昔話と十字架
西方軍と北方軍の合同任務が与えられた。西方軍元帥のダーズ・デビス・クロアは、北方軍元帥のファーリス・エルサンガーと共に隊を率いて山道を登っている。辺りを支配する邪魔な木々の群れと険しい道のりは、隊全体の士気を下げることには十分だった。
くわえて。
今回の任務は、超級危険獣の討伐。天界の中心部から離れた、この田舎の方で最近多発している事件―――一体の翼竜が森に住み着いて、迷い込んだ者を餌にすることが多くなっているらしい。情報によると全長百メートル、翼は広げれば二百メートルにも達するだろう巨大な翼竜らしいが、正直、その巨体をどうやって森の中に隠しているのか分からない。
これでは八方塞がりだ。
討伐対象の居場所も分からないならば、クロア達も迂闊な行動を取れない。
「どこにいるんですかねー、ドラゴンちゃん。早くしないと、隊員の皆さんのモチベーションも下がりまくるし……ちょっとまずいかも」
「ったく、上も面倒くせえ仕事を押し付けやがって。俺は動物虐待なんざゴメンだぞ」
「仕方ないですよ。命令絶対、これ常識です」
「分かってるよ。しかしまぁ、一体どこに潜んでるのやら……」
山道を行く大部隊の先頭を歩く二人は、緊張感を適度に持って言葉を交わしあっていた。ファーリスは日本刀型の長刀、『雪刀』を腰にさしていて、意外と刀を使う肉弾戦タイプとは予想外だった。一方、クロアは一丁の拳銃、リボルバー式の『魔浄天銃』という己の魔力を弾丸にして射撃する愛銃を手にしていた。
天使とは魔法以外にも、こういった武器に魔力を重ねることで戦うスタイルも取る。クロアやファーリス以外の天使たちも、各々の扱いやすい武器を持って討伐任務に励んでいた。
「ところで、クロアさん。一つお聞きしたいのですが」
「ん? 何だよ急に」
「―――『サタン』という名前をあの子に付けたようですが、どんな意味があるのですか? みんなで桜の下で食事を取っていた時も、アルスメリアさんが動揺していましたが」
「……」
クロアは沈黙する。
言いたくないことなのだろうが、それでも、好奇心に負けたのかファーリスは答えを待っていた。
「……どっかの昔話を聞かせてやる」
ふとクロアは言った。
どうしても直には教えられないことなのか、彼は遠まわしに説明してやった。
「その昔、偉大な四大天使の一人、大天使ミカエルに歯向かった大罪人がいた。田舎で暮らしてた罪人は、特別何の訓練も受けていない不良程度の素人だ。だが、その罪人は古い付き合いのとある女天使の妹を助けるために天界全体へ喧嘩を売ったんだよ」
「妹、さん……?」
「その妹は、冤罪をかけられて処刑されそうになったんだ。当時は天界全体の人口が爆発的に上昇していて、邪魔になってきたから、天界軍総本部は『いらない民』をぶっ殺すことにしたわけだ。経済的な理由も含めて、人口が増えすぎればいろいろな問題は生じるからな」
「……」
ファーリスの顔が険しくなる。
クロアは長く生きているため、見た目こそ少年だが天使の年齢で言えば大人だ。いくつもの地獄をファーリスより経験して、苦悩し絶望した数も両手の指の数じゃ足りない。
つまり。
天界の醜さも、彼はよく見て生きてきた。
「だから、その餌食に友人の妹はなったんだ。赤の他人が殺されることには、そこまで怒りなんぞ燃えない罪人だった。だが、まぁ当然長い付き合いの友達の妹が殺されると知ったら、そりゃさすがに拳を振るっちまったんだよ」
「大天使、ミカエル様にですか……?」
「そうらしいぜ。馬鹿だからさ、そいつ。処刑されそうになった友人の妹を救うために、ヒーロー気取って天界軍総本部に殴り込んだんだ。まだ妹ちゃんは殺されてねえから、希望があったから、何としてでも処刑が執行される前にミカエルをぶん殴って馬鹿げた処刑を止めようとした」
「それで、どうなったのですか? 妹さんは?」
「―――殺されたよ。しかも、その罪人と姉の前でな」
クロアは特に表情を変えることなく、ただ事実のみを吐き出していた。その『とある昔話』は、最終的に大切な人を救えなかったことになっている。それでは、反逆した罪人は一体どういう結末を辿ったのだろうか。
