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大悪魔サタン誕生伝説~光を求めた反逆者たち~  作者: 月光女神
第三章 三人の反逆者と怪物
17/21

地獄の口へ落ちていく

 地響きのような音を立てて、その巨体は盛大に床へ転がった。天界軍総本部が生み出した異形の怪物は、全身のあちこちを切り捨てられていることで、膨大な出血を撒き散らして倒れた。

 動かなくなったその巨体を、息を荒げながら見つめているのはファーリス・エルサンガー。

 彼女は負傷した右腕を気にしながら、近くの壁に背中を預ける。

「は、はは」

 ズルズルと、壁に体重を預けながら彼女は腰を下ろす。床に座り込み、額から流れてくる血を袖で拭いながら、そのボロボロになった体に休みを与えた。

「ほんっ、とう……今、ものすごくシャワーを浴びたいですねぇ……」

 右腕は出血のせいで赤く染め上がっている。

 衣服も薄汚れていて、ところどころ切れてしまい、手入れをかかしていなかった顔や足なども、切り傷や擦り傷をいくつも作っている有様だった。

 ファーリスは握っている愛刀、『雪刀』を見下ろして、その血で染め上がっている刃に映る自分の顔に苦笑した。

 なぜならば、

「こんなときでも、私は『笑っている』んですねぇ」

 相変わらずな作り笑顔に、思わず呆れてしまう。こういう状況の中で笑顔でいるということは、戦闘狂疑惑が浮上してもおかしくない異様なことだ。

 すると、そこで声がかかった。

「こんな状況でも笑うか、貴様は」

「……個性ってやつですから。こんな状況でも、どんな状況でも、いつでも私はぶりっ子ですよ」

 ファーリスは広間に現れたその女に、ゆっくりと視線を向ける。

 そして言った。

「そういうあなたは一切笑いませんよねぇ、大天使ガブリエル様」

「貴様と正反対な性格だという自覚はある。いちいち言うな」

 ファーリスは呆れるように溜息を吐いた。

「はぁ。まぁ、そろそろ大天使様が動くころあいかなとは思っていました。なにせ、私たち三人は元帥。天界軍総本部の中でも大天使に続く強者ですから、確実に仕留めたいと思ったら、それはまぁ当然あなた達最強の四大天使が動きますよね」

「優秀な番犬三匹が狂犬になったんだ。こっちは飼い犬に手を噛まれたショックで落ち込んだぞ」

「あれ、ガブリエルさんって冗談言えるんですね。てっきり『冗談とか言ったら死ぬアレルギー』でも持ってるのかと思ってました」

「ピンポイントなアレルギーだな」

「寡黙なあなたが悪いんですよ。誤解を生むそっちが全面的に悪い」

「相変わらずな口だな、元部下よ」

 ガブリエルは歩き出し、ファーリスが倒した異形の怪物を見下ろす。無表情で、その醜悪な外見に眉一つ動かさず、ただ死体を観察するように見つめていた。

 そして、彼女はふと言った。

「天界軍総本部、我々が生み出した悲劇の産物がこれか。全てはミカエルの邪悪さに、我々も天界も支配されているのかもしれない」

「……そこまで分かっていて、あなたはなぜミカエルの味方をするんです?」

「奴のやり方が、どれだけ邪道だろうと結果的に『天界全体』は救えているからだ」

「天界に住む天使たちではなく、天界という世界さえ守れればそれでいいと」

「否定はしない」

 言い切ったガブリエル。

 対して、ファーリスは生ゴミを見下ろすような不快感でいっぱいの顔になり、

「……バカバカしい」

 吐き捨てた。

 いつも笑顔の彼女が、珍しく気に食わないという気持ちを顔に表している。

「あなたは結局、悪でも善でもない。ただ自分の信じている道だけを歩いている。一心不乱に、周りのことなんて気にしないで、自分のためだけに生きている。それは上に立つ者として失格です。あなたは結局、四大天使という『王』としての資格を持っていない」

