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ファンタジー【契約】

それに声を掛けたのは、まったくの気まぐれだ。

蒼流は、面倒くさそうに寝そべった身体を起こした。

己が居城のあるこの深い黒の森の奥に、入り込むものはそう多くは無い。

何も知らぬ獣たちでさえ、ここの濃い魔気を感じて近づかないのだ。その代わりに、この美しい澄んだ泉は、自分だけが楽しむ景色である。


じっと目の前の泉を見つめるのは、まだ少年と云って差し支えない男だ。

ただ、少年と呼ぶには、いささか瞳には大人びた色が濃い。

苦悩と、諦めと、決断を秘めた瞳。その全てを小さな肩に背負っているのだろうことは、身なりからも明らかだ。

ただ、それにしては付いてきて当然の筈のお付きの姿が無いのが気になるが。

少年が、腰に下げた剣を抜き放ち、思い切り息を吸い込んだ。


「藍鏡の泉に住まう主に話がある!」

「何だ?」

声を張り上げた背後から声を掛けると、少年が目を丸くして振り返る。

その瞳に、驚きはあっても怯えの色が無い事に、むしろ蒼流は舌を巻いた。

「貴方が? 藍鏡の泉の主…」

「俺がここに住んでいるのかと云われれば、そうだな」

水の色彩の透き通る長い髪と瞳は、蒼流が人では無いことを示している。

「貴方がここの主ですか?」

「人が勝手にどう呼ぼうが、俺は知らん」

確かに、ここには蒼流自身がもう覚えてもいない頃から、己の居城だったし、そこで多くの魔物たちを従えてもいる。

だが、魔物は勝手に蒼流の力に惹かれて集まってきただけで、蒼流の臣下でもなんでもないのだ。追い払うのも面倒だから、傍に置いているに過ぎない。

「で、俺に話とは何だ?」

「私に力を貸してください!」

臆することなく、真っ直ぐに蒼流の瞳を見据えて云う少年に好感は持ったが、それだけのことだ。

「ほう、俺の力を借りると云うのか? 代償は何だ?」

ただで力を貸せと云う無鉄砲は気に入ったが、だからと云ってそれを承知するほど人は良くない。

「私が国王になったら受け継ぐもので、差し上げられる範囲のものならば」

どうやら、少年はこの国の皇子らしい。

「差し上げられる範囲とは、またケチくさいな」

「私は国を迫り来る脅威から護りたいだけです。それに見合った報酬だと思います」

揶揄めいた蒼流の言葉に、少年は乗る事は無かった。

あくまで、この魔物相手に対等な商談を持ち込もうと云う辺り、いい根性だ。

「貴方が新たな脅威になっては元も子もありませんから」

「嫌なガキだな。肩肘の入りように年季が入っている」

「幼い頃から、そう育てられて来ました」

こちらの嫌味に答えながらも、少年はひたすら蒼流の返答を待っている。

「まぁ、いいだろう。俺の魔力を貸してやる」

少年の瞳が見開かれた。但し、喜色に、ではない。ひたすら、驚愕というのが正しいだろう。

「どうした? 嬉しくないのか? このままではお前の国は隣の国に呑み込まれてしまうぞ」

「いえ、承知してくださるとは思っていなかったので」

少年は戸惑いで視線をさまよわせる。

「貸してやるだけだ。いずれ、返してもらうさ。そうだな、三百年でどうだ?」

人の一生は短い。精々、長持ちして七十年がいいところだ。それだけあれば、体制が変るには充分だろう。

「貸して下さる範囲は?」

「とりあえず、東からやかましく迫ってくる軍は蹴散らしてやる。それから、簡単な護りを張ってやろう。それと、この森には金輪際近づくな。近づいた奴は、魔物の餌食だ」

いま、この国に迫ってくる大国の軍を追い返し、国を広げる野心さえ持たねば、守護の中に国を置くことが出来る。反対側の国境に横たわる森には、魔物どもの住処があるのだ。

「好条件ですが、貴方の報酬は?」

それだけの条件を並べた蒼流を、少年の瞳が不安そうに見上げた。

「そうだな。俺を人間の魔術師として雇ってもらおうか」

「は?」

今度こそ、冷静な少年が目を剥いた。してやったりと、密かに蒼流がほくそ笑む。こういう表情が人は楽しいのだ。

「人の暮らしって奴に興味がある。魔術師ならば、人より長生きしても怪しまれんだろう?」

「ですが、その姿では…」

戸惑いを隠しきれない少年の目の前で、蒼流の長い髪は銀に近い色へと変化を遂げた。瞳は魔術師たちが持つ、独特の紫紺。

「お前の名は聞かん。雇われ魔術師が、皇子の名など知っていても面倒なだけだからな」

「それならば、貴方の名は? 雇い主に名乗る仮の名は教えてもらわねば」

云い得て妙なことを云い出した皇子に、蒼流はくすりと笑った。これならば、しばらくの間、退屈はしないかもしれない。

「ソルフェース。そう呼べ。とりあえず、うるさいのを片付けるか」

呪言を唱える。人には発音出来ない種類の音だ。人の形を取った瞬間から、力の発動は人のそれに縛られる。だが、その制限さえ蒼流――――ソルフェースには楽しみでさえあった。

