礼儀と悲鳴
場所は同じく天界軍総本部。
一人の少女が、軽快なスキップをしながら城内の廊下を進んでいた。横に設置されている窓から眼下の景色を眺めて、ニッコリと微笑み楽しそうに鼻歌を漏らす。
格好はシンプルだった。
白いワンピースを着用して、可愛らしい同色の靴を履いている。その長い亜麻色の髪はツインテールにしていて、歩くたびに小さく揺れるところがまた可愛らしさを含んでいた。
名をファーリス・エルサンガー。天界軍の北方軍を率いる元帥であり、その肩書きから察せる実力は本物だ。誰もを魅了させる美貌もあってか、天界軍の中では四大天使に並ぶレベルで有名だったりもする。
「今日は目覚めがよかったです。ふふ、やっぱり朝から気分がいいと良い一日になりそうな気がする」
ニコニコと笑うファーリスは、スキップをやめてゆっくりと歩き始める。窓から見えるのは、ここ天界軍総本部の周りを支配する森と、その先に存在する天使たちの街だった。忙しくて街へ遊びに行くこともできないが、それでも、こうして民を守っている仕事柄『平和な街』を認識すると仕事の達成感が生まれるのだ。
その時だった。
前から、一人の女性が歩いてくる。カツカツと足音を鳴らして、常に油断を見せないような鋭い瞳を持つ、綺麗な女性の天使だった。腰には一本の刀を鞘にさしており、赤を基調としたロングコートに身を包んでいる。
衣服と同様の、輝くストレートの赤髪をポニーテールにしている彼女の名を―――四大天使の一人、レブルード・ガブリエル。天使最強の四人の一人、つまりは最高位に立つ偉大な大天使様だった。
しかし。
自分にとっては上官にあたるガブリエルを素通りし、すれ違いながら無言で去っていくファーリス。鼻歌をつむぎながら歩いていく彼女だったが、そこで背後から声がかかる。
「待て」
「……なんですか?」
呼び止められて、少し時間を置いてからファーリスは振り返った。そこには案の定、四大天使の一人ガブリエルが目を細めて立っている。
「貴様、ファーリス・エルサンガー元帥だな」
「そうですけど、なんでしょうか?」
「元帥の貴様が、上司にあたる私に挨拶の一つもなしか。それでは貴様の部下共が、挨拶もできない元帥に影響されて礼儀をおろそかにするだろう」
「ああ、えーっと……お疲れ様です。それでは」
ニッコリと微笑み、あっさりと立ち去ろうとするファーリス。
対して、呆れるような溜め息を吐いたガブリエルはもう一度声を叩きつける。
「もう一度待て」
「えー……こう見えて、結構忙しいのですけど」
「何が忙しいだ。貴様を呼び止めた理由など、礼儀に対する不満のみなわけがない。―――先月の活動報告書、貴様だけ未提出だぞ。いい加減に出せ、こののろまが」
「……あ」
「あ、じゃないだろうが!! 宿題も出せないガキか貴様は!!」
これで元帥なのだから、いろいろとガブリエルは不満が募るのだ。いつもニコニコしていて、物腰は静かで、どんな時でも動じることのないファーリス。くわえて彼女は実力も高く、個人的な能力は素直に認めている。
ただし。
「そういえば、そんな日誌みたいなものもありましたねー。んん? ですけど、あれれ……? そういえば活動報告書って、隊員たちのことも含めて書くんですよね。それだと、みんな頑張って戦っていたので百点満点でしたよ」
「だったらそれを書いて提出しろ!! せめて!!」
「あ、それでいいんですか。なら今度やって出しますねー」
「今すぐ帰ってやれ!!」
このように、一軍を率いる元帥としては役不足に感じる。個人的な力がどれだけ高くても、部下を時にはきつく、時には優しく扱い、上に立つ者として責任ある行動を取ることには向いていないのだ。
呆れてしまい、再び溜め息を落とすガブリエル。そんな彼女と別れて、ファーリスは再び歩き出した。報告書といっても、特に記入すべきことはないのだ。いつものように天界の治安を守るために犯罪者と戦い、化物と戦い、魔力を使ってとにかく戦う。
「あーあ、いい気分だったのに台無しです」
仕事といえば、実質的にそれだけ。
故に、面倒くさいなと呟いたファーリスは顔をしかめた。
