思い出【ブライダルブルー】
決して結ばれないと分かっている。だが、人は恋をするのだ。何故か。
まだ、新入社員になったばかりだというのに、高校時代の同級生から結婚式の招待状が来た。
それを受け取った俺は、行こうか行くまいかひどく迷ったことは確かだ。
何故、俺に招待状などをくれたのか判らない。
花嫁も確かにクラスメイトだったが、双方とも特別親しかった訳でもなければ、大学の学部すら別だった。
華やかなカップルは、大学でも大勢の華やかな友人に囲まれていた。高校の同級生など呼ばなくとも、列席者には事欠かない筈だ。
だが、俺は迷いつつも、そのはがきに出席の印をつけて返信した。
自分の中の決着をつける為に。
そぼ降る小雨の中、行われた式は、厳かで静かなものだった。
花嫁は、長いベールをまとってはいたが、飾り気の無い身体にぴったりとした白いドレスは簡素なもので、花婿も地味なスーツ姿。
ある意味、新人らしい式と云えなくは無かったが、華やかな二人には似合わないような気がする。
「誓いのキスを」
神父が厳かに告げる中、ゆっくりと二人の唇が重なった。
「池上!」
振り向いた花婿が俺に気付いて、手を上げる。幸せそうに笑うその顔がまぶしい。
「戸越」
俺も手を上げて、微笑んだ。
花嫁が友人たちの元へと向かうのを促した戸越は、俺の元へと走り寄った。
「お前には絶対に来て欲しかったんだ」
「何故?」
絶対に、などという言葉が似合うような間柄では決して無い。俺は素直な疑問を口に上らせていた。
「お前、覚えてるか? 俺が部活引退したときのこと」
「ああ」
それならば、覚えている。確か夏の大会の予選が終わった後だ。
本選に出ることなく、戸越の夏は終わった。
誰もいなくなった体育館をじっと中庭にたたずんで見つめていた戸越の後姿は、まだ梅雨のあけきらぬ季節の雨に濡れて、消え入りそうに見えた。
「風邪ひくぞ」
思わず、そう声を掛ける。
「池上」
「大会が終わっても、全部が終わった訳じゃないだろう?」
濡れたままの戸越は、何処か捨てられた犬のような風情だった。戸越は、部活は高校までしかやらないと云っていた。最後の大会だったのだ。負けて悔しい気持ちは解る。
だが、俺たちは受験を控えていたし、それだけが人生の目標でもないだろう。
「そうだな、池上の云う通りだ」
フルフルと大型犬が頭を振って水滴を落すような仕草をした戸越に、俺はゲラゲラと笑い声を上げてしまった。
いつも華やかで自信に溢れた戸越のそんな場面は、きっと誰も目にしたことがないだろう。
その俺を舌打ちするように見た戸越は、さっさと立ち去っていく。
それが俺と戸越の唯一の邂逅だった。
「あんなこと、覚えていたんだ」
「ああ。俺、結構あのころは自棄になり掛けてた。もっとやれた筈だ、って妙な自信ももってた。だから、負けたことを認めたくなかった」
「でも、俺は」
そんなに大層なことを云った訳では無い。在り来たりすぎる言葉を掛けただけだ。
「うん。多分、池上にはそんなに意味が無いことだったんだろうと思う。でも、俺には嬉しかった。前を向かせてくれたのは池上だ」
「そうなんだ」
俺はひたすら、嬉しさを噛み締めていた。そんな風にあのことを捕らえていてくれたなんて。
「だから、俺たちの門出には、池上に祝って欲しかったんだ」
戸越が晴れやかに笑う。花嫁が手を上げて、戸越を呼んだ。
「じゃあな、また」
堂々と歩いていく背中に、あの日の戸越の後姿がダブる。あのころ、俺たちはまだ、ブレザーの制服姿だった。
ライスシャワーと、ブーケトス。
戸越たちが車に乗り込む。それを俺は教会の窓越しに眺めていた。
参列者も去った教会の中は、激しくなった雨の所為もあって、寒々しい。
俺はネクタイをほどいて、それをリボンタイのように結んだ。
高校のころ、こうして窓越しに戸越の後ろ姿を眺めていた頃を思い出す。
後ろから伸びてきた腕に、ふいに抱き閉められた。
「遅いから、心配した」
「何? 花婿を強奪して、逃げてるんじゃないかと思った?」
クスクスと笑う声は我ながら、自虐的な響きだと思う。
「お前、悲しいなら泣いてもいいんだぞ」
「うん」
俺はそのまま、男の胸に顔を埋める。
いつもは強引過ぎるぐらいの腕が、柔らかに俺を抱き締めてくれた。
<おわり>