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おつきあい

 ”お付き合い”を始めて、互いのプライベートに入るようになって。

 達也さんという人は、ネコ科な人だと思った。

 動と静が、キレイに交じり合ったような人。

 

 スケートだのテニスだの。体を動かすデートって”あり”なんだ、て、思ってたら市民体育館の武道室を時間借りして、互いに習った武道の技の掛け合いをしたことも。さすがに道着は実家から持ってきていないから、互いにスポーツウエアで、だけど。

「ふぅん。そう体を捌いて……なるほど」

「ここで、こう受けて……こっち?」

「いや、どっちかって言ったら……こう」

「ああ、そうなんだ」 

「沙織は背が低いから、こうしたほうが」 

 なんて。色気のないデートだけど、これはこれで楽しくって。体を動かすのは、私も嫌いじゃないし。


 そうかと思えば、昼寝をしているネコみたいにグニャーンとしていたり、一緒に図書館や、水族館に行くような静かなデートの日も。

 達也さんの部屋に行ったある日は、

「お茶会、しようか」

 と言って、お茶を点ててくれた。

 一つ一つ、作法を教えてもらいながらお菓子とお茶をいただいて。

 なんだか、ちょっと。大人になったって言うか、お上品になった気分を味わいつつ、綺麗な達也さんの仕草を堪能した。



 ネコを思わせるのは、食事のときも。

 野菜よりも、肉や魚。肉よりは魚を好む達也さん。

 綺麗な箸使いで、かけらも残さずに魚を食べる。

「さすがねぇ」

「うん?」

「すごく綺麗に骨だけになってる」

 骨格標本のような、彼のお皿を指差すと

「ああ。ヒトと違ってサカナって骨格が単純だろ? 箸さえきちんと使えたら、これぐらい」

「その箸が使えない人って、多いじゃない?」

「まぁな」

 そう言いながら、お皿に残った焼き魚の小さな欠片を摘み上げる。

「で、なにが『さすが』?」

「昔ね、魚好きはお箸が上手って聞いたことがあったから」

「関係あるのか? むしろ逆じゃないか?」

「逆?」

「うん。箸が使えないから、魚が嫌いになる」

「ああ、なるほど」

 そういえば、美紗もお箸が下手だった小さいころは魚、嫌がってたっけ。

 そんなことを思いながら、最後に一口残っていたご飯を口に運んだ。



 始まるまでのあの日々が何だったのかと思うほど、冬から春へと穏やかに達也さんとの時間が流れていく。


 お正月に、ほんのささやかな。さざなみのような波風があった位で。



 この年の年末年始は、大晦日と一月二日に出勤当番があった。年明けに退職する森本さんを除いた四人でくじ引きをして、私は一月二日に酒井さんと一緒に半日の出勤になった。

 仕事納めの翌日、三十日の朝から実家に帰った。達也さんは市内に実家があるので、元旦だけ戻るとか言っていた。二日の出勤の後で待ち合わせて一緒に初詣に行く約束をしている。



 帰った実家で、年越しの手伝いをする。

 母の障子張りを手伝っていると何気ない風に

「ね、彼とは、どうなったの?」

 って言われて、あやうく張ったばっかりの障子に手を着きそうになった。

「一応……」

「一応?」

 やめてよ、追い討ちみたいに繰り返すのは

「お付き合いを始めました!」

 やけくそで叫ぶと、

「おめでとー」

 そう言って、子供のようにパチパチと拍手をした母は、手に持ったままだった霧吹きを落としそうになってお手玉をしている。

「あー。危なかった。障子のうえに落とすかと思った」

 何とか霧吹きを床に置いて胸をなでおろすと、丸い目で私を覗き込む。

「いろいろ、危ないところを助けてもらったのよね?」

「うん」

「一度、お父さんとお母さんからもお礼を言っておきたいから、会えるかな?」

 じーっと、目を見つめられる。

 お礼、だけじゃない。よね? その目は。

 でも。心配かけているから、仕方ない、かな。

「じゃぁ、今度、都合聞いてみるね」

 母の目を負けずに、見つめ返すと。


 母は、視線を和らげてにっこり笑った。



 一月二日の半日の出勤を終えて、駅の公衆電話から達也さんに連絡を入れる。

 せっかく近くに薬師如来が祀られているのだからお参りに行こうかって、病院の忘年会の帰り道で決めたお寺への最寄り駅での待ち合わせ。達也さんの住む駅からさらに二駅向こうなので、タイミングは合うはず。


