第三十七話 信頼できぬ援軍
伊勢北勢。
後の世で、桑名から四日市、鈴鹿と呼ばれる地。
芋粥勢が踏み込んでから、すでに数日が経っていた。
だが――
戦らしい戦は、起きていない。
村は静かだ。
城と呼べるほどの城もない。
姿を見せるのは、
弓を持った農兵、
槍を担いだ国人の郎党――
それも、数十ほど。
当たる前に、散る。
追えば、消える。
囲めば、逃げる。
(……手応えがない)
秀政は、馬上から周囲を見渡す。
林は深く、
田畑は入り組み、
川と川の間に、
逃げ道はいくらでもある。
「また、逃げましたな」
清隆が、低く言った。
「追いますか?」
「いや」
秀政は、首を横に振る。
「追うほどの価値がない」
事実だった。
追撃すれば、
一人二人は斬れる。
だが――
それで何かが変わる気配は、ない。
「……らしい戦だな」
村瀬が、周囲を睨みながら言った。
「らしい?」
「小勢が散って、
逃げて、
また集まる」
「正面から当てさせず、
消耗だけを積ませる」
「――伊勢の国人らしい」
秀政は、内心で頷いた。
(確かに、戦巧者ではないが、
“負けない戦い方”は知っている)
だが、それは――
こちらが主導権を握れていない、ということでもある。
(……このままでは、終わらん)
功は立たず、
疲れだけが溜まる。
「……このままでは埒が明かぬ」
前方から、低い声がした。
滝川左近一益だった。
馬を止め、
戦場全体を見渡しながら、
淡々と告げる。
「桑名へ入る」
「軍議を開く」
その言葉に、
周囲の将たちも頷いた。
秀政も、異論はなかった。
(誰かが、次の手を打つ)
(……そうでなければ、
この戦は、
ただの消耗戦になる)
だが――
(どんな手が出るかは、
まだ分からん)
胸の奥に、
言葉にならない違和感が残る。
*
桑名。
伊勢湾に面した要地。
街道と水運が交わるこの地に、
簡素な陣屋が設けられた。
主要な将が、そこに集められる。
上座に、滝川左近一益。
その脇に、丹羽五郎左長秀。
そして――
軍奉行、佐久間久六盛次。
秀政は、
那古野勢五百を率いる将として、
一段控えた席に座した。
(……さて。
ここで、
何が決まる)
嫌な予感が、
静かに、
確かに、
胸に広がっていた。
*
小競り合いの報告が終わり、
空気が一段落したところで――
佐久間久六が、口を開いた。
「このままでは、きりがありませぬな」
落ち着いた声だった。
「小勢を追えば逃げ、
村を押さえれば散り、
討ち漏らしが増えるばかり。
散っている限り、決着がつかぬ」
滝川が、ゆっくり頷く。
「左様だな」
丹羽も、穏やかに言葉を添える。
「兵站の面から見ても、
この形は好ましくありませぬ。
細かな動きが多く、
兵糧の消費が嵩みます」
秀政は、内心で同意していた。
(その通りだ。
相手が烏合の衆である以上、
結集させて叩くのが、
最も早い)
さりげなく各将の評定を確認する
(問題は――
どうやって集めるか、だ)
佐久間久六は、
一拍置いてから、続けた。
「ゆえに――
敵を、集めては如何でしょう」
滝川一益がそれに続ける。
「一度まとめて――
叩く」
陣屋の中が、静まる。
誰も反対はしなかった。
滝川がゆっくりと口を開く。
ここまでは、決められた路線だ。
「具体策はあるか?」
「はい」
佐久間久六は、
広げられた地図を指し示した。
「ここ――
朝明川下流域」
現在の四日市にあたる地だ。
「この辺りで、
先行して陣を張る」
秀政は、地図を見つめる。
(川沿い……
吉とも凶とも――、
