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つかの間の……休息

 部屋に戻って、着替えと化粧をやり直す間。桐生先生は玄関ドアの前で見張りをしてくれていた。

 ”証拠物件”のナイフは、チェストの引き出しにタオルごとしまいこむ。


「桐生先生」

 ドアを開けて、声をかける。

「準備できた?」

「うん。もう少し時間あるけどリンゴ剥いたら食べる?」

「うーん。いいや」

「朝ごはん、あれで足りた?」 

「俺一人で食べるのも、あんなもんだし」

「あんなもんって……野菜は? 果物は?」

「あんなもん、あんなもん」

 と言いながら、するっと部屋に入ってくる。ざっと見渡して、眉をひそめたように見えた。

「なに?」

「いや」

 なんでもない、って言う桐生先生の顔をじっと見つめる。

 と、まぶたの上にキスが降ってきた。

「!?」

「その眼、大好物だから。じっと見られたら、止まらなくなる」

 何を言うかな。

 これから、仕事だっていうのに。

 上がり框にしゃがみこんで、恨みをこめて桐生先生を見上げる。

「ほら、また。止めなくっていいって?」

「止・め・な・さ・い」

 一音ずつ区切るように強く言うと、クスクス笑って彼が目を逸らす

「さ、本間先生。準備できたなら、行こうか。仕事の時間だ」

 その声に、引っ張られるように立ち上がって。私はかばんを手にして靴を履いた。



 いつもより早い時間に出勤したので、時間外受付に部署の鍵を貰いに行く。

 二人一緒なのを見た当直の事務課長と

「桐生君、お迎えまで? ご苦労様」

「いえいえ。これくらい」

「本間さん、大丈夫だった?」

「はい、ありがとうございました」

 そんな会話をしながら、それぞれの部署の鍵を受け取り、頭を下げる。

「今日も危なそうだったら、無理をしないように誰かに助けてもらいなさい。残業は特に気をつける」

「はい」

 と、返事をしながら、チラリと隣に立つ桐生先生を見る。



 私の部屋から、病院に来るまでの間。少々、押し問答があった。

 今日も桐生先生の部屋に泊まるか、桐生先生が泊まるか。とにかく『一人にしたくない』て言ってくれる桐生先生と、そこまで迷惑をかけるのは……って思う私と。

「じゃぁ。折衷案。帰りに送ってきて、明日も迎えに来る」

「どこが、折衷案よ。電車、反対方向じゃない」

 病院から、三駅北の私と、四駅南の桐生先生と。

「大したことないって。病院に寄るんじゃなかったら、快速使えるし」

「でも……」

「じゃぁさ。迷惑料ってことで、晩飯食わして」

「はい?」

 本間先生、料理得意? とかって尋ねられて。

「そこそこ。大学から一人暮らしだから」

「おおー。じゃぁ、よろしく」

「こらー! 『よろしく』じゃない」

 もう、って、軽く打つ振りをした手をひょいっと握られた。 

 そのまま、握り拳をジーっと見つめる桐生先生。


「うん。もう大丈夫だな」

「なにが?」

(けん)に戻った」

 昨日の私が握り締めているつもりの手は、いつもの握り方ほど力が篭っていなかったらしい。

「『怖い、怖い』って言って。そりゃ怖いだろ。あんな握り方しか出来ないくらい動揺してたら」

 怖かったよな、よしよしって言いながら、手の甲を撫でられる。

「そんな怖い思いをしてるかもしれない、って思ったら俺が落ち着かないから、送り迎えさせて」

 ずるいなぁ。

 桐生先生の言い方って。『俺が落ち着かない』とか『俺が心配』とか。そんな言い方されたら、断れない。

 それに心のどこかで、一緒に居れる時間が長くなることを喜んでいる私もいたし。

「しょうがないわねぇ。じゃ、ご飯、一緒に食べようか」

「やった」

 切れ長の目を細めるように笑う桐生先生に、ちょっといたずら心が……。

「ただし」

「うん?」

「どんな料理でも、文句言わないで食べること」

「えー。そこそこ、じゃなかったの?」

「さあ?」

 何、つくろうかな?



 そんなやり取りを思い出していると、事務課長が

「あ、今日も桐生君が送ってく?」

「そうしましょうか?」

「あー。でも、彼女に怒られる?」

「いませんよ。そんな相手」

「またまた、ねぇ? 本間さん?」

「はぁ? 何で私に話を振るんですか?」

「いや……なんとなく?」

 カラカラと時代劇の副将軍様みたいに笑う事務課長。

「なんとなくで、妙な話を振らないでください」

「ごめん、ごめん」

 もう、って言いながら、薬局へと体の向きを変える。桐生先生はそのまま、更衣室へ行くみたい。


 目で、『じゃぁ、今夜』って、会話をして。


 さあ。気持ちを入れ替える。

 一日の仕事の始まり。



 出勤してきた先輩たちにも心配をかけたことを謝ってから、今日の仕事に取り掛かる。

 今週は、注射薬の払い出し担当だから、調剤室の奥の棚の前に一日張り付いて。カウンターに出ることの少ない日。

 もしも、澤田さんが患者さんに混じっていても、顔を合わせる危険は低いはず。


 午前の診療が終わって、昼休み。

 今日は遅番。早番がご飯に行っている間は、人手が減るのでカウンターに呼ばれることもある。

 薬が出来上がるのを待つ間に、食事や病棟にお見舞いに行くなどしていて、待合室に居なかった患者さんが、薬を受け取りにカウンターを訪ねてくる。そうそう、リハビリを受けている人もいるし。