その答えは。
とても残酷なものだった。
「罪人は捕まり、檻にぶち込まれた。罪状は大量殺人だからな、まぁ死刑で当然だった。なんせそいつは、天界軍総本部に所属する天使たちを―――約一千人ぶっ殺した化物だった」
「っ!? い、一千人……!?」
「当時の元帥クラスの天使も、当時の四大天使もミカエルを除いた三人を殺したんだ。そりゃ怪物扱いで当然さ。まぁ、結果的にその罪人は大天使ミカエルに負けて捕まったんだが」
苦笑するクロアの横顔は、あまりにも悲しげだった。大切な人の妹を守ることができなかった、という点を悔やんでいるのではない。彼はきっと、『千を超える命を奪ってまでして、何も守れなかった』という徒労に対して呆れていたのだ。
それだけの十字架を背負って。
シャワーを浴びる調子で幾度となく返り血に身を染めて、生を踏みにじる行為を千回繰り返した。
だが、何も得るものはない。呆れて当然の、無駄な絶望だったのだ。
しかし。
「だが死刑執行の三日くらい前のことだ。檻の中にいた罪人の前に、大天使ミカエルが現れた。奴は嘲笑を浮かべながら、死を待っていた大罪人にこう提案したんだ」
「提案、ですか?」
「そう。『死ぬまで天界軍総本部で働き、その強大な力を使って死ぬまで戦え』だと。そうしたら助けてやるって、罪人に希望の光を照らしやがった。だが当然、友人の妹を殺したクソ共の犬になんざなりたくねえから、罪人はそれを断った。したら、ミカエルは最後に爆弾を落とした」
クロアは低い声で。
この世のものとは思えないドス黒い瞳を細めて、こう言った。
「『従わないなら、今度は姉の方を殺す』」
「っ」
「そう言われて、結局、手も足も出なくなった罪人は今も天使の犬になってるらしい。本当なら馬鹿な奴だよな、威勢良く喧嘩を売ったら一人も救えず、だけど千人は殺して、結果的にミカエルに返り討ちにあってやんの。―――まぁ、あくまでどっかの馬鹿の話だから、適当に忘れろ」
しばし唇を引き締めるファーリス。
だが、彼女は意を決して聞くべきことを聞いた。
「その、それで……その話から、何が『サタン』という名に繋がるんですか? 後、もしかして殺された妹さんの姉、罪人の友人ってもしかして……」
頭に浮かぶのは、クロアに赤面するアルスメリアの顔。薄々気づいてはいたが、彼女は間違いなくクロアに好意を寄せている。今までは微笑ましい光景だと思って流していたが、もしも先ほどの話の中に彼女が登場しているならば……。
アルスメリア・エファー。
彼女は、どういった心境で日々を生きているのだろうか。ましてや、どうして『罪人』や『妹』を苦しめた天界軍の下で働いているのか。
ますます、困惑が激しくなる。
一応全ての疑問に答えてくれるのか、隣を歩くクロアが口を開いた。
しかし、邪魔が入る。
ゴバァァァァァァ―――――ッッッ!! と、爆炎が撒き散らされた。
すぐ目の前を炎の激流が飲み込んで、山の一部を焼失させた一撃が炸裂したのだ。
「っ、討伐対象の竜ですか!?」
咄嗟に辺りを見渡すファーリスだが、やはり全長百メートルを超える巨体は見当たらない。どこだ。一体、どこからどうやって炎を放出してきた。
混乱する隊全体だが、ただ一人、彼だけは冷静に上を見上げていた。
ダーズ・デビス・クロア。
彼は冷や汗を流して、苦笑いを浮かべたまま空を見上げている。
「は、ははー、なるほどねぇ。そうだな、確かに百メートルを超える巨体なんざ、森の中に隠せねえ。となると―――上に隠れるしかねえわな」
釣られて、ファーリス達も上を見る。
そこには。
翼を大きく広げて雲を吹き飛ばし、一直線に地上へ降下しながら、岩をも噛み砕くだろう牙を見せびらかすように口を開けている―――禍々しい黒い体色を持つ翼竜が迫ってきていた。
咄嗟に緊急避難をするクロア達。
しかし、向かってくる竜の速度が速すぎて間に合わない。
(想像以上に、大きい……!! これは、少々まずい気がしますね!!)
