「―――大丈夫だよ、リリル」
ふと声が響いた。
恐怖など微塵も感じていない、『何か』が壊れることなどない確信を持ったサタンの声だ。
「……サタン、ちゃん……?」
「大丈夫だ、きっと。我輩はよく分からない。説明もできない。けど、きっと、我輩とリリルは―――壊れたりしないんだ」
笑っていた。
この状況の中、耐え難い苦痛を与えられる側のサタンは、無邪気にただ笑っていた。それは分かっているからだ。たとえ幼くとも、たとえ天使ではない最悪の化物だとしても、共に『友達』がいなかったリリルのことはよく分かる。
自分も、同じことを不安に思っていた。
だがしかし、確かに『何か』とは壊れてしまうものかもしれないが。
「壊れたって、消えたって、我輩とリリルは離れ離れにはならないよ。だって我輩は、リリルに友達になってくれて嬉しかったし、遊んでくれて幸せだったから」