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婚約破棄だけは、ご遠慮願います

作者: たっくん
掲載日:2026/05/10

 王立舞踏会。


 煌びやかなシャンデリアの下で。


 第一王子アルベルトは、静かに笑みを浮かべていた。


(ようやくだ)


 長かった。


 本当に長かった。


 冷酷。


 傲慢。


 完璧主義。


 人を人とも思わない悪役令嬢。


 セシリア・フォン・ローゼンベルク。


 今日、ようやく彼女との婚約を終わらせられる。


 そして。


 真実の愛を選ぶのだ。


◇


「セシリア・フォン・ローゼンベルク!」


 王子が高らかに声を響かせる。


 舞踏会が静まり返った。


 セシリアがゆっくり視線を向ける。


 銀色の長髪。


 蒼氷の瞳。


 その美貌は、まるで芸術品だった。


 だが。


 性格は最悪。


 それがアルベルトの認識だった。


「お前との婚約を、本日をもって破棄する!」


 ざわめきが広がる。


 王子の隣には、聖女リリア。


 可憐で優しい少女。


 アルベルトは堂々と宣言した。


「私はリリアを愛している!」


「お前のような冷たい女ではなく、彼女こそ未来の王妃に相応しい!」


 完璧な断罪だった。


 ――はずだった。


「ご遠慮願います」


 セシリアは即答した。


 会場が静まり返る。


 王子が固まった。


「……は?」


「婚約破棄だけは、ご遠慮願います」


 相変わらず無表情。


 声色も一定。


 まるで“雨が降るので傘を持ってください”くらいの温度感だった。


◇


「なぜだ!」


 アルベルトが苛立った声を上げる。


 セシリアは静かに答えた。


「殿下が不適格だからです」


「は?」


「現時点で、殿下以外に王位継承条件を満たす王族が存在しません」


 周囲の貴族達がざわつく。


 セシリアは続けた。


「次期候補育成前の婚約破棄は、国家運営効率が著しく低下します」


「人を物みたいに言うな!」


「道具ではなく国家資産です」


 即答だった。


「なお殿下は維持コストに対して成果率が低い為、本来であれば早期更新したいところなのですが」


「お前ほんと性格終わってるな!?」


◇


 貴族達がヒソヒソ話し始める。


『相変わらずだな……』


『でもセシリア様、王政関連は全部仕切ってるからな』


『王子殿下より有能なのは事実だ……』


 アルベルトは歯を食いしばった。


 昔からそうだった。


 セシリアは常に正しい。


 だが。


 常に冷たい。


 剣術を失敗すれば。


『努力不足です』


 政務を忘れれば。


『記憶力に難がありますわね』


 外交会談で噛めば。


『発声練習くらいしてきてください』


 最悪だった。


 だが。


 不思議なことに。


 セシリアの指示に従った案件だけは、全て成功していた。


◇


「セシリア様!」


 聖女リリアが前へ出る。


「アルベルト様を解放して差し上げてください!」


 セシリアは静かに視線を向けた。


「解放?」


「殿下はずっと苦しんでおられます!」


「知っています」


「なら!」


「ですが、現時点での破棄は非効率です」


 真顔だった。


「代替候補確保後であれば、速やかに契約終了可能です」


「契約って言うな!!」


 王子が叫ぶ。


 セシリアは小さくため息を吐いた。


(感情論ばかりですわね)


(だから教育効率が悪いのです)


