第二十七話 芋粥家臣団
秀政は数日ぶりに伊賀から戻った。
門をくぐった瞬間、家の灯りがほっと胸を緩める。
「弥八様!」
先に気づいたのはお悠だった。
その後ろから、小さな足音が二つ、ぱたぱたと近づく。
「ちちさまー!」
「おかえりなさい!」
明と蘭が勢いよく飛びついてくる。
「おっと」
秀政は膝をつき、二人をまとめて抱き上げた。
「ただいま。留守番、ご苦労だったな」
「ちちさま、いがはこわかった?」
「おばけ、いた?」
「……いたな、こーんなのがっ!」
怖い顔で答えると、二人はきゃっと声を上げて笑った。
その様子を見て、お悠が少しだけ安堵したように微笑む。
「無事で何よりです。
お食事、もうすぐ整います」
*
久しぶりに家族そろっての夕餉だった。
湯気の立つ椀。
素朴だが落ち着く味。
明と蘭は途中で眠くなり、
お良に連れられて奥へ下がっていった。
静かになった座敷で、お悠が箸を置く。
「弥八様」
「ん?」
「東西南北の代官の件ですが……
父がすでに選定を終えております。
あとは任命下されば……」
秀政はわずかに眉を上げた。
「もう、か」
「はい。
いずれも千種屋の主力番頭でございます」
「……全員か」
「はい」
少し間があった。
望んだことではあるが――
千種屋の影が愛知郡の内政を覆いすぎる。
それを秀政は気にしていた。
「説明してくれ」
お悠は頷き、一人ずつ名を挙げた。
「まず――
東区代官・清六」
「調停と交渉が得意で、
村落同士の争いをまとめることに長けています。
年寄衆からの信も厚く、東の安定化には最適かと」
秀政は静かに頷く。
「次に――
西区代官・権兵衛」
「こちらは威圧と治安。
睨みを利かせるのが仕事の男です。
不正の芽を最初から潰す役目に向いています」
「西は荒れやすい。
適任だな」
「南区代官・弥市」
「数字に強く、検地と年貢管理が得意です。
水利の調整も任せられます」
「南は銭が動く。
間違えられん場所だ」
「最後に――
北区代官・与三郎」
「帳面整理と情報管理。
人と物、銭の流れを記すことに長けています」
「……情報屋向きか」
「はい。裏表の動きを把握する役です」
説明が終わる。
秀政はしばらく黙ったまま考え込んだ。
全員、千種屋の番頭で、
能力は折り紙付きだ。
――だが。
「……このままでは千種屋色が強すぎるな」
「はい」
お悠もそれは理解していた。
「だから、決めた」
秀政ははっきりと言った。
「全員、武士に取り立てる」
お悠が少し驚いた顔をする。
「それと同時に――
商人としての立場から切り離す」
「……名字と諱を、お与えになるのですね」
「あぁ」
秀政はひとりずつ名を口にした。
「清六は――
泉川清允」
「権兵衛は――
荒木重直」
「弥市は――
南條利昌」
「与三郎は――
木曾与英」
名前を与える、ということ。
それは責任と首を差し出させるということでもある。
「商人の番頭ではなく、俺の家臣として立たせる」
秀政は遠くを見つめた。
「千種屋のためではなく、愛知郡のために働かせる」
(建前はな……本音としては千種屋を肥えさせればいい。
言わなくても義父殿は上手くやる)
お悠は静かに頭を下げた。
「……心得ました」
「内政はこれで回る。
そうだ!義父殿も武士に取り立てる」
「父もですか?」
「千種屋松兵衛、改め、俺の“政”を与える。
千種政成だ」
「千種政成……“政”を偏諱いただけるとは父も喜びましょう」
「一門衆として、家老になってもらわねばならんからな。
ここに武家千種が立ち上がる」
「はい」
「義父殿には次男もいたな」
「はい、弟の松千代はまだ十四です」
「武家の千種にも跡継ぎが必要だろう。
元服させて、武家に取り立てる。
千種松親だ」
「まぁ、松千代までも
取り立てていただけるのですか?」
「あぁ、俺には信用できる家臣が一人でも多く必要だ」
秀政は湯呑を手に取る。
「義父殿は引き続き大旦那を兼ねると良い。
だが、ようやく――
俺にも“家臣団”ができたな」
それは戦で名を上げる家臣ではない。
だが――
国を動かすために、欠かせぬ者たちだった。
こうして芋粥弥八郎秀政は刀ではなく、
人と仕組みで戦うための――
最初の家臣団を手に入れた。
*
翌日。
郡代代官所は朝から慌ただしかった。
新代官たちの出仕。
帳簿の入れ替え。
引き継ぎの確認。
内政が動き始める音が建物全体に満ちている。
そんな中――
「……浪人が一人」
門番が少し困ったように報告してきた。
「娘を連れておりまして、仕官先を求めていると」
秀政は眉をひそめた。
「断れ」
即答だった。
「今は余計な者を入れる時ではない」
郡代に就いたばかりだ。
探り、売り込み、成り上がり狙い――
この手の者はこれから嫌というほど現れる。
「それが……」
門番が言いにくそうに続ける。
「阿拝殿の紹介だと申しておりまして。
書状を預かっております」
「……阿拝?」
秀政の手が止まった。
差し出された書状を見る。
間違いない。
伊賀で契約した藤林阿拝家――
その阿拝監物清常の名だ。
秀政は露骨に嫌そうな顔をしてみせた。
「……とりあえず、話だけは聞いてやる」
(おぉ!来た来た!)
