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正面 対決

 ツンツンと髪を引っ張られる感じに、意識が浮上するのを感じた。

 誰? ピー子?

 夢うつつで、手乗りインコを飼っていた小学生のころの私になっていた。

 ―― ダーメ。いたずらしちゃ

 ピー子を追い払おうとして、その手を何者かに捕まれた。

 誰?


 『渡すもんか』の声と、狂気を孕んだ表情が追いかけてくる。一瞬で意識が現在に跳んだ。

 ―― いや、怖い。こないで



「……り、沙織」

 肩を揺すられて、一気に覚醒した。『沙織』という呼び方に、体が跳ねた。

 何で? 捕まった?

「目、覚めた?」

 あ、違う。よかった。

 ぐにゃーんって感じで、緊張が解ける。

「きりゅセンセ」

「何で、戻るかな」

 苦笑しながら、見下ろす上半身裸の桐生先生。

「今、何時?」

 かけてあった毛布で体を隠すようにしながら、よっこいしょって、起き上がる。それにあわせるように、ヒョイッとベッドから降りた彼の姿。

「しばらく”落ちて”たけど、まだ、日付は変わってない。俺の指に絡まった髪を解こうとしたら、うなされだしたから起こした。大丈夫か?」

 目のやり所に困るから、何か着て欲しい。


「なんだか、色々と記憶とかがゴチャゴチャして。一瞬どこにいるのか判らなくって……」

 ああ、怖かった。

 夢に現れた澤田さんの表情に改めて背中が寒くなって、自分自身を抱きしめるように丸くなる。


 頬にかかる髪を指先で、肩の後ろにやる。

 ああ、そうか。髪を解いたから。クセ毛が桐生先生の指に絡んだんだ。

 脈絡なく、どうでもいいことを考えていると、キッチンタイマーらしい音がした。


「そろそろ、落ち着いたか?」

 ひとつうなずきながら、顔を上げる。ニュッと目の前にバスタオルと、洗い晒しのタンガリーのシャツが差し出された。

 反射的に受け取る。

「うん、大丈夫」

「なら、風呂が溜まったから」

 そのままで居られると、こっちが困る、とか言いながら、いつの間にかジャージの下だけを穿いた彼はテーブルに忘れられていた紅茶を片付けていた。



 お風呂を借りて、湯船でぼーんやりとする。

 なんだか一日が、長かったぁー。

 朝、起きたときには、こんな展開になるなんて、カケラも思ってなかったのに。

 ふっと、目を落として胸元に残る、赤い痕を指で辿る。

 負けてちゃいけない。ちゃんと澤田さんとの事を終わらせて。達也さんと始められるように。

 そのために、しっかりしないといけないのは、私自身。


 頼りにできるのは、しっかりとした自分自身。

 拳法の道場で、最初に習うこと。

 怖がってちゃ始められない。



 入れ替わりに彼がお風呂に入って。

「明日、ここからそのまま、じゃ仕事行けないよな?」

 改めて、ローテーブルの前に座って話し合い。

 一線を越えて、彼の言葉が親しみの篭った荒さになった気がする。

 それは、おいておいて。

「服の問題が……」

 お化粧は、かろうじて誤魔化しが効くかな? 