 電車を降りて、改札へ向かうエスカレーターを降りたところで、柱にもたれるように達也さんがいた。

 早いなぁ。それに相変わらず反動をつけずに体を起こすその動きに、一瞬、見惚れる。

「沙織、あけましておめでとう」

「おめでとう。今年もよろしく」 

 そんな挨拶を交わして、改札を抜ける。

 シャッターの下りた商店街を通りながら、

「今日は忙しかった?」

「ううん。救急当番じゃないから、そうでも。入院の点滴の関係で出勤しただけだから」

 色気のない、仕事の話。

「そうか、点滴」

「うん。正月休みの分を、全部詰め所に置いておくわけにいかないでしょ? だから、途中で誰かが払い出しに行かないと」

「なるほど」

「大晦日の薬局長たちは、救急当番の日だったから調剤もあったみたいだけどね」

「あー。新聞に載ってるアレか」

「そう、アレ」

 『元旦に当番が当たったら、誰かが出勤になるんだよー』って、お昼休みに森本さんが言ってた事があったっけ。


 それはそうと。

「あのね、達也さん」

「うん?」

「両親が一度、助けてもらったお礼をって」

 言ってるんだけど、って、隣を歩く達也さんの顔を見上げる。

 っと。

 足元のタイルが欠けていて、転びそうになるのを腰を抱くように支えられた。

「あぶないなぁ。もうちょっと顔だけじゃなくって、まわり見ようぜ」

「顔だけじゃなくってって」

 どんな言い草よ。

 いや、まぁ。私にとっちゃ、見ごたえのある顔だけどって。

 違うし。


「沙織さ、人を見る癖があるだろ? その分、周囲の風景を見てないんじゃないかな?」

「そう?」

「うん。だから、迷子になる」

 はぁ、なるほど。

「駅から、ここまでの風景って、頭に入ってる?」

 うーんと。 

 改札を出て、駅前のロータリーを……あれ?

