忘年会
台風一過の翌日。
川本さんは、泣き腫らした目で出勤してきた。
何かを言うのも”違う”気がして。昨日の事には触れずに、互いに淡々と仕事をこなす。
彼女のフォローをしてくれただろう先輩たちには、ひとこと謝ったけれど。
「去年、待合室に変な人が居たことがあったでしょ? あの時に、『桐生先生って、もしかして?』って思ってたの」
食後のコーヒーを飲みながら薬局長が言う。今日は定例の会議だとかで、堀田さんと私の早番に薬局長も加えた、三人での昼休みだった。
「小西先生も、チラッとそんなことを言ってたし」
「へぇー。そうなんですか?」
堀田さんが相槌を打つ。
「なんでもね。薬品請求があれば『俺、行ってきます』って、ピューっ」
「ああ、昨日も来てたみたいですね」
「休憩時間になれば、裏庭側の窓辺で夏のあっつい時も日向ぼっこ」
「……小西先生、よく見てますねぇ」
「自分がやりたいこと、とられたからでしょ?」
堀田さんとそんな会話を交わしながら、コーヒーを飲み干す薬局長。
「ああ、そうか。医事の吉野さん」
「そうそう。奥さんに会いたかったら、同じパターンじゃない?」
リハビリ室は何をやってるんだか、って笑いながら、会議の資料をそろえている。そろそろ、会議の時間か。
「言わなくってもわかってると思うけど。ケジメはつけて、ちゃんと仕事しなさいよ」
そう、言い残して薬局長は会議へと出かけていった。
それからも、穏やかに日々を過ごす。
川本さんとも、当たり障りなく仕事をして。忘年会の季節。
毎年、病院と各部署との二回の忘年会がある。薬局は歓迎会と同様、副診療部合同で忘年会が行われる。
歓迎会のときの反省を本人もしたようで
「川本さんは、私の横。堀田さんや本間さんの横に座ったら、ペースにつられて、またつぶれるわよ」
「はぁい、わっかりましたー」
薬局長の指示に、敬礼を返す川本さん。
けど、聞き捨てならないことをいわれた気がする。
「ちょっと、薬局長?」
柳眉を逆立てる堀田さん。
「堀田さんと一緒にしないでください」
私もひとつ、抗議をいれる。
「コラ、本間さんも! 人をウワバミみたいに」
そんなやり取りが、お店に入る前にあって、川本さんは今回も薬局長の隣の席になった。それに引っ張られるように、検査の瀬尾さんも室長の大森さんの隣。
薬局長たちが、今回は上手に酒量を調節をしたらしく、川本さんも”潰れる”ことなく、ふぐ料理を楽しんだようで。
ただ……今回は、私たちを肴に飲むことにしたらしくって。
「桐生先生」
「はい、何でしょう?」
「本間さんとは、どんなデート?」
ビールが変なところに入って、咳が止まらない。
もう。こんな席でばらすな、って。
あれ?
誰も達也さんの相手が私ってことに突っ込まないってことは……周知の事実?
なんでー? やめてよ、もう。
「この前、コイツ言ってただろ? 縁側で、日向ぼっこしながらお茶飲んでるって」
一人悶えている私を知らずに、川本さんの左隣で小松さんが笑いながら言う。よっぽどあの時の返事が気に入ったらしい。
「ええー? 聞いてませんよ?」
「川本さん、潰れてたから」
ほら、ふぐのから揚げだって、って言いながら彼女の斜め向かいから大森さんが川本さんに取り皿を渡す。さすが、お母さん。
「じゃぁ、ディナーは?」
あの子、ディナー好きだねぇ、って、三沢さんが今回も末席でビールを片手に笑っている。
「うん? 手料理」
しれっと言う達也さんの答えに、両側から先輩につつかれた。
その手をかわしながら、空になったグラスをテーブルに置く。
まあ、確かにねぇ。外食なんてめったにしないし。
「何、手料理って。本間さん、料理するの?」
酒井さんが、ビールを注いでくれながら顔を覗き込む。
「料理ぐらいします。一人暮らしなんですから、しなきゃ干からびるでしょう?」
「得意料理は?」
「いや、酒ちゃん、ここは桐生君に聞かないと」
「ああそうね。桐生先生、お勧めメニューは?」
三沢さんも、酒井さんも。酔ってるでしょ? 絶対。
「はい? お勧めって?」
いきなり話を振られた達也さんが、聞き返す。
「本間さんの手料理で、何が好き?」
堀田さんがヒレ酒を片手に通訳をする。それ、確か三杯目、ですよね。相変わらず、顔色ひとつ変えずに綺麗なまま笑っている。
「うーん、しいて言うなら……コロッケ?」
ふぐのから揚げをキレイに骨だけにしながらの彼の答えに、反応したのが大森さん。上座のほうから、身を乗り出すように話に加わってきた。
「ちょっと。本間さん。コロッケってコロッケ?」
「他に何があるんですか?」
入れてもらったビールを飲みながら、聞き返す。
コロッケはコロッケでしょう?
