第三十五話 敵は、伊勢にあらず
清洲城。
広間には、鎧の擦れる音と、
低く抑えた声が満ちていた。
軍議である。
上座には、
家老・佐久間右衛門尉信盛。
その脇に、林佐渡守秀貞。
左右に、名のある武将たちが居並ぶ。
秀政は、
末席に座していた。
(……清洲での軍議か)
那古野城代となってから、
初めて正式に呼ばれた場。
だが、
扱いは変わらない。
城代であろうと、
足軽大将格は足軽大将格だ。
「――静まれ」
佐久間右衛門の声が、
広間を制した。
ざわめきが消え、
空気が張り詰める。
「此度の出陣について、
伝える」
地図が広げられる。
「伊勢、北勢一帯」
林佐渡が、淡々と補足する。
「小規模な国人衆が、
なおも従わず、
年貢、人足を渋っておる」
佐久間右衛門が付け足す。
「それにだ。
ここを押さえる事は、
織田家にとって伊勢湾の制海権と
商業流通路の確保にも繋がる」
林佐渡も頷き、続ける。
「この北勢一帯、いずれも、
大軍を動かすほどの相手ではない」
佐久間右衛門が、
静かに言葉を継ぐ。
「だが――
放置すれば、
不穏の芽となる」
「よって、
此度は平定する」
簡潔な宣言だった。
秀政は、内心で頷く。
(掃討戦だな)
戦というより、
力の誇示。
だが、
油断すれば足を取られる類の戦だ。
「陣容を告げる」
林佐渡が名を読み上げる。
「総大将――
滝川左近一益。
兵二千」
滝川が、静かに一礼する。
「副将 兵站奉行 兼 軍目付――
丹羽五郎左長秀。
兵五百」
丹羽は、
いつも通り穏やかな笑みを浮かべた。
「副将 軍奉行――
佐久間久六盛次。
兵一千」
若いが、
佐久間家の中核。
参謀役として参陣だ。
久六が背筋を伸ばす。
「副将 那古野勢――
芋粥弥八郎秀政。
兵五百」
一瞬、
視線が集まる。
秀政は、
静かに頭を下げた。
「は。
謹んで」
(順当だ)
突出も、軽視もない。
無役、那古野勢――
つまり、ただの兵力。
それが、
この場での正解だった。
「以上だ」
佐久間右衛門が言い切る。
「各々、
出陣の準備にかかれ」
その時だった。
「一つ、よろしいでしょうか」
滝川左近が、
穏やかに口を開いた。
佐久間右衛門が、
視線を向ける。
「申せ」
滝川は、
広げられた地図を指でなぞりながら言った。
「北勢四十八家と申されておりますが、
実際のところ――
五十三家ございます」
広間に、
わずかなざわめき。
「それぞれが集められる兵は、
三十、良くて百や二百ほど。
千草氏のような大物でも、
三百が限度の、
諸氏寄り合い烏合の衆」
滝川の声は、
淡々としている。
「結託すれば、
二千から三千は出てくるやもしれませぬ」
一拍。
「――ですが」
滝川は、はっきりと言った。
「恐るるに足らず」
重臣たちの顔に、
納得の色が浮かぶ。
「諜報は、
すでに入っておるようだな。
見事だ、左近」
「は!
奴らの動きは鈍く、
連携も取れておりませぬ。
速やかに当たれば、
崩れましょう」
佐久間右衛門は、
静かに頷いた。
「よく調べておる」
滝川は一礼する。
「以上です」
軍議は、
それで終わった。
武将たちが立ち上がり、
各々が寄り合い、
戦について語っている。
秀政も席を立った。
居心地の悪さを感じて、
すぐに退出する。
(さて……
どんな役が回ってくるか)
*
広間に残ったのは、四人だけだった。
佐久間右衛門尉信盛。
滝川左近一益。
佐久間久六盛次。
そして、少し離れて控える林佐渡守秀貞。
「ふむ……」
佐久間右衛門が、地図を指で叩いた。
「此度の伊勢北勢、
力押しで片が付く相手ではない。
小勢が散らばり、
逃げ、隠れ、
また集まる。
まるでかがり火に集る、
羽虫を潰さんとするもの」
久六が、静かに頷く。
「正面から叩いても、
決着がつきにくい。
兵を遊ばせると、
却って被害が出ましょうな」
「そうだ」
佐久間右衛門は、
淡々と続けた。
「だから――
策を打て」
滝川が、視線を上げる。
「策、ですか?」
「うむ」
佐久間右衛門は、
何でもないことのように言った。
「芋粥の五百を前に出せ、
突出させよ。
あれを餌に見立て集らせよ」
餌という言葉に、滝川左近が微かに反応した。
「北勢の国人どもは、
群れて気が大きうなっておる。
五百の兵であれば、
勇んで食い荒らさんとするだろう」
久六が、
すぐに理解したように言葉を継ぐ。
「国人どもを集わせてから叩く――
ということですな?
芋を、囮に……」
佐久間右衛門は、表情を変えずに
否定も肯定もしない。
「囮という言い方は、
少々、語弊がある。
前線での働き、
と言っておこう。」
一拍。
「功に飢えるあ奴なら、喜んで働くだろう。
出来ぬなら――」
言葉が、
わずかに切れた。
「……那古野城代も、
それまでということだ」
佐久間久六が、
小さく息を吐く。
「試す、というわけですな」
「そうだ」
佐久間右衛門は、
あくまで平然としている。
「城を預け、
兵を持たせた」
「ならば、
使いどころも見ねばならん」
「出来れば、才」
「出来ねば――
それもまた、才の内」
林佐渡は、
何も言わず、
視線を伏せた。
「軍奉行として、
軍議にて発案してみせましょう」
佐久間久六がしっかりと言い放った。
滝川は、
しばし沈黙し――
やがて、静かに頷いた。
「……総大将として、
承りました。
芋粥殿には、
前線を任せましょう」
佐久間右衛門は、
満足そうに、
ほんの僅かに口角を上げて、
心中で呟く。
(芋め、愛知郡の代官を解任した上に、
柴田殿には刀を贈り、わしのことは完全に
無視しておる。
痛い目にでもあうが良いわ!)
「頼むぞ、滝川殿」
「此度の戦、
派手さは要らん」
「ただ――
家中が納得する“結果”を」
滝川は、
一礼し、踵を返した。
(ふん、囮も餌も変わらん。
陰湿な輩よ……)
*
廊下を歩きながら、
滝川左近一益は、
心中で呟いた。
(……試す、とは
よう言うたもんだ)
出る杭は、
打たれる。
それも――
表立ってではなく、
「役目」という形で。
(潰す気が、
垣間見える)
芋粥弥八郎。
内政屋。
頭で動く男。
(さて……
あやつは、
どこまで抗えるか)
滝川は、
ふっと息を吐いた。
(出る杭か……
我も、気をつけねばな)
戦は、
敵だけを見ていればよいものではない。
清洲城の外では、
春の風が吹いていた。
だが――
この出陣には、
見えぬ刃が、
すでに仕込まれていた。




