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終わりと、始まり

 澤田さんと立ち回りを演じた翌日の水曜日、実家から電話がかかってきた。

〔澤田さんのほうから、終わらせる方向で話がしたいって〕

 母の声に、ほっとした。

 今日も、桐生先生は送り迎えをしてくれた。電車の回数券を買ってまで。

 そして、昨日はとりあえず澤田さんからの電話がなかった。万が一に、と桐生先生が電話番号を教えてくれていたけど、幸い使うこともなく一晩過ごせた。

〔わかった。で、どうしたらいいの〕

〔あなた、今週末の仕事は?〕

〔土曜日が、半日〕

〔休み、代われそう?〕

〔ううーん。ちょっと無理、かな〕

 今週は慰安旅行の最終グループで、薬局長と森本さんが行くことになっている。

 お父さん、沙織の仕事が、と、電話の向こうと話している声を聞く。

〔じゃぁ、土曜日の夜か日曜日、ってことで話してみるわ〕

〔わかった。じゃぁ、土曜日の仕事が終わったら帰る〕

〔うん、気をつけるのよ〕

 そうして、電話を切って。

 また、”桐”のチーズをひとかけら。


 最後の、勝負。



 土曜日に話をつけに行くことを、桐生先生に話したのが金曜日。朝、迎えに来てくれた時だった。

「大丈夫か?」

「うん。向こうの親から終わりにしたいって連絡があったみたいだから」

「実家、隣の県だっけ? 半日出勤だったら、着いたら暗くなってないか?」

「最寄り駅まで、父に迎えにきてもらうことにした」

 まだ、刺されそうになったことは話していないけど。『一人で歩くのが怖い』そう言った私に、父が二つ返事で迎えに来てくれることになった。

「気をつけて」

「うん。結果、連絡するから」


 これで、終わりにできますように。

 これで、始められますように。



 翌日、一泊できるように用意をして出勤。電話の記録をしたノートと、”証拠物件”のナイフも入れた。最後の最後で、もめるなら切り札になるように。


 仕事の後、心配した桐生先生が隣の楠姫城(くすきのじょう)市にある通称”東のターミナル”駅までついてきてくれた。

「回数券あるし。このまま、映画でも見て帰るよ」

 大きな手で私の手を握りながら、笑ってみせる。

「何、見るつもり?」

「うーん、何にしようかなぁ」

 話題になってるスキー物とか? なんて言ってる。

 どこまで本気で言ってるのかなって思うけど。ついてきてくれる、そのことが有難い。


 ターミナル駅で降りる桐生先生に手を振って、別れを告げて。

 一人、西隣の県にある実家へ。



 改札で待ってくれていた父の車に乗って、夕暮れの町を走る。

「何か……あったか? 最近」

 前を向いたままたずねてくる父。髪に混じった白いものがかなり増えた。心配かけてごめんね。

 信号で止まるのを待って。

「月曜日に、澤田さんが病院まで来て。火曜の朝に刺されかけた」

「!!」

「桐生先生が一緒だったから、助けてもらった」

 私も前を向いたまま、月曜から火曜にかけての澤田さんとのあれこれを話す。

「で、結果的に回し蹴りがきれいに決まっちゃって。『こんな乱暴な女は願い下げ』みたいな話に」

「ふむ。それで、今日の話、か」

「多分」

 信号が変わって、車が流れ出す。

「お父さんに、拳法を習わせてもらってて助かった」

「そうか」

 役に立つ日が来ないで欲しかったけどな。

 そうつぶやきながら、父は左にウィンカーを出した。



 夜の七時。澤田さん親子が到着した。

 座敷に通ってもらって、お茶を出して。

「さて」

 と、口を切ったのは今回も父親の澤田氏。

「息子が、沙織さんに怪我をさせられましたので。今回のお話、なかったことにさせていただきたい」

「怪我?」

「ええ。火曜日の朝、ひどい様子で家に帰ってきましてね。服はヨレヨレで、腹部に痣もできていまして。尋ねると、『沙織さんに蹴られて一晩動けず、野宿をした』と」

 痣って。やりすぎた? 