◇


 その時だった。


「兄上」


 落ち着いた声が響く。


 第二王子レオハルトだった。


 黒髪。


 整った顔立ち。


 柔らかな物腰。


 女性人気も高い。


「……レオハルト」


 アルベルトが眉をひそめる。


 弟は静かにセシリアを見た。


「セシリア嬢」


「ご無沙汰しております」


「えぇ」


 短いやり取り。


 だが。


 レオハルトの視線には、明確な敬意があった。


◇


「兄上」


 レオハルトが静かに言う。


「公開婚約破棄はおすすめしません」


「なぜだ!」


「セシリア嬢は、兄上が思っている以上に王家を支えています」


「またセシリアの肩を持つのか!」


「事実を述べています」


 淡々とした返答だった。


 レオハルトは小さくため息を吐く。


「兄上は知らないでしょうが」


「現在の王家財政安定率は、セシリア嬢主導の改革によるものです」


 会場がざわつく。


「北方貴族との外交調整も」


「王都税率再編も」


「軍備予算最適化も」


「全てセシリア嬢です」


 アルベルトが目を見開いた。


「……は?」


 セシリアは無表情のまま紅茶を口へ運ぶ。


 別に褒められたくてやったわけではない。


 必要だったからやっただけだ。


◇


「それに兄上」


 レオハルトが静かに続ける。


「ローゼンベルク家との関係を軽視しない方が良い」


 空気が少し変わる。


 アルベルトが顔をしかめた。


「どういう意味だ」


「そのままの意味です」


 レオハルトは視線をセシリアへ向ける。


「セシリア嬢のお母上は、“北の女王”ですから」


 ざわり、と会場が揺れる。


 北の女王。


 大陸北方連合を統治する絶対君主。


 莫大な財力。


 軍事力。


 外交力。


 その全てを持つ、世界有数の女王。


 アルベルトの顔色が変わった。


◇


 セシリアは静かに口を開く。


「では、お母様へご報告致しましょうか?」


 その瞬間。


 アルベルトの肩が跳ねた。


「……なっ」


「殿下が、ローゼンベルク家との契約終了を望んでいると」


 淡々とした声。


 だが圧が凄い。


 セシリアはさらに続けた。


「もっとも」


「殿下も、どうせお母様の財力と後ろ盾が必要なのでしょう?」


「っ……!」


「でなければ、現在の王権支持率で婚約破棄など行いませんものね」


 アルベルトの顔が赤くなる。


「お、お前は!」


「最低だ!」


 セシリアは静かに首を傾げた。


「事実ですが?」


 その瞬間。


 アルベルトは理解した。


 やはりこの女は。


 最悪の悪役令嬢だと。


 舞踏会から数日後。


 王宮内では、奇妙な空気が流れていた。


「……兄上」


 第二王子レオハルトが静かに紅茶を置く。


「まだ怒っているんですか」


「当たり前だ!」


 アルベルトは苛立ったように机を叩いた。


「なんなんだあいつは!」


「人を国家資産扱いしやがって!」


「維持コスト!? 更新!?」


「俺は道具じゃない!」


 レオハルトは小さくため息を吐いた。


「セシリア嬢は昔からそうでしょう」


「合理主義ですから」


「合理主義にも限度がある!」


 アルベルトは吐き捨てる。


「冷たいんだよ、あいつは」


 レオハルトは少し黙った。


 そして静かに言う。


「……本当にそう思っていますか?」


◇


 アルベルトは顔をしかめた。


「どういう意味だ」


「兄上は、“セシリア嬢が結果だけ出している”と思っている」


「違うのか?」


「違います」


 レオハルトは静かに紅茶を飲む。


「兄上」


「去年の南方飢饉、覚えていますか」


「あぁ」


「王家の支援が異常に早かった件も?」


「……あったな」


「セシリア嬢です」


 アルベルトが固まる。


「北方との穀物交渉」


「輸送路確保」


「税率調整」


「全部、あの人が寝ずに処理していました」


 アルベルトは言葉を失った。


◇


「……いや」


「でも、あいつは」


「兄上」


 レオハルトが静かに遮る。


「セシリア嬢は、兄上が遊んでいる間も仕事をしていました」


 空気が止まる。


「兄上が舞踏会で聖女と踊っていた夜も」


「徹夜で予算調整をしていた」


「兄上が体調を崩した時も」


「医師手配を最優先したのはセシリア嬢です」


 アルベルトが眉を寄せる。


「……知らない」


「当然です」


 レオハルトは小さく笑う。


「あの人、言いませんから」


◇


 一方その頃。


 セシリアは王宮書庫で書類を整理していた。


「セシリア様」


 秘書官が頭を下げる。


「来週の“北の女王主催舞踏会”ですが」


「各国王族の到着予定が出揃いました」


「そう」


 セシリアは淡々と書類を確認する。


 北の女王。


 つまり実母主催の舞踏会。


 大陸各国の王族が集まる巨大外交会議でもある。


「東方王国第三王子」


「西方連盟第一王子」


「帝国第七皇子も参加予定です」


 セシリアは小さく頷いた。


「候補としては悪くありませんわね」


「……候補?」


「次期契約対象です」


 秘書官が苦笑する。


 セシリアは本気だった。


 現在のアルベルト王子は不適格。


 能力不足。


 感情優先。


 外交適性低。


 本来ならもっと早く切り替えたかった。


 だが。


 王家の安定性を考えれば、代替候補が必要だった。


◇


(ようやくですわね)


