第百十四話 元服と祝言
今度こそ皆は一斉に立ち上がり、
引っ越しの準備を始めた。
廊下では既に家臣たちが声を張り上げ、
荷の段取りや人員の割り振りを始めている。
その喧騒を横目に、秀政は数人を呼び止めた。
「義父殿、お悠、浅野、鷺山、日根野、河村、大野。
少し残れ」
呼ばれた者たちが振り返る。
やがて七人が秀政の前に並び、
静かに畏まった。
秀政は一人一人を見渡し、
ゆっくりと口を開く。
「お前達には個別に話がある」
少し考える。
「そうだな。
義父殿とお悠、浅野は
奥でゆっくり話したい」
鷺山の方を向く。
「先に鷺山たちの話をするぞ。
鷺山、日根野、河村、大野」
四人が同時に応じた。
「は!」
秀政は腕を組んだ。
「お前達、伊勢組は引っ越しは関係あるまい。
そこで任を与える」
四人の顔が引き締まる。
「何なりと」
秀政は鷺山を見た。
「鷺山」
少し間を置く。
「お前を侍大将とする」
一瞬、鷺山は固まった。
「え……?」
そして慌てて頭を下げる。
「あ、ありがたき幸せ!」
秀政は頷いた。
「うむ」
ゆっくりと言う。
「お前は長島争乱の中、
常に治安維持のため東奔西走した」
「はい!」
「その間、多くの賊を討ち、民を救い、
国人との数多の戦で勝利を収めた。
“負けなしの玄蕃"がお前の二つ名らしいな。
亡き井口もお前の活躍と才を、
常々褒めていた」
「え?井口のじじいが……。
あ、いや、井口殿が?
会えば文句しか言わなかったくせに」
「お前を侍大将に推挙していたのは、
井口だ。
俺も忙しくて、今になってしまったがな」
「……そうなんですね」
井口を思い出して鷺山が感傷にふける。
秀政はそのまま続けた。
「お前は芋粥家の中でも、
最も戦を知る者の一人になった。
この昇格は当然だ」
政成と浅野も頷く。
鷺山は顔を紅潮させ、
拳を握り締めていた。
秀政は続ける。
「日根野、お前も侍大将にする。
だが格は鷺山が上だ。
引き続き、鷺山を支えよ」
「は!ありがたき幸せ。
承知仕りました」
日根野も目を輝かせながら頭を下げた。
「鷺山」
「は!」
「日根野に加えて、
お前に足軽大将の河村と大野、
その下の組頭たちを付ける」
二人が姿勢を正す。
「そして――」
秀政はゆっくり言った。
「引っ越しが完了するまで、
伊勢の軍権を任せる」
鷺山の目が見開かれる。
「は!」
そして驚いた声が漏れた。
「……え?!
俺にお任せいただける!?」
秀政は笑った。
「あぁ」
軽く言う。
「お前はあの道三の孫であるしな。
浅野は那古野の軍事を全て担っていた。
引継ぎ等の事務作業で、
しばらく忙しくなる。
お前しかいないんだよ」
鷺山が照れくさそうに頭を掻く。
秀政は続けた。
「北畠は一年放置すると言った」
そこで声を落とす。
「だが、そう簡単にはいかん。
この国替えの隙をついて、
攻め込んでくる可能性が高い」
ゆっくり言う。
「よって――
伊勢の二千を使い、
浅野の四千が到着するまで抑えよ」
鷺山は胸を叩いた。
「は!」
秀政は続けた。
「お前は負けなしの玄蕃だ。
伊勢の地形も、人心も熟知しておる。
暫定とはいえ、
お前ほど適任はいない」
鷺山の声に力がこもる。
「はい!」
「前線の木造城と松ヶ島城。
それぞれに兵、千を入れろ。
お前と日根野が城代となって、
守り切れ」
「承知!お任せあれ!」
「大野、河村。
鷺山と日根野を支えよ」
「は!」
鷺山が勢いよく振り返る。
「よし、日根野!大野!河村!
