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悲劇から生産される悪夢

 

 理由にならない理由だ。

 どこに根拠があるかも分からない、くだらない言葉だ。

 まったくもって説得力に欠ける戯言であり、聞く耳など持つ必要がない馬鹿馬鹿しいことだ。

 いや違う。

 それを分からない者こそが、きっと、本質的に腐っている天使の成れの果てなのだろう。独善を振りかざす天使たちなどがいい例であり、彼らでは見ることもできない眩しい光なのだ。

 それを守るために。

 いかなる痛みを味わおうとも、どれだけの恐怖に沈もうとも、たとえその先に待っているものが永遠に身を焼くだろう地獄の業火だとしても。

 守りきってみせる。

 きっと、ここで失ってはならない、大切な目には見えない輝きを。

 だから。 

 リリル・シャルーズは、黙って刀を振り上げて。



 自分の胸に刃を突き刺した。

 確実に心臓を貫いた刀身が、小さな彼女の背中から飛び出す。



 床に血が散布された。一番近くにいたサタンの顔に血がべっとりと付着し、顔のほとんどが返り血で汚れる。綺麗なカーペットは真っ赤に模様替えされていき、水たまりが出来上がっていくように部屋の中心に赤い湖が完成する。

 サタンを拘束していた者たちも、思わず、その予想外の血の匂いと事態に腰を抜かして離れていった。少し離れた場所で押し倒されているクロアも、アルスメリアやファーリス達も、そして四大天使達も目を見開いて呆然としていた。

 だが。

 ただ一人、無意識に両手を広げるサタン。

 彼女の広げた腕の中には、ガクガクと震える足を使って必死に近寄ってきたリリルが収まった。抱きしめて、崩れ落ちる。サタンも何も反応できないまま、ただ命の灯火が消えていく感覚を腕の中にある小さな体から察していた。

「……壊れ、なかっ……たよ、ね……」

 声など、ほとんど聞き取れない。

 刀に串刺しにされたリリル・シャルーズは、それでも、かすれた声を絞り出す。

「……私、サタ……ンちゃんの、友達……だよ、ね……? 友達の、まま……だよ、ね……?」

 サタンの服の袖を握りしめて、いつ消えてもおかしくない力で訴える。必死に、本当にただ必死に尋ねていた。自分は大切な友達と、『友達』のままでいられたのか。本当に守りたかったものは、きちんと、今も彼女と自分には繋がっているのか。

 それだけを、知りたかった。

 遊んでくれて、ありがとう。友達としての絆を結んでくれて、ありがとう。あの時はこうだった。これからはこうしたかった。腐る程言いたいことはたくさんあるが、もちろん、心臓を鉄の刃が貫いているのだから一刻も猶予はない。

