異世界トリップ【生きていく場所】
小説家になろう「憧憬の王城」ムーンライトノベルズ「遥かなる星の軌道」の番外編です。
ぐらりと足元が揺れた気がした。
いや、揺れている。
地震だと感じた時には、既に立っていられないくらいだった。
少し離れた場所にいた筈の男の腕が、俺を包み込むように抱きこむ。
その瞬間、崩れ落ちる天井――――。
俺も男を護るように、腕を伸ばした。
庇いあうように抱き合ったままの俺たちの上に、砕け散った岩盤が降り注ぐ。
最後を覚悟して、目を閉じた。
「セージ。無事か?」
開いた瞳に飛び込んできたのは、青い瞳と月の光を受けて銀色に光る長い髪。
俺の愛おしい相手だ。
「サディ、良かった…」
無事な姿にほっと息を吐く。
俺だけが生き残っていたらば、俺は多分、全てを呪っていただろう。
見上げた空には、大きな月。
視界一杯に広がる、手を伸ばせば触れそうな程の大きさの月に、俺はガバリと飛び起きた。
そんな筈は無い。
俺とサディがいたのは、互いの勤め先の手掛けていたビルの地下工事の現場だ。
新都市の再開発の中心となる、デカイビルの地下は、それぞれのビルを繋ぐ通路であり、ショッピングモールにもなる予定の場所だった。
だが、今、俺たちがいるのは、突然の地震で崩れた工事現場の瓦礫の中でも、ましてや助け出された病院のベッドの上でも無い。
空に掛かるのは、まだ少年の頃に数ヶ月の間だけしか見たことの無い、大きな月。
「トレク、ジェクサ?」
呆然と呟いた俺の肩を、サディが抱きしめた。夜露に濡れたものか、抱き締める腕はしっとりと湿っている。
「そうだ、セージ。トレクジェクサ、だ」
振り仰いだ先には、山をくり貫いて作られた城の明かり。
そこにあるのは、確かにトレクジェクサの山城だ。
「何故?」
その日、俺たちは、異世界へと再び迷い込んでしまったことを知った。
「誠司?」
俺の目の前にいるのは、あの頃から幾分かは年を食ったものの、とても、三十に手が届くようになった俺の父親だとは思えないだろう中年男だった。
普通ならば、初老に差し掛かっている筈の俺の親父は、いまだ中年のまま、俺の目の前にいる。
「うん。久しぶり。親父」
俺が笑うのに、親父の顔が泣き出しそうに歪んだ。
その親父の肩を、後ろにいた金髪の若い王が支える。
俺と同じ年の筈だったが、俺の人生で十数年の歳月が過ぎても、こちらも青年のままだ。
やはり、ここと俺たちの世界は時間の流れが違うらしい。
朝になって、王宮を訪ねた俺たちは、すぐに賓客として迎え入れられた。
元・近衛隊長であったサディのことを覚えている兵士は、まだ居たし、何よりも親父がここへ来た時の年齢に近くなった俺の顔は、尚のこと、親父に似ていたからだ。
実際に間違えて話しかけてくる者もいたくらいである。
「大きくなったな、誠司」
「年食った、の間違いだろ? もう俺は二十八だぜ」
泣きそうな目で話しかけてくる親父に、俺は戸惑いを隠せなかった。つい、ぶっきらぼうに応じてしまう。
『誠司をずっと護っていてくれたんだろう? ありがとう、サディユース』
親父がトレクジェクサ語で、サディに頭を下げた。
『いえ。セージを護るのは俺がそうしたいからです』
親父に対して、そう云うサディに、俺は胸が一杯になる。
こんなに真っ直ぐに俺だけを見てくれる相手は、きっと他にはいないだろう。
『そうか。お前が見つけたのは、俺の息子か』
『はい。セスリム・セイ』
親父の顔は、一瞬にして違う顔つきになっていた。父親としての顔ではなく、この国の王の隣に立つセスリムとしての顔。
『とりあえず、休んでいくといい。自然と時は来る』
軽く俺の肩を叩いた親父に、俺は眉を寄せた。
「お前…、何処か怪我してるだろう?」
「セージ?」
親父の言葉に反応を示したのは、俺よりもサディが早かった。
「腕を少し…」