 セシリアは静かに紅茶を飲む。


(次が決まれば、現契約を維持する必要もありません)


 別にアルベルトへ執着はない。


 むしろ面倒だった。


 感情論が多い。


 無駄が多い。


 教育効率が悪い。


 だが。


 現時点で最適解だったから維持していただけ。


 それだけだ。


◇


 一方。


 アルベルト王子は妙な違和感を覚え始めていた。


 廊下を歩く。


 すると騎士達がヒソヒソ話していた。


『セシリア様が予算止めてなかったら軍崩壊してたらしいぞ』


『王子殿下、それ知らなかったのか……』


 別の日。


 侍女達。


『セシリア様、また徹夜だったみたい』


『王子殿下の外交ミスのフォローでしょ?』


 また別の日。


 財務官達。


『ローゼンベルク嬢抜けたら王宮回らんぞ』


 アルベルトは眉を寄せた。


「……なんなんだ」


 知らない。


 そんな話。


 誰も教えてくれなかった。


◇


 その日の夜。


 王宮庭園。


 アルベルトは偶然、セシリアを見つけた。


 月明かりの下。


 一人で書類を読んでいる。


 相変わらず美しかった。


 だが。


 少しだけ疲れて見えた。


「……まだ仕事か」


 思わず声が出る。


 セシリアが視線を向ける。


「殿下」


「珍しいですわね」


「何がだ」


「仕事以外で私に話しかけるのが」


 いつもの淡々とした声。


 アルベルトは少し苛立つ。


「……お前」


「いつもこんな時間まで仕事してるのか」


「必要ですので」


「使用人に任せればいいだろ」


「殿下」


 セシリアが静かに言う。


「王家財政を理解している使用人が何人いると思っているのです?」


「……」


「外交均衡を理解している者は?」


「軍事予算再編を行える人材は?」


 アルベルトは黙る。


 セシリアは小さくため息を吐いた。


「いないから私がやっているだけです」


 まるで当然みたいに。


 アルベルトは、なぜか言葉に詰まった。


◇


 その時だった。


「失礼」


 低い声が響く。


 一人の青年が庭園へ現れた。


 黒髪。


 整った顔立ち。


 異国風の軍服。


「帝国第七皇子、カイン・ヴァルツです」


 セシリアが静かに立ち上がる。


 そして。


 アルベルトが一度も見たことのない表情を浮かべた。


「お待ちしておりました、カイン殿下」


 柔らかい声。


 優雅な微笑み。


 穏やかな視線。


 まるで別人だった。


 アルベルトの思考が止まる。


(……誰だ、それは)


 セシリアは静かにカインへ紅茶を差し出す。


「長旅、お疲れでしょう」


「ありがとうございます」


 二人は自然に微笑み合う。


 その光景を見た瞬間。


 アルベルトの胸に、初めて知らない感情が生まれた。


 ――なぜか、無性に苛立った。


 一週間後。


 北の女王主催舞踏会。


 大陸中の王族、貴族、外交官達が集う、巨大な国際舞踏会が開かれていた。


 黄金の大広間。


 無数のシャンデリア。


 豪奢な音楽。


 その中心で。


 アルベルト王子は、妙な焦燥感を抱えていた。


◇


(……おかしい)


 視線の先。


 セシリア・フォン・ローゼンベルク。


 今日の彼女は、いつも以上に美しかった。


 漆黒のドレス。


 銀髪。


 蒼い瞳。


 だが。


 アルベルトが混乱している理由は、そこじゃない。


「カイン殿下」


 セシリアが微笑む。


 柔らかく。


 穏やかに。


 まるで春の日差しみたいに。


 帝国第七皇子カインが笑みを返す。


「セシリア嬢こそ、お疲れでは?」


「問題ありませんわ」


 二人は自然に会話していた。


 自然すぎた。


 アルベルトが知るセシリアじゃない。


◇


(なんだ、それは)