 でも、話がおかしい。事実と、えらく違う。

「病院とかは、行かれましたか?」

「いいえ。そちらも、事を大きくはしたくないでしょう?」  

 父親同士の話を、他人事のようにお茶を飲みながら聞いている澤田さん。

 その無関心そうな顔に、引っかかるものを感じる。そういえば、今日、一度も目が合ってない。


 『なんだよ、その目。責められるようなことか?』

 何度も彼に言われた言葉が、よみがえる。

 責められるようなことをしているから、私と目があわせられない?

 それなら……

「お父さん、病院に行ってもらったほうが」

 事を”大きく”してやる。

 じっと目を見つめた私に、父が話を合わせてくれた。

「そうだな。この時間、このあたりで開いているところだったら……市民病院か」

「ちょっと、調べてくる」

 父と会話を交わして、立ち上がろうとした私を澤田氏が止める。

「いえ、お気遣いなく」

「気遣いではありません。痣になっているなら、内臓を傷めている可能性がありますし。手遅れになると危険です」

「いえ。痣は言い過ぎました」

 すみません、と謝る澤田氏に

「父様。簡単にばらすなんて」

 慰謝料が……とつぶやきながら、澤田さんがふくれる。


 ふうん。

 ばらされた、んだ。

 へぇ。

 ”慰謝料”、ねぇ。


 横に座る父と、目が合う。

「澤田さん。こちらも、娘から『雄二さんに刺されかけたので、身を守るために仕方なく蹴った』と聞いてますが?」

「刺されかけた?」

 初耳って顔で、澤田氏が息子の顔を見る。

「沙織」

 父に促されて、座布団脇に置いてあったタオルの包みをテーブルに載せる。ゴムをはずして、タオルを解く。

 中から現れた果物ナイフに、澤田さんの顔が醜く歪む。

「月曜日の夕方、診察時間を過ぎてから病院に来られてまして。あまりに異様な表情に、同僚が心配してかくまってくれていたのですが、翌朝、そのお宅を出たところでこのナイフで襲われました」

「俺が持ってたって、証拠は?」

「私も、同僚もナイフの柄には触っていません。これ、警察に持っていけば指紋が出ますよね」

「くそっ!」

「雄二。お前、なんてことを」

 澤田氏の顔色が青くなった。

「だって。金が無いから俺とは旅行に行けないって言ったくせに。その前の週末、あいつと県外の温泉に居たじゃないか。あの日、接待で俺もあの旅館に行っていたから、俺はこの目で見たんだぞ」

 週末? 温泉?

「それは、職場の慰安旅行で」

「慰安旅行?」

 意外なことを聞いたって、顔で私を見る澤田さん。

 何? 誤解で私、あんな目にあったわけ?

「はい。二人じゃなくって、病院の三分の一ほどで行ったんですけど?」

「くそっ」

 畳をこぶしで叩く澤田さんと、

「申し訳ない。こちらの早とちりで」

 平謝りって、勢いで頭を頭を下げる澤田氏。

 

