1:____③
加筆修正版
読み方注意
夜東零人「ヤトウ レイジ」
「ふぁ~~……」
嵐山探偵事務所。その暗いオフィスで少女らしからぬ大きな欠伸を漏らす。一人ってこともありいちいち手で隠すようなことはしない。
早乙女桔梗はただいま各所に提出する報告書の作成と警察――という名の父親に向けて、始末書という名の反省文を書いていた。
といってもそこは年頃の少女。さすがに事件後の作業で無事解決による高揚感はあっても集中力は切れ始めたようだった。であったとしても、この報告書と始末書も逮捕できた功績の産物だとでも思えば楽しく思えた。
まるで昔のアルバムを見返しているような、
自ら経験した冒険を綴った英雄譚のような。
だが、そんなものは初めのうち。量が量であって、もうげんなりしていた。特に始末書の方が。
「……なんでアタシがこんなこと」
そんな愚痴をこぼしても手は休めない。
時刻はもう次の日なってしまっていた。
ネクタイを緩めサマーセーターを腰に結び付けた格好ではあるものの、その装いは高校生そのもの。というより本職は高校生なのだ。
放課後、授業が終わった頃に事態が動いたのでそのまますぐに飛び出したから、そう制服のままなのだ。巡回していたときもこの格好だったわけでもあるが、そろそろ着替えたいと思った。
それでも提出書類がまだ未完成なので帰れない。本来の提出期限はもう少し先なのだが、警察官の父親がなんの権利があって言うのか「明後日に出せ」という無茶難題を吹っ掛けてきたのである。明日は学校がある身。授業合間の休み時間や昼休みと放課後を使っても終わるようなでもないので、今は少しでも減らす。そのつもりでいた。
首を左右にゆっくり倒して眠気をほぐした。その際ポニーテールも揺れる。
さあ、あとひと踏ん張りと気合を入れなおした。
「終わった~~~~……」
しばらくして、とりあえずの目標まで仕上げ終わった。ここまですればあとは明日にでも完成するだろう。
背もたれに体を預け腕を上へ引っ張り上げて体を反らす。凝りが解れて、解放された快感に息を漏らす。
時刻を確認すれば、草木も眠る時間帯だった。今度は呆れる溜息が出た。
「あー……どうしよ」
眠気で止まりそうな頭を無理やり動かして考えた。
今から帰ろうにもすでに電車は出ていない。歩いて帰れなくない距離でもないが、それでも一時間くらいはかかる。今の時刻を考えて帰宅すれば、明日は寝坊は確実だろう。
だったら事務所に泊まるって手もある。一応ここは所長の自宅にもなっており、最上階は彼女のプライベートになっている。いくら世界を股に掛けているからってベッドくらいは存在する。
それとも誰かを呼んで迎えに来てもらおうか。誰に?父親は険悪中なので除外。タクシーを使えば間違えなく怒られる。零人は寝ているだろうけど、なんだかんだ言っても来てくれそうな気がする。
「……あ~……お腹すいた」
ただ、そうすれば問題はご飯だ。冷蔵庫の中はお茶くらいしか入ってない。始発で帰って朝食を食べるってこともできなくないが、おそらく起きれないだろう。サイフの中身は寒いのでコンビニで買ってくるなんていう余裕がない。電子マネーは電車通学用なので容易に手は出せない。
「……しょうがないっか」
結論。今晩は事務所に泊まる。今の空腹は我慢して、零人に朝と昼のお弁当を頼む。これしかない。
「でも、ココア飲みたいな」
いくら寒かろうがそれぐらい買える。…………そうか、零人に迎えに寄越せば電車賃が浮いてお弁当が買える。なんという閃き。眠い頭から出た提案に自分で自分を褒めたくなる。
乱れた制服を整えてサイフを持ちすぐ近くのコンビニに向けて事務所を出る。どうせ泊まるのだから他の荷物はそのままにしておく。
「あれ?なんでレイジが」