直後。
甲高い悲鳴が炸裂する。
すぐそこの曲がり角の先、食堂の方からそれは聞こえた。
「―――っ」
即座に飛び出したファーリスだが、既に悲鳴は止んでしまっていた。
角を曲がる。
音の発生地点へたどり着く。
その結果。
そこには、腕や足に切り傷を負った女性がいた。くわえて、複数の男たちとにらみ合っている者―――西方軍元帥のダーズ・デビス・クロア。そして、彼の腰元に隠れている銀髪の幼い女の子がいた。
「昼飯はどうすっかなー。おいサタン、何が食いたい?」
「ラーメン!! 豚骨ラーメンがいい!!」
「ラーメンだぁ? んー、ラーメンねぇ……うーん……でも昼にラーメン食うと、夜の仕事に支障が出そうな気が……」
「夜のお仕事? ベッドの?」
「ラーメンは却下だ。マセガキに食わせる飯なんざねえ」
「ご、ごめんなさい!! だからお願い、ラーメンを恵んでください!!」
腕にしがみついて、必死の懇願をするサタン。対して、本気でそんなことを思っていないクロアは、サタンの反応を見て楽しそうに笑っていた。
「ま、食いたいなら食わせてやるよ。俺にとってお前は、娘みたいなもんだしな」
「ほ、ほんとか? ラーメン食べれるのか!?」
「おう、たんと食え。じゃねえと一生ロリのままだぞ」
横を歩くサタンの頭をポンポンと撫でて、小さく苦笑するダーズ・デビス・クロア元帥。根っこは兄貴肌なため、意外と年下に振り回されることに不満などは持たないのだ。
二人は城内の廊下を歩いていた。
現在は食堂に向かっており、クロアの書類整理などの仕事もひと段落したので、仲良く昼食を取るのだ。ほとんどサタンの父親代わりか兄代わりとなっているが、クロアも案外まんざらではない様子である。
「……あ?」
しかし。
ふと、そこで気になるものが視界に映った。丁度、目当ての食堂内では面倒事が起きているようである。大きな入口を通って食堂へ入ると、何やら、ウエイトレスの仕事をこなす女性が男達に蹴り飛ばされていた。
ガシャン!! と、彼女が持っていた料理が乗った大皿が落ちる。
派手に砕け散った破片の上に、女性のウエイトレスは転倒した。腕や足が少々切れてしまい、涙目になって身を震わせている。
彼女はたくさんのギャラリーにも囲まれていて、見世物のように暴力を振るわれていた。
「……くそったれが。飯の前に食欲が失せるような真似しやがって」
はぐれないようにサタンの手を右手で握る。
そう低い声でつぶやき、ギャラリーの群れへただ足を踏み出す。歩く。それだけの動作で、元帥の立場にいるクロアに気づいた者達は勢いよく身を引き頭を下げていた。
こうして、あっという間に面倒くさい現場へ到着。
クロアの姿を見た男達―――女性ウエイトレスを攻撃していた三人の天使たちは、ビクッと固まって後ずさる。
まるで、先生にいじめをしていることをバレた学生のような情けない反応だった。
そんな彼らに溜め息を吐いたクロアは、倒れたままの女性ウエイトレスに手を貸す。ゆっくりと腕を引き上げて、意外と深い傷口に気づき心配の声をかけた。
「おいおい、大丈夫か? 結構深く切ってるな……さっさと消毒してこいよ」
「っ! は、はい、全然大丈夫です!! そ、その……私が、ただ料理を持っていくのが遅かっただけなので……」
「いいから、とっとと行ってくれ―――あ、それと」
クロアは指を2本立てて、突き出す。
そして言った。
「豚骨ラーメン二つ、よろしく」
「は、はい。かしこまりました」
ゆっくりと振り返り、冷や汗を流している三人の男達を見る。どこの部署だろうか。少なくとも、自分の管理する西方軍に所属する天使たちではない。
「んで? 男三人で可愛いウエイトレスさんをいじめる理由ってのは何だよ。こっちは子育て押し付けられて、仕事に追われて、それでなくてもイライラしてるのに―――テメェら、なめてんのか?」
「っ」
息を飲む音が聞こえた。
クロアの鋭い瞳に射抜かれて、三人は見て分かるほどに動揺する。しかし、その内の一人が震える声で上司にあたるクロアへ口を開いた。