 感謝の言葉はたくさんある。

 話したいことは山ほどある。 

 今度やりたい遊びもあった。

 だけど、時間がない。だからリリルは、たった一つの、本当に知りたいことを知りたかった。

「サタン……ちゃん……」

 血で汚れた手を伸ばす。

 しかし、届かない。すぐ傍にあるサタンの顔には、触れることすらできずに床へ落ちる。

「……友達、だよね? 私、友達、なんだよね……?」 

 サタンは何も言わない。

 ただただ、現実を受け入れられない顔で呆然としたままだった。

 しかし。

「……」

 リリルの手を握る。

 床に落ちていた手を握り、ただ強く握った。それしかできなかった。今の心の何かが欠陥したサタンには、もう、そうすることでしか答えを示せなかった。

 だけど。

 それだけで、光の消えた虚ろな目を細めてリリルは笑った。

 にっこりと微笑んで、サタンと握っている手を掴んだまま言った。

「最初に手を掴んでくれたのは、サタンちゃん……だった、よね……」

 初めは彼女から笑ってくれた。

 初めは彼女から手を引っ張って遊んでくれた。

 全て全て、最初は彼女から照らされた。

 だから。

「今度は、私が握るから。次は私が、遊びに誘うから」



 それまで。

 きっと、また、遊べる日が来るまで。



「今度は……何を……して、遊ぼう……かなぁ……」

 小さな声で。

 小さくなっていく声で。

「ねぇ、サタンちゃん……そこの、桜の木にね……綺麗な花が咲いてるの……」

 虚空に手を伸ばして。

 何もないところを指差して、それでも、今度は自分から彼女の手を握るために。

「見える、でしょ……? 可愛い、よね……すっごく、可愛いの……」

 伸ばしていた手が―――落ちる。

 色が消えた瞳からは生気が失せて、ピクリとも動かなくなる。しかし、その顔にはいつまでも幸せそうな微笑みが残っていた。

 静かに。

 本当に静かに。

 気づかないくらい一瞬で、あっさりと、心臓は動きを止めた。腕の中にいる友達の、何かが終わっていく感覚だけは、いつまでもサタンの脳髄に焼き残ることだろう。

 ようやくできた友達を。

 たった今、サタンは腕の中で失った。 










 一斉に悲鳴が上がった。

 四天室にいた兵士たちは元帥の自殺に混乱し、四大天使たちもしばし固まったままだった。

 だが。

 この男だけは、違った。

「は、はは。ぎゃっははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははッ!!」

 まず爆笑した。

 大天使ラファエルは、ただ一人口を引き裂いて笑い声を上げていた。

「ば、馬鹿だ!! 今まで俺たちの命令しか聞いてこなかった『道具』が、唯一反抗した結果がこれか!? 馬鹿で馬鹿な馬鹿だなぁおい!! 死んで何かが変わるとでも思ったか!? 貴様のような道具が感動的に死んで、俺が涙で顔をグシャグシャにして考えを改めて、ごめんなさいとでも言うと思ったのか!? ありえねえんだよ、このバァァァ――――――カ!!」

 息を荒げるほど吠えて、ラファエルは満足そうに笑う。多少予定は狂ったが、これで、何よりもショックを受けたのはサタンだけでなく憎きダーズ・デビス・クロアだ。もともとはサタンを彼女の友人に傷つけさせて、その異様な様をクロアに鑑賞させることで絶望させる気だったが、これはこれで面白い。

 すると。

 鼓膜を突き破る怒声が轟いた。

「何をやってんだテメェら!! さっさと医療班を呼べッ!!」

 現在の混乱の影響か、自分を取り押さえていた兵士たちも力が抜けていたようだ。勢いよく拘束を解き、クロアは怒鳴って走り出す。

 続いて、アルスメリアやファーリスも駆け寄った。

 三人は死体を抱えているサタンのもとへ向かい、呆然としている彼女と動かないリリルを見て足を止める。

 これは、手遅れだ。

 医療班を呼べと叫んだクロアだが、さすがにこれは理解してしまう。

 無理だ。

 もう、リリルは、無理だった。

 既に生は終わっていて、手の施しようがないのだ。

「……リリル」

 サタンは呟く。

 抱いている死体は、死んでもなお、ずっとサタンの手を握っていたのだ。まるでまだ生きているように、しっかりとサタンの手首を握ったまま肉へと変わっていた。

「桜の木なんて、ないぞ……? 綺麗なお花も、なんにもないよ……。ねぇ、教えてよ。分からないから、ちゃんと連れてって、教えてよ……」

 ゆさゆさと死体を揺する。

 どうすることもできない現実を、必死に彼女は否定していた。

 彼女の周りに集まった三人の元帥は、俯いて止まってしまった。クロアもファーリスもアルスメリアも、自分たちと同じ元帥の一人を失ったショックはある。しかし、マシなのだ。彼らにとってリリルとは仕事の仲間であり、ようやく話すようになった程度の絆しかない。

 だが。

 だが、だ。



 友達だったサタンにとって、彼女の死はどれほど大きいのだろう。



 きっと計り知れない。

 クロアたちでは、絶対に、サタンの傷の深さなど理解できない。

 しかし、

「検査を再開しようか。少々アクシデントが起きたが、今度は俺が直々にやろう」

「―――っ!!」

 ラファエルの最低最悪の言葉には、当然、サタンの悲しみを理解してやれないクロア達でも気に障った。あいつは分かっていない。どうしてリリルが『自殺』という手段をとったのか、あのクソ天使は理解できていないのだ。

「テメェは、何も、わからねえのか……!? ―――ふざけてんじゃねえぞゴラァ!! どうしてリリルの奴が死んだのか、テメェは本当に理解できねえのか!! どこまで腐ってやがんだ、テメェもテメェら天使共も!!」

「……はぁ? 勝手に死んでビックリしたけど、それだけだろう?」

 首をかしげて、どうでもよさそうに言い切ったラファエル。

 対して、ついに目を見開いて怒りに飲まれたクロアは吠えようとした。だが、そこでアルスメリアが前に出る。上司にあたるラファエルに対して、明確な怒気を込めた瞳を突きつけた。