天井材の欠片が当たったのだろう。妙に痛むが、耐えられない程ではない。おそらく打撲程度だろうと放っておいたのだが。
「何故、云わなかった?」
「すぐに収まる。只の打撲だ」
怖い顔をしているサディに、親父が横から薬草を渡した。
アロエのようなものを大葉に似た葉に塗りつけて、睨みつけるサディに、俺は根負けして渋々、上着を脱ぐ。
赤く腫れた上腕に、それを貼り付けると、柔らかい葉は冷たくて気持ちよかった。
「一人で耐えるのは止めろ」
「うん。ごめん」
俺は素直に謝る。サディの日本語は、発音出来ない音がある為、センテンスが短い。その中にイロイロな気持ちが混じっているのだ。
―――― 一人で耐えるのは止めろ。二人でいるのに。
そう、俺たちは二人だ。
「お前は大人になったんだな」
「親父?」
顔を上げると、親父が複雑な顔をして俺を見ている。
喜んで良いのか、悲しんで良いのか解らないと云う風に。
『久しぶりの異邦人は、元々の同胞とは』
『ドラテア様』
突然、割って入った声に振り返ると、そこにいたのは星術師と呼ばれる女だ。床まで届きそうな長い銀髪の、何もかも見透かすような薄青い瞳をしたロングドレスの女。
『いい顔になったな。変えたいと願ったか?』
『ドラテア様…』
一瞬、はっとしたような顔をしたサディが、大きくうなずいた。星占と呼ばれるそれを、俺は信じてはいない。だが、それはサディを始めとするこの国の人々には大きなものだろう。俺が口を挟めることでは無い。
『縛られることは無い。願うのなら、戦えばいい』
『はい』
会話の内容は俺にはまったく解らない。だが、その結果が今、俺の隣にいてくれることだとすれば、後はどうでも良かった。
休んでいろと親父は云ったが、中々二人だけでゆっくりすると云うわけにはいかなかった。
何故ならば、サディが帰ったことを知った、昔の同僚や、親戚などがひっきりなしに訪ねて来たからだ。
最後には、面倒になったらしく、サディは大人しく街へと連れ出されていった。
手持ち無沙汰になった俺は、ごろりとベッドへと横になる。
打撲で軽く熱のあった身体は、すぐに眠りへ誘われた。
ざわめきが俺を眠りの縁から呼び覚ました。
それは明らかな悪意を運んできている。
ガバリと俺は身を起こし、窓を開けた。
『街で近衛が防戦しています!』
『レダと弓を!』
城の前の広場で叫んでいる中には、親父もいる。
『突破されたら、そのままここへ誘い込め!』
親父の手には、弓もどきのもっと立派になった奴があった。
街を見れば、大勢の人がうごめいている気配はするが、俺には何が起こっているのかはまったくの謎だ。
「親父!」
「誠司! 窓を閉めて引っ込んでいろ! ちょっとした小競り合いだ」
そういう親父の顔は、結構獰猛な感じで、とても小競り合いを片付けると云う風には見えない。アデイール王はとっくに出て行った後だろう。
俺は窓を締め、走り出した。
サディは、街へ近衛の連中と出て行ったのだ。アイツの性格で、途中で帰ってくるなんて云うのは有り得ない。
サディも戦っているのだ。
「親父! 俺にも弓をくれ!」
「誠司!」
走り出てきた俺に、親父が一瞬だけびっくりした顔をしたが、すぐに諦めたような顔つきになった。
そうそう、アンタの息子だぜ、俺は。本来護られるべき立場にあっても、大人しくなんかしていない、アンタの。大の男になった俺が、大人しく引っ込んでいる訳が無い。
『馬は乗れるか?』
『いや、やったこと無い』
突然、親父がトレクジェクサ語で俺に話しかけた。すぐに、周囲の兵士たちにも聞かせる為だと気付く。
『俺のレダの後ろに乗れ。弓は?』
『これでも県大会じゃトップだぜ』
『じゃ、任せた。振り落とされるなよ』
『OK!』
親父がレダと呼ばれる、馬代わりの大型の鹿に跨った。俺も慌てて、その後ろへと飛び乗る。
『誘い込みは止めだ! 打って出るぞ!』
親父が周囲へと指示を飛ばすと、レダを走らせた。その後に、兵士たちが続く。