行くぞ!」
「は!」
四人はどたどたと音を立て、
そのまま部屋を飛び出していった。
秀政は苦笑する。
「調子のいい奴だな」
腕を組む。
「小童と思っていたが、
良い武者になった」
浅野も静かに答える。
「そうですな」
秀政は頷いた。
「さて……
お前達三人にも話がある。
奥の間へ行くぞ」
*
奥の間。
人払いされた静かな部屋で、
三人が向かい合って座った。
秀政が口を開く。
「話というのは――」
少し間を置く。
「万丸のことだ」
二人の表情が引き締まる。
「井口を失った。
新たな守役もおらん」
秀政はゆっくり言った。
「元服させようと思う」
政成が頷く。
「そうですな」
少し笑う。
「万丸様も齢十四。
元服しても、よろしい頃かと」
秀政は政成と浅野の両名を見る。
「加冠役は義父殿、烏帽子親は浅野に任せたい」
「はい、承知しました」
政成と浅野は深く頭を下げた。
「それと同時に」
少し柔らかい声になる。
「明との祝言も上げようと思う」
お悠が目を丸くする。
「まぁ!祝言も?」
秀政は頷く。
「この段取りを、お悠に任せたい」
真剣な顔で言う。
「伊勢に移る前に、
家中の結束を固めておきたい」
そして少し笑った。
「……だが本音はな」
声が柔らかくなる。
「俺の最初の子だ。
大事な娘だ。
立派な祝言を上げさせてやりたい」
お悠の顔がぱっと明るくなる。
「はい!」
嬉しそうに頷く。
「任せてください!」
秀政は続けた。
「しばらくは鈴鹿城は、
名ばかりの仮庁舎にすぎん。
あばら家かもしれん。
あばら家で祝言をあげさせるのは、
俺が嫌じゃあ。
ならば那古野に居る内に、
元服も祝言もあげたいのだ」
お悠が笑う。
指を二本立てた。
「二ヶ月後には伊勢へ移る」
「急いでくれ」
三人が同時に応じた。
「は!」
*
数日後。
那古野城の二の丸で、
万丸の元服の儀が執り行われた。
そこには芋粥家の家臣たちが並ぶ。
政成、浅野、村瀬、泉川、荒木、南條。
皆が静かに見守る中、
万丸が前へ進み出た。
まだ少年の顔つき。
だが背筋は伸びている。
秀政が口を開いた。
「万丸」
「はい」
「今日よりお前は子ではない」
静かに言う。
「芋粥の武士だ」
万丸が深く頭を下げた。
「は」
政成が前へ出る。
加冠役として烏帽子を手に取った。
ゆっくりと万丸の頭に被せる。
その場が静まり返る。
浅野が横に立つ。
烏帽子親として肩に手を置いた。
「今日より一人の武士だ」
低く言う。
「名を賜れ」
秀政が一歩前に出た。
「信長公より偏諱を頂いた」
一拍。
「今日より万丸は――
芋粥長政と名乗る」
長政が膝をついた。
「芋粥長政」
顔を上げる。
「未熟ではありますが、
家のために尽くします」
秀政が頷く。
「うむ」
浅野が一本の刀を差し出す。
「祝いだ。
この刀を持つ以上、
武士として恥じるな」
長政が両手で受け取った。
「は!」
村瀬が笑う。
「ははは、もう万丸とは呼べんな」
泉川も微笑む。
「立派になりましたな」
その時、奥から声がかかった。
「祝言の準備が整いました」
秀政が頷く。
「では、続けて祝言だ」
*
広間では祝宴の席が整えられていた。
灯りが並び、
家臣たちが集まる。
そこへ明が現れた。
白無垢姿だった。
まだ数えで十一の少女。
歩き方も少しぎこちない。
お悠が横で手を引いている。
長政も裃姿で進み出た。
だが二人とも
どこか落ち着かない。
互いに目も合わせられない。
それを見て村瀬が小声で笑う。
「おいおい、
さっきまで遊んでた二人じゃないか」
政成が微笑む。祖父の顔だ。
「祝言となると別ですな」
秀政が前に出た。
「皆の者」
静かに言う。
「今日より長政は我が娘、明の夫となる」
明が小さく頭を下げる。
長政も慌てて続く。
まだ子供同士の夫婦。
それでも家臣たちは大きく声を上げた。
「おめでとうございます!」
杯が配られる。
村瀬が酒を掲げた。
「今日はめでたい!
飲むぞ!」
笑い声が広間に広がる。
長政と明は
並んで座らされていた。
しかし二人とも
どうしていいかわからない様子だ。
明が小さく言う。
「長政様」
「は、はい」
「よろしくお願いいたします」
長政は慌てて頭を下げた。
「こちらこそ」
周囲の大人たちが
それを見て微笑む。
秀政は少し離れて
その様子を眺めていた。
(長政か)
もう万丸ではない。
芋粥長政。
芋粥家の世継ぎ。
松丸の成長と見比べねばならん。
だが、万丸も、
いや、長政も愛する明の婿である。
(家か……。
俺には実感が薄い。
それがいかんのだろうな)
再び長政の方を見る。
まだ数えで十四の子供だ。
秀政は小さく息を吐く。
(急ぎすぎているかもしれんな)
だが戦国の世だ。
ゆっくり育てる時間はない。
秀政は杯を持ち上げた。
長政、明。
この二人には――
幸せになってもらいたい。
杯を静かに傾けた。
(今は素直に祝おう)
那古野城の夜は、
祝いの声に満ちていた。




