歓迎会
達也さんとのお付き合いに対して、両親には合格をもらえたのか。後は和やかに世間話をしながら食事を終えて。
お店を出たところで母に声をかけられた。
「沙織。きちんと彼と向かい合って、今度こそ幸せになりなさい」
「向かい合って?」
「そう。向かい合って。雄二さんと一緒にいるあなたは、いつもどこか視線が俯いていたわ。今度はちゃんと、彼のことを見なさいね」
「俯いてたんだ……」
「『恥じらいかな』って、そんな沙織を見て思っていたのよね。でも、桐生さんと互いにきちんと目を見ていた今日のあなたたちを見て、違っていたんだって気が付いたの。美紗の事といい、お母さん失格だわ」
あなたたち姉妹を見ているつもりで、何も見ていなかった。
そう言って、母は寂しそうに笑った。
穏やかなお付き合いを続けて、春が来る。
四月に、新人で川本さんが入ってきた。
彼女の入職直前のミーティングで、薬局長に
「指導担当は本間さんね」
と言われて、私にできるか心配になる。
「大丈夫よ。私にできたんだから」
堀田さんが、ファイトーって背中を叩いてくれる。
去年、堀田さんに教えてもらったときのノートを取り出して、復習をして川本さんの入職を待つ。
がんばろう。もう、新人じゃないんだから。
何とか、先輩たちの助力を受けつつ、川本さんの指導をこなす。
無事、彼女も国試に合格して、今年もゴールデンウィーク明けに歓迎会。今年は、薬局と検査室に新人が入って、レントゲンとリハビリが便乗組での歓迎会。
「川本さんは、お酒、いけるクチ?」
乾杯の後、レントゲン室長の多田さんの質問に、
「はい、飲めるほうです」
と答える川本さん。
おおー。『飲める』と言っちゃうか。
去年の私たちもそうだったけど、新人は室長たちに囲まれるように座っている。中でも、酒屋の息子だという噂のある多田さんは、院内でも指折りの酒豪って話。
大人な室長たちは、”潰す”ような飲ませ方はしないみたいだけれど。
『お手並み拝見』みたいな顔で検査室長の大森さんが、川本さんが空けたグラスにビールを注いでいる。
下座のこちら側では、
「たしか、薬局さんは下戸がいないのよね」
検査技師の三沢さんの言葉を受けてリハビリの池田先生が
「へぇ、本間先生も飲めるんだ?」
って、訊いてくるから
「たしなむ程度で」
と答えると、向かいで達也さんが口に含んだビールを吹きそうになっている。
確かに、今まで二人で飲んでも潰れたことは無いけれど。
”お嬢様”な見た目を裏切ってチャンポンで、グイグイ呑む堀田さんを見ると『飲めます』なんて、このメンバーではとてもじゃないけど言えない。
おかしそうに見てくる達也さんを、軽く睨んで。
ビールに口をつける。
「きりゅうセンセーはぁ、カノジョいるの?」
あっさり出来上がった川本さんに、私の横で堀田さんが
「『飲めるほうです』じゃなくって、自分が飲まれてるじゃない」
って、ウィスキーのロックを片手につぶやく。開始からまだ三十分ほどしか経っていないから、確かに早すぎ。
自己紹介をして達也さんが同い年って判ってから、川本さんがなんだかんだと彼に親しげに話しかけるのが、正直言って面白くない。
間に座っている他の部署の先輩たちの頭越しに話しかけてんじゃないわよ。同じ新人なのに、ソツなく室長たちとおしゃべりしている検査室の瀬尾さんを見習えば?
