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数え切れない 小さな華を

 予定日の一ヶ月前に、実家に里帰りをして。

 息子の貴文(たかふみ)が産まれた。



 退院した土曜日、私は再び実家に戻った。

 私がこっちに来てからの約一ヶ月、達也さんは土曜日にやって来ては、日曜の午後まで滞在してまた戻る生活をしている。退院日の今日は、池田先生に休みを代わってもらったそうで、朝から病院に迎えに来てくれた。


「ほら、美紗も抱っこしてみる?」

 母に促された美紗は、恐る恐る貴文を抱いて。

「落としそうで、怖い」

 と、すぐに私の腕に戻した。そして、両手を首筋に当てた妙な姿勢で、私の横に座って貴文の顔を覗き込んでいる。

 一瞬、赤ん坊を抱いただけで、肩でも凝ったの? 大袈裟ねぇ。


「おばちゃんたら、ひどいでしゅねー」

 母が貴文の頬をつつきながら話しかける。

「美紗ちゃん、まだ中学生なのに”おばちゃん”はかわいそうでは?」

「そうねぇ」

 達也さんの言葉に、母が首をかしげる。そんな母を美紗は”他人事のように”ではあるけど、微笑みながら眺めている。

 そういえば、この一ヶ月で達也さんが一緒の部屋にいても、席をはずすことはなくなったし、ちょっと表情もマシになってきたかな?

 何か落ち着いたのか、達也さんに慣れたのか。


「じゃぁ、美紗お姉ちゃんかしら」

「ほら、貴文。美紗お姉ちゃんですよー」

 母の言葉に合わせて、私はそう言いながら、貴文の顔を美紗に向けるようにする。

「私が”お姉ちゃん”?」

 くすぐったそうに笑う美紗。

 母と目を見合わせる。

 美紗の心が、動いた? 



 受験生の美紗の邪魔をしないように、退院から二週間ほどで床上げをして自宅へ戻る。

 家族三人の生活が始まる。


 夜泣きに起こされたりしながら、少しずつ親子の生活を作る。

 『夜泣きってね、ある日突然楽になるのよ』そう言っていた母の言葉のとおり。

 夜泣きが終わり、首が据わり、寝返りをし……。貴文は、階段をひょいっと上るようにある日、成長の階段を上る。そんな繰り返しで、日々が過ぎる。

 

 達也さんは貴文をお風呂に入れて、時にはオムツも替えて。毎日毎日

「貴文、貴文」

 と、撫でくり回している。

 首が据わってからは、

「ほーら、高い高い」

 と、抱き上げて。私より背の高い達也さんに高い高いをされて、貴文は手をバタつかせて笑う。

 お座りができるようになると、やわらかいボールを転がして二人でボール遊び。



 貴文の誕生から半年ほどがたったころ、酒井さんと三沢さんが”お見舞い”として遊びに来た。

 

 約束の時間に、玄関のチャイムが鳴る。

「はいはい」

 軽やかに返事を返しながら、達也さんが貴文を抱えて玄関を開けに行く。沸かしていたお湯を温めなおして、私はお茶の準備をする

「こんにちわー。うわっ。桐生君そのもの」

「濃いDNAねぇ」

 やっぱり、そう言われるか。玄関から、聞こえてくる酒井さんと三沢さんの声に、笑いをかみ殺しながら、お茶を淹れる。『お点前は、沙織にだけ』って、達也さんが言ってくれるから、お客さんに出すお茶は私が淹れる。今日は、酒井さんの好物のチーズケーキをホールで買ってあるから、紅茶で。

「お久しぶり。元気そうね」

「ご無沙汰しています」

 部屋に上がってきた酒井さんと挨拶を交わして、テーブルについてもらう。貴文は、達也さんのひざの上。

 ケーキとお茶を配って、私も座ったところで三沢さんが、

「そうそう。お祝いとね。お土産」 

 お土産は、病院のそばのお饅頭やさんの包装紙。

「お土産は日持ちするから。二人で、お茶を飲むときのアテにどうぞ」

「猫の変わりに坊やだっこして、ね」

 二人が笑いながら言う。

 ありがたく、次の”お茶”のときにいただくことにして、テーブルに置く。


 もうひとつ、”東のターミナル”の駅前デパートの包装の方を手に取る。

「開けてもいいですか?」

「どうぞどうぞ」

「ここまで桐生先生に似てたら……ごめん。似合わないかも」

 酒井さんが、手を合わせるようにして謝ってくる。

 かけてあるのし紙には、薬局・検査室一同って。

 中に入っていたのは、ベビー服が二枚。クマさんの付いた黄色のと、ヒヨコの付いたブルーのと。サイズが、まだ貴文にはちょっと大きいかな? 半年経てば、着れるかな?