「……」

「民を守り、共に生きるために戦う者こそが『王』なんです。あなたは人の上に立つことには向いていません。守ることが苦手な、不器用な人なんですよ」

「反論はしない。ああ、認める。私は四大天使失格だ」

「随分と素直ですね」

「自己中心的な私や、邪悪なミカエルやラファエルではなく、ウリエルこそが本当の四大天使……つまり『王』に相応しいのだろう。彼女だけは、まあ多少女性らしさには欠けるが、本当の『正義』というものを知り、それを現実的に進めるだけの度胸や力がある」

「同感です。あの人とはあまり話したことはありませんが、クロアさんが認める唯一の四大天使。それだけで、『天使の中でもまともな人』なんだろうとは予想していました」

「まともか……。確かに、我々天使という生き物は、善に従って生きている内に独善へ染まってしまったのかもしれないな」

 ガブリエルは、そこで目をうっすらと細める。まるで哀れむように、その赤い長髪を右手ではらいながら言った。

「それで、どうするつもりだ。今ならば、まだ牢獄の中で一生を過ごす程度で済ませられるかもしれない。元上司として、それぐらいはミカエルに掛け合ってやるぞ。白はたを上げるならすぐに―――」

 ガブリエルの言葉は、そこで莫大な殺気に押しつぶされた。

 咄嗟にガブリエルは腰にさしている西洋風の長剣を引き抜くと―――ミサイルのような速度で一直線に飛んできたファーリスの振り下ろした『雪刀』を受け止める。

 その一斬を受け止めることに成功。

 しかし。

「っぐ!?」

 あまりの威力に、ガブリエルの肩の骨がゴリッ!! と音を鳴らす。

 関節が外れかけた。体内を舐めまわすように激痛が肩から広がっていく。

 同時に、魔力が込められたファーリスの斬撃は衝撃波となって辺りに拡散された。猛烈な風圧が地面を這い進み、ガブリエルの深紅のコートをバタバタとはためかせる。

 だが。

 何よりも、ガブリエルが恐ろしいと感じたのは、

「―――私を殺しに来たんでしょう?」

 その笑顔だった。

 いいや、それは殺意から生まれる笑顔だった。

 ファーリスは、満開の笑顔で地面にいるアリを潰すような気軽さでガブリエルの首を落とそうとしたのだ。激しい剣と刀のつばぜり合いの中、二人は至近距離で視線を交差させる。

「甘い言葉はいりません。そんなミルクティーくらい甘いようじゃ、ぱぱっと殺しちゃえますけどいいんですか?」

「……本当」

 ガブリエルは覚悟を決めて。

 仲間だった目の前の部下を、殺す決意をきちんと固めて、

「最後の最後まで、貴様は気に食わん奴だなッ!!」 

 ガギィィッッ!! と、鼓膜を突き破って頭蓋骨で反響するような轟音が炸裂した。ガブリエルがファーリスの刀を振り払い、魔力を込めた水平のひと振りを炸裂させた。

 深紅の魔力が、その剣には纏われている。

 その斬撃を『雪刀』で受け止めたファーリスが、衝撃に耐え切れず派手に後ろへ吹っ飛んだのだ。

 ゴロゴロと転がったファーリスは、その亜麻色の長髪をポニーテールにしていたゴムが切れて落ちる。長い髪を下ろした彼女だが、そんな些細なことは気にしないで体勢を立て直し、足にぐっと力を蓄える。

