オヤジ【秋色の・・・】
「つっかれた…」
五島がどっかりと腰を下ろす。まぁ、疲れただろうな。
さっきまで、人事やら工場やら、走り回ってたんだ。しかも、通常の営業もこなしながら。
ほこりだらけのコンクリートも構わず座り込んだ五島が、タバコを取り出すのに習って、俺も紫煙を吐き出した。
ご他聞に漏れずの不況の影響で、人事が首切りを発表したのは、昨年のこと。
誰もが仕方の無いことだと諦めを示す中、五島だけは強行に反対を表明した。
「事務やガードマンの削減は仕方が無い。だが、工場は絶対に駄目だ!」
「今は、工場だってオートメーション化されてるし、あそこはじじいばっかりじゃねーかよ。工場が一番減らしやすいんじゃねーのか?」
行きつけの居酒屋で、憤る五島を、俺は必死で宥めた。おいおい、こいつ酒乱の気があったのか?
人員の削減は、六十以上の再雇用組と、三十以下の若年層からの希望退職者。会社としては即戦力の中間層だけを残そうと云う、当たり前の措置だと俺は思っていた。
「オートメーション化だろうが、最後に残るのは、人間の目と手だ。ベテランのいなくなった工場なんぞ、何の役にもたたん」
目を血走らせて、歯を噛み締める五島の表情は、何処か鬼気迫ると云った感じで、付き合いの長い俺でさえ、ぞっとするようなものだった。
俺は奴がどっかイカレたんじゃないかと危惧したくらいだ。
だが、その五島の言葉が正しいことを知るには、半年も要さなかったのだが。
「また? ですか?」
俺の勤める部署は、生産管理部という。ここのところ、三日とあけず下請けから苦情の電話だ。
「そう、また、ですよ。困るんですよね。これで何度目ですか? 何でこんなに傷が多いんですか? うちで付いたものじゃないですよ。絶対に。お宅の工程さんに何て言い訳したらいいですか?」
下請けのお局様のアニメ声が嫌みったらしく響く。
最初は、申し訳ないんですが。といった口調だったそれも、度重なる不手際に完全にイラついたものになっている。
商社から入った受注を、下請けへの発注するのは工程だ。だが、細かな確認は下請けと商社の間で打ち合わせがなされる。下請けは、商社との打ち合わせの結果で納入した製品の状況を、工程へと連絡して、はじめて金が入る仕組みだ。
入れる品に傷が多い、反りが多い、とあっては納入状況が、はかばかしい訳が無い。
完全オートメーションで数字は間違ってない筈なのに、何でこんなに不良品が多いのか。
検査技師は寝てでもいるのかと嫌味を云われた。
「これか…!」
俺は、五島の云ったことの意味を、今になってはっきりと理解した。
『最後に残るのは、人間の目と手だ』
あれ以来、五島は人事に掛け合いながら、工場の状況を調べ、その上で営業の数字は落さないように走り回っている。
そのうち、諦めるだろうと俺は高を括っていた。俺たちサラリーマンは上の云う事に従うしかない。首を賭けてまでやるようなことは無いだろうと。
ドアを開けた営業部は、この不況下だと云うのに、電話が鳴りっぱなしだった。
電話を取った営業マンがひたすら目に見えぬ相手に向かって頭を下げる。
その中に五島はいた。
「はい、すみません。すぐに代替の手配をします!」
電話を切ると、パソコン前に陣取った女子社員に指示を出す。
「久間。丸忠さんの59材。すぐに発注掛けてくれ」
「はいッ!」
「もー、駄目っす。五島主任。俺たちが何で謝んなきゃならないんですか?」
ヒステリーを起こした新米が叫ぶ。さすがにキレたのだろう。元を正せば工場の不手際だ。
それを五島はじろりと睨んだ。
「馬鹿野郎! 営業の頭は下げて幾らだ! つまんねープライドなんざ、埋め立てて来い!」
腹まで響く怒鳴り声に首を竦めたのが、ほとんど男性社員だというのが情け無い。
「主任、そいつ、役に立たないなら、ホントに埋めてきていいですから」
女子社員の一人が、平然と云い放った。
「まったく、女の方が余程肝が座ってんな」
「主任! 工場がその納期じゃ上がらないなんて寝言抜かしてます!」
「判った。工場へ行ってくる!」
五島が軽く身を翻す。俺はその後姿を見送って、自分の部署へと戻った。
うかうかしてはいられない。
五島は本気だ。
俺はすぐさま下請けへと電話を掛け、お局様に頭を下げる。
データが要る。傷の状況と反りの出た日時。全てを洗い出すには、下請けの協力が必要だ。商社任せにしていたら、何時データがあがってくるか判らない。
数字は間違っていない。ならば、間違っているのは何だ?