「お、やっと出てきた」
敷地の外に立っていた人影が振り向く。件の――寝ぼけた頭によって不当な扱いを受けることになりそうになった少年の夜東零人であった。無愛想と仏頂面を合わせた顔であったが、機嫌が悪いのではなくこれが彼の普段の表情なのであった。……今は、そう信じたい。
「遅い。待ちくたびれた」
「え、もしかして迎えに来てくれたの?」
「その、もしかしなくても迎えに来たんだよ」
この少年をよく知る桔梗からしたら、この言行には意外感を覚えた。普段は面倒を連呼するような面倒くさがりの性格で、頼み事でも強めに言わないと引き受けてはくれないのだ。そして、このような自発的な行動はかなりの稀なのである。
であれば、この少年がレアな行動をしているのはなぜか。
そういえば最近ここの近辺で誘拐事件が多発していた。
「……それは、アタシを、その、心配してくれて、とか?」
いやいやそれはありえないと自身で否定した。学生だからといって副業が探偵だから格闘技を訓練はしている。その他にも基礎的な体力作りもしているので、もし遭遇しても捕縛。できなくてもダッシュで逃げられるだけの体力はある。そのことは零人も知っているはずなのだ。…………まさか、純粋に心配を?
イヤイヤイヤイヤまさかね、と導いた結論を否定しつつも、そうであればそれはそれで、と嬉しさと恥ずかしさを顔に出ないように必死で奥歯で噛み砕こうとする(噛み締めるのではなく)。
「いや。保護者としての責任」
「…………はい?」
「年頃の女の子がこんな遅い時間まで何やっとるか、なんて思うわけですよ。んで、いつまで経っても帰ってこない娘を探してここまで迎えに来たってところ」
本人からよく分からない理由であっさりと否定された。
桔梗と零人の家族は仕事の都合上家にいることが極端に少なく、家事ができない彼女は必然的にできる少年に頼らざる負えないのだ。そういう意味では保護者も中らずといえど遠からずなのだ。しかも彼女の父親からじきじきに任されているのであってはその意味がぐんっと近くなる。
「それってどーゆう意味よ!心配していなかったらなんでここにいるのよ!」
しかしそれは彼女たちを取り巻く生活の問題であって、彼女自身の心の問題ではない。幼い頃からの腐れ縁で、昔から「レイジにはアタシがついていてしっかりしなくては」と思っていた。今もそれは変わりない。だからこそ、こういうことで立場が逆転するのは少女にとって癪なのだ。
文句を言わないと気が済まないと捲し立てようとする桔梗を――
「ああ、心配はしていないよ。自分が不安なだけ」
――零人が冷静に遮った。
「そもそも六限授業の途中で廊下を駆けていく姿を見て、HRが終わってからミサキに訊いたら関わっている事件の容疑者が動いたって教えてくれて、――」
監視ロボットによって四六時中監視することができるからと言って、最終的に監視しているのはやはり人間である。携帯端末に専用のアプリを組むことによって送られてくる映像を随時確認ができるようになっていた。
それで授業の最中に石本が不審な行動を見せたのでこれはと思った。すぐさま隣の席の相棒にだけ一言いれて、教室を去り際に早退する旨を担当教師に告げて飛び出したのであった。果たして公欠早退になっただろか。
「――じゃあ邪魔はしないようにってとりあえずメールは送っといたけど以降音沙汰なし。日が落ちてから電話をキョウに掛けてもおじさんに掛けても繋がらず仕舞い。――」
端末での監視はバッテリーの消費が予想以上に早いので、主・副・予備・非常用の四つの携帯充電器を持って行ったのだが、結果すべて使い果たしてしまい端末が使えなくなってしまったのだ。