 丁度、同じ遅番の堀田さんが内線電話の対応をしているところに

「薬局さーん」

 という、呼び声がした。

「はーい」

 返事を返してカウンターに出る。仕事から逃げるわけにいかないし、昼休みの待合室は人が少ない分、澤田さんが紛れ込むことも不可能なはず。

「徳永です。お薬できてますか?」 

「徳永……ミチル様ですね?」

 名前を確認して、薬の内容を説明をして。いつもどうりの流れで徳永様に薬を手渡すと、隣の会計へと誘導する。

 『お大事に』の言葉をかけて、徳永様の視線が会計に向くのを待って。ふっと、何気なく待合室の大きなガラス窓から、裏庭を眺めた。


 あ、桐生先生。


 昨日、彼が言っていたように、待合室とリハビリ室には裏庭に面する窓がある。換気のために、開けてあるらしいリハビリ室の窓にもたれて、日向ぼっこをしているような彼の姿が見えた。

「桐生さん、ネコみたいね」

 会計を終わらせて、カルテを片付けながら話しかけてきた医事の吉野さん。

 確かに彼女の言うように、細めた目つきも日向でゴロゴロしているネコそっくり。

「そうですね」

「リハビリ室って、南向きだし。日当たりよさそう」

 待合室は今、無人に近いから、このままいても大丈夫そうかな。

 カウンターに出てきたついで、と、薬袋に日付印を押しながらしばらくおしゃべり。


「本当。気持ちいいでしょうね、あんなところで昼寝したら」

「ねぇ。事務の休憩室、日当たり悪いもんなぁー」

 暖かいところで昼寝したーい。って伸びをしながら、吉野さんが言う。

「薬局もですよ。倉庫と兼用だから、むしろ日が入らないように作ってあるみたいですね」

 薬品の納品の関係もあるのか、北西の病院裏口に面した薬局倉庫。もともと日当たりが悪いうえに、窓が小さい。ドアひとつ隔てた調剤室なんて、外壁に面してないから窓すらない。

「ああ。本当だ、日当たり悪そう」

 と、レジのつり銭を数える手を止めて、ちょっと考えてウンウンとうなずく吉野さん。    

 日付印を押し終えた薬袋をトントンと揃えながら、裏庭に目をやる。

 桐生先生と目が合った気がした。

 まさか、ね。あっちからは見えないと思うんだけど。

 

 ヒラヒラっと手が振られる。

 

 気のせいじゃなかったのか。でもなぁ、ここで手を振るのって……吉野さんの目とか、待ち合いでテレビを見てるおばあちゃんたちの目とか。

 どうしよっかなぁ。えーい。

 軽く、手を挙げる。


 桐生先生の目が、ニッと更に細くなった気がした。



 一日の仕事を終えて、片付けもして。今日は定時で帰れそう。

「本間先生」

 カウンターから声がする。桐生先生が調剤室を覗き込む様にしている。

「お疲れ様です」

 返事を返しながらカウンターに出る。 

「どう、終わりそう?」

「うん」

「じゃ、着替えてくるから」

 そう言って更衣室に向かう彼を見送って、私もロッカーに向かう。



 帰り道に、一緒にスーパーに向かって。

「あ、野菜食べなきゃ」

 今朝のあの朝食を思い出す。昨日の夜も、コンビニ弁当だったし、お昼の職員食堂のメニューもあまり野菜は多くなかった。

「野菜取れてないもんね」

「そう? 俺は昼、カレーを選んだから野菜食べたけど」

「ちょっと。小学生みたいなことを言わないでよ」

「えー?」

「えー、じゃない」

 もう。カレー。それも、食堂のカレーなんて、具がほとんどないじゃない。


 ああだこうだと言いながら、結局は煮魚と、豚汁、ほうれん草の胡麻和えなんてオーソドックスな和食。日曜日に旅行から帰ってから作ったキンピラごぼうも出して。

 