 できれば一度帰って、きちんとしたいところだけど。

「なら、早めに出て一度戻るか? 俺もついて行くから」

「桐生先生にそんな、迷惑……」

「だから、何で、”桐生先生”に戻るんだよ」

 やっと手に入れたのに、と、小さな子のようにふくれっ面をするけど。

「これだけはケジメをつけさせて。澤田さんとの事がきちんと片付くまでは、『達也さん』とは呼べないの」

 自分を支える自分自身が揺るがないように、けじめをつけないと。

 ジーっと、私を見つめる彼の目を見つめ返す。

「OK。その代わり明日の朝は、なにがなんでもついていくから」

 迷惑とか、言わせない。

 そう言って、彼は私の頭を抱き寄せた。 



 彼に借りたシャツをパジャマ代わりに、その日は二人で抱き合って眠った。



 翌朝、早めに起きて二人で菓子パンとチーズとコーヒーで朝食を摂って、軽く化粧をして。

「沙織、出るのはちょっと待って」

 靴を履いたところで、囁き声に止められた。

 ドアチェーンとロックが外される。音を殺すように、そっとそっと。

 いち、に、さん。

 いきなりドアを開ける彼に驚く。

「さすがに、ここまで尾けて来てないとは思うけど」

 そう言って、笑って見せながらも先にドアを出て周りを確認する彼。

 切れ長の目が、いつもより鋭い気がする。

 ”闘う”事を知っている人の目、なんだろうな。



 彼のOKが出てからドアを出て、鍵をかけるのを待つ。

 アパートの階段を下りたところで、ブロック塀の陰から人が躍り出てきた。


 目の下に隈をつくり、服をヨレヨレにした澤田さんだった。


「沙織、一晩なにをしていたんだ。こいつと。あの部屋で」

 ここまで、”尾けて”きていたんだ。桐生先生の危惧したとおり。

 左に立つ桐生先生が、一歩、間合いをつめた。

 完全に背中に隠れてしまうと、相手が見えなくって余計に怖いので、半歩だけ右にずれる。


 自分が支え。自分こそが支え。


「俺を振るのは許さないって言っただろう?」

 さっきの目の前に現れたときの動きから、一転。ゆらーっと、何かに操られたように緩慢な動作で、澤田さんの手が持ち上がる。手元で朝日が反射した。

 何? 何か持ってる? 



 そこからは、ほとんど反射で体が動いていた。

 頭上に振り下ろされた手を、桐生先生の立つほうとは反対の右に一歩踏み込むように体を捌いてかわし、その勢いを利用して鳩尾を狙った回し蹴り。

 あっぶなーい。

 澤田さんの動きに反応して動いていた桐生先生を蹴るところだった。体重移動だけで避けずに、踏み込みをしててよかった。

 桐生先生のかけようとした技で体勢が崩れたところに、私の回し蹴りが入ってそのまま蹲る澤田さん。彼の手からポロっと落ちた果物ナイフを拾い上げて、

「あっぶないな。パンプスにスカートで回し蹴りって」

 俺の出る幕なかった、とか言って桐生先生が笑う。

 そんなことない。”桐”のチーズだけじゃ立ち向かえなかったもの。桐生先生が居なかったら、刺されていたと思う。

 それに、毎日の立ち仕事で疲れるからってパンプスのヒールが低かったのと、たまたまフレアースカートだったのも幸いした。


「う、そだ。さお、り、が、そんな、奴だった、なん、て」

 咳きこみながら、澤田さんが涙の滲んだような目で見る。

 ちょっと待ってよ。

 ”そんな奴”じゃなかったら刺されてるじゃない。やっぱり、私を殺す気だったんじゃ……。

 今更ながらゾワゾワっと、鳥肌がたつ。


「澤田さん」

 あ、ヤダ。今になって、また怖くなった。声も手も震える。

「私は、あなたと出会う前から、”こんな奴”なんです。ご覧のように、手も出れば足も出る。あなたの手の中でおとなしく出来るような、そんな女じゃないんです。隠していて、ごめんなさい。澤田さんなら、もっともっと上等な女性が選り取り見取りでしょ? だから、私みたいなつりあわない女は、捨てられても仕方ないんです」