そんなことを内心で思いながら、先輩たちが一渡り取った後のから揚げの皿に手を伸ばす。
その向こうで、面白くない会話が続いている。
「彼女? いるけど」
「どんなひとぉ? としはぁ?」
「二十三歳の、頑張り屋さん」
患者さんに向けるような笑顔で達也さんが答えるのを見て、
「『頑張り屋さん』だって」
そう言ってキレイにお化粧をした顔でニッて笑いながら、右隣から堀田さんがわき腹をつついてくる。
お花見にって、出かけた城址公園で逢っちゃったからなぁ。堀田さんと彼氏さんに。
「ええー、としうえの、かのじょぉー?」
「まあね」
「きりゅーセンセー、おばしゃんが、このみ、なんだぁ」
悪かったわね。おばさんで。私が二月生まれ、達也さんが六月生まれだから、半年も違わないわよ。
睨んでやろうかとも思ったけど、薬局は同じ列に座っているから物理的に無理。
「川本先生、怖いものしらずだねぇ。本間先生と同い年の彼女なんだけど。薬局の先生たち敵に回しちゃうよ」
「すでに回してるって」
達也さんの言葉に、ボソッと堀田さんが突っ込む。その声に、達也さんの右隣で三沢さんがくすくす笑う。
三沢さんは、確か酒井さんと同期って。普段から仲良しの二人は、私たち後輩を奥に追いやって、わざと一番末席で飲んでいる。
『検査室も敵に回しているわよねぇ』なんて思いながら、残っているサラダに手を伸ばす。そういえば、飲むばっかりで、達也さん、また野菜食べてないな。
キレイなままの彼の取り皿を、眺める。
「だぁいじょーぶですよぉ」
「大丈夫じゃないわよ。いい加減にしなさい」
薬局長が、たしなめる。
その隙に、
「桐生先生、料理とろうか?」
目に、『野菜、食べなさい』って力を込めて言うと、
「ああ、よろしく」
と取り皿を渡される。残っているサラダの半分以上と、刺身を少々入れてやる。
刺身は勝手に取って食べるだろうけど。そこは、武士の情けで。
「うわ、野菜ばっかり」
って、文句を言いながら目が笑っている。
「ほとんどダイエットメニューね」
「本間先生、ダイエットしてたら大きくなれないよ」
堀田さんと、池田先生が達也さんのお皿を見て笑う。
確かに薬局一のチビですけどね、
「食べても、これ以上は大きくなりませんから」
栄養が横方向に行っちゃいます、って、肩をすくめる。
そこから、効果的なダイエットは何かって話題で女子四人で盛り上がる。
宴も半ばを過ぎて。またもや川本さんが達也さんに絡んできた。
「きりゅーセンセー」
一瞬顔をしかめて、そんなそぶりをキレイに隠して達也さんが顔を向ける。
「はい、何でしょう?」
「このあとぉ、二次会、しましょーよぉ。ふたりぃでぇ」
ふざけんなって思ったのを堀田さんが
「本間さん。怒って良いんじゃない? そろそろ」
って、煽ってくる。川本さんには聞こえなかったみたいだけど、バッチリ聞こえていたらしい酒井さんに左隣から
「本間さん、そう? なの?」
って、目を丸くして尋ねられる。三沢さんにも
「あ、そういえば本間さん、今日は指輪してない」
って。目ざといなぁ。
達也さんと、一瞬目を合わせてから、こっそり、うなずく。
「ああー。それはそれは」
「腹、立つでしょ?」
って、堀田さんが代わりに怒っている。
川本さんからのふざけたお誘いは
「川本先生。それは、無し。彼女に悪いから、やりたくない」
って、ばっさりと達也さんが断る。
「なぁんでぇ? だまってたらぁ、ばれないって」
「ばれるの」
ばれてる、ばれてる。丸々ばれてる。って、ビールを口元に運びながら三沢さんが合いの手を入れる。それを聞いた酒井さんが、噴き出す
「あのね。俺の彼女さ、すごく眼がいいの。隠し事ができないくらい」
「なによぉ、それぇ」
「疚しいことがあるとね、鏡みたいにそれを映し出す眼をしてるから。俺自身が、隠し事をしたくないの」
そう言って、もうこれ以上は話すつもりはないって顔で達也さんは食事を再開した。
彼の返事にしばらくブツブツ言っている川本さんに、
「川本先生は、どんなデートが理想?」
と、話をふる池田先生。達也さんは、自分から離れた話題にほっとしたように、大皿に手を伸ばす。また、肉だけ食べてるし。
「ええーとぉ。でぇとはぁ、やけーのきれーな、ほてるとかでぇ、でぃなーとかぁ?」
川本さんの、ふにゃふにゃした答えを聞いて、堀田さんが
「無い無い、この辺でそんなところ」
って、つぶやく。いつの間にか、その手にはお猪口が。
さっきまでは焼酎のお湯割じゃなかったっけ。でも顔色ひとつ変わらないのよね。