「そ、その、あまりにも注文をしてから時間が経ちすぎていて……だ、だから、きちんと『天使』として正してやろうと教育をしていただけです」
「モノは言いようだな。『注文して飯が来ねえ、だからムカついてウエイトレスをぶっ飛ばした』って正直に言えよ」
「ち、違います!! 客を優先するはずなのに、客を不快にさせたから……!!」
「だから、暴力を振るうと? それが正しいってか?」
「……そ、そうですよ。クロア元帥、私たちは何も間違ったことはしていません」
「ふーん」
そもそも食堂や飲食店とは、実際に料理を作る者から出来上がったものを運ぶ者までいる。つまりウエイトレスだけが悪いわけではない。あくまでチームプレイなのだから、あの女性ウエイトレスだけが殴られる理由にはならないはずだ。
くわえて。
この三人の男達、自分たちの行動を正義だと本気で思っている。
「……じゃあさァ」
やはり天使とは歪んでいる。
よって、天使らしくない嗜虐的な笑みを浮かべたダーズ・デビス・クロアはこう言った。
「態度が生意気な部下を教育するために、俺は今から暴力を使います。……もちろん、これも正しいことだよなぁ? あぁ!?」
「―――っが!?」
ゴッッッッ!! と、鈍い音が炸裂した。いつの間にか一人の男の腹部に靴底が埋まっていて、内蔵をたっぷりと圧迫してから吹き飛ばしたのだ。魔法でもなんでもない無造作な蹴りだが、西方軍元帥の立場にいるクロアの一撃は強烈だった。
ガッシャァァァァァァン!! と、窓ガラスが木っ端微塵に砕けた。男は外の景色が見える窓に吸い込まれていき、そのまま外へ転がっていったからだ。
呆然とする、残り二人。
直後、一心不乱に走り出して逃亡を開始した。
そのちっぽけな背中を見送って、群がったままのギャラリー共をひと睨みするクロア。すると全員が逃げるように解散し、ようやく事態も収まった。
「ヘタレが。悪いことするなら上司の俺にも歯向かってみろよ」
呟いて、気づく。
怯えるように腕へしがみついてくる、銀髪の女の子のことに。突然の乱闘に恐怖を抱いたのだろう。口よりも先に手が出るタイプがクロアなので、少々罪悪感を抱いてしまう。
よって、なるべく優しい声をかけてやった。
「い、いや、ほら怒ってないからな? 俺はお前に怒ってないし、もう暴れないし、っていうか平和主義に目覚めたから!! だから泣くな、怒ってないから泣くなよ!?」
「ほ、ほんとか?」
「本当だから!! 涙目になるな本当だから!!」
必死にサタンのご機嫌を取ろうとするクロアの姿は、いつもの傍若無人な不良元帥とは思えない。故に勝手に注目が集まってしまうが、そんなことよりふてくされたサタンの方が厄介だった。
そうして、子供の扱い方など知らない不良天使が苦労していると、
「クロアさん、お久しぶりでーす」
耳元で優しい声が鳴った。
振り向いてみると、そこには亜麻色の髪をツインテールにした少女が立っている。
「……お前」
「先日の元帥召集会議以来ですね、クロアさん。しかしまぁ、数日でお子さんを持ったんですか? どこの誰とできたかは知りませんが、随分と可愛いお子さんですねー」
ニコニコと微笑んで、クロアの腰に隠れるサタンに手を振る。彼女のおだやかな雰囲気に警戒心が薄れたのか、ペコリと小さく頭を下げるサタンだった。
一方。
クロアは首をひねって、怪訝そうな目でこう言った。
「―――つーかアンタ、誰だっけ?」
「ええ!? え、えー……。何度か会議でお会いしてるし、仕事の話もしてるのに、覚えてないんですか? 本当に?」
「本当に」
「……ファーリス・エルサンガーです。北方軍元帥の」
「あー、そういや知ってるかも。―――って、そんなことはどうでもいい。こいつを何とかしてくれ!! 俺じゃガキのご機嫌とりなんざ不可能だ!!」
頬を膨らませているサタンを指差し、どうすればふてくされている彼女を元に戻せるか。そんなことすら分からない不良天使は、優しいお姉さん系天使に助けを求める。
すると、ファーリスは顎に指を当てて考え始める。
しばらくすると、ポンと手を打って、
「じゃあ、お昼は食堂じゃなくて外でピクニックにしましょう!!」