サタンの親代わり、もしくは兄代わり
天界軍総本部とは、広大な敷地を持つ天界軍に所属する天使たちの活動拠点。外見は西洋風の城そのものであり、どれもこれもがメルヘンチックな作りでもある。正直、クロアは天使のこういう趣味趣向が苦手だ。同じ天使として感性が違っているのか、とにかく幻想的かつ童話の世界のようなものを好む天使とは気が合わない。
そんな巨大な城の中で。
クロアはギリギリと奥歯を噛み締めて、怒りを本気でこらえていた。
「……で? 何で俺がこのガキンチョの面倒を見なきゃならないんだ!! あぁ!?」
しかし、ついに本気でブチギレたクロアは、天界軍総本部内にある自分の仕事部屋にいた。謎の銀髪幼女と出会い、天界軍総本部に届けてから一週間ほどたった日のこと。椅子に座り、机に山のように積み上げられた書類の整理を行っていたクロアの部屋を、一人の女が訪ねて来た。
白金の髪を腰まで伸ばした、緑色の瞳を持つ綺麗な女性だ。格好は白で統一されたメルヘンチックなドレスのみ。お姫様と認識されても、かなり納得のいく美貌を宿す。しかし、美しい容姿とは裏腹に、クロアと同レベルで口が悪いのが汚点でもある。
「そう言わずに頼むよ。この幼女、世話になるならお前が良いって聞かねえんだよな」
ただし。
その女の背中に隠れるように、あの銀髪幼女が立っていたのだ。用件はただ一つ。どうやら、身寄りのない幼女の世話係をクロアに押し付けてきたらしい。
「私にはあんまり懐いてくれねえんだよ。お前、ロリコンだし良いじゃんか」
「ロリコンじゃ余計に良くねえからな!? つーか、ふざけろババァ。俺は忙しいんだよ。元帥だから、ほどほどに偉いから、俺は働かなきゃならねえんだよ。あんたみたいな、偉すぎて根本的ニートとは生活サイクルが違う。他ァ当たれ」
「相変わらず口の悪い奴だな。私だって仕事くらいしている」
「ハッ。大天使がなにを吠えてんだか。さっさと貯金を下ろしてセレブ生活を満喫しろよ」
「嫉妬は醜いなあ、クロア。短気で口が悪い天使で有名なだけはあるぞ。噂を知らねえのか? 『不良天使』、『チンピラ天使』、『天使の皮をかぶった死神』ともお前は呼ばれているぞ。少しは天使らしく振舞ってみろよ」
「うっせ。嫌だし嫌でちょー嫌だ」
「そ、そこまで嫌なのか……」
クロアが睨んでいる女は、天使たちを統べる四大天使の一人だ。四大天使とは天使たちの頂点に立ち、偉大な存在として称えられる者。ミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエルの四人が四大天使にあたり、政治的権限や軍隊の指揮権を持つので、天界の実権を握るのは天使ではなく『四大天使』だと考えていい。
そして。
その内の一人が、元帥でしかないクロアの部屋へ訪れた女だ。名はアルファンク・ウリエル。大天使ウリエルという言葉を漏らせば、誰もが彼女の顔を思い出す最強の天使の一人だった。
もちろん、立場的に考えて、偉大な大天使の一人にクロアが『ババァ』と呼ぶことは重罪だ。だが構わない。ウリエルは、天使嫌いのクロアも認める、『天使がどれだけ狂っているか』を理解できている女だ。
数少ない理解者でもあり、貴重な共感者でもある。故に、気をつかうような関係でもないのだ。
よって、
「俺はパスだな。そんなガキンチョ、面倒を見る価値がねえ」
「おいおい、さすがに言い過ぎだろ」
「……さすがに、いいすぎ、だと?」
プルプルと震えたクロアは、怒りをこらえるように歯切りしを鳴らす。
しかし、どうやら我慢できなかったようだ。ガタン!! と椅子から立ち上がった彼は、謎の銀髪幼女を勢いよく指差して、
「そこのガキンチョのせいで、俺はこの一週間右目が充血してクソ痛いんだよ!! 何か眼球のどっかが切れたらしいよ!? 分かるか!? いきなり目玉を触られて、謝罪もされずにバイバイして、今ようやく俺のところに来たと思えば、今度は私の世話をしろだぁ!? 理不尽オンパレードじゃねえか!! ガキでも『ごめんなさい』の一言は吐き出さなきゃダメだろうがよ!!」
「あ、ああなるほどな。そうか、そういう理由があったのか。どうりで過剰にこの子を毛嫌いしていたわけだ……」
ウリエルは苦笑すると、その長い白金の髪を手で払う。そして足にしがみついている幼女を見下ろして、イタズラをした子供を叱る母親のような表情になり、
「コラ。ちゃんとあの馬鹿に謝ったのか?」
「……ううん。謝ってないぞ」
「なんで?」
「謝る価値もないと判断したから」
「あ、そっか。ならいいんじゃね?」