どちらも起こりやすい)
佐久間久六が、
淡々と続ける。
「先行するのは、
五百」
秀政は、
その数字に、わずかに眉を動かした。
佐久間久六は、
平然としている。
「小勢による威圧です」
「伊勢の国人から見れば、
五百は――
結託すれば圧倒できる数」
そこまで言い切ると、
滝川に目を向け、さらに続けた。
「奴等の勝機は各個撃破のみ。
絶好の機会と映るでしょう。
必ず、寄り集まってきます」
滝川が頷きつつ、さらに追加した。
「精強な織田は進軍も早い。
集結開始と同時に動けば、
奴らが考えるよりも早く
駆け付けられる」
丹羽も穏やかに言葉を添える。
「五百が攻められる前に本隊が合流し、
野戦に引っ張り出せるというわけですな」
秀政の胸に、
小さな引っかかりが生まれる。
(……理屈は、通る。
通るが……)
佐久間久六は、
最後まで言い切った。
「左様です。
川を挟んで野戦に持ち込み、
一気に殲滅する!」
沈黙。
作戦としては、
実に分かりやすい。
理に適い、
無駄がない。
秀政も、
頭では理解できていた。
(……悪くない
いや、
むしろ、
正攻法だ)
だが――
(嫌な予感しかしない)
胸の奥に、
小さな不安が残る。
滝川が、静かに口を開いた。
「……なるほど。
合理的だ」
丹羽も、頷く。
その反応を見て、佐久間久六が
畳みかけた。
「敵を一度に叩ければ、
この戦は終わるでしょう。
五百の先陣ですが、
軍奉行として、
芋粥殿を推薦する」
佐久間久六は、一度秀政を見つめた後、
滝川に向けて一礼した。
「ご裁可を」
滝川は、少し考え――
やがて、決断した。
「よし。
その策で行く。
芋粥殿、良いな?」
その瞬間、
秀政の胸の奥で、
言葉にならない感覚が、
わずかに揺れた。
(……そうきたか!
五百で三千を、野戦で引き付ける。
これは……仲間を、援軍を信頼せねば
立ち行かん話だ)
ゆっくりと滝川左近と佐久間久六の顔を見る。
(信頼……できようか?)
そう、自問した
焦りを見抜いてか、
佐久間久六が慇懃な態度で語り掛けた。
「殿のご期待を一身に背負う、
昇り龍の芋粥殿であれば、
造作もなきこと。
はっはっは」
(なるほど……やれんといえば
これは信長に筒抜けるか。
秀吉との競争にどう影響するか)
「……承った」
(考えても仕方がない。
この軍は滝川一益が総大将だ。
一益は俺のお気に入りだった。
こいつの采配に賭ける)
この時点では――
まだ。
秀政は浮かない顔で自陣に戻る。
それに気づいた清隆が心配そうに問いかけた。
「殿、いかがなされた?」
簡潔に説明をすませる。
「……囮ですか。
佐久間右衛門の差し金でしょうか」
清隆が意味深に発言する。
「ん?右衛門?」
「殿は佐久間様を少々見くびりすぎかと」
「いや、懐柔費も安くないからな。
まさか、それを根に持って?」
渋い顔をしたまま清隆が返した。
「はい、人の心とはそういうものです。
佐久間様は特に保守的で嫉妬深いお方かと」
「そうか、それは失策だったか。
となると――」
「はい、これは死地です」
「……現地で策を練ろう。まずは急ぐぞ。
敵が結集するまでに良策を挙げるしかない。
最悪、味方がおらんことも覚悟してな」
「はい……」
「村瀬。
乱戦になれば、俺を守れ」
「は、承知」
「俺は刀を振らん。
指揮に徹する。
俺の命はお前に預ける」
(振らんのではなく、振れん。
おそらく鎧に叩きつけて一発で刃こぼれするわ)
「村瀬兼良の名、ここで轟かせよ」
「はは!」
「いくぞ、朝明川だ!」




