第十九話 一夜の理
尾張。
墨俣上流の織田領、森の中。
朝から、木の匂いが満ちていた。
太い柱材。
梁。
板材。
それらが、無造作に積まれている――
ように見えて。
「三番梁、向きが逆です」
秀政が、淡々と指摘する。
「はい、すぐ直します」
職人が慌てて組み直す。
材には、墨で番号が振られていた。
一。
二。
三。
柱、梁、床、柵。
すべてが、
組み上げる順に、揃えられている。
「その柱は六十二です」
お悠が紙に書いた設計図をもとに職人に指示する。
「へ、へい。直します」
指示を出す秀政とお悠の傍に、
千種屋松兵衛が歩み寄った。
「まるでこの場が、……普通の城普請じゃな」
感心したように呟く。
「ここまで事前に切り揃え、
穴まで開けておく城など、
聞いたことがありませぬ」
「その“普通”をやると、間に合わん」
秀政はゆっくりと振り返り答えた。
「墨俣は敵地だ。
現地で刻み、組み、固める余裕はない」
お悠が帳面を閉じ、秀政に寄り添い、付け加えた。
「流す順番も大事なのです。
一日たりとも滞ることなく、
効率よく順繰りに組めるよう、
考えて流す必要があるのです、父上」
「そうだな、確かに。
いきなり屋根を作っても邪魔にしかならん」
「はい。だから――
ただ、組むだけにするのです」
番号。
向き。
接合順。
誰が来ても、
間違えようがない。
「大工が変わっても、
途中で斬られても、
続きを誰でも出来る」
秀政は静かに言った。
「これは“城”ではない。
工程だ」
松兵衛が、ゆっくりと頷く。
「……築城という名の戦ですな」
*
一方……
墨俣では秀吉が暗躍していた。
「伐れ!」
秀吉の号令で、
大工たちが一斉に斧を振るう。
木が倒れる。
だが――
「斎藤勢!」
見張りの声が届くや、
秀吉は、即座に叫ぶ。
「退け!
何もかも打ち捨てて逃げよ!」
斧を投げ捨て、
人影は消える。
斎藤方が踏み込む。
だが、そこには――
倒れた木はそのままで、人もいない。
「……何もない?」
「見掛け倒しか。
木は使えぬように下流に流してしまえ」
それが、一度目。
*
二度目。
また、木を切る。
また、逃げる。
「またか」
「織田は腰抜けよ。
斎藤を見た途端に尻尾を巻くぞ」
斎藤方は、鼻で笑った。
*
三度目。
「墨俣に築城の気配あり!」
報が上がる。
だが、確認しても――
何もない。
「まただ。
少し脅せば逃げ出す。
逃げ癖が染み込んでおるわ」
「放っておけ」
そう判断された。
*
四度目。
夜。
木曽川に、
影が動く。
川並衆だった。
音もなく、
舟が進む。
積まれているのは――
すでに切り揃えられた材。
全てが設計され、考え尽くされた材。
「運べ」
秀吉の声は低い。
運ぶ。
置く。
組む。
番号通りに。
迷いはない。
初日から、
柱が立つ。
二日目には、
柵が組まれる。
「……来ないな」
秀吉が呟く。
「また、見掛け倒しと思われている」
秀政は、周囲を睨む。
「だが、気づく。
必ず」
*
七日目。
運び込みは、完了していた。
組み立ては――
八割方、終わっている。
そして――
八日目。
斎藤勢が、ようやく動いた。
「墨俣に築城の気配あり!」
「急げ!」
だが、川向こうに見えたのは――
ほぼ完成した城だった。
「……一夜で建ったのか!?」
「打ち壊せ!
一夜城など張りぼてよ!」
だが――
矢は弾かれ、
柵は崩れない。
「……本物だ」
総攻めが始まろうとしていた。
そこで秀吉が叫んだ。
「斎藤の兵どもよ。
これが墨俣一夜城じゃ!!
とくと見よ!」
織田方の守備兵から鬨の声が上がった。
「来るぞ!」
秀吉が前に出る。
「芋!」
「分かっている!」
矢。
槍。
必死の防戦。
だが、これは
急に現れた幻の城ではない。
確かに築かれた、
難攻不落の堅城だった。
斎藤勢は攻めあぐねる。
その時――
背後。
「――今じゃあ!」
川並衆が、突撃した。
斎藤勢の背を裂く。
「なっ――後ろから!?」
秀吉が叫ぶ。
「小六!
血は流すなと言っただろう!」
焚き火のような笑い声が返る。
「猿。
これは約束とは別じゃ。
気にするな」
蜂須賀小六が、吼えた。
「俺らの川に、
無断で入りおって!
それを見逃すほど、
川並はお人好しじゃねぇ!
通行料として命を貰うぞ!」
斎藤勢は、総崩れとなった。
*
夕刻。
墨俣。
城は――
完成していた。
秀吉が、天を仰ぐ。
「……出来たな」
秀政は、静かに言う。
「一夜ではない。
だが――」
「誰の目にも、一夜城だ」
二人は、城を見上げた。
流れは――
完全に、変わった。