 アルベルトは理解できなかった。


 セシリアはいつも冷たかった。


 厳しかった。


 近寄り難かった。


 なのに。


 カインへ向ける視線は違う。


 声も。


 表情も。


 空気も。


 全部違う。


◇


「兄上」


 隣へレオハルトが立つ。


「顔色が悪いですよ」


「……うるさい」


「言ったでしょう」


 レオハルトは静かにワインを揺らす。


「兄上は、セシリア嬢を何も見ていなかった」


 アルベルトは黙る。


 反論できなかった。


◇


 思い返せば。


 セシリアは、いつも王子を支えていた。


 外交。


 財政。


 軍備。


 社交。


 全部。


 王子が知らない場所で。


 なのに自分は。


『冷たい女』


『愛のない女』


 そう決めつけていた。


 そして。


 今になって初めて気付く。


 セシリアは。


 “相手を選んでいた”のだと。


◇


「セシリア」


 気付けば、アルベルトは彼女へ歩み寄っていた。


 セシリアが視線を向ける。


「なんでしょう、殿下」


 いつもの声。


 だが。


 もう以前ほど冷たく感じなかった。


「……お前は」


 言葉が詰まる。


 何を言えばいいのか分からない。


 謝罪?


 撤回?


 違う。


 もっと別の何か。


「……その男と、随分親しいんだな」


 ようやく出た言葉が、それだった。


 レオハルトが小さく頭を抱えた。


 セシリアは一瞬だけ黙る。


 そして。


「当然ですわ」


 静かな返答。


「カイン殿下は優秀ですので」


 アルベルトの胸が、妙に痛んだ。


◇


「殿下と違い」


 セシリアは続ける。


「感情論で外交を壊しませんし」


「最低限の政治理解もあります」


「軍事均衡も把握しておられます」


「なにより」


 セシリアは小さく微笑む。


「教育効率が良い」


 カインが吹き出した。


「随分な褒め言葉ですね」


「事実ですわ」


 その自然なやり取りが。


 アルベルトには、何より苦しかった。


◇


 その時だった。


 楽団の音楽が止まる。


 会場が静まり返った。


 高台へ、一人の女性が現れる。


 北の女王。


 セシリアの母。


 絶対君主。


 その場の空気が変わる。


「皆様」


 女王が静かに口を開く。


「本日は、大切な報告があります」


 ざわめきが広がる。


 アルベルトの胸騒ぎが強くなる。


 そして。


 女王は静かに告げた。


「本日をもって」


「セシリア・フォン・ローゼンベルクと、アルベルト王子との婚約契約を終了します」


 会場が騒然となった。


 アルベルトの顔色が変わる。


「……え」


 待て。


 待ってくれ。


 違う。


 これは自分が望んだことのはずなのに。


◇


 女王は続ける。


「なお」


「次期契約対象は、既に選定済みです」


 視線が動く。


 自然と。


 全員の目が、帝国第七皇子カインへ向いた。


 アルベルトの呼吸が止まる。


◇


「セシリア……!」


 思わず声が漏れる。


 セシリアが静かに振り返った。


「なんでしょう」


「お前は……」


 アルベルトは、ようやく理解した。


 自分は。


 ずっと。


 とんでもない女性を隣に置いていたのだと。


 そして。


 その女性を、自分から手放したのだと。


「私は……」


 言葉が震える。


「君を……」


 その瞬間。


 セシリアは静かに口を開いた。


「ご遠慮願います」


 最初と同じ言葉だった。


 だが。


 今度、拒絶されたのは。


 アルベルトの方だった。


◇


「現契約は既に終了しております」


 セシリアは淡々と言う。


「また、次期契約対象選定も完了済みです」


「待ってくれ……!」


「殿下」


 セシリアは静かに首を傾げる。


「今さら、何を?」


 その言葉で。


 アルベルトは完全に理解した。


 セシリアは最初から一度も、自分へ執着していなかった。


 必要だったから維持していただけ。


 そして。


 不要になったから切られた。


 ただ、それだけ。


◇


 カインが静かにセシリアへ手を差し出す。


「参りましょうか」


「えぇ」


 セシリアが微笑む。


 柔らかく。


 穏やかに。