呪言に合わせる様に、鏡のように静かな泉に渦が巻きあがる。

竜巻のように高く上がったそれは、動きを止め、二人を睥睨した。

それは水で出来た竜だ。

「東の奴ら、片付けろ」

指でソルフェースが指し示したのは、隣国の軍が迫る国境である。

武者震いのように、身体を震わせた竜が飛び上がる。

それはあっと云う間に見えなくなった。


皇子は呆然とその行方を追う。

最初、視線でだけ追っていたが、はっとして走り出した。

もちろん、追いつくはずなど無い。

荒い息をする皇子の肩に、ソルフェースは落ち着けと手を置いた。

「半時も掛からん。静かに待て」

「十四万の大軍だぞ!」

皇子は信じられないと詰め寄ったが、ソルフェースには子犬がじゃれているようなものだ。


そうこうするうちに、水竜が戻ってくる。

再び、ソルフェースは呪言を唱えた。

今まで竜の形をしていたそれが、見る見るうちに一回り小さな蛇に姿を変える。

その耳に何事かを囁くと、蛇は再び泉の中へと姿を消した。


「さて、皇子。参りましょうか?」

くすくすと笑ったソルフェースに促され、皇子は城への帰途を辿る為にきびすを返す。

「何をした?」

「俺の代わりをここに置いただけだ。魔物どもが主を失ってうろうろされるのは、お前も困るだろう?」

知能の足りない連中が、ソルフェースと見紛うくらいの力は分け与えたし、暗示も掛けた。その分、ソルフェース自身の力も減っている。これならば、人の大魔術師程度の力の筈だ。

力を何も持たぬ所為か、人は異質なものには敏感だ。



「皇子! 何処ですか?」

森の中を、大声を張り上げて皇子を探している馬鹿がいた。

そんなに声を上げれば、ここに獲物がいると宣伝しているようなものだ。

実際、皇子を見つけて、喜色に輝いた騎士の刀は、魔物たちの青みがかった血が、どす黒く変色してこびりついている。

「よく、御無事で!」

駆け寄りながらも、ソルフェースに対する警戒の視線を送ってきた相手は、いかにも生真面目そうな男だ。

「こちらの魔術師に助けていただいた。ソルフェースだ」

「皇子が大変お世話になりまして。ただ、皇子は急ぎ城へ戻っていただかねばなりません。申し訳ないが、このお礼は後ほど改めて」

頭を下げる傍ら、皇子を急かそうとする騎士を、皇子自身が押し留める。

「いや、ソルフェースには魔術師として、城へ来てもらう。かまわん、話せ」

ソルフェースを部外者と見た騎士に、皇子が命じた。そういう尊大な態度は、確かに生まれながらの王族という奴だろう。

「はい。東より押し寄せていた大軍が、竜巻に呑まれ、瓦解いたしました! 講和を申し込んできております。ここは皇子に御帰還いただき、講和を勧めていただきたく」

「解った」

うなずく皇子をソルフェースが手招く。もちろん、騎士も寄って来た。

ソルフェースが呪言を唱えると、周囲の景色が一変する。

皇子連れで、森越えなどされては、命がいくつあっても足りない。特に、この騎士は隠密行動には向かなそうだ。

出現したのは、城下の外れの廃墟。ここからは、城まで歩いても行ける距離だ。


その日の内に、講和は成立した。それをもって、皇子は隠居する父に代わって、ティアンナ王となる。

ティアンナ皇国は崩壊したが、ティアンナは歴史の片隅で『古の魔術を保つ国』として、黒の森の魔物を押さえる守護の役割を与えられる羽目になった。



「蒼のソルフェース殿。国王がお呼びでございます」

それから、三十年。水の属性をもつ魔術師として、ソルフェースは『蒼』の名を頂いている。

少年であった皇子も、息子と娘を持つ中年男だ。そして今、病におかされ死の床へと付く身である。

「どうした? 俺の力を頼る気になったか?」

人払いがなされた部屋には、病身の王と、枕元にソルフェースがいるのみだ。

「泉の主。そんな誘惑は無駄だ。私は、人として死ぬ」

この三十年。ソルフェースが囁く数々の誘惑にも、王が揺らぐことは無い。

「だろうな。お前が揺れたのは、お前の騎士が死んだときくらいだ」

あの森まで命を賭して、王を迎えに来た騎士は、いつも王の傍にあった。病で倒れるその日まで。

「奴の命くらいなら、無償で永らえさせてやってもいいくらいには、お前のことは気に入っていたんだが」

「いや、あれで良かったのだ。死んでしまえば、誰のものにもならん」

騎士は、妻帯せずに亡くなった。人生の全てを王と共にあったのだ。

「頼みたいのは、この国の行く末だ」

「心配せずとも、あと二百七十年も残っている」

その間だけは、力を貸してやると約束した。

「そうか。これで安心していける…」

何処へ?とソルフェースは問い掛けたくなる。そのくらいに自然な言葉だった。

己の騎士のところへ? それとも…。

まぶたがゆっくりと閉じられる。眠るような崩御であった。



今の王は、ソルフェースが仕えてから四代目にあたる。

約束から、まだ百十余年の時が過ぎ去っただけだ。

だが今、ソルフェースの隣には別の温もりがある。

ソルフェースの傍らに眠るのは、美女ではない。兵士にしては幾分小柄ではあるものの、鍛えられた体躯を誇る、大の男だ。

真っ直ぐな気性の真面目な堅物男。ソルフェースに剣を捧げてくれた、ソルフェースの騎士。何処か、あの王の騎士に似ている。

「お前の、国…か」

ずっと護ってゆくのも悪くは無いと思えた。

そのまま、温もりを引き寄せ、抱き締めるように眠る。

いつか送る、その日まで。


<おわり>

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