 地面に靴底を押し付けて。

 その脚力を、一気に解放する。

 ゴバッッッ!! と、音速を超える速度でガブリエルの懐へ移動する。そのスピードに臆することなく、四大天使ガブリエルは冷静にファーリスの喉元へ剣先を突き刺した。

 しかし。

 グルリ、と体を横にそらすことでそれを回避。さらにゼロ距離から『雪刀』を振るおうとするが、それをガブリエルは読んでいて瞬時に真上へ飛び上がる。

 ファーリスの右から左へ振られた刃は、空気を切り捨てるだけで空振りに終わる。

 その隙をついて、飛び上がり斬撃を回避した瞬間、ガブリエルは強烈な蹴りをファーリスの額に叩き込んだ。

 靴底が猛烈な速度で着弾する。

 頭蓋骨内で、脳が勢いよく揺れる。

 おかげで視界も歪み、顔を歪めてファーリスは蹴り飛ばされる―――

「ァ」

 ―――はずだった。

 そのはずだったが、ファーリスは後ろへ倒れそうになる体を強引に前へ引き戻して、その勢いを利用し、

「ァァああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」

「っが!?」

 ゴガッッッッ!! と、吠えたファーリスの額がガブリエルの額へ叩き込まれる。彼女には似合わない、原始的な頭突きという反撃が炸裂した。まるで鉄球が落ちてきたような衝撃と激痛に、ガブリエルは平衡感覚を狂わせて後ろへふらつく足で下がる。

 絡みそうになる足で、必死にファーリスから距離を取る。

 対して、ガブリエルが動けなくなったこのチャンスをみすみす逃すほどファーリスも甘くない。

 ここで、決める。

 絶対に、今ここでこの瞬間に刀を抜かなくてはならない確信を得た。

 胸の底が熱くなってくる。

 ドクドクと心臓が早く鼓動を鳴らし、ファーリスの緊張感と勇気を高めていく。

 彼女はその手に『雪刀』を握り、飛び出す。

 対して、大天使ガブリエルもまた、朦朧する視界を持ちながらも剣を構えて突っ込んできた。

 決着がつく。

 片方は腐った天界を壊すため、片方は腐った天界を守るため。

 刀と剣、双方の想いを乗せた刃は最後の激突を見せた。



 ガブリエルの振り下ろした剣によって『雪刀』が粉々に砕け散る。芸術的に散っていく刀身のパーツを眺めながら、うっすらと笑っていたファーリスを深く綺麗に切り捨てた。



 上半身から、血飛沫が炸裂する。

 内蔵が飛び出なかったことが不思議なくらい、圧倒的な剣を振る技術だった。

 ビシャビシャビシャ!! と、バケツから大量の水をこぼした時のように、ファーリスの上半身から真っ赤な液体が床へ流れ落ちた。 

 半分ほど先から折れてしまった『雪刀』。

 それを疲れたような目で見下ろすファーリスは、その場に血を撒き散らして立ったまま、力のない声で呟いた。

「……最後は、技術の差です、かね。それとも、単純に……刀身の丈夫さ、でしょうか……」

「後者だ。貴様の実力は、確かに私と渡り合えていた」

「そう、ですか……」

 ガブリエルは、目の前で倒れることだけはないボロボロの天使に、ふと表情を固くした。技術で渡り合えていた、わけがない。実際のところ、『ファーリスの剣術の方が自分のものより上をいっていた』のだ。だからガブリエルは、蹴りなどの体術に『頼る』ことでファーリスと互角にやり合えていた。

 この女、やはり相当な力を持っていた。

 それこそ、四大天使に並ぶほどの、莫大な力を。

(……いや)

 それだけじゃない。

 いつもニコニコと作り笑顔を浮かべていて、いつも腹の見えない態度でいる彼女が、天界を敵に回すほどの『覚悟』を持って戦っていたことに、今更ながら驚いた。 

 どういう信念を持っているのか。

 そんなことを疑問に思いながらも、ガブリエルはガクガクと震える足で必死に立ち続けているファーリスに剣を再び振り上げる。

「……なぜ、だ」

 ふと、ガブリエルが呟いた。

 ファーリス・エルサンガー。

 彼女の胸から腹部にかけての深い傷口からは、未だに血がドバドバと流れ落ちている。全身のいたるところに細かい切り傷やあざがあり、戦闘によって乱れた亜麻色の長髪はボサボサだった。

