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メガネ【小春日和の中で】

クラクションが鳴らされた。

日曜の朝の寮の部屋。

恋人兼同僚の部屋で目覚めるのが、俺の通例になっている。

疲れているのか、ぐっすりと眠る恋人の腕から抜け出して、枕もとのメガネを探る。

窓のカーテンを開けると、下にメタルグレイのセルシオが停まっているのが見えた。

営業部の渥美部長の車だ。

「ああ。そうか」

思いついて、俺は窓を開け、渥美部長に声を掛けた。俺はコンペでよく営業部に借り出されるので、渥美部長とも顔見知りだ。

「おはようございます」

「おはよう、葛西」

渥美部長が軽く手を上げる。部長は、苦みばしったとでも云うのだろうか、渋い感じのいい男で、動作がいちいちキマっていた。

「鈴木さんなら、まだ寝てますよ。きっと」

渥美部長は、同じ営業部の鈴木さんとは、大学の先輩後輩の間柄だそうで、週末はほぼ一緒に過ごしている。

今日だって、絶対に来るだろうとは思っていた。

「昨日、遅くまで荷物まとめてましたから」

おもむろに渥美が肩を落としたのが判って、俺は声を上げて笑ってしまった。

「杏?」

ベッドから声が掛かる。どうやら、目を覚ましたらしい。

「渥美部長。どうやら、お迎えらしい」

「昨日、鈴木さん。あんなに遅かったんだぞ。起きてる訳ないだろ」

起き上がって、枕元に置いた細身のメガネを掛け、ジーンズとシャツに袖を通す。俺も右に倣ったとき、ノックの音が響いた。

「セクハラ野郎のお出ましだ」

康利がおもむろに嫌そうな顔をする。

渥美部長は、セクハラ部長としても有名だ。老若男女拘わりなく、あれこれ触りまくるが、即座に反撃するようなタイプしか相手にしない。まぁ、一種のレクリエーションだが、触られる方は、たまったもんじゃ無い。

ドアを開けて、渥美部長を招き入れた。

「しばらくは起きませんよ。昨日、何時だったっけ?」

「午前二時にはまだ音がしてた」

「午前二時? 何だってそんな時間まで」

渥美部長をテーブルへと促し、康利が自慢のコーヒーを入れる。

確かに、そんなに宵っ張りでも無い鈴木さんが何でそんな時間までと思うかもしれないが、今日は仕方が無いだろう。

「今日で鈴木さん、寮を出るんでしょう?」

まさか、渥美部長が知らない訳は無いよな???

「ああ。だから、迎えに来たんだが。あいつの荷物なんて、本と着替えくらいだろう?」

いや、確かにそうだけど。本の整理って意外と時間掛かるんだよな。

「でも、鈴木さんって、そういうの神経質そうじゃありませんか?」

康利の意見には俺も賛成だ。

「ああ、だろうな。手伝いも断られた」

さもありなん。鈴木さんの線の細い神経質そうな顔を思い浮かべて、俺はうなずいた。

「かといって、そのままって訳にもいかないだろう。とりあえず、これ、飲んだら荷物運ぶから手伝ってくれないか?」

肩を落とした部長に同情はするが、あんなものぐさを絵に描いたような人相手だ。学生時代からなら、諦めも入っているだろう。



「義彦?」

声を掛けた部長が、薄くドアを開ける。俺たちの二階上に位置する鈴木さんの部屋は、一番上の角部屋。元は寮監の部屋だったらしく、この独身寮で一番広い部屋だ。

ドアを開くとミニキッチンと、居間。そこには人の気配は無い。

奥のドアを開けると、部屋の真ん中で、鈴木さんが倒れていた。

「義彦!」

駆け寄って、抱き起こした渥美部長の肩が、がっくりと落ちる。

あ、もしかして。

「熟睡しているだけだ」

やっぱり。だと思ったんだよな。まとめられているので、布団も無いベッドに、部長は鈴木さんをゆっくりと横たえた。本人は無自覚・無意識だが、ものすごく綺麗な人だ。眠っている横顔は、まるで眠り姫を連想させる。ただし、顎の無精髭が無ければ、だけど。

ダンボールの山は、確実に本だ。宅配便の箱に、10個ほど。

「これ、部長のセルシオに積むんですか?」

「ああ。悪い」

「いいよ、俺が運ぶ。杏は他の荷物が無いか、確認してくれよ」

康利がそう云って気を使ってくれるのが面映い。俺は女の子じゃないとは思うけど、やっぱり大事にされているようで、嬉しかった。

部長と康利が本を運び出す。

部屋の中は綺麗に片付いている。元々、料理などしないのだろう。キッチンの中は空っぽだ。冷蔵庫とトースターは寮の備品だし、布団は大型ゴミに出すつもりなのか、ゴミシールが張ってあった。

大抵のものは出し終わったらしい。本を積んだダンボールと、ノートパソコンがあるだけだ。

「几帳面って云うよりは、面倒でモノが無い類だな。これは」

後は、造り付けのクローゼットの中身だ。

引き出しの中は、空っぽ。横に小さめのダンボールがあるところを見ると、この中身が服の類だろう。ところがクローゼットの上を開くと、スーツが掛かったまんま。

しかも、一点一点が全部セットになっている。

「何かあったか?」

クローゼットの前で、あんぐりと口を開いた俺を見た部長が声を掛けてきた。俺がひとセット取り出して見せると、またしても部長ががっくりと額を抑える。

「悪い。葛西、笠置。使って悪いが、荷物下に降ろしておいてくれないか」

どうやら、鈴木さんはそのまま後部座席にでも放り込むつもりだと見たが、こんないいスーツをそれはどうだよ。

部長は荷物を俺たちに任せて、車を出した。行き先は、多分坂の下にある住宅街の大きなスーパーだろう。スーツ用のケースを買ってくるつもりだと見た。

「荷物運ぶか」

「うん」

俺たちは二人でバケツリレーの要領で、俺が部屋の入り口まで、康利が階段下まで、次は俺がもう一階下まで、康利が寮の玄関までと繰り返し、数十分もしないうちに、荷物を運び終わる。

そうこうするうちに、部長が戻ってきて、俺はスーツを、ひとつひとつ袋へ入れた。これだけバタバタしていると云うのに、鈴木さんはまったく目を覚ます様子は無い。

本は、トランクと後部座席の足元。その上にスーツを乗せる。

部長は、助手席をリクライニングさせ、これまた鈴木さんを抱えて降りてきた。ゆっくりと横たえて、シートベルトを締めた。

「すまんな。助かった。これで飯でも食ってくれ」

部長は俺たちに一万円札を握らせて、ゆっくりと車を発進させる。これはかなり気を使っているな。

「振り回されてるね。あれは」

「まぁ、それがいいんだろ」

去っていく車を見送りながら、俺は何度もため息を付きつつ、それでも壊れ物のように鈴木さんを抱えていた渥美部長の幸せそうな表情を思い出し、クスリと笑った。

「やっちゃん、何処に何食べに行く?」

振り向いた先で、康利が笑う。

小春日和の引越し日和。



<おわり>

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