 後は、靴下と涎掛け。涎掛けも、ウサギさんと、おウマさん。

 確かに。かわいい。

 赤ちゃんのころの美紗に似合いそうな、かわいらしいデザイン。

「沙織に似てたら、確かに似合いそう」

「ここまで、桐生君に似てるとはね。思わなかったわ」

 三沢さんもフォークを持ってないほうの手で、拝むジェスチャーをする。

「だから、『俺に似てます』って、散々言ったじゃないですか」

 ん、ん、とケーキに手を伸ばそうとする貴文に、赤ちゃんせんべいを握らせながら達也さんがクスクス笑う。

「話、半分に聞いていたのよ」

「だから、みっちゃん。桐生先生がそんな誇張をするわけないじゃない。逆ならともかく」

「酒ちゃんも、これがいいって言ったじゃない」

「って言うかさぁ。桐生先生に似合いそうなベビー服ってねぇ」

「想像したくなわぁー。って、ごめんね。ひどい事いってるわ」

「いえいえ。ありがとうございます。まだ、ちょっと大きめなので、もう少ししてから着せます」

 漫才のようなやり取りをしている二人を、笑いながら眺めて。頂いた服は軽く畳んで、汚れないように隣の部屋へ。


 しばし、病院の人たちの近況とかを聞きながら、楽しい時間を過ごす。


「じゃ、お邪魔しました」

 靴を履く二人を、玄関まで見送る。今度は私が貴文を抱っこして。

「幸せそうで、良かった。退職までがバタバタだったから、ちょっと心配してたけど」

 こそっと耳打ちして、手を振りながら玄関を出て行く酒井さんの後姿に頭を下げる。


 いろいろと心配をかけた

 先輩であり上司であった人に。


 私たちは、もう、大丈夫です。



「とぉしゃん、かぁしゃん。じいちゃん 行くの? でんしゃ?」

「そうよ、お正月だからね」

 貴文が二歳になったお正月。

 おしゃべりをするようになった貴文を連れて元旦は桐生のおうちで過ごし、二日は実家に帰省する。

「ミシャ(ねえ)、あのねぇ」

「うん、タカ。なあに?」

「ええっとね」

 高校生になった美紗は、取り留めない貴文のおしゃべりにニコニコしながら延々と付き合っている。それがまた、貴文にとってはうれしいらしくって、おしゃべりが止まらない。

 『ミサ姉』『ミサ姉』ってずっと後を追いかけている。美紗の方から貴文にちょっかいをかける事はないけれど。


「ほら、タカ。今はおしゃべりの時間じゃないですよ。ご飯を食べなさい」

 しゃべり通しで貴文のご飯がすすまないから、そろそろストップをかける。

「はぁい、かぁしゃん」

 怪しげな箸使いで、伊達巻をつかむ貴文を眺めながら、美紗も黒豆に手を伸ばす。

「美紗は、大学。どうするの?」

「うーん。お姉ちゃんみたいに薬学部を目指そうかなって」

「そうかぁ」

「うん。資格、取ろうと思って」

「英語をもうちょっとがんばらないといけないのよね? 美紗」

 母の苦言に肩をすくめながら、微笑む美紗。

 中学生のときとは違う柔らかな笑顔に、少しほっとする。

「沙織は? そろそろ、また働くの?」

 母の問いかけに、唸りながら、達也さんと顔を見あわせる。

「ちょっと悩み中」

「そうなんだ」

 ふぅん、と言いながら、母は八幡巻きを口に運んでいる。

 仕事、なぁ。

 働きたい気持ちと、もう少し貴文との時間を大事にしたい気持ちと。さらに言うと、貴文にそろそろ弟妹を、って気持ちとで、揺れている。 

「ばあちゃん、たまごやき、おいしー!」

「そう、一杯食べなさい」

 その昔。コロッケ同様、美紗に色々な物を食べさせる目的で、母が作り始めた千草焼き。箸を突き刺すようにしてはしゃぐ貴文を見ながら、達也さんが

「これも、野菜だ」

「そうよ。たくさん食べましょうねー」

 父とさしつさされつ。飲むばかりの達也さんのお皿にも入れてやる。お煮しめもついでに。

 顔を見合わせて、ふふっと笑い合って。

 穏やかで、幸せなお正月。



 貴文の離乳食が終わったころから、料理が新しい趣味になった。

 貴文がなかなか野菜を食べないので、あの手この手で料理に野菜を混ぜ込むうちに、なんだか面白くなって。

「かぁしゃん、きょうのごはん、なぁに?」

「そうねぇ……シュウマイにしようか」

 シュウマイに、何か混ぜられないかな? 人参を細かく刻んだらどうだろう? うん、色がきれいかも。

「シューマイ。シューマイ」

 でたらめに歌いながら、スーパーまで手をつないで歩く。ポカポカの日差しと、黄色の蝶と。あ、カラスノエンドウが実をつけている。

「タカ。ちょっと待ってね」

 蔓からとった実を、昔の記憶を頼りに開いて種を取って、端をちぎる。

 口にくわえて……。

 プブー。

 おお、鳴ったよ。すごい。覚えているもんなんだ。

 プップ、ブッブー

「かあしゃん、タカも。タカも、しるー」

 両手を伸ばして、ぴょんぴょん跳ねる貴文。

「タカも、する?」

「うん、しるー」

 ここをくわえてね、と、貴文に説明して。『鳴らない』とベソをかくのをなだめて。

