可愛い攻め【いつか雨が止んだら】
「先生が好きです」
拙い告白。淡い想い。
だけど、僕は本気だった。
先生と一緒にいたくてまとわりつき、先生のことを独り占めしていい気になっていた。
それが、憶測が憶測を呼んで、いつの間にか噂に踊らされるように先生は移動を余儀なくされていた。
僕の所為だ。
はじめての恋に浮かれて、禁忌など笑い飛ばしていた。
それが、大人の先生をどれだけ苦しめるかなど考えもせずに。
誰もいなくなった礼拝堂の窓際。
たたきつけるような雨は、僕を責めているかのようだ。
ぼんやりとしていた僕の後ろから、そっと大人の腕が僕を抱き締める。
腕の主が誰であるかなんて、声を掛けられなくとも判った。
いつも黙って僕を受け入れてくれた。
「もし、君が学校を卒業しても、俺のことが好きなら、もう一度告白して欲しい」
僕の告白もはねつけることも簡単だった筈なのに、きちんと答えをくれた。
一時の気の迷いと決めつけ、誤魔化す事だって出来た筈だ。
でも先生は決してそんなことはしない。真っ直ぐで、真面目で。
僕の好きになった唯一のひと。
「結局は君を苦しめる事になってしまった。すまん」
何で先生が僕に謝るの? 考えが足りなかったのは僕の方なのに。
「先生」
頬を涙が伝う。
ただひたすら、外を降る雨の行方ばかりを追う。
振り向くことなど出来なかった。
「すっかり片付いてるんですね」
「ああ。引越しは明日だ」
涙を流す僕を、先生はひたすら抱き締めていた。
こんな場所で、誰かに見つかれば先生は今度こそ辞めさせられる。
そう判っているのに、僕は先生の腕に甘えることしか出来なかった。
やっと涙が止まったときには、雨はすっかり止んでいる。
先生は、僕を片付いた先生のアパートへと連れて行ってくれた。片付けられた部屋にはベッドと空になった三段ボックス。後はダンボールの山ばかりだ。
「俺がはっきりしなかった所為で、君にも迷惑を掛けた」
先生が頭を下げる。
情けなさにまた涙があふれた。
「泣かないでくれ。君を泣かせたい訳じゃない」
肩を抱き寄せられる。
先生、そんなことをすると、僕はきっと誤解をするよ。
顔を上げると、涙で濡れた視界に、先生の心配そうな表情が見えた。
僕は衝動のままに先生に口付ける。
これで、最後だ。
明日で、先生とは会えなくなる。
幼いキス。なのに、先生は僕の背中へと腕を回した。
「先生、慰めてください。大人なら判るでしょう?」
無茶なことを云っている自覚はあった。
先生は受け止めてくれただけだ。応えてくれている訳じゃない。
でも、僕が体重を掛けると、先生はふっと笑ってそのまま床へと倒れこむ。
「先生…」
「君がそれで泣き止んでくれるなら」
僕はたまらなくなって、先生の唇へもう一度キスをした。
翌朝、引越しの業者が来た音で目が覚める。
「ほら、起きなさい。もう時間だ」
一瞬、夢だったのかと思った。先生は夕べのことなど無かったかのように笑っている。
業者が荷物を積み込むのに、先生はてきぱきと指示を与えていた。
ジーンズとシャツだけの、先生の私服姿。それも今日で見納めだ。
ああ、スーツ姿だって昨日で見納めだったんだ。もっと焼き付けておけばよかったと、今更ながらに思う。
業者がトラックに荷物を積み終え、先生はかちりと鍵を掛けた。
これでさよならだ。一夜の思い出だけで、あの人は遠くに行ってしまう。
「見送り、ありがとう」
先生が微笑んだ。泣きそうになるのをぐっと堪える。
「君が泣き止んでくれるなら」
そういった先生の姿が、見送る後姿にダブった。
「先生」
「告白ありがとう。俺も君が好きだ」
振り向き様に、そう云った先生の顔に、悲しげな色が浮かぶ。
それきり、先生は僕の前から姿を消した。
あれから、六年が過ぎた。
教師になった僕は、はじめての転勤を迎える。
どうしても、そこで教師になりたくて、ずっと申し出ていた先だ。
門をくぐると、ちょっと前に出勤したらしい先輩教師の後姿がそこにある。
忘れられないその後姿に、僕は出そうになる涙を堪えて、声を掛けた。
「先生!」
<おわり>