「――日付が変わってからやっとおじさんに繋がって状況を知ったのにそれでも帰ってくる気配はなく。しょうがないからここまで来たけど事務所で真剣な顔でパソコン打ってて、掛けた声が返ってこないから邪魔せずお外で缶コーヒー五本空けて待っていたわけですが」
「うぅっ」
もはや力弱く唸ることしかできななかった。ここまで言われて初めて自身が周囲に迷惑を掛けたことを自覚した。今思えば、父親からの始末書の量も自覚させようとした現れかに思えた。
「別にさ、キョウのすることに文句はつけないし、探偵でもない自分が意見することは筋違いだと思うよ。それにキョウがどういう理屈で動いてるかもだいたい分かっているつもりだけどさ、せめて連絡くらい寄越してほしいな。知らないところで勝手に消えるとか、嫌だから」
最後の部分、それが彼の本心。
無愛想でも寂しがりな幼馴染の唯一といってもいい嫌うこと。
彼の姉も長期渡って家を空けることが多くても、朝と夜には必ず連絡を取っている。
そしてそれは少女自身も知っていたことだ。
「………ごめん」
零人は軽くポンポンと頭をなでる。その時少女は自身の髪の隙間からではあるが、普段無表情の彼が安心したように微笑んでいるように見えた。
「さて、待ち人がやっと出てきたわけだけど、帰る格好じゃないよね。どっか行くのか?」
「え、あぁ、一応だけど一区切りついたから事務所に泊まろうかなって、それでその前にココアを買いに行こうと思ってたけど。でも迎えに来てくれたなら帰る」
もう待たせるわけにいかず急いで荷物を取りに戻る。といってもそれらしいものはなく、脱ぎ捨てたブレザーを着るくらいだった。
教科書などの学校の道具も全部置いてきてしまったので手元にない。机に出しっぱなしで飛び出してきてしまったけど、恐らく相棒の操希が片付けてくれているだろう。明日学校であったらまず謝ろう。
「おまたせ。乗っていい?」
「おー乗れ乗れ」
何処のメーカーなのかも分からない黒バイクにはすでに零人が乗っていた。ヘルメットを受け取り、その後ろに跨って彼の体にしがみ付く。スカートだけどスパッツを穿いているので気にしない。
「……それとさ、レイジ」
「ん?」
しがみ付いている少年に聞こえるかないかの声だったのだが、どうやら聞こえてくれたらしい。まだ言ってなかったことを思い出し、さっきより小声で言う。
「…………アリガト」
「ん。良いってことよ」
他のと比べると、バイクとは思えない静かな駆動音でゆっくりと走り出す。
走り出せば耳に届くのは、モーター音と風を切る音だけ。
体に当たる風が身を冷やす。暖を求めて一層しがみ付く腕に力を込める。
照れくささを感じるが、密着している部分から仄かに暖かさが生まれた。
犯罪だとわかっていても人は手を染めてしまう。石本もはじめは分かっていたのだろう。けれど、回数を重ねるうちに罪悪感に慣れて、麻痺してしまったのだ。
『慣れる』とは恐ろしいものだ。
罪を幾度も犯すことでその意識を薄れさせるように、きっと、何でも手に入る世の中だからこそ、小さな幸せや喜びではもう満足できないほどに喜悦感も麻痺してしまったのではないか。
だから、人の欲深な部分が刺激され手に入れきたもの以外のものを欲してしまうのだろう。
なら、だからこそ、必要なのではないか。いつまでも変わらない幸せというものを。
それはきっと、いや確実に。
砂粒のように小さいものでも、濡れた手で掴んだ幸せより価値はあるのないだろうか。
アタシだったら、と少女は考える。いや、考えるまでもない。
目の前の背中から伝わる暖かくて優しい温もり。そしてそこにいるという事実。
これだけあれば、少女は幸せであった。
「よーし、着いたぞー」
「……………」
「おい…………ん?」
「……………くぅ…………」
「こいつ、掴まりながら寝てるし」