後ろから大柄な茶髪の男が走り出てくるのが見えた。
『セスリム!』
と叫んでいたところを見ると、親父を止めに出てきたのだろう。
「チッ、後でレドウィルにまた大目玉だ。お前の所為だぞ」
馬を走らせながら、親父が呟く。
「だったら、大人しく防戦の準備してれば良かっただろう」
「お前にばかりいい格好させるか。息子の前で格好付けないで、どうする」
拗ねたような親父の言い草に、俺は思わず笑ってしまった。
「小競り合いってのはよくあるのか?」
「隣の国が、ちょっかい出したがっている。もちろん、自国の団を動かす訳にはいかんから、強盗団やら、山賊やらを雇っているんだ」
なるほど。
「舐めた真似するとどうなるか、思い知らせる。遠慮はするな」
親父の顔が、厳しいものになる。
『見えたぞ!』
親父が呟くのと、騎乗した兵士が剣を抜くのは同時だった。
背を低くして、親父が俺に敵の姿を見せる。
俺は矢をつがえた。
サディの後ろから、刀を振りかざした男を射抜く。
正直、レダの揺れで焦点が定まらない。サディに刀を抜いた時点で、喉元を狙ったつもりだったのが、外れて肩先を掠める。それでも威力はかなりある筈だ。
『セージ!』
『サディユース!』
「降りろ!」
親父の声に、走っているレダから飛び降りる。受身を取るつもりが、サディに受け止められた。
その俺たちに襲い掛かった賊を、親父の矢が射抜く。
足だけで器用にレダを操りながら、次々に矢を放つ。そして、剣を構えた金色の獅子王の隣にレダを寄せた。
王の隣へ並んだ親父は、これが俺の父親かと疑ってしまうくらいに神々しい。
血だらけの刀を構えた金髪金瞳の王と、厳しい瞳で弓を構える小柄な男。その身体は、ひどく大きく見えた。
俺とサディも背中を預けあったまま、それぞれに剣と弓を構える。
賊が一瞬飲まれたように、一歩退いた。
あっけなく戦いは終わった。
賊は新手が来たと知ると、すぐに退く。
王も親父も、言葉少なに部屋へと戻っていった。
「セージ、無茶はするな。俺の心臓止める気か」
部屋へ戻るなりに、サディが俺へ訴える。だが、お前だけを戦わせたら、俺はきっと後悔する。
「俺は、男だ」
「ああ。そうだな」
サディが呆れたように呟くが、その瞳には子供を見守る親の様な慈愛があった。
俺はその男を引き寄せる。抱き込もうとして、腕に痛みが走った。
「痛むのか? セージ」
「まぁ、少しな」
仕方が無い。諦めるしかないか。
大人しく寝ようと、ベッドへと横たわると、俺の上にサディが乗ってきた。
「寝てればいい。今日は俺がやってやるから」
今じゃ、俺の親父より上になっただろう男なのに、サディは未だに慣れない反応を示す。
台詞は積極的だが、耳まで真っ赤に染まっていた。
「じゃ、頑張ってもらおうかな?」
こんな機会を逃すほど、俺も馬鹿じゃ無い。俺は身体の力を抜いて、サディの好きにさせた。
起きたときには、何処にいるのか判らなかった。
大きな天井材が、俺とサディの上にあるが、うまく重なり合って空間を作っている。
俺たちはお互いを庇いあうように、しっかりと抱き合ったまま、そこでうずくまっていたのだ。
「サディ、無事か?」
「ああ」
頭を振って、サディが目を開く。離れるだけの空間は無くて、俺たちは抱き合ったままだ。
一瞬、夢だったのかと思ったが、腕の痛みは引いていた。
「おおい、安芸くん、佐渡ちゃん」
「佐渡ちゃん、何処にいるんだ?」
「サド、返事しろ!」
「安芸さん、大丈夫ですか?」
大勢の声がする。どうやら、ここでは一晩しかたっていないらしい。
行方不明の俺たちを探しているんだろう。
もし、あそこでトレクジェクサへ飛ばされていなければ、確かに瓦礫の下敷きだったかもしれない。
「大丈夫です! ココにいます! サディも一緒です!」
俺は大声でその声に応えた。
ここが俺たちの場所。王の隣が親父の場所であるように。
<おわり>