「入ってない」

「はい、回れ右」

 ああ、商店街のアーケードの出口、右側にロータリーの端っこが見えている。ふうん、こうなっているのか。

 風景を切り取るように、頭の中に取り込む。

 よし、覚えた。この風景までたどり着けたら大丈夫。

「曲がり角を曲がるごとに、風景を見る習慣をつけたらちょっとはマシになるんじゃないかな?」

「うん。そう思う」

 視覚的に覚えることは実は得意。学校のテストもそれで乗り切ったようなものだし。


「で、ごめん。話の腰を折ったな。ご両親と会うって?」

「うん、いいかな?」

「ここで、『嫌』って言ったら、俺、メチャメチャ悪者じゃないか」

「まぁねぇ。心証は悪いと思うわ」

「だろ? だったら……成人の日とかかな? 俺は、翌日の土曜日休みだけど。沙織は?」 

「ええーっと」

 薬局にかけてあるカレンダーを思い出す。

 休み、一日、休み……。

「半日、だったはず」

「前から思ってたけど、薬局って休みいったいどうなってるわけ?」

 ローテーションを説明して、って。

「また、話がずれた!」

「深層心理が……」

 って、撃たれた人みたいに胸を押さえてヨロヨロしている達也さんを放っておいて、来た道を振り返って、風景を脳に写し取る。

「聞いてる? 沙織?」

「ううん、聞いてない」

「うわ、ひどい」

 って、くすくす笑いながら、立ち直って。

「その連休で良いかな?」

「うん、じゃぁそれで、今晩連絡してみる」

「よろしく」

 そう言って、達也さんは私の頭にポンッと手を置いた。


 その晩、両親に連絡を取って。

 成人の日のお昼前に両親がこっちに出てきて、一緒に食事ってことになった。



 そうして迎えた成人の日。

 実家にちょっとでも近い所で……と、達也さんが言ってくれたので、私の通っていた大学の近くで両親と落ち合うことになっていた。

 達也さんと一緒の電車に乗って、楠姫城市へ向かう。

「緊張する」

「やっぱり?」

「うん。どう思われてるかなって」

 いつもと変わらない表情のクセに、そんなことを言う達也さんの手をそっと握る。

「客観的に言ったらさ、俺、彼氏さんから寝取ったわけじゃない?」

「そこまで、両親は知らないから」

「でも、俺は”知って”いるんだよね。疚しいと、相手の目が見れないからさ。沙織と同じ眼をご両親がしていたら、俺、目をそらしちゃいそう」 

 澤田さんに何度も言われた『責めるような目』。疚しい思いがそう見せていたんだ。

「お母さんが、同じ目をしてる……」

「そうか」

「うん。でも、客観って言ったら”桐生先生”は命の恩人だから。達也さんが”大好物”って言ってくれた、私の目と同じなんだから、きっと大丈夫」

 歳のわりに小さいと言われる私の手で、達也さんが私に力をくれたときのように握り締める。

 大丈夫、大丈夫と繰り返す。


 快速電車はそんな私たちを乗せて、通称”西のターミナル”と呼ばれる駅を目指して走る。



 改札内のスペースで、両親の到着を待つ。

 プラットホームからのエスカレーターを降りてくる人たちを眺めながら取り留めのない話をして。

 私も緊張してきて、何を話していたのか……。


 二本ほど電車が行って。

 とうとう、両親が現れた。


「桐生達也さん。うちの病院の理学療法士の先生」

 両親に紹介して。

「沙織の父親です。この度は娘が、ご迷惑を」

「いえいえ。こちらこそ、お世話になっています」

 そんな挨拶を交わして、改札を通る。


 予約を入れていた湯葉のお店に両親を案内する。達也さんのあの箸使いを両親に見せてプラスのアピールをするには絶対、和食ってちょっと姑息な作戦。

 案内とは言っても、実際には電車で地図を見ていた達也さんに『そこの角を右』とかって教えてもらいながら、なんだけど。


 座敷に通されて、料理が届くまでの間にまず一回戦。

「この度は、沙織を助けていただいて、ありがとうございました」

 父がそう言って、母とともに頭を下げる。

「大事にならなくって、本当によかったです。結果的には沙織さんが自分で身を守ったようなもので、たいしたお役には立てませんで」

 お礼を言われるようなことは何も、と、軽く頭を下げる達也さん。


 頭を上げた父が、お茶を手に尋ねる。

「桐生さんは……何か武道の心得が?」

「はい、中学生のころまでですが、合気道を少々」

「ナイフを持った相手では、少々の心得では危ないでしょう」

「今思えば……無謀でしたでしょうか」

 お茶に手を伸ばす達也さんを向かいに座った父が眺めている。その隣で、母は両手をひざに置くような姿勢でじっと見つめる。

「万が一のことがあれば、ご両親が悲しまれるでしょう? あまり無茶をしないでくださいね」

 そんな母の言葉に、

「私の両親が心配してくれているのと同じくらい、沙織さんに万が一のことがあれば、ご両親が悲しまれるでしょうし、私も悲しいですから」

 と言って、達也さんが私のほうを見た。

 その視線を、まっすぐ受け止める。

 大丈夫。大丈夫。

 視線に気持ちを込めると、達也さんの目が緩む。

 そして、いつもどうりの綺麗なしぐさで、お茶碗を口元に運んだ。


 料理が運ばれ、各々が箸を手に取る。

 一口、二口。

 おいしいんだけど。

 これから、どんな風に話が展開していくかと思うと、箸が進まない。

 横に座っている達也さんが、綺麗な箸使いで食べるのをしばらく眺める。

「どうした?」 

 視線に気づいたらしい彼が、手を休めて覗き込んでくるのに、

「なんでもない」

 って首を振って答えて。

「そう?」

「うん」

 そんな会話をしているのを眺めている母に気づいた。

 真っ黒な丸い眼でじっと私の顔を正面から見ている母を、同じように見つめ返す。

 親子で、しばし見つめ合う。

 先に視線をはずしたのは、母だった。


「それで……桐生さん? その……沙織と」

 はずした視線を達也さんに向けて、母が言いにくそうに言葉を発する。

「はい。年末からお付き合いをさせていただいてます」

「事情はご存知、よね?」

「はい」

 箸を置いた達也さんが、ひざの上に手を下ろす。

「婚約者がいながら、他の人に心を動かしたような子だと、判ってらっしゃるのよね?」

 母の追い討ちに、胸が痛い。

 客観”で言ったら、そう、なるんだ。


 そう思うと、視線が俯いてしまう。

 『疚しいと、相手の目が見れないからさ』

 来るときの電車での会話が蘇る。両親の顔を見ることができない。

 正座をした膝を見つめている私の頭の上で、会話が続く。

「それでも、沙織さんを、と思いました」

「また同じことをしないとは、限りませんよ?」

「人の心が永遠ではないと、身を以って知りました。だからこそ、続けていく努力が必要だとも」

 俯いた私の視界に、大きな右手が伸びてくる。顔を上げると、切れ長の目が私を見ていた。左手で、彼の手を受け止めて握る。

 そうだ。

 順番を少し間違えたけれども、この想いは疚しくなんてない。

 しっかりと顔を上げて。

 両親の顔を見る。


「”努力”と言われるが」

 父が、小鉢に箸を伸ばしながら言う。母も汁物椀に手をつけるのを見て、私も彼が食事に戻れるように手を離す。

「それは、いわゆる経済的なもので、ですかな?」

「と、おっしゃいますと?」

「昨今、話題になってますな? 女性にブランド物とか宝石とかを貢ぐ男性が。そういった意味で沙織の心を満たすつもりですか?」

「ご両親から見て、沙織さんはそういった物で満たされる人ですか?」

 改めて箸を手にしながら、達也さんが尋ね返すと、

「桐生さんはどう、思われますか?」

 さらに母が訊く。  

 しばし、考えるように沈黙したあと。 


「物で満たされる人なら、きっとあちらの彼と別れることはなかったと思います。経済的にはあちらの方が上でしょうから」

 と、答えて達也さんの箸が動く。流れるように、湯葉の包み揚げを口元に運ぶ。

 自分のことをこんな風に目の前で話されるのは、居心地が悪い。気を紛らわせるように、炊き合わせに箸を伸ばす。

 海老を噛みながら、達也さんの言葉も噛み締める。


 確かにね。ブランド物に興味は無いし。アクセサリーは自分でご褒美に買いたい。怖いからしばらく指輪は身に着けたくない。


「ならば、どのように努力をするつもりですかな?」

「それを互いに探って見つけるのが、”お付き合い”だと思いますが?」

 その答えに、ウームと、父が唸る。

 『互いに』か。

 今回は、私が心変わりをしたけど。次は、私が振られる番かもしれない。


 努力をするのは一方だけではなくって。

 互いに努力を重ねていかないと。


 人の心は変わってしまう。

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