 日差しと同じ、暖かくって穏やかな毎日。



「人参?」

 帰ってきた達也さんは、齧ったシュウマイの断面を見て首をかしげる。

「文句言わない」

 野菜食べなさい、って目で言うと。切れ長の目を細めて笑う。

「文句、言ったことないだろ?」 

「まあね」

 残り半分を口に入れて、ビールを飲んで。しげしげとお皿の上を眺める。

「この前のときも思ったけど。シュウマイって家で作れるもんなんだな」

「そりゃ、皮を売っているし。そもそも、どんな料理も”初めて作った人”がいるんだから」

 レシピさえあれば、できて当たり前だと思うんだけど。上手下手はともかくとして。

 私もビールを貰って。うん、熱々のシュウマイに冷たいビール。

「タカ、もーいっこ たべる」

「ああ、コラ。そっちは熱いぞ。お前のはこっち」

 大人用に分けてあった、出来立てのお皿に箸を伸ばした貴文を慌てて止める達也さん。変わらぬ箸使いで、冷めたシュウマイを取ってやる。

「おいしー」

 ほっぺを押さえるようにニコニコ笑う貴文を眺めて、二人で目を見合わせて微笑む。 


 いつだったかの約束どおり。

 私たちは、毎日のように目を見交わし、見詰め合う。

 その目で、貴文を見守る。


 一瞬を重ねて、一生に。

 そして、心配をかけた人々、泣かせた人々に。

 カスミソウように小さくてもたくさんの幸せを見てもらおう。

 こんな華を私たちは咲かせました、と



 秋が来て、貴文が三歳の誕生日を迎えるころ。

 達也さんが一通の封書を持って帰ってきた。

「沙織、院長から」

 料理中の手をタオルで拭いて、受け取る。

 封を切って、中身に目を通す。


 仕事に復帰しないか?

 という、内容の手紙だった。


 年明けから薬局が病棟での業務を始めることになり、そのため人手が必要になると。

「パートでも良いからって。院長からの伝言」

「貴文が……」

「うん。それは、付属保育所に入らせてもらうことで、話がついている」

 そこまで言ってもらえるのなら、これはひとつの転機かもしれない。

「一度、院長に会いに行ってくるか?」

「そう、ね。今、薬局長は?」

「酒井先生のまま。沙織が辞めてから、薬局の先生の異動はないよ」

「そう」

 だったら、知っている人ばっかり、ね。私の分の欠員補充の人とも一ヶ月ほど一緒に働いたし。

「院長とは、電話でアポを取ったら良いのかな?」

「ああ、俺が連絡をとるけど」

「じゃぁ、働く方向で話してもらっていい?」

「うん。”本間先生”の再出発、だな」

 目を細めるように笑う達也さんに

「”桐生先生”よ」

 と、言葉を返して、お味噌汁を温める。



 『おめでたがあれば、そのときはまた考えましょう』と言ってくれた院長の言葉に甘えるように、この時期に仕事に復帰したのはある意味でいいタイミングだった。

 子供がもう一人授かってから……と思っていたら。結果として、貴文に弟妹が産まれなかったので、私は、ずるずると働き始めるきっかけを見つけられずにいたかもしれない。


 そして、年明けの一月から半日勤務のパートとして古巣の病院に復帰した。



 初日、貴文を連れて電車で出勤して、病院の裏庭の一角にある保育所に立ち寄る。

「タカ。お母さんお仕事してくるからね。お昼ごはんを食べたら、迎えに来るから」

「かあさん……」

 半ベソの貴文の後ろから肩を抱いて。頬を寄せ合うようにして、同じ方向を見ながら、指をさす。

 ここからなら……

「ほら、あっちの建物、見える? あの大きな窓のお部屋にお父さんがいるの。お母さんも向こう側のお部屋にいるから。ね」

 お庭の向こうにお父さんもお母さんもいるんだよって、なだめて。ぽろっとこぼれた小さな涙を、親指でふき取って、迎えに出てきていた先生の手に渡す。



 薬局でみんなと顔合わせをして、

「また、お世話になります」

「おかえり。こちらこそよろしく」

 酒井さんとそんな会話を交わして、ロッカーで着替えてから総務に向かう。

 一渡り、労働条件とか勤務内容についての説明を受けて。新卒で来たあの日と同じく、近藤さんにつれられて、各部署のあいさつ回りをする。

 久しぶりに会う人たちに『帰ってきたんだ』『お帰り』と言われながら、院内を巡って。


「新しい職員の紹介でーす」

 連れてこられたリハビリ室。

 『ここはいいです』って、最後まで抵抗したけど、近藤さんに『何いってるの。桐生君、楽しみにしているわよ、きっと』と、いなされた。

「今日づけで薬局に入りました。桐生 沙織さんです」

「桐生です! よろしくお願いします!」

 半分やけくそで挨拶をして、顔を上げる。

 正面で口元を覆ってる達也さんと目が合う。

 切れ長の目が笑ってて、肩がゆれている。



 そして再び


 新しい日々が始まる。



 END 

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