 それでも。

 どれだけ苦しくても、どれだけ汚くても、それでも彼女は―――笑っていた。

 ずっとずっと。

 いつものように、いや、いつも以上の温かい微笑みを浮かべて、ガブリエルに向けて笑っていた。

「なぜ……まだ、笑う……?」

 呆然と、言葉を漏らすガブリエル。

 驚愕を隠しきれていない彼女に、笑顔でいる彼女は言った。

「世界で、一番……笑った、人が、世界で……一番、の……幸せ者、らしいん……です……」

「……」

「です、から」

 ある友人から教えてもらった、世界で一番の幸せになるための方法。

 それはきっと、間違いなく正しい答えなのだ。

 故に、教えてやる。

 この戦いにおいて。

 本当の勝者とは、幸せというものを先に掴んだ勝者とは、きっと……。



「あなたより、私はたくさん笑えました。笑って笑って、作り笑顔をして。それでも、きっと、その中であなたよりは『本物』の笑顔を、『本物』の幸せを、私はいくつか手に入れられました」



 だから、この戦い。

「私の、勝ちなんですよ……。あなたより、私の方が上なんです。だから……笑うことができないあなたに、私はこう言っておきます」

「……」

「―――あなたよりたくさん幸せになって、本当にごめんなさい」

 皮肉を込めている様子はない。

 純粋に、ファーリスはガブリエルに『勝った』ことから、謝った。圧勝してしまったことに、謝罪を並べ立てたのだ。

「そうか」

「そう、です」

「言い残すことは、もうないな」

「あり、ません」

 ガブリエルは剣を握り締める。

 勝ったというのに、これから弱者へトドメを刺すというのに、胸の内で妙な敗北感を抱きながら、それでも剣を振り下ろした。

 その笑顔へ。

 その勝者としての、余裕の微笑みへ。

 全力で、刃を獲物の脳天へ叩きつける。

「っ」

 その瞬間だった。

 ガブリエルは、妙な殺気に鳥肌を立てて振り返ろうとする。

 だが。


 

 それよりも早く。

 ガブリエルの脇腹に、丸太のような巨大な腕が思い切りスイングされて吹っ飛んだ。



 骨が折れた。

 いいや、折れたというよりは、粉々に砕け散った。

「がっ、ぁ……!?」

 声も上げられないガブリエルは、飛びそうになる意識の中、派手に床を転がっていって失ったあばら骨の数本を気にかける。まるで小枝が折れたときのような音が体内で連続して響いたのだ。顔を歪めて苦しむガブリエルの様子は、当然といえる。

 謎の一撃の正体に、ようやく彼女は気がついた。

 呆然としていたファーリスも、ガブリエルの視線を追ってそいつを認識する。

 アルスメリアの妹や、数々の天使たちをグチャグチャに混ぜて生まれた、最悪の怪物。名前すらない、ただ天界軍総本部の闇から産物された被害者でもある生物兵器である。

 ファーリスによって倒されたはずだが、まだ生きていたようだ。

 全身のあちこちから吹き出ている出血は止まっていないが、少なくともまだ死体へ変わることはないのだろう。

 怪物は獣のように大きく口を開けて、盛大に吠える。

 さらにガブリエルに向けて走り出し、その太さ二メートルはある右腕を振り上げた。

 息を飲んだガブリエル。

 ヨタヨタと立ち上がった彼女だが、まだ歩けることもできない状態だった。

 しかし、とてもじゃないが理性を失っている怪物が止まってくれるわけもない。

 まさしく、絶体絶命。

 と、その時。

「っ!?」

 トン、と。

 優しくガブリエルの胸を押して、いきなり現れたファーリスが彼女を後ろへ下がらせた。そこにはこの広間から出るための通路の入口があった。必然的に怪物も手が出せない幅なので、そのまま逃げ帰ることも可能だろう。