「よくねえだろクソババァァァあああああああああああああッ!! 何で納得してんだメルヘンババァが!! そこはもっと怒るところだろうがよ!! あぁ!?」
メルヘンババァ、もとい全然若いウリエルは溜め息を吐く。
そして軽く肩をすくめて、
「いや、クロアは確かにガラが悪いし、謝らなくても良い気がしてな」
「どういう理屈!? 意味がわからないんだよ!!」
「まあまあ。とりあえず、そういうわけで世話係はよろしくな。私はこれから会議がある。そんじゃ、この子はよろしく頼んだぜー」
「あ、ちょテメェ!!」
ヒラヒラと手を振りながら退出していったウリエル。天界を統べる四人の一人なので、いろいろと仕事で忙しいようだった。
その結果。
部屋には、クロアと幼女のみが残される。
「……」
「……」
視線が合った。
お互いに見つめ合うというわけではない。幼女の方は綺麗な銀の瞳を向けてくるが、クロアと言えば充血が治ったのにまた充血しそうな激怒の目を突き刺していた。つまり睨んでいる。明確に、相手が子供でも『初対面で人の目玉を掴んでくる子供』なため、警戒心が捨てられないのだろう。
そうして。
沈黙してから、十秒ほど経った頃だろうか。
「……ご」
ふと。
唐突に、いきなり幼女の方が頭をペコリと下げてきて、
「……ごめん、なさい」
きちんと罪悪感はあったようだ。ただ、その謝罪を行うタイミングが掴めなかっただけだろう。しかしちゃんと謝ったので、クロアの険しい顔も緩んでいった。
息を吐いた彼は、呆れるような調子でこう言った。
「ったく。ようやく言ったか、このガキンチョめ」
「そ、その……やっぱり右目はダメだったなって思って」
「左目もダメだよ!? どういう理論で謝ったのテメェ!?」
「てっきり、右目は触られると興奮するからダメなのかと」
「俺はスゲー変態だな!! っつーか、人の目玉を触ること自体ダメなんだよ馬鹿。いや、このド馬鹿が。次からは二度とするなよ、このド馬鹿」
「むぅ、馬鹿じゃないもん!!」
「はぁ? じゃあなんだよ」
「我輩は馬鹿でアホだもんっ!!」
「おおすげえ。馬鹿とアホのハイブリッドじゃん」
また大きな溜め息を落としたクロアは、なんだか意地を張るのが面倒くさくなってきた。ここまでくれば腹をくくろう。ガキ一人のお守りならば、引き受けてやってもいいかもしれない。
それに。
(……このガキンチョ、身寄りがないんだったな)
見捨てるのも胸糞悪い。
よって、クロアは銀髪幼女に近づき、頭をポンポンと叩いて言った。
「分かったよ。面倒をみるから、とりあえず名前を教えろ。いつまでも『ガキンチョ』じゃ、さすがに不便になる時がくるからな」
いたって普通の要求だ。
これから長い付き合いになるのだから、名を尋ねることは自然だった。
しかし、
「我輩に名前はないぞ」
今度こそ。
本当に、クロアは目を丸くして息を飲んだ。視線を下に向ける。自分と向かい合っている、幼い女の子をじっと見下ろした。
静寂が流れる。
さすがに、口の悪いクロアもこればかりは何も言い返せなかった。
「なら」
しかし、彼は口を開いた。
名前がないということなので、『ガキンチョ』のままでは呼びにくいから作ってやった。
「サタンだ」
「? なにそれ?」
「名前だよ。名前、ないんだろ。だったら俺が勝手につけるよ。今からお前の親代わりは俺みたいなモンだし、別にいいだろう?」
「どういう意味なんだ? その、さたんとかいうのは」
「……理由は、まぁいろいろだよ。だが一番の理由としては」
グシャグシャとサタンの頭を撫でて、クロアは面白そうに笑った。
そして、こう言った。
「何かかっこいい響きだろ? サタンとか、ちょー強そうじゃん」
「……」
冷たい視線が突き刺さる。
さすがに、サタンもこればかりには呆れたようだった。
「そ、そういう目で見るな!! いいだろ、別に名前なんて『お前』だと分かればそれでいい。サタンでもアホでも馬鹿でもチビでもいい。そうだろ?」
「最後の三つはやだ。だったらサタンでいい」
「ならいいだろ。所詮、名前なんて『存在を表す言葉』に過ぎないからな」
「……うん」
コクリと頷いた彼女は、意外にも嬉しそうな顔をしていた。
こうして、『自分を表す言葉』を貰えたことに歓喜でいっぱいなのだろう。
そんな彼女にクロアは苦笑して、
「じゃあ仕事が終わるまで待ってろ。邪魔したら納豆でシャンプーするからな」
「からしは入れろよ!? 我輩からし入れる派だから!!」
「納豆シャンプーは良いのかよ!?」
こうして、二人の天使は出会った。まるで親と子、兄と妹のような関係に近いだろうが、それでも二人に繋がる絆が出来上がった瞬間だった。