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義兄弟【ジプシーカード】<3>完

「一実。今度の日曜。空いてるか?」

出勤寸前に、文弥に捕まった。もう少しで顔を合わせずに済む筈だったのに。

「判らないな。何かあるのかい?」

「いや、出来ればちょっと付き合って欲しいところがあったんだけど……無理はしなくてもいいぜ」

一実は時間を気にするフリで何度も腕時計に視線を走らせる。

「判ったよ。なるべく空けるようにする。じゃ、いってきます」

「いってらっしゃい」

朝からさわやかな笑顔で見送ってくれる文弥に、一実は自然と頬が緩むのを抑えきれない。

「何か新婚さんみたいな会話だな」

ひとりぽつりと呟いた。

「一実」

赤くなった頬を意識した瞬間に、横合いからした声に、思わず飛び上がりそうになる。

見ると、文弥が玄関脇のキッチンの窓から顔を覗かせていた。

「今日も遅くなるんだろ? 本当に無理しなくてもいいんだからな」

「わ、解ってるよ」

カバンを抱え込んだまま、引きつった笑みを浮かべる一実を、文弥は、別の意味で驚かせてしまったと勘違いしたらしい。

「ご、ごめんな」

「い、や。気にしないで……、いってきます」

一実は未だどきどきと跳ね上がる心臓を抱えるように、急いでいるフリでアパートの階段を駆け下りた。


「まったく。朝から動悸が治まらない――――」


文弥の笑顔に、いつから違う意味でどきどきするようになったのか。

「わざと顔合わせないようにするのも限界だな」

昨日はうまく梁川が声を掛けてくれたが、いつも助けが入るとは限らない。このまま、顔を合わせない事態が続けば、偶然ではなく今度は一実の会社の帰宅を待っていることだろう。

感情のまま爆発すれば、お互いにしこりを残す破目になるのは目に見えている。自分にやましい気持ちがあるから、尚更だ。

せめて文弥が高校を出る頃まで位は、保護者の役割でいられると思っていた。

いや、今だって望んでいるのだ。このまま、ずっとそばにいたい。

文弥に対する罪滅ぼしのつもりで育て上げた筈だったのに、それは自分の中の別のものも育て上げてしまった。

決して花開かせてはならない想いを。


「文弥」


失うことはどれだけの後悔と引き換えだろうか?