 ご飯を炊く間に、魚を煮て豚汁を作って。桐生先生はテーブルで、ゴマをすっていたりする。

 もう少しでご飯が炊けるかな、という頃に電話が鳴った。時間は、七時過ぎ。

 澤田さんのかけてくる時間には早すぎる。

 こっちを見た桐生先生と、目を見合わせる。

「怖かったら、俺が出ようか?」

「ううん。大丈夫」

 そう言いながらも、手が無意識に桐生先生の大きな手を捜す。

 左手を握ってもらって、電話をとる。


〔もしもし?〕

〔お疲れ様です〕

 あ、病院から、だ。

〔お疲れ様です〕

 何? って顔の桐生先生に、受話器を肩ではさんで横に置いてあるメモに筆談で”外来”って書くと、ほっとしたように手が離れて、ガスコンロの火を止めに行った。

 麻薬の処方があったらしくって、今から行く相談をする。

〔遅い時間にすみませんが、よろしくお願いします〕

〔はい。では、二十分ほどで行きます〕

 電話を切ると、桐生先生がコンロの前からこっちを見ている。

「行くのか?」

「うん。麻薬が出たから」

「わかった。一緒に行く」

「はい?」

「一緒に病院まで行くから、戻ってからご飯食べよ? ほら、戸締り。火の始末はしたから」

 急ぐんだろ? って、急かされて。エプロンを外して、かばんを手に靴を履く。

 『一緒に行く』だって。『行くな』じゃなくって。私の心配をしていても、仕事も大事にしてくれる。

 やっぱり。桐生先生は”同じ言葉”を話す人だ。

 


「薬局って、呼び出しがあるんだな」

 そんなことを話しながら、夜道を歩く。

「たーまにね。入職してこれで二回目、かな」

「昨日の今日で、”本間先生”を呼び出すなんて」

「仕方ないわ。昨日のことは薬局と事務課長しか知らないんだから」

 逆に外来の看護婦さんが知ってたら、どれだけ院内に噂が流れているのかと怖くなる。

「他の先生は?」 

「多分、まだ帰ってないんじゃないかな。お稽古事とか、デートとか?」

 薬局の、呼び出しのシステムを説明するうちに、駅に着いた。


 桐生先生の家のあたりとは違って、このあたりは高架になっているホームに上がって。電車を待つ間にお稽古事の話になった。

「先生たち、お稽古事しているんだ?」

「森本さんは、今日は料理教室って言ってたし。酒井さんはお茶のお稽古って」

 森本さん、年明けに結婚退職らしいし。四月になったら、その欠員を埋める新卒が入ってくる。私も”先輩”になるんだ。

「沙織は何もしてないの?」

「うん」

 仕事に慣れたら、何かするかな? とか、ちょっと思っていたけど。個人的にそれどころじゃなかったわ。落ち着いたら……何かしようかな?

「お茶、真似事でもやってみる?」

「え?」

「俺、ちょっとだけやったことあるんだ」

 あー。もしかして、食べる仕草がキレイなのはそのせい?

「桐生先生の引き出しって、いったいどれだけあるの?」

「これだけ」

 祖母(ばあ)さんが、お茶の先生だったから。って、笑いながら、到着した電車に乗った。


 

 病院について、仕事を片付けて。

「お疲れ様です。鍵、お願いします」

「ああ、お疲れー」

 今日の事務当直は総務課の安井さん。薬局の鍵を返して、キーボックスに片付けてもらう。

「おーい。桐生君、終わったって」

 時間外受付の奥の椅子に座って新聞を読みながら待っていた桐生先生に、安井さんが声をかける。安井さんのほうがちょっとお兄さんだけど、数少ない二十代男性ってことで、この二人は仲がいいみたい。

「大変だねぇ。デートの最中に呼び出しなんて」

 ニヤニヤと笑う安井さんの顔が、子供時代に読んだ小説に出てくるシマシマの猫みたい。

「デートじゃありません!」

 もう、事務課長も安井さんも。

 まだ、桐生先生とは始めることができないのに。勝手なことを、言わないでよ。

「安井さん、あんまり本間先生いじめないでくださいよ。やっと食事までこぎつけたのに」

 桐生先生は、桐生先生で。

 けろっと、とんでもないことを言ってくれるし。

「桐生先生も! 変なことを言わない!」

 キーっておサルみたいにムキになっている私に、ゲラゲラ笑っている男性二人。

「はいはい、本間先生。落ち着いて。じゃ、安井さんお疲れ様です。当直がんばって」

 笑いながら横にやってきた桐生先生に、小さな子みたいに頭を撫でられる。

「はい、お疲れ。気をつけて」

「……失礼します」

 まだ笑い続けている安井さんに挨拶をして、夜間入り口から出る。



 外は、星空のきれいな初冬の夜だった。

 あー。星空なんて、いつから見てなかったっけ。最近、下ばっかり見て歩いてたかなぁ。

 信号待ちで空を見上げて、はふぅ、と、吐息が漏れる。

「腹、減ったな」

 横で、桐生先生の声がする。腕時計の針は八時過ぎを指していた。

「ごめんね、遅くなっちゃって」

「それが、”本間先生”の仕事だからね」

 謝ることじゃないよって。


 そう言って大きな手が、私の手を握った。 

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