顔を歪めて、魔力を込めた刀を構えるファーリス。
全ての隊員が予想を上回る竜の巨体に度肝を抜かれたようで、ほとんどが使い物にならないとファーリスは判断した。まずい。ここは山の中でもあるため、すぐに避難するための逃亡ルートも存在しない。あたりは木々の群れに防がれてしまっているからだ。
思わず生唾を飲み込む。
一向に状況を打破する方法は見つからない。このままでは、死ぬ。
絶望を痛感した、その時。
ゴバッッッ!! と、輝く閃光が竜の腹を突き破った。
まだ空にいた翼竜は翼の制御を失い、派手にファーリス達の前に墜落する。
血を撒き散らして、悲鳴を上げながら竜は悶えていた。まだ絶命には至らないが、それでも、圧倒的すぎる一撃に対処できなかったことは恐怖だろう。
そして。
超級危険獣を一発でダウンさせた者とは、当然。
「悪いな、速攻で埋葬してやるよ」
その圧倒的魔力を弾丸に変えて、撃ち落とした者こそ。
西方軍元帥のダーズ・デビス・クロア。かつて天界を滅ぼしかけた最強最悪の反逆者であり、その実力はかつての四大天使を一人残して葬るほど。千人以上の天使の虐殺を行い、当時の天界を滅ぼしかけた史上最悪の大罪人である。
「シングルファザー舐めんなよ。さっさと帰って娘の相手をしなきゃならねえんだ」
瞬間。
ダーズ・デビス・クロアは膨大な魔力を高めて、山のように巨大な翼竜を見上げて動く。一瞬で翼竜の背中へ飛び移り、ただ無造作に右足を叩きつけた。
まるでサッカーボールを蹴るように、竜の体を蹴り飛ばす。
結果、魔力がこもっていた蹴りは簡単に竜を吹き飛ばし、山の自然をめちゃくちゃに壊しながら転がっていった。しかし終わらない。続けて彼は倒れている翼竜の顔に移動し、眉間に狙いを定めて『魔浄天銃』の引き金を引く。
ゴバッッッ!! と、その魔力の弾丸は竜の脳を確実に揺らした。
しかし脳までは届かなかったのか、悲鳴を上げて翼竜は飛び立とうとする。クロアの圧倒的戦闘能力に怯えたのか、一時撤退を目論んでいるようだ。
が。
「鬼ごっこは嫌いなんだよ。俺、足遅いから」
溢れ出ていた魔力を右手に集中させる。
直後、ミサイルのように爆発的な速度を持って飛び出して、一直線に竜の顔へ移動する。咄嗟に口から炎を吐こうとする翼竜だったが、大きく開いた口の中が赤く光っていくだけで、それ以上の炎は飛び出さなかった。
なぜなら。
ダーズ・デビス・クロアは魔力を凝縮した右手を竜の口に突っ込み、ただ唱えたからだ。
「『絶無消滅』」
次の瞬間。
光輝く魔力が竜の巨体の内部で膨れ上がり、風船が割れるように竜の内部から爆発した。しかし膨大な魔力は収まらず、辺りの自然を焼き払いながら山の一部を削り取った。
轟音が響き、ファーリス達は耳を抑える。
ただ一人で超級危険獣を討伐した男は、返り血に汚れて帰ってきた。
「……クロア、さん」
「帰るぞ。さすがに疲れたからな、サタンの奴も待ってるだろうし」
一人で戦い、一人で鉄臭い臭いを被った彼は、何ともなさそうに歩き出す。―――天界という首輪に繋がれて、何も得ることのない殺戮を繰り返し、無意味に戦う天使は去っていこうとする。
アルスメリアを天界から守る為なのか。
はたまた、彼女と彼女の妹を救えなかった罪滅ぼしのつもりなのか。
正直、どちらでもいい。
だからファーリスは、ただ腰にさしている美しい日本刀『雪刀』を抜刀する。
そして。
まだ生きていた竜が、こちらに迫って来ていた。
上半身だけを使って、必死にクロアを殺そうと這い進んでくる。
だから刀を振るう。
ただ水平に振り切って、カチンと鞘に収納する。
その瞬間。
ピーっと赤い線が翼竜の頭頂部から顎に生まれていき、一拍置いてから、振ってしまった炭酸飲料のように勢いよく中身が噴き出した。
真っ赤な液体が散布されて、クロアと同様に返り血を浴びる。
同じように、命を奪った者の証である血を纏う。
「クロアさん……私、決めました」
今度こそ絶命した竜の死体を背にして、ファーリス・エルサンガーは微笑んだ。彼女の実力に呆然としているダーズ・デビス・クロアは、自分と同じ鮮血に汚れた少女を見る。
悪くない静寂が流れて。
ファーリスは、優しい笑顔を浮かべたまま言った。
「私、クロアさんの『親友』になりたいです」
「……は?」
「ですから、親友ですよ親友。友達の最終形態版、みたいな?」
「いや、急に何を言ってんだよ。どうして俺なんかを、急に……」
「―――急に、あなたを支えたくなったからです。恋人ポジションはアルさんに譲っていいですが、純粋に私は、もろくて弱いあなたを放っておけなくなりました」
「……」
そっぽを向くクロア。
対して、ファーリスは彼の手を握り、強く宣言した。
「私はあなたの親友ですっ! だから、ちゃんとお互いに頼り合いましょうね!!」
「……親友とか、自称するもんか?」
「いいんですよ、これから親友になっていく感じですから。今度からは、一緒に遊びに行ったり喧嘩したり、親友らしいことをしましょうねっ」
その優しい笑顔に歯向かえなかったクロアは、そっぽを向いて呟いた。
どこかふてくされるように、子供のように。
「……まぁ、悪くはないけど」
「はい! 悪くないです!!」
同じように血で汚れた手は、ファーリスにとても似合わない。しかしそれでも、アルスメリアやサタンなどの『守りたいもの』があったクロアだが、彼には『一緒に戦ってくれる人』はいなかった。一緒に『守りたいもの』を守るために戦ってくれる、支えてくれる、信頼できる相手はずっといなかったのだ。
だから。
返り血に身を汚している者同士、手を握り合っている今。
クロアはようやく、背中を預けられる存在を得た。
もう、一人で血を浴びる必要はなくなった。共に鮮血を被ってくれる、心強い味方ができたから。