 アルベルトが、一度も向けられなかった笑顔で。


 その瞬間。


 アルベルトはようやく理解した。


 自分が失ったものの大きさを。


 そして。


 本当に“断罪”されたのが、自分だったことを。


 舞踏会が終わった後も。


 アルベルトは、しばらく動けなかった。


 静まり返った大広間。


 皆、既に帰っている。


 なのに。


 頭の中だけが、ずっと騒がしかった。


◇


『ご遠慮願います』


 最後に向けられたセシリアの言葉が、頭から離れない。


 最初と同じ言葉。


 なのに。


 あの時とは、意味が違った。


 今度、拒絶されたのは自分だった。


◇


 アルベルトは重い足取りで自室へ戻る。


 扉を開く。


 静かな部屋。


 ふと視線が止まった。


 机の上。


 綺麗に整理された書類。


 インク。


 紅茶。


 そして。


 小さな鍵付きの引き出し。


 昔からそこにあった。


 だが。


 アルベルトは一度も開けたことがなかった。


◇


「……」


 何気なく鍵を差し込む。


 カチリ、と音が鳴る。


 引き出しを開く。


 中に入っていたのは。


 一冊の日記だった。


 整った文字。


 表紙には何も書かれていない。


 アルベルトは、ゆっくりページを開いた。


◇


『本日、殿下が初めて政務を最後まで投げ出さずに終えました』


『褒めると調子に乗るので言いませんが、少し嬉しく思います』


 アルベルトの指が止まる。


◇


『本日の剣術訓練は散々でした』


『ですが、殿下は誰より努力されています』


『才能が無いのなら努力すれば良い』


『それが出来る方です』


◇


『外交会談にて、殿下は三度も噛みました』


『次回は発声練習を推奨します』


『……ですが』


『最後まで逃げなかったことは評価に値します』


 アルベルトの喉が詰まる。


◇


 ページをめくる。


 そこには。


 ずっと知らなかったセシリアがいた。


◇


『殿下は優しい方です』


『感情に流されやすい欠点がありますが』


『民の涙を見て見ぬ振りが出来ない』


『そういう所は、嫌いではありません』


◇


『殿下は人を見る目が甘い』


『騙されやすい』


『放っておくと危なっかしい』


『ですので』


『出来る限り、隣で支えようと思います』


◇


 アルベルトの視界が滲み始める。


 ページをめくる手が震える。


◇


『最近、殿下は聖女様と過ごす時間が増えました』


『少し寂しく思います』


『……などと書けば、私は母に笑われるのでしょうね』


◇


『殿下に冷たいと言われました』


『否定はしません』


『実際、優しく接するのは得意ではありませんから』


『ですが』


『私は私なりに、殿下を大切に思っていました』


◇


 アルベルトの手から、日記が落ちた。


 床へ膝をつく。


「……っ」


 声にならない。


 胸が痛い。


 苦しい。


 息が詰まる。


◇


 思い返せば。


 セシリアは、一度も自分を見捨てなかった。


 失敗しても。


 恥をかいても。


 怒りながら。


 呆れながら。


 ずっと隣にいた。


 なのに自分は。


 何も見ていなかった。


◇


「俺は……」


 震える声が漏れる。


「何を……していたんだ……」


 涙が落ちる。


 止まらない。


◇


 日記の最後のページ。


 そこには、短い文章だけが書かれていた。


◇


『殿下が、いつか立派な王になられる事を願っています』


『その時、隣にいるのが私でなくとも』


『きっと私は、殿下の幸せを願うのでしょう』


◇


 アルベルトは、崩れるように顔を覆った。


 もう遅かった。


 本当に。


 全部。


 遅すぎたのだ。


◇


 一方その頃。


 北方王城のバルコニー。


 夜風の中。


 セシリアは静かに紅茶を飲んでいた。


「……よろしかったのですか?」


 隣でカインが尋ねる。


 セシリアは夜空を見上げたまま答える。


「何がです?」


「最後まで、本音を伝えなかったことです」


 少しだけ沈黙。


 そして。


 セシリアは小さく微笑んだ。


「悪役令嬢ですもの」


 その笑顔は、どこか少しだけ寂しそうだった。

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