ありとあらゆる状況を想定する。事務職の残業は基本的には不可だ。俺はその日からサービス残業の山を築いた。
「五島」
まだ、灯かりがついていることを確認して、営業部へと足を運ぶと、五島は机に伏したまま、眠り込んでいた。うっすらと無精髭の残る顔には、疲れが堪っているのか、目の下にくまが出来ている。
揺すっても起きないことを確認して、俺は五島の額へと唇を寄せた。
同期入社で、やってきた同僚。俺は管理へ、お前は現場で接点は無くなって来たけど、俺はずっとお前が…。
「うん? 坂下?」
「ああ。何だ?」
なんでもないフリで、返事を返す。
「すまん、寝込んでたみたいだな」
「珈琲でも飲むか?」
廊下の端の喫煙所に自動販売機があった。
「お前、ブラックだろ?」
「いや、ミルクと砂糖入れてくれ。胃が痛い」
「ストレスじゃねーの?」
言い置いて、珈琲を買いに行く。さりげなく五島の目に付くところへと厚みのあるファイルを置き去りにしてきた。
「お前、これ…」
「傷と、反りのデータだ。出来る限り集めた。それと、それに対する工場の退職者の意見書も添えた」
珈琲を買って戻った俺を見た五島は呆然としている。
「工場へは明日その意見書を持って、生産管理の方から今の生産方法を変えさせる」
「お前、そんなことしたら…」
「俺の首、お前に賭けるからな」
これでしくじったら、俺は確実に首が飛ぶ。
だが、お前だってそうだろう。それを覚悟で人事へ陳情している筈だ。退職者の復職を。
「一蓮托生だ」
俺が笑うのに、五島も笑おうとして果たせなかった。泣き笑いの妙な面になっている。
「馬鹿野郎。お前が泣いてどうするよ。この間の勢いはどうした? プライドなんざ、埋め立てるんだろ?」
「聞いてたのか?」
五島は鼻をすすりながら、笑った。
「カッコよかったぞ。惚れるぜ」
「お前に惚れられてもな」
顔を見合わせて笑う。五島の顔は最高に男前だった。
「あのとき、お前が首を賭けてくれたから、俺は頑張れたんだ」
五島がタバコを燻らしながらぽつりと呟く。
「でなきゃ、途中で諦めてた」
「俺は分の悪い賭けはしねーよ」
お前があそこで踏ん張ってなきゃ、俺は何もしなかった。お前の功績だ。
「なぁ、坂下」
「んー?」
「お前、俺に惚れてるだろ?」
「ああ。惚れてるぜ。そう云っただろ?」
何を今更。
「いや、そうじゃなくて、俺とやりてーくらい惚れてんだろ?」
思わず、煙草に咽た。
「じょーだんキツイぜ?」
「女房がな。今度の件で首賭けるっつったら、勝手に賭けないでって怒って出てった」
淡々と言葉を綴る五島に、俺の方が唖然、呆然だ。
「只今、離婚調停中。ひと月も経てば、ひとりもんだ」
「早まんな! 今回は上手くいったじゃねーか。奥さんに謝って来いよ」
「いや、何時、同じことされるか判らないってさ」
五島の性格では確かにそうだ。俺は同期の中でもキツイ性格だった五島の女房の面を思い浮かべて、げんなりした。読みが正確だ。付き合いの長さは伊達じゃない。
「で、俺に貰ってくれとでも云う気か?」
「ま、こんなオヤジでよければだけどな」
馬鹿野郎。本気にするぞ。
俺は五島の口にくわえた煙草をもぎとるようにして、唇を重ねる。
態と舌までねじ込んでやった。
五島の反応は鈍い、筈だ。
「寝るなよ。馬鹿野郎」
俺はアキアカネの飛び交う屋上で、煙草を燻らす。
隣には惚れた男が眠ってる。
「悪くないかな」
首を賭けた代償は、意外な重さで返って来た。
<おわり>