くいっとあけた堀田さんに、お代わりを注ぐ。
「堀田さん、あるよー。”そんなところ”」
酒井さんが市内東部のホテルの名前を挙げる。市役所のあるターミナルの辺りかな? 確か。
「へぇ。あそこ、そうなんですね」
「そうそう。最上階のバーが景色もいいしお酒も」
そう言って、三沢さんが親指を立ててグッドってジェスチャーをしてみせる。
「酒井さんは、デートで?」
「ううん。みっちゃんと二人で」
「女二人でなんて、さみしーよぅ」
三沢さんが、泣きまねをしてみせる。
その間に、川本さんの”理想のデート”談が終わってた。
「ふうん。それは結構、甲斐性のある男でないと……俺たちの給料じゃ、なかなか」
って、呆れたようにレントゲン技師の小松さんが笑う。そうか、そんなデートか。澤田さんが得意そうだなって、チラッと頭をよぎった。
それを見透かしたように、達也さんの切れ長の目がこっちを見つめる。
私は、全然そんなの楽しくなかったし。
そう思いながら、彼の目を見返す。
「じゃぁさ、さっきから川本さんに熱烈なアタックを受けてる、桐生君?」
「はい?」
「年上の彼女さんとは、どんなデート?」
ニヤニヤと私の顔を見ながら、三沢さんが達也さんに話をふる。
「二人でお饅頭を食べながら、お茶を飲んでますよ」
その答えに、茶碗蒸しが一気に咽喉を通りそうになって咽た。あっつぅ。火傷したらどうしてくれるのよ。
”お茶会”が言い様でなんだか違う風に聞こえる。
「なに、その年寄りじみたデートは」
達也さんにお酒を注いでもらいながら、堀田さんが私の顔を見る。
うそは言ってないけど、微妙に違うんです。でも、それが私には”理想のデート”
お銚子を置いた達也さんは、私と目が合うとニッと笑って見せて堀田さんとの会話に戻った。
「年寄りじみて、ますかね?」
「まるっきり老夫婦じゃない。縁側で日向ぼっこ、みたいで」
「ああ、それいいですね。縁側で猫を抱いて二人で日向ぼっこしてって。この先、彼女とはそんな風に一緒に年を取れたら良いなぁ」
照れくさそうな顔をしながら言う達也さんに、こっちも顔が赤くなる。
横から酒井さんが、肩をつついてくる。三沢さんも、生温ーい微笑でグラスのふちをなめているし。
「うわぁ、のろけやがったコイツ。川本さん、もう、無理だって」
堀田さんの向こう隣では、小松さんがそう言ってテーブルをバンバン叩きながら大笑いしている。なんか皆、変な酔い方してない?
そんな座の盛り上がりに対して、川本さんの反応がない。
「あれ、とうとう潰れた?」
そんな池田先生の声に返ってきたのが、
「やっと静かになってくれたわ」
って、非情な薬局長の声。
「これ以上この子にしゃべらせてたら、明日から薬局が回らなくなりそうだし」
「薬局長、明日土曜日で、人数少ないんですけど?」
「頭数に入れてないんだから、二日酔いでもどうにかなるでしょ」
酒井さんの指摘にも、涼しい顔でチューハイらしきグラスを空ける薬局長。
「つーぶした、つーぶした。山崎先生が、つーぶした」
「人聞きの悪いことを言わないで」
囃し立てる小学生のような小西先生と薬局長が言い合うのを、瀬尾さんがおののいた表情で見ている。
「ちょっと。検査室の子が怖がっているじゃないの」
「ああ、そんな顔しないで。普通はこんなことないから。去年の本間さんも、一昨年の堀田さんも無事だったし」
大森さんの指摘に薬局長が慌ててフォローする。
「堀田先生は潰す前にこっちが全滅するでしょ?」
「本間先生も、結構強いですよ」
そのフォローを台無しにする小西先生と達也さん。更にそれを聞いて
「本間さん、『たしなむ程度』じゃないんだ。一度お手合わせ願いたいわ」
恐ろしいことを言ってキレイに笑う堀田さん。
「無理ですー。私、ビールしか飲みませんから」
「なによ、それ」
「ビールだったら酔う前に炭酸の限界が来るから、セーブがかけられるんですー。決して強いわけじゃないですから」
必死で、堀田さんを諌める。
もう、いらないことを言うんだから、って、達也さんを睨んだら、ゴメンって、拝む振りをしている。
そんな中で、締めのご飯が出て。一時はどうなるかと思った、歓迎会も終わりが近づく。
デザートのシャーベットが出たところで、薬局長がさすがに川本さんを起こそうとしたみたいだけれど。主役の彼女が起きないまま会はお開きになった。
お酒を無理強いしてはいけません。そして、自分の酒量を把握して楽しくお酒は飲みましょう。