大森さんは『ああもう、話がとおい』と言って、ビール瓶を片手に三沢さんのさらに下座にやってきた。
半分ぐらいに減っているグラスを空けさせられて、新しくビールが入れられる。
「冷凍じゃなくって?」
興味津々って顔で尋ねる大森さんに、
「俺、あんなコロッケ、他で見たことないですよ」
と、達也さんが答える。
だろうねぇ。私も見たことないわ。
「どんなの?」
「人参とか、グリーンピースとか。あとは……ミンチ?」
確かめるようにこっちを見る達也さんに、うなずく。そして、ちょっとフォローを。
「要は、ビーフコロッケにミックスベジタブルが入っているんです」
メモでもとりそうな雰囲気の大森さんのほうを見ながら、答える。
「実家の妹が小さかったころ食が細くって。ちょっとでも色々食べさせようって母の苦心の策みたいですね」
「ああ、なるほど」
フムフムって大森さん。
そろそろ、話題変えましょうよ。
ターゲットは……
「小西先生のところは?」
やっぱり新婚さんに。
「俺?」
「新婚家庭のお勧めメニューは?」
うーんと、唸る小西先生。
これでよし。しばらくは、あっちで盛り上がってくれるだろう。
大森さんも、席に戻ったし。置いていかれたビール瓶の中身は、三沢さんのグラスへ。
そろそろ出来上がった、鍋を見る。
「酒井さん、これ、そろそろですかね?」
「うーん。白菜も煮えたみたいだし……食べちゃおっか?」
こっちはしばらく、てっちりに集中。
締めの雑炊を堪能して、デザートの果物も食べて。
今日も店の前でお開き。
明日は二人とも休みの土曜日なので、今日はこのまま達也さんの部屋に泊まる。
この一年に、何度も互いの部屋に泊まっているから、特別の用意もなく。
雪でも降りそうな寒い夜、つないだ手を達也さんのコートのポケットに入れてもらって駅からの夜道を歩く。この道を歩くのも何度目だろう。最初に歩いたあの、恐怖の夜からすごく長い時間が経った気がする。
「沙織さ」
「うん? なに?」
「指輪、まだ怖い?」
こじれる原因になった澤田さんとの婚約指輪。あれ以来、私は一切、指輪をつけていない。ファッションリングも、ピンキーリングも。アクセサリーは唯一、ボーナスが出たときに自分で買うピアスだけ。
「どうだろう? つけてみようとも思わないから」
「そうか」
信号で立ち止まるまで、互いに無言で歩く。
「クリスマスに試しに買ってみてもいい?」
指輪、って言いながら、ポケットの中の指が私の手を撫でるように動く。
うーん。どうしよう。
「せっかく買っても、怖かったらどうするの?」
「どうもしない。平気になるまで置いておいたらいいだけだろ?」
そんなもの?
「でさ」
信号が変わって、歩き出す。
「もし、平気だったら……互いの名前を入れた指輪を交換してくれないか?」
改めて、彼の顔を見る。横断歩道を渡りきったところで足が止まる。
「それは、結婚……って意味?」
「うん。だめ、か?」
私、今度は間違えていない? 決断しても早すぎない?
達也さんの目を見る。
街灯の明かりの中で、彼の目に映る私の目。
互いの視線に、揺れは、無い。
信じて、いいの? 信じられるの?
彼の目を見つめながら、自問自答する。
「とりあえず。クリスマスにひとつ試してみて?」
視線を和らげて、達也さんが言う。
彼から、目をはずさないまま。
ひとつ、うなずいた。
善は急げと、翌日二人でジュエリーショップへ出かけた。
世の中はクリスマス直前の休日とあって結構な人出の中、相変わらず流れるように歩く彼にエスコートされながら歩く。
ふっと、私にしては珍しく見覚えのある街角に出た。
ここは確か……。
「達也さん」
「うん?」
「あそこの角に、お蕎麦屋さんがあるじゃない?」
「ああ、あるな」
「あそこに、就職活動のときに入ったことって無い?」
「うーん?」
首をかしげながらお店の前まで歩いて、邪魔にならないあたりで立ち止まって。
「ああ。ある」
「よね? 多分……秋ごろ」
「今の病院に決まる前に、このあたりで面接があったから……って。何で?」
「そこで、逢ってる。達也さんと」
そう、食べ方のきれいなお蕎麦屋さんの彼。きっとあれは達也さんだった。
歩き方に個性が出るといつだったか言ってた、彼自身の歩き方。あれは絶対個性。
目を細めるように考える、達也さん。
「そうか、そんなところでも」
「うん。きっとあれは、そうだった」
あの時、なぜか意識を引かれた人と、つながったんだ、私。
その、想いがひとつの自信になる。
あの日、あの時。すれ違った
名前も知らなかった人と縁が結ばれ、
互いの想いと時間を重ねてきた。
大丈夫。
この決断は、早過ぎはしない
今度は、間違いじゃない。
ジュエリーショップで、キャッツアイの指輪を買ってもらった。
「誕生石とか、ダイヤモンドでもいいのに」
って、言われたけど。
私の”目”を好きだといってくれる、彼へのひとつの誓いに。
”目”を象った石を身に着ける。
この目に、恥じない心が決まったら。
彼と、指輪を交換しよう。