謀反人たちの反逆計画
四人の謀反人―――西方軍元帥ダーズ・デビス・クロア、北方軍元帥ファーリス・エルサンガー、東方軍元帥アルスメリア・エファー、気を失ったままである伝説の『邪鬼魔躙』の四人は、天界軍総本部の領地内にある別館に立てこもっていた。
ここは軍人たちが使う寮であり、周りを桜の木で覆われた立派な建造物だった。
すなわち籠城。
まずは安全な場所を手に入れて、作戦を立てる必要があったのだ。しかし当然、天界軍も黙って謀反人たちに別館を与えてはいない。人質に大天使ウリエルが取られているが、強引なやり方だけは取らないように気をつけていれば問題ない。
よって。
天界軍総本部も動いていた。
クロア達が占拠した別館の周りを、約5千人の天使達が囲んでいたのだ。
別館の一室。
アルスメリアの自室の中にいたクロア達は、窓からその圧倒的な敵兵の群れを眺めていた。
「ひゃー、すっごいですねぇ。何かもうお祭り騒ぎじゃないですかー、このいつ攻められるか分からない緊張感がたまりませんよねー」
「それ、緊張感を微塵も持っていないように見えるセリフだぞ」
「あはは、何か楽しくなってきちゃって。まるっきり悪役ですよねー私たち。まぁ子供のころからヒーローより悪役の方が好きだったので、正直夢が叶って万々歳ですが」
「……私は絶体絶命のピンチを救ってもらえるヒロインになりたかったよ」
「いや、無理でしょう」
「そうだな。今は絶体絶命すぎてヒーローも逃げ帰っていることだろう」
二人は窓辺から離れていき、近くのソファに腰を下ろす。アルスメリアの自室なだけあって、綺麗に片付けられていたが、今は彼女の整理整頓スキルに感動している場合でもない。
二人はチラリと視線を向ける。
そこには、ベッドの上に寝たまま意識を取り戻さないサタンがいた。彼女の背中からは既に異質な黒翼は消失していて、禍々しい紋様も収まってはいる。だが熱にうなされるように異常な発汗をしていて、見るからに苦しそうに顔を歪めていた。
そんな彼女の傍らに寄り添っているのは、ダーズ・デビス・クロア。彼は必死に水をくんだバケツの中からタオルを取り出して、力強く絞り、それでサタンの身体を何度も何度も拭いている。もはや盲目的にサタンの容態を気にしているのか、今自分がやれることに特化したようだった。
「ちょっと、席を外しましょうか」
「……ああ」
空気を読んで、黙って部屋から出て行った二人。扉がしまった音が響き、室内には『三人』だけが呼吸を行っていた。
そう。
クロアとサタン、そして彼ら二人を見つめる人質のウリエルだ。彼女は両手を一つの手錠、それもクロアの魔力を流し込んだ特性の拘束具で締められている。それだけでも十分なほどに手枷は外せないが、ウリエルもクロアの実力は知っているため反抗しようとは思えなかった。
黙って、サタンの看病をするクロアを見つめる。
しかし、ふと彼女は呟いた。
「……変わったな」
ピタリ、とタオルを絞っていた手が止まる。
ゆっくりと、クロアは壁に背を預けて座り込んでいるウリエルを見る。
「あの馬鹿ども、空気を読んで出て行くならクソババァも連れて行けってんだ」
「相変わらずな絶賛反抗期な口だな。そういうところは何も変わってねえが、やっぱりお前、すっげー変わったよ」
「……ハッ。どこがだ」
自分自身を嘲笑うクロア。
彼は誰でもない己に向けて、その皮肉めいた口調のまま言った。
「アホガキ一人すら守れねえで、こうして傍にいることしかできなくて、挙げ句の果てには……あの時、暴走したサタンを一瞬だが『恐れた』んだよ。このガキは今まで俺にたくさん笑ってくれたのに、俺はこいつを怖がった。笑い返せて、やれなかった。……何も変わってねえ。アルの妹を救えなかった時も、そのあとにミカエルの下でこき使われた時も、今も……全部全部、欲しいモンを掴めねえままだ。結局は尻尾を巻いて逃げる俺の何が変わったよ」