「中へ通せ。ただし、別室だ」
*
通された部屋は、普段使われていない簡素な一室。
そこに現れたのは――
擦り切れた旅装の侍と、
その背後に立つ十五歳前後の少女。
「浅野五郎兵衛清隆と申します」
男は深く頭を下げた。
「こちらは、耀」
少女も無言で一礼する。
秀政は先ほど見せた、
嫌そうな顔とは一転して満面の笑みで出迎えた。
「……阿拝殿は、早いな。
もう、派遣してきたのか」
浅野は顔を上げた。
「はい」
「それがしが、
今回の任務において――
頭と師範を務めさせていただきます」
秀政が満足そうに頷く。
「……浅野殿が中堅の忍か?」
「はい。
阿拝家において、頭領を除けば二人しかおらぬ“中忍”の一人にございます」
(……なるほど)
秀政は内心で頷いた。
(忍を“家臣”として送り込む。
そういう建前か)
「ん?……待て」
ふと引っかかる。
「阿拝家は中忍の家格だ。
中忍は頭領一人のはずだが?」
浅野は少しだけ口角を上げた。
「それがしの真の名は――
阿拝五郎兵衛清孝。
監物清常の弟にございます」
「……」
秀政は即座に言った。
「いくら身内とはいえ、三十貫より多くは払えぬぞ?」
「もちろん」
浅野は即答した。
「三十貫の約束。
それ以上は一文たりとも頂きませぬ」
(……本来、中忍なら百貫は下らぬ。
三十貫で“弟”をよこすか)
再び笑みがこぼれる。
(よほど阿拝殿に気に入られたな)
「今のそれがしは――
中堅忍の浅野五郎兵衛清隆」
浅野は淡々と言った。
「その名で芋粥家に仕えます」
秀政は短く頷いた。
「分かった。
浅野殿を我が家臣とする」
真面目な顔に戻って命じる。
「名目上は家臣。
裏では――
忍調略を一任する」
「かしこまりました」
「……その娘は?」
秀政の視線が耀へ向く。
「ご息女か?」
「いいえ」
浅野は首を横に振る。
「血の繋がりはございませぬ。
十貫の若手の一人にございます」
少女が一歩前へ出る。
「耀にございます」
「……」
秀政はまじまじと見た。
「この耀は短刀の達人」
浅野が言う。
「この者に勝てる者は、
そう多くはおりませぬ」
「……そうは見えぬが」
「忍とはそう見えぬことこそ力にございます」
浅野は静かに続けた。
「我が娘として、芋粥家の侍女にしていただきたい」
「秀政様、奥方様、そしてお子様方の身の安全を――
この耀が常に守ります」
秀政は少し考え――
「それはありがたい!」
と率直に言った。
(俺は武力も統率も低い地味武将だ。
身辺警護は最優先事項だ)
「他の者は?」
「三名。
時をずらして参ります」
浅野は淡々と説明した。
「まず――
聞き耳の達人、市助。
旅籠、茶屋、人の集まる場所で自然に情報を集めます。
伊賀では“耳の市助”と呼ばれております。
次に――
目利きの弥平。
荷の量、人の動き、村の変化を一瞬で見抜く“見る忍び”。
最後が――」
一瞬、間があった。
「影潜りの忍び、霧隼。
旅芸人にも、農夫にも僧にも化けられる。
顔に特徴がなく記憶に残らぬ。
伊賀でも珍しい潜入専門の忍びにございます」
浅野は最後に付け加えた。
「兄に言わせれば――
“こいつは五十貫はする”と」
秀政は内心で息を吐いた。
(……完全に元は取れすぎだな。
若手どころか精鋭じゃないか)
「よし」
秀政ははっきり言った。
「受け入れる」
「これで――
表と裏、両方の家臣団が揃った」
浅野は静かに頭を下げる。
「清隆、忍仕事だけでは手が余ろう。
俸禄も上乗せする。
我が家臣として侍働きもしろ」
「は、その方が普通らしく見えますな」
「当家の軍事は一切任せる。
お前が我が芋粥家の侍大将だ」
「!? 過分なご期待、裏切らぬようにいたします」
こうして。
芋粥弥八郎秀政のもとに――
千種政成……そして浅野清隆
内政を司る表の家臣団と、
影を操り武を司る裏の家臣団が、
静かに結成された。
郡代という肩書きの裏で、
もう一つの“力”が確かに根を張り始めていた。




