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新武将・芋粥秀政  作者: 得生
第十一章 伊勢太守編(長政飛躍編)

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第百七十三話 鬼の餌

大聖寺城の一室。


伊賀忍びを各地へ放ってから、

五日が過ぎていた。


北陸の春はまだ寒い。

城の外では、雪解けでぬかるんだ土を踏みしめながら、

兵たちが忙しなく動いている。


その一室に集まっていたのは、

芋粥軍の若き将たちだった。


芋粥長政。

鷺山利玄。

加藤清正。

福島正則。


正則は落ち着かぬ様子で膝を揺らし、

清正も腕を組んだまま地図を睨み続けている。


二人とも初陣。


しかも鬼兵を預かる将としての出陣である。


気負いを隠せるはずもない。


対して、鷺山だけは静かだった。


壁際に立ち、腕を組みながら、

若者たちの様子を眺めている。


そこへ――

障子が音もなく開いた。


黒装束の男が滑るように部屋へ入り、

そのまま膝をつく。


伊賀忍びである。


「敵将、判明いたしました」


長政が顔を上げる。


「申せ」


「下間頼祐にございます」


長政がわずかに眉を寄せた。


「……知らぬ将だな。

 義父上から予め用心すべき者の名は聞いていたが」


忍びは淡々と続ける。


「齢三十ほど。

 本願寺坊官の名門、下間家の出にございます。


 本来は戦場へ立つ家筋ではなく、

 実戦経験は皆無。


 敵を侮り、過小評価する気質が強くございます」


正則が鼻を鳴らした。


「名門気取りか」


「ですが――」


忍びは続ける。


「門徒衆からの信は厚うございます。


 長島の怨嗟を焚きつけ、

 “織田は次に加賀を焼く”と煽り立てることにかけては、

 右に出る者なし。


 扇動の才は見事にございます」


清正が顔をしかめる。


「……戦より口で人を動かす類か。

 小賢しい。こういう奴に限って偉そうなのだ」


「左様にございます」


忍びは頷き、さらに報告を続けた。


「また、部隊将にあたる僧兵どもは、

 口と見栄えだけの者が多く、まさに戦は素人。

 情報を隠すという発想すら持っておらぬ様子。


 複数の情報元を照合しましたが、

 内容に相違ございませぬ」


そこで忍びは、わずかに口元を歪めた。


「各部隊将は、こう申しておりました。


 “柴田、丹羽ならばともかく、

 芋粥の小童どもなど恐るるに足らず。


 こちらは三倍。

 押し潰せば終わりだ”と」


正則が露骨に侮蔑の表情を示し、笑った。


「三倍で押し潰す、か。


 烏合の門徒が何を言う」


忍びは地図を広げる。


「敵は策らしい策を用いる気はございませぬ。


 正面より包み込むように進軍し、

 数で押し切る腹積もりにございます」


鷺山が口を開く。


「渡河地点は?」


「二ヶ所のみ。


 大聖寺川の渡し(橋)。

 そして動橋川の浅瀬。


 地元民へ食を振る舞い、

 複数の証言を得て確認済みにございます」


長政が地図を覗き込み、小さく呟く。


「……大軍を一気に渡すなら動橋川の浅瀬か。

 そして渡りやすいが、詰まりやすいのが大聖寺川の橋だな」


「はい。


 敵が橋を渡ってくれれば上手く包囲できます」


忍びはさらに地図を指した。


「また周辺の林道、丘陵も踏査済み。


 黒鬼騎馬を伏せるに最適な林を一つ。

 敵が伏兵を置きうる地点を三ヶ所洗いましたが、

 兵の気配はございませぬ。

 また動橋川の渡河先には我が軍が伏せるに適した場所が多数」


報告が終わる。


長政は静かに息を吐いた。


「……孫子に曰く。


 彼を知り、己を知れば百戦して殆うからず」


そして地図を見つめたまま、小さく呟く。


「ここまで敵が杜撰では、

 負けようと思っても難しいな」


清正と正則が顔を上げた。


鷺山は満足げに頷き、前へ出る。


「さて、ここからが本番だ」


そう言って、地図上の二ヶ所を指先で叩いた。


「門徒どもは“押せば勝てる”と思っておる。


 ならば――押させてやればよい」


長政の目が細くなる。


鷺山は続けた。


「まず一当てして退く。


 “勝てる”と思わせたところで、

 渡河の途中を狙う。

 