「―――変わってるじゃんか」
「あ?」
伸ばした手は、いつもいつも届かなかった。今までに救えた命などなく、ただ敵対する者の命だけは奪っていた。届いて欲しくないものに手が届き、その生を掴み取ってしまう。逆に届いて欲しいものに手が届かず、その笑顔をつかみ損なってしまう。
今も。
サタンという大切な灯火が、ユラユラと消えかかっている状態なのだ。
だがしかし、だからこそウリエルは言った。
「変わってるんだよ。いや、豹変してると言ってもおかしくはねえな。―――格好よくなったじゃねえか、娘のために世界を敵に回すパパ。そんなテメェを、誰が格好悪いと思うよ。私はうっかり惚れそうだったぜ」
「……」
「誇っていいぞ。いつもいつも、『誰かを守ることも忘れて、ただ返り血を浴びていた頃』のお前とは違う。テメェとミカエルの過去は知らねえが、昔はアルスメリアの妹を救おうとしたんだろう? なら、やっぱりお前は『戻れた』って言い方が正しいかもな」
「……戻れた、か。負けて失った頃の時に」
「そうだ。テメェは何も救えず、ただ命を蹂躙した。何も守れずに全部壊して殺戮を繰り返した」
「なら、そんな昔に戻っていいはずが―――」
「バーカ。『それでいい』んだよ、それで『正しい』んだよ」
ウリエルは苦笑して。
天使という歪んだ正義の中、唯一の『正義じゃない者』を見てこう言った。
「そもそも、正義になる必要がどこにある。神様と約束したのか? 良いことだけをしなさい、善でありなさい、正義の生き物でありなさい、そうテメェは言われたのか? ―――言われてねえんだよ。神様なんつークソ野郎にも、世界にも、ましてや自分自身にも」
「……」
「だったら悪になれ。天使たちが歪んだ善なら、テメェらは正しい悪になれよ」
「……言われなくても、そのつもりだ」
意識を取り戻さないサタンの頭を撫でてやって、クロアはかすかに笑って言った。
「このガキのためなら、俺はどこまでも天使なんつーモンを止められる。クソくらえだ。正義のために、天界のために、この小うるさいガキを殺されるくらいなら……正義もろともぶっ潰す」
「悪党らしい宣言だな」
「当たり前だ。こちとら反逆者なんでね」
クロアは吐き捨てて、ウリエルの元へ近寄った。床に座っている彼女の拘束具を見て鼻をならし、さも当然のようにこう言った。
「―――お前は殺さない。無事にここから出してやる」
「……どういう風の吹き回しだ」
「俺たちが狙うのは、大天使ミカエルただ一人だ。あんたは天使の中でも『まとも』な女で、大天使ガブリエルもミカエルやラファエルのような支配欲に溺れる馬鹿じゃない。つまり大天使ミカエルさえ殺せば、あんたがガブリエルと協力して天界を『まともな世界』にできるはずだ」
「確かに、今の四大天使の中で腹黒いのはミカエルだけだが……」
「だからアンタは希望だ。死なせるわけにゃいかねえよ」
そして、とクロアは付け足した。
彼は真剣な眼差しをウリエルに突き刺して、口をあらためて開く。
「頼みがある。協力して欲しい」
「……正直、私は四大天使としてあの時はテメェらと敵対した。本音を言えば、私はお前の味方になってやりたい。天使の独善を知っているから、なおさらお前らだけに仕事を押し付けたくない。けど……さすがにお前らの反逆に付き合うわけにはいかねえよ、こっちも『四大天使』なんでね」
「知ってるっつーの。だから、『反逆が終わったあと』のことだ」
「あ……?」