 震える手を見られないようにぎゅっと両の手を握り合って、反応を見る。



 桐生先生が、昨日寝る前に授けてくれたヒント。

 『沙織に振られるのが嫌だって言うなら、振られてやればいい』

 発想の転換。

 澤田さんが、私を振ってくれれば……この話に  

 終止符が打てる。


 ユラリと、澤田さんが立ち上がる。鳩尾をさすりながら。

「まったく。凶暴、極まりないな」

 大学のサークルの頼りになる先輩でも、一足先に”大人”になった彼氏でもない。憑き物が落ちた、ただのくたびれた男性がそこにいた。

「母様の言うように、俺にも澤田の家にもふさわしくない、こんな女。嫁にしたら俺がいい笑い者だ」

「うん、そうですよね。確かにおっしゃるとおり」

 さらっと桐生先生が首肯する。

「もっとたおやかで、風が吹いたら折れそうな、か弱ーい感じで……夫の後を、三歩下がって歩くような。あなたに”ふさわしい”のは、そんな”女らしい”人ですよね」

 続けられる言葉に、うんうん、って澤田さんがうなずく。ひどい言われようだけど……桐生先生に、この場を任せて口を挟まないようにする。

「だよな、男だったらアンタもわかるだろ? 間違えても、回し蹴りをするような女じゃない」

「ですよね」

 視線を合わせるように、軽く屈むようにして桐生先生が澤田さんの顔を覗き込んで言葉を重ねる。

「澤田さん。無駄な人に、無駄な時間をかけてないですか?」

「無駄?」

 目が醒めたように、桐生先生の顔を見返す澤田さん。

 それに対して無言でにっこりと笑って見せる、桐生先生の横顔が見えた。


「俺たちは、そろそろ行きます。”時間”がないですから」

 軽く、背中を押される。

 怖々、視線を外す。

 背中を向けるのは怖いけど

「振り返らない。そのまま。まっすぐ」

 小声の囁き声にしたがって、流れるような桐生先生の歩みに合わせて、私たちはその場を立ち去った。



「ごめん、ひどいことを言って」

 角を二つほど曲がって、やっと足を止める。歩いてきた方向を見張るように、桐生先生が立ち位置を変えた。

「ううん。ワザとだって判ってる」

「よかった。嫌われたらどうしようかって、ドキドキした」

 張り詰めていた視線が緩んだ。

「沙織、タオルみたいな物、持ってる?」

「えぇ? どこか切った?」

 どうしよう。怪我させてしまった。

「いや、俺は大丈夫。たださ、これ持ったまま電車に乗るのはちょっと……」

 刃の部分を摘むように持っていたナイフを胸の前にぶら下げる。

「俺が、銃刀法違反で捕まる」

 それは、大変。

 確か、昨日ハンカチ代わりに使ったハンドタオルが……。

 かばんを漁る。

 渡したタオルでクルクルとナイフを巻いて、それを更に髪ゴムで止める。

「証拠物件ってことで」

 と言って、かばんに入れる桐生先生。 


「さ、邪魔が入って遅くなったから。行こう」

 もう一度、来た方を軽く睨むようにしてから、歩き出す。


 昨日は緊張していて気にならなかった駅までの距離が、今日は長く感じられる。



 そうして、

「あれ?」

「うん、一応尾行をまこうと思って」

 たどり着いた駅は……


 昨日、降りた駅より一駅分、病院に近い駅だった。


「え、道が違うって判らなかった?」

「うん」

 昨日は暗かったし、怖かったし。

「前にも思ったけど……沙織って、方向音痴?」

 そりゃねぇ。職場の中で迷子になってれば、ねぇ。

「時々、判らないことがある……」

 券売機の横の壁にもたれる様にして私の背後に視線をやりながら、私が切符を買う間にそんな話をする桐生先生。

 待たせているのは承知だけど。

 手が細かく震えて、小銭が入らない。

「貸して」

 私の手を下から包むようにして、お金を受け取った彼が代わりに切符を買ってくれた。



 自動改札を通って、地下にあるホームへと階段を下りる。

 丁度、電車がくる時刻。


「今日、仕事できそうか?」

「うん。調剤室入ったら、切り替えるから」

 部屋に帰ったら、切り替えるから。

「ごめん、ちょっとだけ。手を握っててくれる?」

「うん」

 桐生先生の大きな手に包まれるように、手を握ってもらって。

「ここまで、一人でよくがんばったな」

 そんな言葉をかけてもらいながら、ホームに入ってきた電車に乗った。 

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