 出来れば一方に固めたいな。

 二手に来られると少々厄介だ」


長政がすぐに応じる。


「鷺山の言う通り。


 敵は単純な奴らだ。

 三倍の兵であれば二手に分かれても問題ないと、

 間違いなく考えるだろう。

 そうなるとこちらは少ない兵をさらに割らねばならぬ。


 できれば橋側の一手に引き寄せたいのは確か。

 我らはそう動かねばならぬ。


 さすれば門徒ども百姓兵であれば、

 兵が詰まり、混乱は避けられぬ」


正則も拳を握った。


「三倍の兵力差が意味を失うわけだな!」


それに長政が応じた。


「そうだ、橋では一度に多くは渡れぬ。

 包みやすい」


清正も頷く。


「そして逃げ道は塞がず。


 逃げられると思えば、

 群れは勝手に崩れる。


 散々討たれた後で、崩れて逃げに走り、

 黒鬼に騎馬にとどめを刺されるという訳か」


長政が頷いて立ち上がる。


そのまま地図上の林を指した。


「清正殿。


 黒鬼騎馬をこの林へ伏せよ。


 敵が崩れ始めた瞬間、突撃じゃ。


 逃げ腰となった門徒では、

 騎馬の恐怖に耐えられまい」


清正が力強く頷く。


「は!


 門徒どもには、

 地獄の黒鬼に追われる恐怖を馳走してやろうぞ」


正則も負けじと笑った。


「赤鬼も負けぬぞ!


 逃げる敵を何往復でも削り切ってくれる!」


長政も武人の目で地図上の敵を見据える。


「そうだ。


 ただ勝つだけではない。


 二度と立ち上がる気を失うほど、

 恐怖を叩き込め!


 橋への誘導に関しては策がある。

 俺を信じて全力を尽くしてくれ!」


「おう!」


部屋の空気が熱を帯びる。


先ほどまで漂っていた緊張は、

もう消えていた。


その時だった。


鷺山がふっと笑う。


「……ぬしら、なかなか良い面構えになったが……

 よもや俺を忘れてないか?」


三人が視線を向ける。


鷺山は腕を組んだまま、

口元だけで笑った。


「一番手柄は俺だよ、俺の青鬼が敵を包み崩す!」


一瞬、部屋が静まり――


次の瞬間。


三人が一斉に吹き出した。


「何を言うか!」


「一番手柄は黒鬼だ!」


「赤鬼に決まっておる!」


若武者たちの声が重なる。


鷺山は楽しそうに笑った。


「やれやれ。


 若いのに遠慮というものがないな」


だが、その目は満足げだった。


不安は消えた。


今この部屋にあるのは、

勝つための熱だけである。


長政が最後に声を張り上げた。


「――各々、準備を急げ!


 出陣は五日後じゃ!」


その瞬間。


大聖寺城の空気は、完全に戦の色へと変わった。



出陣当日になって、長政が陣取りを伝える。

そこで三人は声を上げた。


だが長政は強い眼差しで反論を許さなかった。



大聖寺川の橋の傍の河原に、白い朝靄が立ちこめていた。


その中に、芋粥軍二千五百が静かに整列している。


鷺山、清正、正則の鬼兵は強すぎる。


彼らが前線に立てば、百姓である門徒たちは近づく度に崩れる。

“わざと退く”という策が成立しないほどに。


だからこそ――

餌になるのは長政自身だった。


前列には鍛え抜かれた常備兵千五百。

その背後には、農兵千。


そしてさらに後方――

大聖寺川の橋の出口を取り囲むように

鬼兵九百、常備兵五百が息を潜めていた。


正則が眉をひそめる。


「……長政殿。

 本当にこれで良いのか?」


清正も低く呟いた。


「鬼兵を後ろに下げるとは……」


長政は馬上で前を見据えたまま答える。


「良い。

 ここは俺に任せよ」


それ以上は語らない。


鷺山だけが、何かを察したように小さく笑った。



長政は馬上で深く息を吸った。


冷たい空気が肺を満たす。


二千五百。


対する門徒軍は一万二千。


やがて、靄の向こうから地鳴りのような足音が響き始めた。


怒号。

念仏。

槍を打ち鳴らす音。


大地そのものが押し寄せてくるようだった。


そして、その中央。


煌びやかな僧兵装を纏い、敵将・下間頼祐が姿を現した。


名門の家柄ゆえの自信。

そして実戦経験のなさゆえの危うさ。


その両方が顔に浮かんでいる。


長政は馬を進め、声を張り上げた。


「総大将・芋粥長政、ここに在り!」


朝靄を切り裂く声だった。


「敵は凡将、兵は百姓よ!

 負ける気がせぬわ!


 血祭にあげようぞ!」


門徒軍前列がざわつく。


頼祐の目が細くなった。


――罠か?

その疑念が、一瞬だけ脳裏を過る。


だが実戦経験がない。


その疑念はすぐに、彼自身の傲慢と

侮辱を受けた事への怒りで塗り潰された。


「見るに三千もおるまい!

 そんな小勢で我らに挑むか!