 そんな父親の姿を、冷ややかに見た澤田さんの口調が変わる。

「父様。早とちりも何も、俺が蹴られたことには変わりないんだから。さっさとこんな女とは縁をきらせてよ。いつまでも、こんな所、居たくない」

 ”こんな女”呼ばわり、か。

 自分がふる時には、本当に容赦ない人だわ。  

「そうですね。こちらとしても以前から申してますように、このお話はなかったことにしたいので……互いの過失を相殺ということでよろしいですか?」

 父が話をまとめに入る。

 過失、ねぇ。物は言いようだわ

「俺は、悪くない」

「そう言われるなら……もうひとつ、準備してある物を出しましょうか?」

 父の言葉に、ギョッと澤田氏が顔を上げる。

「まだ、何かありますか?」

「無くはないですよ」

 澤田氏と対照的に、涼しい顔の父。

 もうひとつ、は電話のノートか。

「いえ、もう十分です。キレイさっぱり終わらせましょう」

「父様! 相殺にされたら、痛い思いをした俺が割に合わない!」

「うるさい! もう、お前はしゃべるな!」

 青かった顔を真っ赤にして澤田氏が怒鳴る。

「沙織、母さんから便箋を貰ってきなさい」

 父の言いつけに従って、座敷を後にした。


「お母さん、便箋ある?」

 台所の母に尋ねると、母は捜すそぶりも見せずにスッと差し出してきた。

「終わりそう?」

「うん。何とか」

「そう。よかった」

 そう言って微笑んだ母のこめかみにも一筋白髪が見えた。

 年の離れた妹とはいえ。美紗の同級生の間では、老けた両親なのだろうか。


 叔父からのアドバイスに従って、後でもめないようにと書類が作成された。

 私と澤田さんが署名をする。証人として互いの父親も。



 玄関まで二人を見送る。

「では、お邪魔しました」

 頭を下げる父親をよそに、さっさと出て行く澤田さん。

「澤田さん、どうぞお元気で」

 その後姿に声をかけたけど、ちょっと足を止めただけで暗い夜道へと足を踏み出していってしまった。

 終わりって、こんなもんなんだ。

「沙織さん、あの息子に懲りずに。幸せになってください」

 出て行く息子の後姿を見ていた澤田氏が振り返って、私をいたたまれないような表情で見ながら言った。

 その目を、こちらもまっすぐに見返す。

「こちらこそ。雄二さんにも、お幸せにと。お父様も、お元気で」

 そう言って、できるだけ深く頭を下げる。


 玄関の閉まる音がした。



 遅くならないうちに、と桐生先生に電話をかける。

 『終わりました』って言うと、よかった、ってあの目を細めたような声で返事が返ってくる。

 そして、

〔じゃぁ、月曜日に〕

 と言って、電話が切れた。



 遅い夕食を家族四人で囲む。

 ひとつ心配事が片付いて、ほっとした表情をしている両親に改めて申し訳ないと思う。 

 美紗は……相変わらず目は合わないけど。話しかければ、返事が返ってくる。

 だけど、やっぱり。中学生の表情じゃない、と思う。

 お母さんたち、まだ、ゆっくりできないんだ。



 片づけを手伝いながら、母と四方山話。

 先週行った慰安旅行の話とか、近所のおばさんたちの噂話とか。

「温泉、いいところだった?」

「うん、かけ流しでね……」

「温泉ってしばらく行ってないわぁ。今度お父さんと行ってこようかしら」

「いいんじゃない? 美紗と、留守番しようか?」

「そうねぇ」

 どうしよっかな、って真剣に考え出した母をそっとしておいて。

 ふき終えたお皿を棚に片付けた。    



 日曜日の昼過ぎまでゆっくり実家で羽を伸ばして、心も体もリフレッシュして迎えた月曜日。

 出勤の準備をほぼ終えたところに、玄関のチャイムが鳴った。

 こんな時間に、誰?

 そっとドアスコープからのぞくと、この一週間で見慣れた桐生先生の姿があった。

 慌てて、ドアを開く。

「おはよう、沙織」

「おは、よう?」

 ドアを大きく開けると、すっと水が流れ込むように玄関に入ってくる。

「何で、疑問形?」

「えー。何で居るのかな?」

「居ちゃ、悪い?」

 悪くないけど。

「終わったって聞いたから、始めるために来た」

 そう言って、手が伸びてくる。そっと確かめるように抱き寄せられた。

 始められるんだ。達也さんと。


 けど、いざとなったら怖くなる。

「こんなややこしいことに巻き込んでしまったのに、本当にいいの?」

 『奪い取りたい』ほど、良い女じゃないよ? 

 異様なシチュエーションに、惑わされていない?

「よくなかったら、ここまで関わらない」

 そんなに、お人好しじゃないよ、俺は。って、耳元で声がする。

 その声に、肩から力が抜ける。

「達也さん」

「ん?」

「病院では、”桐生先生”って呼ぶからね」

「判ってるよ、”本間先生”」

 顔を見合わせて、クスクス笑って。

 触れるだけのキスをした。


「今朝はちゃんと野菜食べた?」

 部屋に上がって本棚を眺めている達也さんに、化粧を仕上げながら尋ねる。

「うーん、食べた」

 と思う。って、微妙な返事が返ってくる。

「思う?」

「一応、トマトは食べた」

 何、それ。

「テーブルの上のみかん、食べる?」

「いやー、汁が飛びそうだからいい」

 確かに。

 口紅を片付けて、髪をくくり直して。よし、準備完了。

「お待たせ」

「じゃ、行こうか」

 火の元と、戸締りを確認して。 

 一足先に出ている達也さんの後を追って玄関ドアを開けた。


 さあ。

 新しい時間が流れ始める。

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