認知症になっても祖父は祖父。
昨年12月中旬に僕がコロナに罹り、大晦日辺りで完治した矢先にあんな事が起きるとは誰も想像していなかった。
それは、今年の1月2日の夜に起きた事である。
その日の午前中は祖父母の家で出汁が効いた温かい雑煮を食べて久しぶりに叔父に会って他愛のない世間話に花を咲かせ、午後1時頃には姉が帰省してきて居間は絵に描いたような正月の賑やかさに満たされていた。
ここまでだったら他愛のない1日なのだが……。
午後6時頃に自宅でスマホをいじっていたら、父の元に祖母から電話が来た。
父の様子を見るに、良い内容ではないのは明らかだ。
聞いてみた所、なんと祖父が風呂場で倒れて立ち上がれなくなってしまったのだ。
父と姉と3人で祖父母の家に駆けつけると救急車が来ていて、救急隊員さえも困惑させるほど祖母は気が動転していた。
居間のテーブルの上には冷めた焼きそばがそのまま置かれている。
更に衝撃的だったのは祖母が口にした昨日の話で、彼女いわく元日の朝は祖父が家を抜け出して徘徊した末に足を怪我してしまい、警察に保護されて帰ってきたというのだ。
搬送されるまで姉と僕は2階で待機する事になり、アメリカ映画に出てくるイタズラっ子のように階段の脇から1階を見下ろしていた。
幸いにも近所に住む祖母の友人が冷静にフォローしてくれて祖父は3km先の病院に搬送され、僕達3人は病院からの検査結果を待つ間にひとまず近くの回転寿司で夕飯を済ませる事にしたが、寿司自体の味も醤油の味も普段の半分ぐらいにしか感じない。
午後9時頃に「腎臓に多少の衰えは見られるものの大きな異常はなし」と父のスマホに知らせが届き、張り詰めていた糸が僅かに緩んだ僕達はそのまま病院へ向かった。
病院の救急処置室入口で対面した祖父は体調が落ち着いているものの、ロビーの椅子に座るなりなぜか「家には帰らない」と言い出してなかなか立とうとしない。
そして祖母が会計を済ませている時に「彼女(祖母の事)の言う事は聞き流していいからね」と僕と姉に唐突なアドバイスをしてきて、話し方が意外と生き生きしてる事を不思議に思いながら祖父の言葉に頷いたのだった。
父と姉が祖父を何とか説得して車に乗せ、祖母の家に連れて帰って11時を過ぎた頃。
ゆっくりと階段を登って自室に着いた祖父は、僕と姉を初対面の子供や若者だと思っているのか半ば珍しそうにじっと見ていた。
祖父の部屋には彼が今まで描いた絵(椅子に座った女性の絵やヨーロッパの風景画が多い)が何枚かあり、中には畳1枚分ぐらいの大きさの風景画もある。
僕が風景画を見入っていると祖父は部屋の中を案内し出し、なんと絶妙な具合に冗談を交えながら唐突に絵画の話をし始めたのだ。
父から何回か聞いた事がある。「祖父は昔、美術の教師をしていて周りからの評判が良かった」と。
認知症になって記憶の糸が絡まり、僕と姉を自分の孫だと認識できなくなっているものの絵に対する情熱は少しも衰えておらず、生き生きと楽しそうに話す彼の姿は昔と変わっていない。
認知症になる前の祖父はデ◯ズニーやジ◯リのビデオテープを買ってくれたり水彩画の描き方を教えてくれたりと優しかったが、その優しさもユーモアも何一つ損なわれていなかった。
(ああ、認知症になってもおじいちゃんの本質は変わらないんだな……)
言葉にできない愛おしさと切なさが胸の奥で交差している中、何とか祖父を布団に寝かせて居間に向かうと祖母は今まで見た事がないほど疲れた表情で冷めて固まった焼きそばを温め直して食べていて、何とも言えない感情が僕達の脳を支配したのであった。
夜の12時を過ぎた頃に自宅に帰り着いた僕達は、湯を沸かして温かい紅茶を飲んだ。
マグカップから立ち昇る湯気を眺めながらゆっくりと喉に流し込み、緊張していた体が少しずつほぐれていく。
それから一糸纏わぬ姿になって風呂に入り、湯船の中で数時間前の出来事を振り返る。
心身共に大変な1日だったし、介護という現実がこれからもっと重くのしかかってくるだろう。
けれど、浴室の天井を見上げる僕の心は不思議と静かだった。
寒い部屋で目を輝かせて絵画の話をしていた祖父の笑顔が、今も脳裏に焼き付いている。
変わってしまったものと、絶対に変わらないもの。
その両方を心に刻み、僕達の新しい日々が静かに始まろうとしていた。