 武勇と蛮勇の区別がつかぬ小童よ!」


頼祐が大声で怒鳴り返す。


「愚か者め!


 罠があったところで知らぬわ!

 そのまま押し潰せ!!」


その叫ぶような号令と共に、

一万二千の門徒が怒涛のように押し寄せた。


凄まじい圧だった。

常備兵千五百へ激突する。


槍と槍がぶつかり、

泥が跳ね、

怒号が響く。


だが――崩れない。


鬼の具足こそ纏わぬが、

彼らもまた鬼になり得る精鋭だった。


しかも今、

総大将は最前線に立っている。


自らの力を示す絶好の機会。

また、長政自らがその命を彼らへ疑いなく預けている。

絶対の信頼。


ここで燃えぬはずがなかった。


「押せぇ!!」


「若様をお守りしろ!!」


何度もぶつかる。


押し合い、へし合い、

血と泥が飛び散る。


その迫力に、

双方の陣営が息を呑んだ。


壮絶なぶつかり合い、

そう見えて芋粥兵にはほとんど被害が出ていない。


だが、その瞬間――

長政の背後。


農兵千が、突如として崩れた。


「ひっ……!」


「もう駄目だぁ!!」


「敵が多すぎる!」


旗を投げ捨てる。


腰を抜かす。


泣き叫びながら、

大聖寺城へ向けて逃げ出した。


その逃げっぷりは、

あまりにも“本物”だった。


門徒軍が歓声を上げる。


「崩れたぞ!!」


「芋粥兵どもが逃げた!!」


「前列は孤立した!!」


「押し潰せぇ!!」


だが――

それこそが長政の計算だった。


農兵には身の危険を感じた際は、

大聖寺城へ向けて逃げることを許可した。


そして、前列の常備兵千五百は、

事前に“農兵は逃がす”と伝えられている。


混乱は一切ない。


むしろ、

総大将がこの危険な状況を踏まえても、

前に立っていることで士気は高かった。


「下がれ!乱れるな!」


「隊列を保て!乱さず退け!」


「若様をお守りしろ!!」


常備兵たちは叫びながら、

押し寄せる門徒を受け流し、

整然と後退していく。


橋へ向かって。


一歩、また一歩と。


頼祐は勝利を確信していた。


「追え!!

 やはり鬼兵など仏の前では恐るるに足らず!!


 橋を渡って一気に押し潰せ!!」


だが――

その橋こそが、地獄の入口だった。


一万二千の門徒が、

二ヶ所ある渡河点の片方へ全軍殺到する。


長政という餌に、

完全に釣られていた。


二手で攻め寄せれば大軍を活かして、

包囲戦を展開できただろう。

だが、それすらも考えられぬほど、

頼祐は戦に疎かった。


長政隊は無事橋を渡りきり、鬼兵の後ろに回って一息つく。


門徒たちはそのまま押し寄せた。


狭い橋に人が詰まる。


後ろから押され、

前は進めず、

退くことも出来ぬ。


隊列は伸び切り、

統制は完全に失われた。


その瞬間――


「撃て」


川岸から黒鬼鉄砲隊が、一斉に火を噴いた。


轟音が大地を揺らす。


橋の上の門徒が、

次々と倒れ川に落ちていく。


逃げ場はない。


前も後ろも詰まり、

ただ撃たれるだけだった。


しかも――

それを抜けても鬼が待つ。


だが、勝ちに浮かれた門徒兵は止まれない。


状況を理解していない後方の門徒兵は勢いに任せて後ろから押す。


前の兵は止まることも退くこともできぬまま、

鬼へ吸い寄せられていく。


橋を渡れば鬼に討たれ、橋に留まれば鉄砲に狙われる。

だが後ろから常に押されて、退くこともできず、

次々と前へと進む。


「赤鬼、続け!!」


正則が吠えた。


赤鬼が突き続ける。


橋の手前で門徒を粉砕した。


「青鬼、塞げ!!」


鷺山の青鬼が敵を引き込み、槍で貫いて、

川へ突き落とした。


逃げ惑う門徒たちは青鬼の包囲に吸い寄せられていく。


黒鬼は鉄砲を放ち、

槍兵の黒鬼は赤鬼と青鬼に負けじと突き貫く。


橋を渡り一息ついた長政は振り返った。


川は、赤く染まり始めていた。


討たれた門徒が次々と流され、

後ろから押し寄せる群衆と化した敵は、

何が起きているのかすら分からぬまま前へ進む。


そこにあるのは、

もはや戦ではない。


圧倒的な殺戮だった。


長政は静かに呟く。


「……これが、芋粥の鬼よ」


その声は小さい。


だが――

門徒軍の心を折るには、十分だった。


それでも、長政は手を止めない。

ここからが彼の戦の本領である。

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