気付くと、駅の構内を歩いている。無意識にでも身体はいつも通り出社の為の道を辿っていることに、一実は可笑しくなった。

笑いが込み上げてきて止まらない。自分でもちょっとおかしいと思った瞬間に、目の前がブラックアウトした。


「遊佐!」

ふら付いた身体を、誰かの腕が支える。

「やな…がわ?」

「しゃべるな。えらく危なっかしい足取りで歩いてる奴がいると思ったら、お前かよ」

ここいらでは一番大きな乗換え駅だ。構内で知り合いに会っても不思議では無い。人の流れに逆らって、梁川は何とか一実を階段下のベンチへと座らせた。

「大丈夫だ。寝不足から来るただの貧血だよ」

一実は以外と冷静に自分自身を判断している。笑いが止まらなかったのも、いわゆるナチュラルハイと云う奴だ。

「解っててやってんのか? 馬鹿だろう、お前。大体、このふた月ばかり、ずっと残業だろうが。その上、早朝出勤か? 休日だって出社してんだろう!」

だが、梁川は納得しなかったらしい。激しい調子で詰め寄ってくる。

「生憎とお前みたいに優秀じゃないんでな。数で勝負するしか無いんだ」

それをしれっと流しはしたものの、軽口にもいつもの精彩は感じられない。

「とにかく、気を付けろよ。身体は一つしか無いんだからな」

「充分承知はしてるさ」

無理に身体を起こそうとするのは止めて、ベンチにもたれかかる。そのまま、腕時計のアラームをセットして、腕を組んだ。

「少し休んでいく。まだ幸い、時間はあるしな」

早く行けとばかりに梁川に手を振って、勝手にさっさと夢の中への逃避を試みる一実に、明らかにむっとした調子で、梁川は立ちあがった。

「野良犬か、俺は」

捨て台詞を投げ掛けて、梁川が足音も荒く歩み去るのを、既に一実は認識もしていなかった。



ピッ、ピッ、ピッ―――――

かすかな筈のアラーム音は、えらく耳障りな音に感じる。

重いまぶたを開いた一実の目の前には、会いたくて会いたくない相手がいた。

「一実」

一瞬、夢でもみているのかと、一実は自分の記憶を探る。

「一実? 大丈夫か? 気分でも悪いのかよ」

突然の事態に、返事も出来ないでいる一実を、文弥が軽く揺さぶった。

途端に我に返った一実は、身を引くようにベンチから立ち上がる。

「文弥、何で………」

「学校行く途中に決まってんじゃんか」

確かに云われてみれば、文弥は黒の詰襟姿だ。

「一実。具合悪いんじゃないのか? こんなとこで寝るくらいなら何で家で寝ないんだよ」

文弥に問われて、慌てて一実は時計を見る。

「不味い、もう行かなきゃ。起こしてくれてありがとう。ごめん、帰ったらゆっくり話を聞くよ」

これ以上平静でいられる自信は無い。一実はひったくるようにビジネスバッグを取ると、階段を駆け上がった。

「一実ッ」

逃げ出すように走り出した一実の後ろから、文弥の声が追いかけてくる。



閉まりかけた通勤快速に、無理やり身体を滑り込ませて、ようやく一実は一息つくことが出来た。

「まいった」

覗き込んできた瞳に、心配そうな色が浮かんでいた。まっすぐに見つめる瞳を見返したのはいったい幾日ぶりだろう。

一瞬、動けなかったのは、気分が悪い所為でも、寝不足の所為でも無い。ただ、文弥に見とれていたからだ。

「こんなにトチ狂ってるなんて……」

呟いた一実の声は深い後悔を滲ませていた。




「ただいま」

真っ暗なダイニング。

文弥はバイトでまだ帰っていないのだろう。それを狙ってこの時間に帰って来たのは正解だったらしい。もっとも、今日の今日では、残業することはさすがにやばいと思ったし、梁川にも止められた。


「おかえり」

部屋へ向かおうとした背中に掛かった声に、一実はぎくりと身体を竦ませる。

「帰ったらゆっくり話をするんだろ?」

文弥の口調は怒りと、悲しさがない交ぜになったものだった。もう、ごまかしはきかないのだろう。

覚悟を決めて振り返ると、大人びた顔の文弥がそこにいた。

「そんな困ったような顔しなくっても解ってるよ。俺をごまかしただけだったんだろ? でも、俺は知りたいんだ。一実が何考えてんのか。何で俺を避けてんのか」

いつからこんな大人の顔をするようになったんだろう。一実は、もう長いこと文弥の顔を正面から見ていなかった。

「文弥―――――」

「なぁ、俺、知りたいんだ。一実のことが好き、だから………」

自室のドアを背にした形で、文弥は追い詰められていた。いつの間にか小さな文弥は身長も自分と変わらないくらいになっている。

真正面から見詰められて、もう逃げは許されなかった。

「文弥。俺も文弥が好きだよ。でも、それは文弥とは違う意味だ。俺はそういう意味で文弥を好きになってはいけないんだよ」

「どうして? 男同士だからか? 俺はちゃんと一実が好きなんだ」

文弥からの告白は思いも掛けないものだった。

だが、そうであればあるだけ、文弥の想いに応えることは出来ない。

「駄目だ。文弥、間違ってる。こんなのは」

「何で? 俺が一実のことが好きで、一実だって俺のことが好きなんだろ? 間違ってなんか―――――」

「間違ってるんだッ!」

文弥の反論を、一実は最後まで聞けなかった。

とうとう、その時が来たのだ。自分の罪を告白する時が。


「よく、聞くんだ。文弥。俺は文弥の両親を………」


これで終わりだ。文弥は一生、一実を許さないだろう。


「知ってるぜ」


だが、あっさりと文弥は言い放った。

「親父とお袋が事故ったとき、避けた酔っ払いの大学生って『一実』のことなんだろ。お節介な親戚が教えてくれた」

「知っていて、何故?」

呆然とする一実に、文弥は泣き笑いの表情で必死に笑いかけた。

「そんなの、一実が悪いのかよ。運が悪かったんだ、そうだろ? それに聞かされたって一実を嫌いになんかなれなかった。葬式の日に、手を伸ばしてくれたの、一実だけだったじゃないか。あのときに、一実のことが好きになったんだ」

一実はハンマーで頭を殴られた気分だった。

何を回り道していたのだろう。答は最初から文弥の瞳の中にあったというのに。

「一実、俺のこと、好きだよな?」

一実の瞳を窺うように、文弥が尋ねる。背は伸びても、大人になっても、中身は可愛い文弥のまんまだ。

もう我慢しなくてもいい。熱くなる身体に正直に、一実は文弥を抱き寄せた。

「一実?」

そのまま、唇を重ねあう。

たどたどしいながらも、文弥はちゃんと一実に応えていた。

「好きだ」

交し合う熱い夜はこれからだ。


文弥はふと、数日前のめくられることの無かった、『結果』のカードを思い出していた。

スペードのA―――――

運命と希望のうらはらを示したカード。あれはきっとそうだったのだ、と。



<おわり>

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