「ただ一つ、俺はあんたに託すよ。どんな終わり方でも、二度と手放したくねえモンを守るために」
この場には彼ら二人と、意識を失っているサタンしかいない。故に実質的には二人きりだ。だからこそ、誰もいないことを承知の上でクロアは言った。
「―――」
「……ハッ。テメェ、やっぱ変わったじゃねえか」
その『頼みごと』を聞き入れたウリエルは、満足そうに口元を緩めているクロアを見上げる。なるほど。力しかなかった傍若無人な彼を、ここまで穏やかな顔にさせるサタンとは、彼にとって本当にかけがえのない宝物らしい。
ならば。
友人として、その『頼みごと』だけは聞いてやろう。
「それを私に頼むってことは、テメェ、ハナから分かってるわけか」
「いいや、分からねえ。だから『保険』にすぎない。俺はこの先のことなんざ、これっぽっちも分からねえよ」
そう言ったクロアは。
だから、と最後に付け足して続けた。
「分からねえから、やってみるんだよ。ハナから分かってるモンに興味なんざねえ」
空気が軽くなる。
張り詰めていたお互いの緊張感は切れて、双方ともに苦笑していた。
だが。
「―――っ」
ウリエルの顔が青ざめた。
彼女の見ている方向には、クロアの背後には、ゆらりと起き上がった少女がいたからだ。
「おい、後ろだッ!!」
「っ!?」
咄嗟に振り向いたクロアも、彼女の姿を認識した。ようやく目が覚めたのか、小さな体で立ち上がったサタンがこちらに歩き寄ってきた。
フラフラと。
その身に再び紋様を浮かび上がらせて、背中から真っ黒な翼を生やして、自我を失った瞳を殺意に染めて近寄ってくるのだ。
対して。
やはり正気に戻れていないサタンを前にして、ダーズ・デビス・クロアは動じなかった。あの時は確かに彼女を怖がったが、もう、そんなクソッたれな拒絶はしない。
どんな彼女も、彼女なのだ。
どれだけ狂い果てようとも、もう二度と、あの小さな手を離す気はない。
「……なあ、サタン」
ギリギリと奥歯を噛み締めて、獣のように殺戮本能をむき出しにしているサタンに向かい合った。拳など握らない。なぜなら、クロアは知っているからだ。いつもいつも、くだらないイタズラばかりして、誰よりも優しさを持つ馬鹿なガキを知っているからだ。
だが、サタンは構わない。
ただそこにある命を刈り取るために、右手の爪を立てて走り出す。
「いつだったか、お前は俺の瞳を見て言ったよな。『宝石みたいな瞳だな』って、初めて会った時に言ったよな。けどさ―――」
ニッコリと微笑んで。
ダーズ・デビス・クロアは―――自分からサタンに向けて一歩前に踏み込んだ。ためらわなかった。怯えなかった。あまりにも簡単に伝説の化物のもとへ近寄った彼は、飛び込んでくるサタンに両手を広げて。その小さな体を、胸の中に受け入れて。
「―――宝石みたいな瞳って、俺から言わせりゃお前の方なんだよ」
ただ。
ただ思い切り、ぎゅっと抱きしめてやった。強く強く、彼女の寂しさを埋めるように抱擁してやる。サタンの鋭い爪が顔にかすって、深く右目の下をえぐったが気にしない。
この痛みと引き換えに。
腕の中に収まった、うるさい子供を笑顔にできるなら安い買い物だ。
「綺麗な目だよ。お前の瞳は、きっと、俺みたいな汚れ切った瞳とは比べ物にならないくらいに綺麗なんだ」
そっと、抱きしめているサタンの頬に手を添えた。
ゆっくりと顔を近づけて、彼女の額に己の額をコツンと合わせる。長い銀髪を撫でてやり、頑張った娘を褒めるように言った。
「お前は、俺なんかより百倍綺麗なんだよ。いつだって笑顔を忘れない、楽しそうに生きているだけで、お前は俺なんかより綺麗で美しいんだ。―――幸せそうに笑ってるお前に、俺も思わず笑ってた。今までも、これからも、ずっとずっと俺はお前に照らされるはずだ」
