時代もの【夏草】
「お坊様、買っていただけませぬか?」
宿場の外れで、声を掛けられる。その声に振り向いたのは、涼やかな風貌の、何処と無く品のいい坊主であった。
前髪の稚児は、いまだ幼さを残している。持った花は朝顔。
だが、それは花を買って欲しいのではなく色を売っていることは、何となくであっても、想像はついた。
文字通りに自分の花を売っているのだ。
確かに、坊主は女色を禁じられている所為もあって、幼い稚児を買うものも多い。だが、このような宿場町で声を掛けられることはあまり無かった。
戸惑っていると、いかにもな下郎がやってきて、稚児の手を引く。
「このようなお方に、お前の貧相な花など買っていただける訳がねぇ。お坊様、失礼いたしやした」
駕籠かきの格好はしているが、まともな駕籠かきでは無く、雲助どもだろう。他にも数人の子供たちが、大きな鉢を手にしていた。
不審に思われる前に遠ざけようとしたことは間違いない。
「いや、買おう。いくらだ?」
途端に、下卑た笑いを浮かべた男が、もみ手をしながら近寄ってくる。告げられた額は、そこらの女郎よりも安いくらいだった。
それに坊主は首を振る。
「そうではない。一夜ではなく、この稚児の値段はいくらだと聞いておるのだ」
男はより一層、下卑た視線で坊主を探るように見た。この好きものの破戒僧が、と思われているのは承知の上だ。
「気に入った。ずっと愛でたいのでな」
とどめにニヤリと、品の良い顔に似合わぬ笑みを浮かべたとき、雲助の一人が立ち上がる。
「十両と云ったら、どうなさる?」
「今は持ち合わせが無い。有り金はすべてその方らに渡す。足りぬ分はこれを持って、両替屋へ行くがいい」
懐から、匂い袋と金子の包みを取り出し、雲助へと手渡す。確認した雲助は、満足したらしく、鉢を抱えたままの稚児の手を引く坊主が引き止められることは無かった。
論語を読む瑛幸の声は澄んでいて、何時までも聞いていたくなる響きだ。
山村にしては、瀟洒な造りと立派な門のある寺に、瑛幸が引き取られたのは、数年前だ。
読み終えた瑛幸が顔を上げると、この寺の主である宋瑛がにこりと笑ってうなずく。これは満足の行く出来であった証拠だ。
それに頭を下げて、瑛幸が腰を上げた。
寺に引き取られてはいるものの、僧ではないので髪は総髪のまま、結い上げられている。艶やかな黒髪の美しい若者であった。
宋瑛の一字をとって、瑛幸と名づけられ、今に至っている。
あのままであれば、数年客を取らされた後に、何処かへ売られていたであろうことは確実で、それを考えれば、感謝してもしたりないほどの恩人であった。
だが、宋瑛は決して瑛幸の躯を求めるようなことは無い。
それしか知らぬ瑛幸には、美しい主人にどうすれば恩を返せるのか考えあぐねる日々だ。
「そなたを抱く気はない」
何度これしか恩を返す方法を知らぬと誘うても、なびく様子は無い。
「そなたが立派に一人前になってくれることが、私に報いる方法ぞ」
きっぱりと云われてしまってからは、ひたすら勉学に励むことのみを己に課した。
だが、それだけでは足りぬのではないだろうかと、下男の幸造を相手に漏らしたこともある。
「貴方様が、そのお心掛けを持っておられるだけで、宋瑛さまはご満足でしょう」
幼い頃から、僧に仕えているという幸造にまで、そう云われては返す言葉も無い。
ひたすら、幸造と共に宋瑛が暮らしやすいように、と心を配ることしか出来ない己の不甲斐なさを噛み締めながらも、静かな暮らしが続いていた。
「宋瑛さま、文が届いております」
珍しく、慌てた様子で障子を開いた幸造は、少し青ざめた顔をしていた。
常ならば、物音を立てることを厭う宋瑛もそれを咎めない。
瑛幸は論語を読むのを止めた。
文を開こうとした宋瑛は、怪訝な表情でこちらを見る瑛幸の眼差しに気付いて、文を閉じる。
「今日は、もう良い。下がりなさい」
硬い声で申し付けられ、渋々と腰を上げた。
障子を閉めた向こうで、宋瑛と幸造が声をひそめるのを心残りに思いながらも、その場を辞する。
夕飯の仕度が終わっても、宋瑛と幸造の話は終わらぬようであった。
そっと、宋瑛の部屋へと足を運ぶ。
宋瑛の部屋には、灯かりさえ灯ってはいなかった。
がらりと障子の開く音に、瑛幸は思わず、物影に身を潜めてしまう。
荒々しい仕草が、物静かな宋瑛のものであることが意外であった。
「もう良い! お前が云えぬのであれば、私が…」
「お待ちください。瑛幸さまは貴方様を慕っておいでです。どれだけ傷つかれることか」
「だが、このままここには置いておけぬ。こうなっては、もう」
がくりと膝を折った宋瑛を、幸造の逞しい身体がしかと抱きとめる。
「私が申します。ですから、本日はお休みください。瑛幸さまにここから出て行くようにしかと申し伝えますゆえ」
瑛幸は頭を殴られたような気がした。自分を出て行かせる相談をしていたこともだが、膝を折った宋瑛を抱きとめた幸造の腕は、まるで宋瑛を抱き締めているようであった。
そのまま、ふらふらと床に付く。考える気力すら沸いては来なかった。
酒の匂いに目を覚ます。
いつしか眠り込んでいたようだ。宋瑛はどうしたのだろうと起き上がろうとした瑛幸は、傍らにある人影に、ぎくりと身を竦ませた。
「瑛幸…」
匂いの元は、目の前にいる宋瑛だ。慎ましやかで、決して酒など口にはせぬ主人が、酔っていることに、瑛幸は首を傾げた。
「宋瑛さま。そのように酔われては、身体に良うありませぬ。お休みになられませ」
「身体など、今更厭うてもせん無きことよ」
自棄を起こしたかのように、自堕落な笑いを浮かべる宋瑛に、瑛幸は慰めるかのように腕を伸ばす。
だが、その腕は力強く引かれ、宋瑛によって床へと縫い止められていた。
「一夜の夢を、与えてはくれぬか」
「はい、宋瑛さま」
すがる様な瞳を見るまでもない。この身はとうに宋瑛へ捧げている。
瑛幸は、はじめて自ら男の前に躯を開いた。
「一夜の夢よ。夜が明ければ、白む闇に紛れる夢」
宋瑛が自分の中へと逐情する。瑛幸は、一夜でも慰めを与えられたことに安堵した。
翌朝、すでに宋瑛はおらず、瑛幸は幸造を伴い、郷へと下りた。
季節は拾われた頃から、いくつも巡り、持ってきた朝顔は幾度も寺の庭で花を付けていた。
そして、今年も。
参道の階段を下りながら、瑛幸は二度とは会えぬことを予感していた。
宋瑛が、挙兵したと人づてに聞いたのは、幾日も経たぬうちだ。
謀反の疑いを掛けられ、切腹した兄の菩提を弔う為の寺で静かに暮らしていた宋瑛に、またしても謀反の疑いが掛けられたのだと知ったのは、宋瑛が追い詰められた先で、自害したと知った後のこと。
幸造と共に身を寄せた両替屋の離れで、瑛幸はぽつりとつぶやいた。
「一夜の夢。それでも私は貴方とともにいきとうございました」
<おわり>