「―――死ぬしかなかったんだ!! 今までずっとずっとあなた達の『道具』にされてきたから、あなた達を裏切ることもできなかった!! だけど友達を傷つけることだって出来ない真っ直ぐな子供だったんだろうが!! あなた達には恐怖で押さえつけられて、それでも友達を守りたかったから、リリルは追い詰められて死んだんだ!! 命令に逆らえない、だけど命令に従えない、ならもう自分を犠牲にするしか道がないだろうがッ!!」

「ふーん。なるほど、だから彼女は死んだのか」

 ラファエルは頷いて、しばし何かを考える。

 そして顔を上げると、

「だから?」

「……は?」

「いや、だから何って話だよアルスメリア元帥。死んで、終わりじゃないか。ならさっさと、やりきれなかった『検査』……というか、『予防』をするべきだろう」

 直後。

 ついに、ダーズ・デビス・クロアが顔を歪めた。

「―――っ!! テ、メェッッッ!!」

 ついに飛び出そうとしたクロアだったが、彼よりも先に動いた影があった。泣くような絶叫を上げて、それでも、怒りに我を忘れたのか拳を握って駆け出していた。

 サタンだった。

 彼女は大天使ラファエルに向かって走り、涙でグシャグシャになった顔を殺意に塗りつぶしていた。

「ァァああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!」

 吠えて。

 ただ吠えて。

 獣のように食らいつき、ラファエルを殺そうとサタンは小さな拳を握っていた。

 だが。

 ドン!! と、複数の兵士たちに取り押さえられて、子供ゆえに抵抗も叶わず身動きは取れなくなる。長い銀髪を掴まれて、無理やり体を地面に押し倒されて、うつ伏せの状態で完璧に動けなくなった。

 それでも暴れるサタンの姿は、あまりにも痛々しい光景だった。

 咄嗟にクロアが動こうとするが、

「っ、サタンッ!! おいやめろテメェら!! ぶっ殺すぞ、そいつは俺のガキだ!!」

「おっと。待ちたまえ」 

 気づけば。

 真後ろに、因縁深い大天使ミカエルが立っていた。こいつもサタンの『検査』に賛成したと聞いている。どういう理由があるのかは知らないが、今のクロアからしたら邪魔以外の何でもない。

「邪魔するな、テメェも殺すぞッ!!」

「邪魔とは失礼な。これは忠告だよ。僕は君を気に入っているから、死んで欲しくないんだ」

「あぁ!? さっきから何を吠えてんだ泥犬が!!」

「―――今回の件、『邪鬼魔躙』という存在を庇ったりしたら、それこそもう僕じゃ守ってあげられない。反逆罪で死刑だ。なにせ天界の命運がかかってるからね。僕は四大天使の中でも一番の古強者だし、多分、ラファエルも僕の言うことは聞くだろう。けど、立場的には四大天使はみんな同等なんだ。だからこそ、『邪鬼魔躙』の危険を排除するためにも、『検査』は残酷だが必要だ。天界の安全だけは確保するためにも耐えて欲しいね」

「そのために、あのガキをギタギタに切り刻まれる様を観賞しろってのか!!」

「そうだよ。もちろん、無理に動いたら僕が君を半殺しにするけどね」

「―――ふざ、けんなクソが!!」

 クロアとミカエルのにらみ合いは、それからも続くかと思われた。だが違った。事態はあまりにも予想外の方向へ進み、あのミカエルまでもが顔を青ざめることになる。

 なぜなら。

「ァ」

 禍々しい音が鳴った。

 その狂った音が声だとは、誰一人気づかなかった。

「ァ、ァ」

 異変が起きる。

 サタンを取り押さえていた兵士たちが最初に気づき、眉をひそめていた。しかし狂気は止まらない。そのドス黒さを倍増させていき、ついに、溜まりに溜まった真っ黒な激情が爆発した。

「がァァァァァァああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああァァァ―――――――ッッッッッ!!」

 悪夢が始まる。

 天界を滅亡させるかもしれない、最強最悪の伝説の怪物が生まれた。



 サタンの全身に気持ちの悪い紋様が広がっていく。

 ゴバッッ!! と、禍々しい漆黒の翼が彼女の背中から勢いよく生えた。



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