「ファーリス!! 貴様も来い!!」

 咄嗟に、敵味方関係なしに、ガブリエルはそう言い放った。

 だがもちろん、ガブリエルを庇って身代わりになったファーリスといえば。



 グシャッッ!! と。

 横に振るわれた怪物の右手と壁のおかげでサンドイッチになり、腰から下が潰れてしまった。



 派手に鮮血が飛び散る光景に、思わずガブリエルは目を見開いた。

 視界に映るのは、怪物の異形な右手によって体の半分をグチャグチャにしている、無残な女の姿。まるでトマトを地面に叩きつけたように、赤い液体が床には散布された。

 かすれた声で。

 命の灯火が消えていく声で、ファーリスは言った。

「……えーと、すい……ません……」

 コヒュー、コヒュー、と言葉の間では必死に呼吸を繰り返している。肺もやられてしまったのか、とにかく生きるために息を吸って吐いている。

 そんな状態で、彼女は続けた。

「……は、はは……私、本当に……昔から、損な役ばっかり、なん……です、よねぇ……」

「……不幸なものだな」

「あ、はは……本当、そうですよ……」

 ガブリエルから、自分を叩き潰して見下ろしている怪物に目を向けた。乱れた前髪の中から、ファーリスは慈愛に満ちた瞳で怪物を見上げる。

 怒気などこもっていない。

 憎しみなど微塵も含まれていない。

 ただただ、哀れみだけで構成された声で告げた。

「あなた達も、つらかった……ん、でしょう、ねぇ……。痛くて、苦しくて……ただ幸せに生きたい、だけだったのに……そんな希望、も……強奪、されて……」

 アルスメリアの妹を含む、多くの天使たちの成れの果て。

 彼らもまた、ファーリスと同じように人並みの幸せを求めて生きていただけの、平凡で平和な者たちだったのだろう。

 だがしかし。

 たったそれだけの、幸せを目指して生きるということさえも、許されることなく奪われた。全てはこの世界に、独善という名の闇に染まった軍の天使たちに。

 ならば、ファーリスから言えることはただ一つ。

「……笑いなさい」

 最初の言葉は静かだった。

 だがしかし、次からは全てが全て大きく強いものだった。

「笑いなさい!! どれだけ苦しくても、どれだけ泣きたくても、いつでも笑顔で自分を支えなさいッ!! 私を殺した後、それであなたの人生は終わりじゃない!! きっと、これから先にたくさんの絶望が待っているはずです。それら全てを笑って乗り越えなさい!! そうして、いつしか『本物』の笑顔を掴み取ってから、きちんと『幸せ』になってから終わりなさい!! ―――最高の幸せを手に入れて、最高の笑顔を浮かべたまま死んでみせなさいッ!!」

 ファーリスの体を右手で掴みとり、そのまま口へ運んでいく。怪物はパックリと裂けた無数の牙が並ぶ口内へ、ファーリスの柔らかい体をもっていく。

 ガブリエルは見た。 

 満足そうに笑っている、ファーリスの表情を確かに見た。

 最後の最後の最後まで、死を受け入れるその時まで、最高の笑顔でいられたファーリス。

 もう、それだけでいいのかもしれない。

 身に余る大金、理想通りの生活、そういった見て分かる『幸せ』ではない、目には見えないが確かにそこにある『幸せ』を彼女は手に入れられた。

 その幸せとは、あの日四人で桜を見上げながら食事をしたとき。

 その幸せとは、あの日四人で笑いあった時。

 その幸せを守るために、四人で全てを敵に回して世界に立ち向かったのだ。

 悔いはない。

 やりたいことは、やり尽くした。

 きっと、ファーリスの幸せは、あの三人がきちんと守り抜いてくれるから。

 心配なんて、いらない。

(……さてと)

 クスリと笑う。

 短い間だったが、それでも、自分は『本物』の笑顔を浮かべられるようになった。

(お先に、いきますね)

 自分を騙すように作り笑顔をかぶってきた彼女は。

 たった今、おそらくは世界中の誰もが浮かべられないだろう笑顔を開花させた。

 それは誇りである。

 錆びることのない、永遠に輝き続ける、誇りなのだ。

 故に。

 その生涯に、誇りを持って幕を下ろす。









「それでは、また」







 

 

 ごりっ、と。

 歯ごたえのいいソーセージを食いちぎったような音が炸裂する。同時に、柔らかいステーキを食しているような音が聞こえてきた。

 後に残ったのは、一心不乱に、生きるために、それを食す怪物の姿だけだった。

 その美しい死に様に、ガブリエルは無言のまま瞼を閉じる。 

 そうすることで。 

 彼女の勝利を、ただ素直に認めたのだ。 




 


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