「……ぁ」
「だからさ、もう……いいんだよ。我慢は、必要ねえんだ」
涙が、落ちた。
それは、一体、クロアのものなのかサタンのものなのか。どちらの涙かは分からない、しかし、美しく輝いた神水のような一粒の涙だった。
クロアの背中に、無意識に手を回すサタン。
彼女の背中から生えていた翼は霧散するように消えていき、全身に広がっていた紋様も水に溶けていくように無くなった。
そうして。
ようやく、サタンはクロアの胸の中で泣き喚き始める。鼓膜を引き裂くような悲鳴が上がり、友達の死を真っ向から受け止めたサタンは涙で顔をグシャグシャにする。
思う存分、泣いて泣いていた。
それを彼は胸の中で受け止める。それが仕事であり、使命であり、当然のことだったから。
「好きなだけ泣け。落とした涙の数だけ、きっとお前は救われるから」
頭が壊れるほど悲しめ。
枯渇するほど涙をこぼしてしまえ。
そうすれば、抱えている絶望も薄れていく。絞り出した涙が、心の闇を洗い流してくれる。安心していい。どれだけ醜く顔を泣き腫らそうとも、彼だけはサタンの隣にいるから。
ずっとずっと。
傍に、一緒にいるから。
「クロ、ア……」
「……何だ」
「クロアは、いなくならないよな……? アル姉も、ファー姉も……三人だけは、リルみたいにいなくならないよな……? ずっと、我輩と、一緒にいて……くれるよな……?」
「……ああ。当たり前だろ」
言ったクロアは、扉に近づいて勢いよく内側に開ける。すると雪崩のようになって、二人の女が転がり落ちてきた。床に倒れたファーリスとアルスメリアは、床に打ち付けた場所をさすりながら起き上がる。
「盗聴好きのこいつらにも聞いてみろよ、どうせ俺と同じことを言うぜ」
「く、クロアさんって、結構鋭いんですよねー。な、何でバレちゃったのかなー?」
「い、痛いぞ。お腹を打った……女として大事な場所に、ダメージがいってなければいいが……!!」
サタンの前には三人の謀反人が揃う。
彼らはサタンの周りに集まって、今までのように笑ってくれていた。
ポン、と彼女の頭に手が置かれた。
クロアが優しく微笑みながら、先ほどの不安を伝えてみろと促したのだ。
「……みんなは」
震える声で。
消えかかってる力無き声で、すがりつくような必死さでサタンは言った。
「みんなは、ずっと一緒だよね……? 我輩を、一人になんか……しないよね……? ずっとずっと、傍にいてくれる、よね……?」
その言葉に。
彼ら三人はしばし黙る。しかし静寂は一瞬だ。すぐに反逆者たちは笑って―――小指をサタンの指に重ねる。四人の指先が触れ合って、その中でも、ひときわ小さな人形のような小指を持つサタンに言った。
「ほれ、もういっかい約束だ」
「……クロ、ア?」
思わず言葉を漏らすサタンに、クロアは代表して約束してやった。
「これから先、俺たちは天界と激突する。逃げ場はねえ。そうなると、もしかしたら繋いでいた手が離れ離れになるかもしれねえ。けどな―――」
ぎゅっと。
指をさらに絡めて、強く彼女の温度を感じて。
「―――あの桜をもう一度ながめよう。絶対に四人で花を見上げよう」
何が正しいのか。
いや、そもそも正しくある必要があるのか。
間違った正義が支配する世界に抗う悪党たちは、あらためて少女と約束を交わした。絶対だ。この『指切り』だけは、絶対に破ってはいけない大事な約束。
目指すは天界軍の無力化。
天界という世界を根っこから潰すために、大天使ミカエルという最後の親玉を倒すために立ち向かう。
きっと。
その先に待つものが、彼ら四人が交わした約束につながることを信じて。